extra 03 仄暗い湯の底から
「「「ヒェーーーーーーーーーーーーッッ!?」」」
いた!?
誰もいないと思われた場所に、ぷっかりと浮かぶ黒い塊!
それは脂でごわごわになった髪の毛、それが顔全体を追い隠すように伸びて、お湯に浮かんで広がっている!?
「髪をそのまま湯の中に浸けるな」
風の勇者ヒュエちゃんが、舌打ちしながら言った。
私もミラクちゃんもシルティスちゃんも、突如冥界から浮かんできたような黒髪の塊に、魂が消し飛ぶほど驚いた。
なのにヒュエちゃんだけ平静のまま、むしろ少し不機嫌そうなのは、それもそのはず相手を見知っているから。
ヒュエちゃんと同じ風都ルドラステイツの出身者、ブラストール=ジュオさん。
風の勇者だった過去もあるが……。
「キョウカさん。ジュオさんは先代やなくて先々代の風の勇者じゃありませんの?」
「ジュオと今の風の勇者の間にいた先代というのは、ジュオの不在を埋めるために兼任していた風の教主だったのだろう? だったら実質的にジュオが先代でいいではないか。……おい、ジュオ」
キョウカさんに呼ばれて、頭部だけゴワリと浮き出ていたジュオさんが、少しずつ上体を起こして水中から這い上がってくる。
その様子が、何と言うか海底人の地上侵略のように見えた。
「オレ様たちは今度、まったく同じタイミングで子供を作ってみる試みなのだが、お前も一口乗るだろう? 皆で一緒に子育ての感動を分け合ったり悩みを共有したりしようぜ!」
「全員女の子でしたら、次の勇者になれるようまとめて鍛え上げるのも面白いかもしれませんねえ」
しかし、ジュオさんの反応は鈍い。
「……私には関係ない」
「そんなこと言うなよー、我々は同志だろう?」
そのやり取りに耳を疑う現役勇者の私たち。
「ねえ、今あの先代なんつった?」
「同志って……!? 登場時の険悪さは一体どこに……!?」
いい傾向であることはたしかだけど、先代たちの石頭ゆえに必死の戦いを強いられた私たちとしては、この淀みない心変わりっぷりに釈然としかねる。
「……アンタたちが友だちなのはたしかだけど、それでも私は輪に加われない」
えぇー?
ジュオさんも意外に打ち解けてる?
「私は、次世代を制作する以前に、結婚すらしていないから……」
「でも相手ならいるんだろう? あの風の教主の……」
その一言が、ここにいる若干一名の心のリミッターを外した。
「何を言っとるか貴様ァーーーーーーーーッッ!?」
「「「「「「ヒィッ!?」」」」」」
唐突にキレだしたのはヒュエちゃん。
件の風の教主トルドレイド=シバ様は、彼女のお兄さんに当たる。そのせいかこの話題、ヒュエちゃんにとって物凄くナイーブなのだ。
「よりにもよって我が兄上様が! こんな亡霊女といい仲になるはずがないだろう!! 撤回しろ! 訂正しろ! 未来永劫ありえぬことと心に刻め!!」
「落ち着いてヒュエちゃん! 相手一応、目上の人だからああああッッ!」
私とミラクちゃんシルティスちゃんの三人がかりで抑えつけるものの、双方裸なので素肌に密着する触感が想像も及ばない域だった。
「どうしたんだあの娘? 普段はもっと大人しいヤツだったような……?」
「気にしないで……、ちょっと若さをこじらせてるだけ……」
ジュオさんは静かに語った。
「私とシバ様は、いわば幼馴染」
「ほうほう」
「風の教団は、一種の部族制によって治められていて、私のブラストール一族とシバ様のトルドレイド一族は指折りの名家。共に教団を率いる責任を持つ家同士、交流は昔からあった。次代を担う跡継ぎ同士の顔合わせも、早いうちから行われた」
以下は、ジュオさんの語る、一組の男女の昔話。
ジュオさんとシバ様が初めて出会ったのは、互いが六歳の時。
ブラストール家――、ジュオさんの家の家長が、個人的な招待を受け表敬したトルドレイド家で顔合わせしたという。
シバ様はトルドレイド家の長男として跡取りとなることが決まっていたため、その時点で既に、二人を許嫁とするための顔合わせだったかも知れない。
「そして、その時私はそこのヒュエから噛みつかれた」
「えぇー?」
「この女がゼロ歳の時のことだった……」
一部訂正、一組の男女+その他一名の昔話。
