220 日常侵食
実際に僕たちは甘く見過ぎていたのかもしれない。
迂遠でも、確実に僕たちの生活に食い込み、溶かし崩そうとするあの女の恐ろしさを。
* * *
後日、僕はあちこちでサニーソル=アテスの姿をよく見かけるようになった。
たとえばここ極光騎士団の訓練広場。
アイツはそこで多くの光騎士たちに囲まれ、しかも談笑していた。
その中には新たに騎士団長となったグレーツさんまでいた。
「おおハイネ、ちょうどいいとこに来たな! お前も来いよ!」
ハゲのグレーツさんが僕のことを呼び止める。
あの人は団長となっても、豪奢な団長室でふんぞり返ることなく、常に外を飛び回っている。
今日もこうして新人騎士の訓練を見てやっているのは、騎士団改革計画を上層部と話し合ったり、外部と折衝したりする忙しい合間を縫ってのことだった。
そしてもう一人、新人の指導に加わる妙齢の美女。
「光の神気を扱う上でもっとも大切な二つ。それは放出と収束です」
光槍カインを芝居っぽく振り回しつつ、先代光の勇者サニーソル=アテスが言った。
彼女の講義に、若い光騎士たちは熱心に耳を傾けている。
「パワーを一気に解放する〝放出〟、そのパワーを思った通りの方向に整える〝収束〟。光の神気は、この二種類の操作で充分コントロール可能です。ただ力任せに放出し続けるだけならば考えなしの火属性でもできますが……。その放出に決まった進路を与え、針よりも細く収束できれば……」
光槍カインの切っ先が、狙い定めるようにある方向を向く。
そして穂先の刃部分が眩く光り始める。
「『聖光穿』!!」
槍の穂先が伸びたように思われたそれは、線状に放出された光の神気だった。
まるで槍の刃が延長するように放たれる光線は、遥か向こうの的に命中し、貫通した。
木の板でできた的に小さな穴が空く。その穴は、元々の槍で貫いたとしてもまったく変わらない口径。
よっぽど収束が徹底していなければ、あそこまで鋭い貫通孔は作れない。
「「「「「おおぉぉーーーーーーーーーーーーッ!!」」」」」
見学の光騎士から拍手と歓声が同時に漏れる。
「放出と収束をコントロールするコツは、とにかく呼吸を整えること。それから息を吐くのと同時に放出することです。神具を体の一部と考えて、体全体で操りなさい」
なるほど、なるほど。
それは光に限らずすべての神気操作に言えることで、僕も暗黒物質の使い手として身につまされるところがあった。
「巧みなものだよ。説明はうまいし実技もビシッと決まる。オレ様が見てきた中でも最高クラスの教導官だなあ」
騎士団長に就任する以前から、中隊長として二十年近くに渡って極光騎士団を支えてきたディンロン=グレーツ。
そのグレーツ騎士団長に手放しで褒められるのだから、大したものであった。
「アテス様が戻ってきてくださったのは、やはり極光騎士団としては万々歳だなあ。単純に勇者クラスの戦力が二人もいるってこと自体大助かりだが、それとは別にしてもアテス様はよくできたお方だ」
「お、おう……!?」
「現役時代の頃から何でもソツなくこなしなされるし、下への気配りも細やかでな。前の政変に巻き込まれて引退を余儀なくされた時は残念に思ったものだよ。ま、当時下っ端だったオレ様にはどうしようもなかったがな」
アテスが勇者を辞めさせられた当時の事情を、グレーツ騎士団長は何も知らされていなかった。
それも当然か。僕だってよく知らないが、アテスの勇者引退にまつわるイザコザは光の教団にとって醜聞だという。
だとすれば教団は騒ぎを最小限ので収拾させたかったはず。真相を知る者もできる限り少ない方が望ましい。
当時中隊長だったグレーツさんは、他の大多数同様に傍観者でいることしかできなかったろう。
「あの……」
「ん? 何だハイネ?」
「僕、当時はいなかったんで知らんのですが。アテスさんが引退した時って世間の反応はいかがなものだったんですか?」
と、当時の様子を聞いてみると……。
「そりゃあ皆同情的だったさ。アテス様は、先代のクソ教主に巻き込まれる形で辞めちまったんだからなあ」
「ええぇ~……!?」
「当時はまだ教主令嬢に過ぎなかったヨリシロ様がオヤジの不正を暴いて、アポロンシティがひっくり返るような騒ぎが起きてよ。毎日デモだストだで大混乱だ」
ふぇぇ……!
