213 翼ある者たち
地の魔王ウリエルの去る寸前。
僕――、クロミヤ=ハイネの放つ暗黒物質がヤツを襲った。
「ハイネさん!?」
カレンさんたち勇者の熱意は汲むが、どうしても危なくなった時の保険はやっぱり必要だ。
だから僕は周囲に潜んで、カレンさんたちを見守っていた。
でも彼女たちは独力でスライムを破り、勇者の意地を見せつけた。
もう充分。
彼女たちは充分戦った。
魔王ウリエル。コイツは勇者の戦いからはみ出した余計者。彼女たちがコイツと戦う必要はない。
「だからと言ってお前を生かして帰す理由もない!」
「うわあぁぁぁッ!? 何だこの黒いものは!? 体にまとわりついて離れない! クソッ! 神気が消される!?」
魔王ウリエルは、付着した暗黒物質を振り払おうと必死だが無駄だ。
地水火風の神気は、どれだけ力があっても暗黒物質の前では無力なのだ。
このまま神気を食い尽くされて、風の魔王ラファエル同様消滅しろ!
「バカな! すべての魔たるモノの頂点に立つ魔王が! この私が! 人間ごときの力を打ち破ることができないなど……!」
「不用意に僕の前に出てきたのが運の尽きだったな。遊びのつもりで現れたんなら、遊びのつもりで死ぬがいい!!」
元々神出鬼没でいつどこに現れるかわからないお前らだ。
向こうからノコノコとやって来たのを見逃すほど、僕もお人よしじゃない。
「ぐあぁーーーッ! おのれぇーーーッ!?」
「とどめだ」
ダメ押しにもう一杯、暗黒物質をぶっかけてやろうとしたその時だった。
僕に向けて襲い掛かる火、水、風の神気。
「!?」
ウリエルを襲うはずだった暗黒物質は、それらへの防御に消費された。
一方それによって注意が分散したために、ウリエルは……。
「うぬらはぁッ!?」
まるで樹皮を剥がすようにみずからの表面を分離させた。暗黒物質はまだヤツの周りを覆うだけだったため、切り離された樹皮の方に蟠った暗黒物質から、ウリエルはまんまと脱出を果たす。
「ゼハッ……! あ、危なかった……! もしあの黒いものが私の内部まで侵食していたら……!」
樹皮を脱いだ体から、樹液のような脂汗が染み出ている。
「……命はなかったろうねえ。私の忠告を聞かないからそんな目にあうのさ」
「弱虫ラファエルの負け惜しみかと思ったら、とんでもない人間がいるのねえ? やられたのが私じゃなくてよかったわ」
「バカ者め、遊びすぎなのだ」
さらに三体の翼ある者たちが、天から舞い降りてきた。
一人目は極彩色の蝶の羽。
二人目は、魚のエラを思わせる透明で尖った羽。
そして三人目は、翼自体が燃えている。
それに生い茂る葉の翼を持ったウリエルが加わることで計四人。
まさかコイツら……。
「クソ……、もう一度名乗ってやる。地の魔王ウリエル」
「また会ったね。風の魔王ラファエルだ」
「水の魔王ガブリエルよ。初めましてね」
「火の魔王ミカエル」
四元素の属性を持つ四人の魔王。
それが今やここに勢揃いしている……!?
だが……!
「ラファエルだと……!? バカな!」
プレッシャーにへし折れそうになりながら、ヒュエが吠えた。
「風の魔王ラファエルは、そこにいるハイネ殿と兄上様が協力して、塵一つ残さず消滅させたはずだ! そのせいで兄上様は、兄上様は……!」
そう、風の教主シバが再起不能のダメージを負うのと引き換えに、風の魔王ラファエルはたしかに消滅した。
なのに何故、その名を名乗る者が再び現れた!?
