01 孝行息子
僕、クロミヤ=ハイネは闇の神である。
正確には闇の神の転生者だ。
ある程度全能な神は、自身を魂に変えて、地上の肉体ある者へ転生することもできる。
千六百年ぶりに封印を解かれた僕は、その術を使って人間となり、人間の立場から世界の変わりようを満喫……、もとい、観察しようというわけだ。
繰り返すようだが千六百年ぶりの地上である。
どれだけ様変わりしたのだろうかと降臨した時はワクワクだった。
そもそも何故僕がそんなに長い間封印されていたかというと、その理由は創世の時代にまで遡った話になる。
その頃、僕を含めた六人の神は協力して地上を作り上げた。
空を作り、海を作り、陸を作り、最後にその地に住まう者、人間を作り上げた。
その時、神の中の誰かが言い出した。
『人間は神の奴隷にしよう』と。
真っ先に反発したのは僕だ。
そんなことはできない。一つの生命として存在する以上、人間は自由だ。たとえ創造主だからと言って、神が人間のすべてをほしいままにしていいはずがない。
神々の中で意見は真っ二つに割れ、ついに戦争にまでなった。
そして僕は戦いに負け、封印されてしまったわけだ。
ちなみに僕と意見を違え『人間は神の奴隷』派に属した神は、僕以外の五人全員だった。
ヤツらが勝った以上、僕が封印されていた間の人間の暮らしは、神々への隷属を強いられる厳しいものだったはずだ。
それでも僕は信じていた。人間は困難をはねのけ、彼らにしかできない発展と進化を遂げているだろうと。
人間は強い。そして思慮深く、優しいのだ。
そして僕は、そんな人間に転生し、人と共に生きている。
千六百ぶりに出てきた世界を、心行くまで満喫するために。
僕が人間となって生まれた先は、辺境と言っていい山村。
そこに住む平凡な夫婦の一人息子として新たな生を受けた。
父親は猟師。とはいっても小さな村じゃ狩りだけでは儲からないため、薪を集めたり山菜も取ったりして生計を立てる森の何でも屋といった人だ。
それでも腕はよく、畑を荒らす害獣、時にはモンスターまで狩猟して村人の間では有り難がられている。
その息子である僕も、将来は父の跡を継いで狩人になるのが周囲の認識になっていた。
僕自身もそれがいいと思っている。
この小さな村から一生出ることがなくても、それもまた確かな人の一生なのだ。
闇の神は、ただの人としてその生を満足して、終える。
そう思っていた。
この日が来るまでは。
* * *
ヒュッ、と風を切る音だけを鳴らして矢が飛んだ。
矢はあやまたずイノシシに命中し、ここ数日畑を荒らし回っていた憎き獣は、ブゴッと断末魔を上げて倒れた。
「やった!」
命中を確認して、僕は倒れた獲物に駆け寄る。
イノシシは既に絶命し、とどめを刺す必要はなかった。
遅れて父さんも、構えていた弓矢を仕舞いつつ、後からやってくる。
「見事に仕留めたなハイネ。父さんの二射目は必要なかったぞ」
「そんなことはないよ。もし僕が外しても父さんが仕留めてくれるとわかってたから、リラックスして撃てたんだ」
それでも、獲物を仕留めた喜びは大きい。
「父さん、早くコイツを解体しよう。肉は栄養満点だから母さんに食べさせてやるんだ!」
「ハイネ、その前にやることがあるだろう?」
父さんに指摘されて僕は気づき、慌てて弓を置いてひざまずく。
そして亡骸となった獣に手を合わせ、失われた命に祈りを捧げる。猟師が共有する森でのルール。
「…………よし、じゃあ解体始めるか。ここからだと水場は……?」
「こっちだよ父さん!」
地形の記憶から川のある方向を示した僕は、率先して獲物を背負い歩き出す。
獲物の解体はたくさん血を流すから、洗い流すための大量の水が必要不可欠なのだ。そうして食べるための肉、それ以外の用途に使える毛皮や骨、燃料にもなる脂肪などに分け、持ち運びしやすいようにする。
「ハイネは、もうすっかり一人前だな」
「そんなことないよ、まだまだ父さんに教えてほしいことはたくさんある」
「イヤ、私からお前に教えられることなんてもうほとんどない。お前は、私たちのような田舎夫婦には過ぎた息子だよ。それで思ったんだが……」
「ちょっと待って」
父さんが話の途中だったが、あるものを見つけた僕は、獲物を父さんに預けて地面にしゃがみ込む。
森の中の、草がぼうぼうに生えた地面に。
「この薬草、たしか心臓の病に効くんだよ。薬剤師のリーベさんから教わったんだ」
「お前、そんなことまで……」
「村に帰ったら、リーベさんに調合してもらおう。母さんの病気も少しは楽になるかも」
引き抜いた薬草を油紙に挟んで仕舞いこむと、再び獲物を背負って水場を目指す。
到着し、父さんと二人協力してテキパキと解体を済ますと、これで今回の仕事は終了だ。
村長からの害獣駆除の依頼を済ませて、二日ぶりに家に帰れる。
「父さん、イノシシの肉はどれぐらい売るの? ウチで食べる分はちゃんと残してよ。母さんに食べさせてあげるんだから」
「ああ、わかってるよ」
「でもお金も必要だよね。母さんの薬を買わなきゃだし、さっき抜いた薬草でいくらか節約できるとしても……」
そんなことを考えながら森の中を進んでいた時のことである。
僕も父さんも気が付いた。
村へと近づくごとに不穏の空気が濃くなっていくのを。