207 スライム
モンスター。
その一言によって状況が完全に変わった。
現役勇者vs先代勇者戦が行われている、ここ風都ルドラステイツ。
そこを一直線に目指してくるモンスターの存在が確認されたらしい。
「ルドラステイツ外縁部に搭載された超望遠カメラで撮影されたものだ」
報を受けて、急きょ会議室に集まった僕たちに、風の教主シバが写真を見せる。
当然というかそこにはモンスターが写っているのだが……。
「……なんだこれ?」
一言で言えば、水まんじゅうだった。
葛餅みたいに透き通っていて、やたら丸っこい。ぷよんぷよんとした質感が写真越しでも伝わってきそうだ。
「これが今、ルドラステイツを目指して迫っているモンスターだ」
風の教主シバが言った。
今僕たちのいる街の安全に対して、もっとも責任を持つ者だ。
「平和そうな外見に騙されるな。写真ではわかりにくいが、コイツはクソデカいぞ。マザーモンスターには及ばぬものの、他教団から提供してもらった炎牛や大海竜のデータに比して、それに匹敵する」
「超巨大級ってことか……!?」
この丸っこい水まんじゅうが?
まったく角のない和やかな外見に、いまいち危機感が伴わない。
「しかし外見より遥かに危険な相手だ。ここを見ろ」
シバが別の写真を指し示す。そこには同じように水まんじゅうモンスターが写っていたが……。
「コイツの足元をよく見ろ……!」
足元ったってどこが足元か……。
ん? なんだ……!?
コイツ、液体状だかケロイド状だかわからないが、とにかく半液体の体に木でも岩でも取り込んで、すぐさま溶解させている!?
あの透明な体の中に飲み込まれた傍からドロドロに溶かされていく自然物を、カメラはハッキリ写し取っていた。
「ヒィッ!? こわッ!?」
「こんなものが街に入ったらとんでもないことになるぞ。しかも最悪なことに。このバケモノは真っ直ぐこちらへ向かってきている。間違いなく我らがルドラステイツを目標にしている!」
モンスターが人間を襲うために人間の集落を目指すのはよくあることだが、随分遠くからやってくるもんだな?
「でも、ルドラステイツはエーテリアル超巨大駆動機関の上に乗った移動都市だろ? 走って逃げるってことは……?」
「もう既にしているが、この水まんじゅう、それでもこちらを追ってきている。今のところ付かず離れずと言ったところだが。ルドラステイツの移動力は……実は言うほど高くない。山岳や断崖など、地形によって通れない場所はたくさんあるし連続移動時間もそれほど長くない。ある程度走ったら補給や整備は不可欠だ」
「つまり、そんなに長くは逃げられないと?」
「これから色々改造して機能改善していく予定だがな。だが今は、コイツを倒す以外にこの街が生き残る手段はない!!」
シバ、机の上にある水まんじゅうの写真に、拳を叩きつける。
「これよりこのモンスターをスライムと命名し、風の教団の全力を挙げて討伐する! ……ヒュエ!」
「はい、兄上様」
傍らに控えていたヒュエが答える。
教主シバの実妹にして、今や押しも押されぬ風の勇者。
「スライム討伐の全指揮を、風の勇者であるお前に委ねる! 即刻、風間忍を率いて迎撃に出よ!」
「嫌です」
「おいいいぃぃぃぃーーーーーッッ!?」
即座にずっこけるシバ。
まあ勇者にあるまじき返答にずっこけたくなる気持ちもわかるが。
「嫌!? 嫌って、何を言い出すのだヒュエ!? お前はもう風の勇者だろう!?」
「兄上様、今がルドラステイツ危急存亡の秋だということはわかります。ですが我々とて、自身の存在と誇りを懸けた戦いの真っ最中だった」
それってまさか、新旧勇者戦のこと?
でももうそれはササエちゃんの勝利で全部に決着はついただろう?
モンスター襲来で勝鬨はお預けになったけど……。
「しかしなヒュエ? やはり都市全体の危機ともなれば、そちらに意識を集中した方が……!」
「そうだよ。それにモンスターが来る寸前に僕が『現役勇者の勝利!』って言ったから、もう決着はついているよ。チーム戦の時みたくウヤムヤで後日仕切り直しとかさせないよ!」
僕もシバと一緒になって諭そうとするが、何故かヒュエは頑なだった。
「兄上様、ハイネ殿……。たしかに我々は先達たちに勝ちました。その事実は揺るぎない、誰にも覆させないと思っています。しかし……!!」
「しかし!?」
「拙者個人の勝負は違います! まだこやつと戦っていません!」
ヒュエが指差す先に、亡霊が立っていた。
「ヒィッ!?」
何度見ても背筋がゾクリとする。
亡霊かと思ったけど亡霊じゃなかったでお馴染みの、先々代風の勇者ブラストール=ジュオ。
彼女もいたのか!
「ミラク殿、シルティス殿、ササエ殿とストレート勝ちしてしまったため、拙者の出番は回って来ませんでしたが、拙者は今日こそこやつと決着をつける覚悟だったのです! 兄上様、どうかこの場でこやつと果たし合う許可を!!」
「出さねーよ」
風の教主シバ、熱い要求拒否。
「お手間は取らせません! 五秒! 五秒でいいです! 五秒でコイツの眉間を撃ち抜き、そのあとでモンスターの百匹や二百匹血祭りにあげてみせましょうぞ!!」
なんでそんなに殺気立ってるのヒュエさん?