「私の能力を忘れたのかい? 私はみずからの細胞一つ一つを蟲に変え、一匹でも無事ならば、この存在を存続させることができる」
「まさか……!?」
「しかし、さすがに全三十七兆ある細胞を数個単位にまで減らされたのは堪えたけどね。おかげでこんな姿を強いられている」
自身の言う通り、今のラファエルは、その前に会った時とはまるで違う容姿をしていた。
全身くまなく鎧をまとい、一部の隙間もない。生身を垣間見ることもできないほどのフルアーマー。
唯一かつてのラファエルとの共通点は、背中から広がる蝶の羽だけだ。
「ところで失礼だけど、キミどこかで会ったかな? ハエよりも弱い人間は、記憶に留まらないんでね」
「ぐぅぅ……!!」
言われてヒュエが、悔しそうに口の端を歪めた。
一方僕は、突如現れた四人の魔王のプレッシャーを一身に受け止めていた。
一人の魔王でも勇者全員を動けなくする、この魔気。
それが一気に四倍か……。
「ラファエルから話は聞いている」
四魔王の中の、炎の翼を持つ者が話しかけてきた。
恐るべき巨躯。全身を山脈のごとき筋肉で覆った、そびえ立つ壁のような男。
「人間の中で唯一、我ら魔王を脅かす者がいると。実際目にして想像以上だということがわかる。遊びに出たウリエルを追ってきて正解だった。偉大なる計画を前にまた一人魔王が欠けるところだった」
「お前がリーダーか?」
自然と問いが出た。
炎の翼を持つコイツ。他と比べて明らかに空気が違う。
「そんなものは存在しない。我ら魔王は、大いなる目的のために協力しているだけだ。率いる者も従う者も、我らの間にはない」
「大いなる目的?」
「人間を滅ぼすこと」
静かに、しかしキッパリと火の魔王ミカエルは言った。
「我らは宣言する。旧き種、人間の時代は程なく終わり、新たなる我ら魔のモノの時代が始まると」
「もうすぐ始まる最終戦争で答えが出るのさ。生き残るべき種はどちらであるか」
「地上の支配者は二つもいらないんだよ」
「もっとも、勝つのは必ず私たちですけどね。クスクス……」
代わる代わる唱える魔王たちの声音には、濃厚な人間への敵意と侮蔑に満ち溢れていた。
「もうすぐなどと、悠長なことを言わなくてもいいじゃないか」
僕の両腕から暗黒物質が噴き上がる。
「今すぐ決着をつけてやる。お前たち全員、僕の暗黒物質によってモンスターの禍根諸共、永遠に消滅するがいい」
「そういうわけにはいかぬ」
火の魔王ミカエルが、やはりリーダー然と答える。
「最終戦争を始めるにはいまだ準備が整わぬ。我らを束ねるあのお方が降臨なさるまで」
「あのお方?」
「真魔王ルシファー様。あのお方こそ我々を率いるお方」
これ以上まだ何か出てくると言うのか!
冗談じゃない。さらに面倒くさくなる前に、コイツらだけでも今ここで潰す!
「どうしてもやるか、ならば……!」
四人の魔王の腕が、一斉に砲台のごとく突き付けられた。
しかしヤツらが狙い定めるのは、僕ではない。
僕の遥か後方にある、ルドラステイツの街。
「我らとて、避けられぬ戦いを強いて避けようとはせぬ」
「たしかにアナタなら、私たち全員を敵に回して勝てるかもしれないわね。でも……」
「我々が滅ぶ時、あちらにある人間たちの都市も必ず地上から消え去っているだろう」
「我らの吐息に圧され無様に這いつくばっている、その辺の虫どももね」
僕らの周囲には、カレンさん始め新旧勇者の十人が、魔王たちのプレッシャーに当てられて立つことすらできないでいる。
彼女らから一人の犠牲も出さずに魔王たちを倒すのは、さすがに無理か。
「また会おう強き人間よ。貴様だけは恐るべき敵として記憶にとどめておく」
「ルシファー様が降臨なされるまでの間、私たちは今しばらく雌伏を楽しんでおくとするわ」
「キミたちも精々楽しむことだね。死刑執行までの猶予期間を」
「闇を操る人間よ。お前のことはルシファー様が直々に滅せられることだろう」
そして四魔王たちは各々の翼で、その場から飛び去って行った。
戦いは終わった。
決着がついたという実感など、少しも湧かないままに。




