219 祓えぬ妖
「ヨリシロ様!!」
サニーソル=アテスが去ったあとも、荒れる談話室だった。
「何故です! 何故あんな人を光の大聖堂に招き入れたんです!? あんな人がうろついていては、落ち付いてお茶会もできません!!」
カレンさんのアテスへの敵意は、あまりにも剥き出しだった。
普段の彼女からは考えられないほどに。
人を嫌うなどということがまったくないカレンさんにとって、アテスは例外。何故そこまで露骨に嫌うのか、僕には想像できない。
「状況が変わったのです」
ヨリシロの口から、さっきのアテスと同じ言葉が出てきた。
「不服ですが、それを受け入れるより他ありません」
「あの人が戦力として必要ってことですか? 魔王を倒すために? 必要ありません! 魔王は私の手で倒して見せます!」
ヨリシロを相手に変えて、さっきと同じやり取りがそっくり繰り返される。
「……それに、私たち光の教団にはドラハさんがいます。他教団は、先代勇者さんとの二面体勢で攻勢と防御の両立が試みられていますが、私たちはその役割を私とドラハさんで分担すればいいこと。今さらあんな人の助けなんていらないです!」
常に静かに、影のごとくヨリシロに沿うドラハ。
彼女はかつて闇都ヨミノクニで名を馳せた影の勇者。その実力は現代の勇者の誰とも引けを取らない。
実際に、ドラハにアポロンシティを守ってもらうことでカレンさんが遠出できた事例もあったようだし、頼れる味方ではある。
「味方は一人でも多い、という理屈もあるのかな?」
と僕が補足するように呟くと。
「だったら、こちらにはハイネさんもいます! 光の教団は充分戦力の層が厚いです!」
と鋭く返された。
「そういう問題ではないのです」
ヨリシロは、勇者の狂態に少しも怯まず、紅茶に口をつける。
アテスが去り際淹れていった紅茶に。
「サニーソル=アテス。やはり彼女は恐ろしい相手です。みずから軍門に降りながら、こちらにそれを拒否できない状況を周到に整えてきました」
「それは……?」
「彼女が、私たちに降るために何を手土産にしたか、ご存知でしょう?」
新旧勇者戦の最中、あの腹黒女が、自分の負けを認めながら示したもの。
それは、ヨリシロたち革新派に対立する旧主派メンバーのリストだった。
そもそも新旧勇者戦の開催目的自体が、政敵である旧主派の一掃であることから、アテスの差し出してきたものはヨリシロたちの目的そのものと言っていい。
「実際アテスさんから提供されたリストは本物である以上に、とても優れた資料でした。わたくしたちに敵対する旧主派のメンバーは、光の教団だけに留まらずすべての教団の人物まで漏らさずリストに記載されていましたし、後ろ暗いことのある方たちはその罪状まで記してあった」
「じゃあ、今になって旧主派の粛清が、想像以上のハイペースで進んでいるのは……?」
「すべてアテスさんのリストによる賜物です。旧主派の方々は、先代勇者たちを利用できると思って担ぎ上げたのでしょうが、結局のところ自身の命を握り取られていた」
まさにいい面の皮だな。
「でも、だからって、あの人を受け入れていいことには……!」
なおも抗弁するカレンさん。
「あの人が寝返ろうとした時。あの時点で私たちの勝利は決まっていたんです。あの人からの密告がなくても旧主派さんの消滅は必至でした。あえて完璧な勝利を目指さずとも……」
「それに加え、アテスさんは先代勇者です」
カレンさんを遮り、ヨリシロは続ける。
「お忘れにならないでカレンさん。アナタたち勇者の、人々が寄せる信頼は絶大なのです。昨今アナタたち自身の活躍で、それはさらに大きく厚くなっています。そして、かつて勇者だったアテスさんもその余禄に与っているのです」
先代光の勇者アテス。
勇者という点では、カレンさんとアテスは同じだ。
カレンさんの頑張りによって、一般市民からの勇者の人気はますます上がっている。
そして何も知らない人たちから見れば、アテスだって元は勇者であり、カレンさんたちと同じ。人気を得る領域に属している?
