22 勇者の真贋
「きゃあああッ!?」
津波のように押し寄せてくる紅蓮の炎にカレンさんは晒される。
「カレンさんッ!」
「来ないで!」
思わず飛び出そうとする僕を、その先にいる人が止める。
「『聖光壁』!!」
光がレースカーテンのようにはためく薄膜となって、襲いくる炎とカレンさんとの間を仕切る境界線となる。
「上手く防御したな……」
ミラクが解説している間にも、カレンさんはもう一太刀。
「『聖光斬』!!」
しかし光の斬撃は再び鋼の皮膚に阻まれ、弾かれる。先ほどと何も変わらない。
「炎牛の皮膚は、鋼鉄そのもの。しかも自然のものより遥かに硬く、分厚いらしい。オレも以前に『フレイム・バースト』で何回攻撃してもまったく歯が立たなかった。誰にも倒すことができないのさヤツは」
「お前! それがわかっててカレンにけしかけたのか!?」
「安心しろ、一つだけいい情報がある」
「?」
「通常、モンスターは人間だけを襲う。自分の目の届く範囲に人間がいなければ、見つかるまで獲物を探して移動するのだ。先日のピュトンフライのようにな」
「それがどうした? 何故今そんなことを?」
「しかしあの炎牛ファラリスにだけは、そうした習性が見受けられない。人間がいようがいまいが、このラドナ山地に居座って動こうとしない。基本被害はこちらから仕掛ける時だけだ。だからこそあれほどの巨大モンスター、監視はすれども放置で済ませられている」
「つまり、こういうことか?」
カレンさんが負けてもまったく構わない、と。
負けたところで何も変わらないと。
「何故だ!? カレンさんは本当にお前との関係を修復したがっているんだ。なのにこんな無理難題を吹っかけて、カレンさんを突き放そうとする!?」
「お前にオレの何がわかる!?」
僕に掴みあげられた襟首を力ずくで振り解くミラク。
「オレはな、子供の頃からずっと勇者を目指していた。もっとも強い人間になりたかった! だからこそ努力し、属性値を鍛えてきた。しかし自分にそれほど才能がないとわかったのは、鍛錬を始めてから数年後のことだ……!」
それはつまりカレンさんのことだ。
隣の家に住む病弱ではかなげな少女。そんな友人は、絶対的な強さを目指すお転婆娘にとって自身の強さを確認するための格好の庇護対象だったのだろう。
しかしある時、守るべき弱者だったはずの友人が、遥か高みへと昇った。
その類まれなる光属性値から鳴り物入りで極光騎士団に入団した。
「アイツが光の勇者になったと聞いたのは、ちょうど業炎闘士団の最初の試験に落第した時のことだ。わかるか、その時のオレの悔しさがわかるか!? オレは、アイツよりもずっと直向きに、正面から勇者を目指し、そして勇者になったんだ! 三度目で合格して業炎闘士団に入り、先輩からのしごきで実力をつけ、数多くの実戦で実績を上げ、皆から認められて勇者になった! それが火の勇者カタク=ミラクだ!!」
「それとカレンさんと仲良くできないことと、何の関係がある?」
「あるさ。オレは努力で這い上がってきた真の勇者。アイツは才能だけでのうのうとその座を与えられたニセモノの勇者だ! 本物とニセモノが仲良くなどできるか!」
パンッ、と肉を叩く音。
頬を叩かれたミラクは呆然とした顔で見返した。彼女を叩いた僕のことを。
「ミラク、目的に向かって努力し、結果にできるのは素晴らしいことだ。人間の進歩はまさにその繰り返しだ。キミは頑張って勇者になった、それは当然凄いことだ」
だが。
「過剰な努力は必ず、他のどこかに歪みを生むものらしい。少なくとも本物の勇者か、ニセモノの勇者かなんてのは、努力の大小で決まるものでは絶対にない。では本物かニセモノかを決める真の境界線はどこにあるか? それがわからなければミラク、キミこそがニセ勇者だ」
言うだけ言って僕は、その場から駆け出した。
前線では依然として戦いが続いている。もっとも巨牛が出す炎熱にカレンさんが光の防護壁で何とか踏みとどまっているという状況。
攻撃がまったく通じない今、事態はそれ以上好転しようがない。
そのカレンさんの背中にぺたりと張り付く。
「ハイネさん!? 来ちゃダメですよ、ここは危険です!」
「撤退しましょうカレンさん! ミラクは最初から勝てるわけがないと戦わせたんです! コイツは放っとけば被害はないそうですし、こんな戦い意味有りません!」
「いいえ、あります!!」
あまりにもきっぱり言うので、僕も二の句が継げなかった。
