225 一度だけの歓談
「それはそれとして」
いきなりヨリシロの声のトーンが変わった。
「今はもう少し楽しい話をいたしましょう。何故ならわたくしたちは、人跡未踏の地に足を踏み入れているのですから」
あっ、これマズい。
「わたくしたちはハイネさんのお部屋に到達したのですから!」
「勝手なことするなよ!?」
と注意するものの、何ほどの効果があるとも思えない。
何しろここにいる女性たちは、ヨリシロ、カレンさん、そしてアテスなのだから。
「ハイネさんのお部屋……ッ!?」
今頃その事実に気づいたのか、カレンさんの表情がボフンと沸騰する。
「あのあのあの、そこに行けばどんな夢も叶うという……!?」
「そうです、誰も皆行きたがる遥かな世界、それがハイネさんのお部屋です!」
違うよ?
何勝手にヒトの部屋をユートピア認定しておりますか?
「……これまでアテスさんへの憎悪にかまけて認識してませんでしたが、意識すると一気に、肺の中から体中の表面に至るまで、ハイネさんの匂いに触れられています!!」
「怖いこと言うな!!」
カレンさんがそろそろダメな段階に入りつつある。
「ここに来れば、やるべきことは一つですカレンさん! 探検です! 黄金郷を探し当てた冒険家がするように!」
「略奪ですね!? 都を攻め落とした蛮族が行うように!」
やめて!
一応男にだってプライバシーはあるんだから、あちこち家捜ししないで!
「心配御無用ですよハイネさん」
アテスが落ち着き払って言った。
「この部屋に最初に侵入したのは私なのです。ハイネさんが見られて困るようなものは、すべて私が回収済みです!」
「ドヤ顔で言うことか!?」
この不法侵入者どもめ!
もうまとめて窓から放り投げようかと思ったところへ、僕の良心を喚起する声が。
「あの……」
キッチンからおずおずと現れる小柄な少女。
ドラハだ。
「キミも来ていたのか……」
まあ当然か。
最近はヨリシロあるところ影のごとく付き従うドラハだからな。
「申し訳ありません。皆様のために、お茶を淹れようと思ったのですが……」
この子も大概我が物顔だな。
「そういえば、声を張り上げて喉が渇きましたねえ」
「気を使わせて申し訳ありません。お茶を注ぐのは私がやりますから……」
とカレンさんが駆け寄るも、ドラハはやはり困り顔で……。
「……ないんです」
「ない?」
「お茶っ葉がないんです。代わりにこんなものが……」
とドラハが差し出してくるのは、一つの瓶だった。
ガラス製の透明な容器からは、その中身を簡単に窺うことができる。中にみっちり詰まった黒色の豆を。
「こ……!」
「これは……!?」
コーヒー豆ですけど。
何ですかカレンさんもヨリシロも、そんな表情を苦くして?
「……ハイネさん、コーヒーなんか飲まれるんですか?」
なんか!?
なんかって!?
「だって……、苦いじゃないですか。口の中がグワグワになっちゃうと言うか……?」
「その苦さがいいんじゃないですか。頭がスッキリするし、眠気覚ましには最適ですよ」
まあ、あと苦味の中にあるコクを楽しむために飲むものではあるが。
しかしカレンさんはそれでも、僕のことを別の世界から来た人間でも見るような表情で……。
「でも……、紅茶の方が絶対美味しいですよ~。コーヒーなんて苦いだけですよ~~」
「いいえ、カレンさん」
ヨリシロが何か言い出した。
「わたくしたちも今宵は、コーヒーを御馳走になってみましょう」
「ヨリシロ様!?」
いや、いい加減そろそろ帰ってください。
「よく考えてみてくださいカレンさん。好きな方との食生活を同じくできないということは、長い目で見ればリスクしかありません。価値観の相違。熟年離婚の原因ともなりかねない!」
結婚する前からそんな心配されても。
「そ、そうですね! 今のうちに挑戦しておいて悪いことはありませんよね! ……ハイネさん!!」
「はい!?」
「コーヒー一杯お願いします! 滅茶苦茶濃いのを!」
そんな特別な勢いで注文されても。
仕方ないなあ。
僕はしょうがなくコーヒー一杯、大至急で拵えることにした。
コーヒー豆は既に焙煎してあるので、ミルで砕いて粉にする。そこからドリップするだけだが、そこで取り入出しましたる……。
エ ス プ レ ッ ソ マ シ ン。
「「「「!?」」」」
なんか女子たちの視線が一斉に集まる。
「何です……!? あのヤカンみたいなもの……!?」
「わかりません……! 古代文明の遺物でしょうか……!? ハイネさん、まさか神の知識をこのようなところで……!?」
何を人聞きの悪い。
このエスプレッソマシンはれっきとした水都ハイドラヴィレッジ土産です。
それをもってササエちゃんのお婆さんの好意で地都イシュタルブレストから送ってもらってるコーヒーを拘束抽出、シロップのごとく濃厚なエスプレッソ完成。
「うむ、今日もよい感じに出来上がった」
ドロリと粘つきがありそうだな。
エスプレッソマシンの注ぎ口から、デミダスカップへと移る暗黒液体。
「あの……、ハイネさん、このカップやけに小さくありません」
「それがエスプレッソですから」
ほれ飲め、とばかりにカップを二人の前に滑らせる。
「カレンさん、お先に……!」
「いえいえ! ヨリシロ様こそ!」
ここに来て災難のなすり合いが勃発した。
どうでもいいが早く飲んでくれんと冷めてしまうぞ。
「ふふっ、お子様ですねえ、二人とも」
そこで行動に出たのは、沈黙を守り続けてきた腹黒女。
「「アテスさん!?」」
「コーヒーとは、子供の舌では正しく味わえない選ばれし者の飲み物」
いや、そこまで大したものでは……。
「ハイネさんが心を込めて淹れてくださったコーヒーは私が引き受けましょう。お二人は、まずはケーキに乗っているイチゴの酸味から少しずつ慣れていくことですね」
「ぐぬぬぬぬ……!」
「また言いたい放題……!」
敵意は公然としながらも、言い返すことができないのは、やはりコーヒーの苦さを恐れるゆえか。
二人の悔しい視線をよそに、アテスはカップを手に取ると、おずおずとした勢いで口をつけた。
「……にがっ」
おい。
「ああーッ!? 今『にがっ』って言った! 苦いんですよね!? アテス様だって苦いんですよね!?」
「やはりアナタだったダメなんじゃないですか、このやせ我慢女! 見栄っ張りも度が過ぎますと足元を掬われますよ! 実際一度は失敗しているんですから、少しは慎みを学びなさい!!」
堤が破れたかのようにギャーギャー騒ぎ出す女たち。三人寄れば姦しいとはこのことだった。
そんな喧しい言い合いを、止める手立てもなく見つめながら……。
「……ハイネ様、教えてもらった通りにやってみました」
「はい、ご苦労さま」
ドラハが新たに淹れてくれたコーヒーを口に含む。
苦い。
だがそれが美味しい。
何故このコクと深みを、彼女らは理解してくれないのだろうか?