「そんなッ、私はあの人なんかと同じじゃ……!」
「不特定多数の目から見れば、同じものなのです。勇者という肩書きを持つ以上は。そしてその肩書きが発揮する風評は、私たちの最大の武器でもあります」
カレンさんたちが勇者の名を背負って各地で巨大モンスターを粉砕してきたからこそ、勇者の威名がなおさら強化され、民衆を味方につけることができた。
それが勇者同盟、教団和解の推進力になったことも事実。
その名声が皮肉にも『先代光の勇者』の名を持つアテスにすら信頼と希望を宿らせた。
彼女を担いだ旧主派の人間すらも、その名望に踊らされたのかもしれない。
「そんなアテスさんを、多くの民衆の前で処断すればどうなります? 『勇者と言えど所詮は人。間違いも犯すし悪に堕ちもする』ということを知らしめてしまいます。カレンさん、アナタが必死に育ててきた勇者への信頼を瓦解させてしまうことにもなりかねません」
「それは……」
「そして何より、あの場でアテスさんを処断すれば、他の先代勇者さんたちにも影響なしとはできません。現政権に盾突いた、という点では先代勇者は皆同じ。アテスさんと同罪同罰とはしないまでも、何らかの処分は避けられなかったでしょう」
キョウカ、サラサ、ヨネコさん、ジュオ。
火水地風の四勇者(先代)。
彼女たちは戦いを経てわかり合い、今では強力な味方として欠くことのできない存在だ。
アテス一人を排除するために、彼女たち全員を道連れにするのか?
できるわけがなかった。
「わかりますでしょうカレンさん。あの女は、アテスさんは、わたくしたちに自分を認めさせるため多くのメリットとデメリットを取り揃えたのです。無論、好き好んで彼女を味方にしたい理由など一つもありません。しかし好悪を別にして、損得で彼女は、わたくしたちに拒否する道を封じたのです」
「…………」
カレンさんはついに、何も言い返せなくなってしまった。
「つまり僕たちは、まんまとしてやられたわけだ。あの女に」
「ええ、してやられました」
意外なほどすんなりとヨリシロは認めた。
「わたくしたちは、彼女を味方として認めざるを得ないようしてやられたのです。その点素直に負けを認めましょう。でなければ、本当に大切なことを見失うことにもなりかねません」
「本当に……、大切なこと……?」
「アテスさんの言う通り、私たちは今や魔王たちと存亡を賭けた決戦に臨まなければなりません。魔王たちの災厄に比べれば、アテスさんなど所詮一人の権力志向者、及ぼす害も、その範囲を超えることなどありません」
人類存亡の危機を目の前に控えては、目を瞑らざるをえない小悪というわけか。
むしろ、その小悪によってもたらされるメリットがあるならば、それを最大限利用して大悪との対決に備えようと。
「本当にそうでしょうか?」
という声に僕、カレンさん、ヨリシロの視線が引き寄せられた。
発言したのはドラハだったからだ。
影のごとく言葉少なで、自分から発言することなどほぼないというのに。
戸惑いを押し隠しながら、ヨリシロが聞き返す。
「どうしたのですドラハ? 本当に……、とは?」
「いえ、あのアテス様という人が、そんな取るに足らない人なのかと……」
ドラハが他人をそう評することもまた珍しいことだった。
ヨリシロは、慈しむようにドラハのことを抱きしめる。
「いいのですよ、アナタはそんな難しいことを考えなくても。アナタの居場所はわたくしが守り続けます。アナタは気を遣わずに、今を存分に楽しめばいいのです」
ヨリシロにとって、ドラハに負担をかけまいと気遣うのは、二人の特殊な関係に由来する。
しかしこの時点で、アテスの核心を見抜いていたのはドラハだけではなかったのかと、後に思えるようになる。