「前のクソ教主はバカだから、それでも教主の座に居座り続けたんだが、それが裏目に出て逮捕拘束さ。早めに自分から身を引いときゃ多少の自由は残ったろうに、本物のバカだよ」
そして賢いヤツがいた。
他でもないアテスだ。
「その時にアテス様も、みずからの意思で辞任なさってよ。『勇者の職にありながら教主の暴走を止められなかった罪は免れない』って。ヨリシロ様は引き留めたが聞き入れられなかったそうだ」
「…………」
これが政治の闇。
つまり多くの光の教徒たちにとって、先代光の勇者アテスは政治腐敗に巻き込まれた悲劇のヒロインという認識なのだ。
それがつい先日の新旧勇者戦を機に、長い禊の期間を終えてカムバックなされた。
一般的な光の教徒から見て、今回のアテス帰還はまさしくそういうことだった。
諸手を挙げて大歓迎。
昨今の汚職官僚の一掃も相まって、現在上位の役職に就く者はほとんど事の真相を知らない者たちだった。
それが皮肉にも余計に、現在アテスの風当たりをよいものにしている。
今やサニーソル=アテスは、光の教団を挙げての人気者となっていた。
「あっ、カレン様……!」
そこに通りかかる現役光の勇者カレンさん。
その姿に若い光騎士たちが果敢に話しかける。
「カレン様! 今、アテス様の主催で集団講義をしているところなんです!」
「よろしければカレン様からもご指導いただけませんか!?」
しかし、カレンさんの表情は華やがなかった。
「……すみません。自分の訓練をしなければならないので、遠慮させてください」
「え……?」
そのままカレンさんは、訓練場の奥の方へと消えていく。
戸惑うのは若い光騎士たちだ。
「どうしたんだろうカレン様?」
「カレン様ってあんな人だったっけ? 以前はもっと優しくて打ち解けやすかったような……?」
動揺が若者たちの間へ広がっていく。
そこに……。
「落ち着きなさい」
優しい声で宥めにかかったのは、誰あろうアテスだった。
「カレンさんをお責めになってはいけません。あの方は才能豊かな人。生まれもった光属性の適性値は私など足元にも及びません」
「アテス様……」
「あの方は、その才能をもって光の教団の先陣に立つという重要な使命があります。アナタたちの務めは、そのカレンさんを下から支えること。そのために強くならなければいけないのです」
「「「「「はいッ!!」」」」」
元気よく返事する若き光騎士たち。
そのやり取りに僕は「マズい」と思った。
「待てよ」
堪らず割って入った。
「その言い方は誤解を招くな。まるでカレンさんが才能だけで強くなったような口ぶりじゃないか」
「まあ」
「あの人だって強くなるために相応の努力をしている。その事実を否定することは賞賛でも何でもないぞ」
アテスは、カレンさんを擁護した……、ように見えたが、違う。
ヤツはカレンさんが才能溢れた人間であることを印象付けて、一般騎士とカレンさんたちの間を分断しようと目論んでいたのだ
天才は凡人から忌避される。
カレンさんは一般騎士からは理解されない天才だと刷り込むことでカレンさんの孤立を図り、その分自分自身が騎士団における高い地位を確保する。
アテスの音なき侵略は、今この時も進み続けている。
やはりこの女は危険だ。




