174 完成の手応え
ヒュン、という微かな風切りの音が聞こえ、的の板は真ん中を撃ち抜かれた。
「ふわ~、凄い!」
それを脇の安全ゾーンから見守るカレンさんと僕――、クロミヤ=ハイネ。
さらにその横には、既に中心点にだけ穴の開いた的板が何枚も重ねてあった。
これすべて、一人の射手によって拵えられたものだ。まさに百発百中だった。
「凄いよヒュエちゃん! 命中率百%だよ!!」
感極まったカレンさんが、はるか遠くの豆粒に呼びかけるが、当然と言うか相手は無反応だった。
「すーごーいーよー! ヒュエちゃーん!!」
カレンさん声張り上げてもダメです。さすがにあの距離では届きません。
それでも、こっちが何か言おうとしているのは察したらしい豆粒は、小型飛空機に乗って、普通に走るよりも何十倍もの速さでこちらへやって来た。
それでも、たっぷり三十数えるぐらいの時間がかかったが。
「どうしたカレン殿、何か問題か?」
「違うよー。ヒュエちゃん凄いねって言ってたの」
サラサラの黒髪を後ろ手に束ねた彼女の名はトルドレイド=ヒュエ。
先日新たに仲間になったばかりの風の勇者だ。
彼女の持つ風の神具――、風長銃エンノオズノは、他の教団が所有する神具と比べても一際変わったシロモノ。筒状の銃身から圧縮した空気を撃ち出し、遠くのものを撃ち抜くことができる。
彼女の扱う風長銃は、特に遠くを狙撃することに特化されているそうで、光の教団が彼女のためだけに用意した特別射撃練習場でも、彼女の実力の底は暴けなかった。
だって何度も言うけど命中率百%だもん。
「いや助かる。拙者の本拠、風都ルドラステイツでは都市の性質上あまり大きな射撃場は作れんでな。勇者用に再調整された風長銃の全力を確認しておきたかったのだ」
「全力……、たしかめられたのかなあ? あんまりにも簡単に全部真ん中射抜くから、ヒュエちゃんから見たら物足りなかったかも……?」
「そんなことはない! カレン殿にも光の教主ヨリシロ殿にも感謝に堪えない! 今まで秘密主義に凝り固まっていた我々の方針転換を容認し、こうして勇者となった拙者の遊学訪問を受け入れてくれるのだから!」
そう。
ついこの間、新たに勇者就任したばかりのヒュエは、その最初の仕事として自分以外の各教団本拠へ訪問している。
風の教団は本来、自分たちを徹底的に覆い隠す秘密主義だった。
しかしそれは五大教団がいがみ合っていた前時代の遺物であるとして切り捨て、新たな道を模索しようと舵を切る。
新しい風の勇者ヒュエは、まさにその新生風の教団のシンボル。
彼女はそんな自分の存在をアピールし、また風の教団と他四教団との交流を確立しようと、各教団の本拠を歴訪中なのだった。
現在は光の教団本拠、光都アポロンシティに滞在。
光の勇者コーリーン=カレンさんがホスト役として大いに張り切っていた。
「でもハイネさん、やっぱりヒュエちゃんの狙撃能力は凄いです! 攻撃範囲の広さは間違いなく勇者の中でナンバーワンですよ!」
興奮気味に僕へ向かって言うカレンさん。
あんまりにも全力で誉めそやすため、ヒュエ当人は顔を真っ赤にして照れてしまった。
「たしかにそうですね。五大教団の勇者の中で、まずミラクとササエちゃんはガチの前衛。シルティスは中距離戦が得意な、どちらかと言えば支援タイプ。カレンさんはどの距離でも行けるオールラウンダーですけど。ここまで徹底した遠距離タイプの戦力は今までいませんでしたね」
「いよいよ私たち勇者同盟にも、安心して背中を預けられる支援火力の登場ですね! ますます完璧です!」