いつもは五勇者の中で一、二を争う冷静な子なのに!?
しかもその様子を見て、殺気を正面からぶつけられるジュオもクツクツ笑う。
「……面白い。だったら私は一秒で、お前のことをハチの巣にする」
「言ったな貴様ァーッ!!」
売りケンカに買いケンカ!?
ケンカの投げ売りセールで出血大サービスだ!
「…………まったくこの二人は、昔からこうなんだ」
「え? 何? 何その訳知り顔!?」
ガルルルと唸りながら睨み合う二人を眺めつつ、嘆息を漏らすシバ。
「俺とヒュエのトルドレイド家と、ジュオのブラストール家は双方風の教団の名門でな。その縁で子供の頃から交流があった」
え?
「しかし二人はずっと仲が悪くて、顔を合わせるたびに取っ組み合いのケンカだ。それを仲裁するのに何度俺が骨を折ったか……。成長してジュオは工房の研究員に、ヒュエは風間忍となったが、お互い職域の縄張り意識まで加わって、益々険悪だ」
「だって兄上様!」
既に殴り合いに発展していた中で、ヒュエが声を上げる。
「コイツが悪いんですよ。研究員のクセに勇者に立候補して、実際なっちまうから! 戦闘職である風間忍のプライドがどれだけ傷ついたか! それなのにコイツ勇者になった途端研究室に引きこもって! まったく勇者の仕事しないし!!」
えー?
「教団上層部が揃って『コイツ降ろしちまおーぜ』という意見でまとまったのに、兄上様一人が庇いだてして! 一時期兄上様が教主と勇者の職を兼ねたのだって、コイツのせいじゃないですか! コイツが社会復帰したらいつでも勇者の職を返せるようにって……!」
「う……、でも、でも……!」
ジュオが呪いの声を上げるように言った。
「でもシバ様は、私を見捨ててこんなヤツを勇者に……!」
「うっさい! お前なんぞもっと早くに見捨てられるべきだったんだ!」
白熱するケンカ。
それを見てシバはさらに盛大な溜息をついた。
「ジュオ」
「は、はい……!?」
シバが、ジュオの肩に手を置く。
「お前は昔から何を考えているかわからないところがあった。俺が教主に就任した時に『自分も勇者になる』とか言い出して驚かせるし。なったらなったで引きこもって職務放棄するし」
「だ、だって……」
「だから俺は反対したんだ。たしかにお前は天才で、研究も戦闘もそつなくこなす。勇者を務められるだけの戦闘力もあっただろう。しかし性格が、やはり勇者にはそぐわぬのだ、お前は。人前に出るのが怖いのだろ?」
「うぅ……」
ジュオが悲しそうに俯いた。
相変わらずの亡霊ルックスだが、何だか可愛い。
「それでも俺は、お前がいつでも帰ってこれるようにと、自分で勇者の職を預かってきた。しかし、先の戦いでそれもできなくなってな。ヒュエに勇者を譲ることにした。だが決して仕方なく譲ったわけではない」
「兄上様……!」
言及されて、ヒュエの胸からときめき音が聞こえた気が……。
「ヒュエは充分に成長し、勇者を任せるに足る風銃使いとなった。他勇者との連携という、これからの勇者にもっとも必要な適性も備えている。ジュオ、お前がいかにも苦手なことだ」
「うぅ~……!」
「しかしな、俺はお前を見捨てた覚えなどけっしてない。たしかにお前に相談なしで勇者の座を譲ったのは悪かったが、お前にはこれからも、俺のことを助けてほしいと思っている。ルドラステイツの人々のことも」
「シバ様……!」
「移動都市の基礎設計、ほとんどはお前が手掛けたのではないか! お前の研究意欲、奇抜な発想をこれからも俺たちは必要とする。だからこれからも俺の傍にいて、俺を助けてくれ。勇者の称号と関係なく……!!」
「シバ様……! 好き……!」
「ん? 何か言ったか?」
「……何でもないです」
イラッ。
もしやこれ……。
試合の合間に、僕はジュオの口から直接聞いた。「自分にも譲れないものがある」「シバに教主をやめてもらう」と。
それは、幼馴染の想い人とずっと一緒にいられるように?
ヒュエが勇者になって見捨てられたと思った彼女は、アテス辺りに煽られ戦いに参加してしまった?
そしてややブラコンの気があるヒュエは、そんな彼女を快く思うはずもなく。
「この件は収まったな。ヒュエ、勇者の仕事を頼むぞ」
「兄上様どいてソイツ撃ち殺せない」
「撃つなよ」
なんかわかってきた。
風の新旧勇者の対立構造が。僕はシバに言った。
「お前死ねばいいのに」
「なんかいきなり罵倒された!?」
罵倒したくもなる風の教主である。
そして、実は最初からこの部屋に同席していて、事の一部始終を見守っていたヨリシロも……。
「吐き気を催すような展開ですわ」
シバの主人公的な振る舞いにご立腹だ。
そんな周囲からの白眼視にただひたすら戸惑うばかりのシバだった。
「何だよ皆よってたかって!? 俺何か悪いことしたか!? ……って痛い!? 背中に何かがぶつかってきた何だこのウシ!? 何故俺に向かって突進してきた!? いや、お前やっぱりノヴァだろ!? なんだその威嚇のポーズ!? 後ろ足蹴って突進の予備動作すんな!?」