「風の教団での出世コースは、二つある。一つは風間忍として戦いに携わる道。もう一つは研究者としてエーテリアルや風の神力を研究する道。私は研究者の道を選び、シバ様は風間忍となった」
そのどちらも辿ることなく純粋な政務官となることは、風の教団では許されないらしい。
それは風の教団が部族制を敷きながら絶対的な実力主義であり、戦果であれ研究成果であれ、何かしらの実績を上げなければ誰からも認められないからだそうな。
「進む道は違ったけれど、私はずっとシバ様を想い続けてきた。初めて会った時からずっと。でもシバ様は、風間忍の修行で離れていた間に変わってしまった」
急に余所余所しくなった。ジュオさんのことを遠ざけて、風間忍になる前は頻繁にブラストール家を訪問していたのもぱったりとやんだ。
その頃にはシバ様は風の教主となることが決まっていて、それゆえに公私の別をより厳しくしたからだろうと大人たちは言っていた。
しかしジュオさんにとって、それは何より深刻な問題だった。
今まで優しかったシバ様がまるで他人のように。
このまま何もしなければ、シバ様は益々遠くへ行ってしまう。
そう考えてジュオさんは、一つの行動をとった。
風の勇者になったのだ。
「教主と勇者は、いわば車の両輪。切っても切り離せない仲。シバ様が教主、私が勇者になれば、距離も自然に縮まるだろうって……」
そこへまたヒュエちゃんの横やり。
「ふざけんな、この野郎……!」
ヒュエちゃんの罵倒はいまだ容赦なかったけれど、冷静さは幾分取り戻していた。
「研究職から風の勇者になるなんて前代未聞なんだぞ! 本来勇者は、戦闘職である風間忍から選ばれるのが慣例。その常識を打ち破り、多くの風間忍たちのプライドを傷つけてお前は勇者となったのに……!」
結局、シバ様のジュオさんへの態度は変わらなかったという。
それで拗ねたジュオさんは引きこもり化。
勇者の仕事を投げ打ち、本来の研究活動に没頭した。
見かねたシバ様はみずから教主と勇者を兼任し、その状態のまま私やハイネさんと出会うことになる。
「……どうせシバ様は、私のことを何とも思ってない。だから勇者になっても、拗ねて引きこもっても、何の反応もしてくれなかった。どうせ私なんて……、フヒヒ」
ジュオさんが自暴自棄の笑いを漏らした。
外見が外見だけに、怨念が何かを呪いそうな笑み。
「あのなあ、お前……」
そこにヒュエちゃんが、不承不承といった感じで言い出す。
「お前にアドバイスなんてしたくないが、この際言わせてもらうぞ。変わったのは兄上様でなくお前じゃないか?」
「え?」
「私たち兄妹が初めてお前と出会った時、少なくともお前はまだ普通の女の子だったぞ。正式に風の教団に入る前もそうだった。それが研究者の道に入り、しばらく疎遠になって、久々に会ってみたら……」
「こんな亡霊になっていたと?」
「そう!」
誰かの打った相槌に、ヒュエちゃんは力一杯頷いた。
「ビックリしたわ。そして同時に怖かったわ。研究に没頭して身づくろいも忘れたのか知らんが、髪はボサボサ服はヨレヨレ。……仮にだぞ、万が一にも兄上様がお前に好意を寄せていたとしてもだ。そんな女子力下げ底な姿を見せられたら……」
百年の恋も冷める。
冷酷なまでに告げられた事実に、ジュオさんは湯船の中に崩れ落ちた。
「そんな……、シバ様は、あまりに無様な私の姿を見て……!」
失意の底のさらに底と言わんばかりのジュオさんの落ち込み様。
外見が外見だけに、自然と浮遊霊の類が吸い寄せられそう。
このまま曇り続けて怨霊化してしまうかと危惧された矢先。
「外見程度で女を見極める男なんて、取るに足らないけれど」
「綺麗で悩む女性を見過ごすわけにはいきませんなあ」
立ち上がる、二人の妖女。
それはシルティスちゃんとサラサさん。新旧水の勇者が揃い踏みで何!?
「美容とお洒落……女を飾り立てる技術においては、文化都市ハイドラヴィレッジこそが独壇場!」
「そのハイドラヴィレッジを守る水の勇者であるウチらが、ジュオさんに飛び切りの美をプレゼントして差し上げましょう」
「このアタシ、レ=シルティスのアイドル力と!」
「ウチことラ=サラサのセレブ力で!」
なんか面倒くさいことになった。