集団戦ともなれば、一歩引いたところから全体的な状況を俯瞰しつつ、必要となれば実力で主導権を奪い取る遠距離攻撃手が必要不可欠となる。
ヒュエの能力は、今までカレンさん、ミラク、シルティス、ササエちゃん四人のチームに欠けていた穴をカッチリ埋める最後のピースとなること確実だ。
五人揃った勇者同盟は、想像以上に完璧な仕上がりとなりそうだった。
「いや、待ってくれ。拙者はまだまだ未熟者。先代勇者であった兄上様には遠く及ばぬ」
謙遜なのか本当に自信がないのか、ヒュエは頼りげのないことを言った。
「今回命中率がよかったことだって、所詮は訓練の中での話だ。整った環境で、自分のペースを保って狙撃できる。それで百発百中なのは当たり前のこと。しかし現実は違う」
ヒュエって、今までの娘にはない堅さがあるよなあ。
「実戦では自分のペースだけで狙撃できる環境など絶対にない。常に変化し続ける状況、偶発するアクシデント、敵からの意図的な妨害。何かしらが狙撃手を圧迫し、引き金を引く指をブレさせる。真の狙撃手とは、そう言ったプレッシャーすべてをはねのけ、いかなる暴風驟雨の中でも確実に的を射抜ける者。拙者も常にそこを目指している」
なるほど。たしかに何の雑音もない状況なんて、訓練の中ぐらいしかないもんな。
ヒュエはそのことをしっかり自覚して、実戦と訓練を区別し、訓練で積んだ経験を実戦に活かそうとしている。
真面目な娘だ。
今までの勇者には存在しなかった真面目な娘だ。
「閃いた! そういうことだったら次の訓練では、あえて雑音を入れてみようよ!」
カレンさんが、またなんか突拍子もないことを言おうとしている。
「狙撃中に、何かヒュエちゃんの気が散るようなことをするの! それでもちゃんと的に命中できるか試してみよう!」
「それは一理あるな。自身の集中力の限界がどこにあるか、生死を賭けた実戦の前に把握しておくことは無益ではない。カレン殿、よくぞその可能性に気付かせてくれた! やはり他者と交流する意義があるな!」
固い握手を結ぶカレンさんとヒュエ。
「それで、狙撃中に気を散らすって、どんなことをするんです?」
僕が尋ねると、カレンさんは思案するように「んー」と唸った。
「……おっぱいを、揉む?」
おい。
何故よりにもよって、それ?
「なるほど! ただ触覚的な雑音だけでなく、羞恥心を刺激することで二重の攪乱を狙うわけだな! 訓練とはいえ、実戦に及ばぬ小さな雑音では意味がない。むしろ実戦で起こりえないような大変事に身を晒してこそ、いかなる状況でも動じぬ集中力を……!」
ヒュエも真面目に分析すんな。
真面目すぎていかなるボケにも真面目な意味を見出してしまう真面目トラップか。
「承知した。では誰が、狙撃中の拙者の乳房を揉むのだ?」
「ん?」
何故か僕とヒュエの視線が超合った。
「だっ! ダメーーッ!! ハイネさんがヒュエちゃんのおっぱい揉むのは絶対ダメ! ハイネさんは男の人なんだよ!?」
そして取り乱すカレンさん。
「しかし、羞恥心で集中力を乱す度合いを考えれば、殿方にお願いした方がより効果的……!」
「だからって、誰彼かまわずおっぱい揉ませてたら女の子として大切なものが減っちゃうでしょ! ヒュエちゃんもっと自分を大事にして!」
「カレン殿は言っていることが矛盾していないか……?」
ハイ、まったくヒュエさんの言う通りです。
* * *
そんなこんなで風の勇者のもてなしも順調にいっていた時のことだった。
火の勇者カタク=ミラクが突然訪ねて来て、
「カレン、ハイネ。助けてくれ……!」
などと言い出したのは。