「こんな強大なモンスター、存在するだけで大変な脅威です! 今は人を襲わないかもしれない。でも明日は? 明後日や、何年後かは!? 甚大な被害を未然に防ぐためにも、今こそが一番のチャンスなんです!」
「チャンス!? 今!?」
「そう、火と光、勇者が二人も協力して戦うなんて、今までなかったんですから! 今は私の力を計るために控えていますが、必ず助けに入ってくれます!」
カレンさん、まだミラクのことを信じているのか。
そして退く気もない。彼女の後退したところには、彼女の守るべき弱い人たちがいることを知っているから。
「……カレンさん、聞いてください」
「え?」
「あのモンスターは、皮膚が鋼鉄そのものと言いますが、そんなわけはない。全身カチコチの鋼鉄だったら、体を動かせなくなってしまう。脚や首のような関節部は必ず、稼働するため皮膚に隙間があるか、柔らかくなってるはずです」
「……じゃあ、そこを狙えば!」
カレンさんの行動は早かった山のように大きな巨牛の周囲を旋回し、視線を走らせる。
「あった! 本当にあった!」
巨牛の前脚部分。鋼鉄に硬化した皮膚と皮膚との間に深く刻まれた皺? むしろ甲虫の関節部位のような隙間がある。
硬化した表皮を動かすための余裕であることは間違いない。
「よし、あの隙間に向かって……!」
カレンさんが剣を構えたその時だった。
巨牛の表皮からまた炎熱が漏れ出し、僕とカレンさんを襲う。
「きゃあッ! これじゃ攻撃も……!」
「ダークマター・セット!」
我が両手から噴き出す暗黒物質。細かな粒子が何百万何千万との合わさってできた黒い本流が、炎熱を受け止め完璧にシャットアウトする。
あらゆる属性の神力を吸収して無効化するダークマターは、防御壁としても充分な役割を果たして、光壁で防ぐ時より余波は少ない。
「ハイネさん!? その力は……!?」
「いいから! ヤツの隙間めがけて叩きこめ!」
無論、このまま暗黒物質で反撃するのは容易い。
でもダメだ。この世界でモンスターを倒し、人々の希望を守るのは選ばれた勇者の役目だ。
それこそが本物の勇者なのだ。
「……はいッ!」
すべてを飲み込んだカレンさんが、再び聖剣に光の神気を集中させる。
「細く小さな隙間……。『聖光斬』では捉えきれない……。もっと小さく、力を集中させて……!!」
聖剣の切っ先を前に突き出し、まるで弓矢で狙いを定めるように。
「今です! ハイネさん黒い壁を解いて!」
カレンさんの指示通り、ダークマターの放出を止めて、炎熱の奔流がカレンさんの届くまでの一刹那。
「『聖光穿』ッ!!」
聖剣の刀身が伸びた。正確には光の神気が線状に伸びて、巨牛の関節部にある皮膚と皮膚の隙間に、見事に滑り込んだ。
「柔らかいところに突き刺され!!」
「ブモォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
初めて聞く炎牛の苦しげな叫び声。
一緒にふりまかれる炎熱。
僕はすぐさま片手でダークマターを再放出し、もう片方の腕でカレンさんを抱きかかえて避難する。
「凄い! ハイネさん効いてますよ!!」
「やっと一矢報いたな。じゃあ今度は、もっと急所に近そうな隙間を探して……!」
『――何をしやがる。このクソ人の子が』
「!?」
いきなり頭に直接響く声。
すぐ傍にいるカレンさんに何の反応もない。では、聞こえているのは僕だけ?
『だが、人でないものも混じっているようだな。暗黒物質とは久しぶりに見たわい。千六百年ぶりにな』
どこだ!? 誰が喋っている!?
周囲に、知る人以外の気配はない。あの巨牛のせいで草木もない裸山だ。誰かが隠れているなどないはずだ。
イヤ、いる。
僕と、カレンさんとミラクの他に、もう一体、この場にはいる。
その巨大な首を捻って、僕の方をじっと見ている炎牛の、真っ赤な目。
『忘れはせん。我らと同じ神の座にいながら、その意に反した裏切り者。暗黒物質を発し、しかも自在に操ることができるのはあやつのみ』
この声は、炎牛ファラリスが発しているのか?
直接精神に響いてくる念波の声。しかも僕はこの声に聞き覚えがあった。口調、響き。すべてが千六百年前に決別した、五人のうちの一人に重なる。
『そうさ、久しぶりよな。闇の神エントロピー』
ではやはりお前は、このモンスターは―――。
――――創世の五大神の一人、火の神ノヴァ。




