164 風向き
ムクリ、と起き上がる者がいた。
縋り付くヒュイの頭を撫でつけながら。
「ッッッッッッ!?」
それを見て、カレンさんはゾンビにでも出くわしたような顔になる。
「シバさん!? 生きて!? 何故!?」
心臓を貫かれて死んだはずのシバが何事もなかったかのように起き上がり、カレンさんは大混乱のようだった。
「ハイネ……! 貴様は……!?」
シバ自身も当惑のご様子で、自分が何故生きているのかわからないらしい。
それもそうか。
ベルゼ・ブルズの核である女王蠅はシバの心臓の中に潜んでいて、ソイツを消し去りたくば外側ごと潰すしかない、ということだったんだから。
解説してやるとするか。
「……暗黒物質の第二性質、重力操作」
「?」
「その性質を使い、一方向に整えた重力波を放つ。重力レーザーとでも言うかな? 肉体を破壊しないよう威力を調節したヤツをな。それは肉体を透過して、シバ、お前の体を傷つけることなく貫通した」
「それで女王蠅を破壊したと? し、しかし肉体を破壊できないなら、女王蠅も同様に透過して傷つけられないではないか?」
シバがよろめきながら立ち上がる。
弱ってはいても、ケチをつけるような質問ができるだけ、根性の入ったヤツだ。
「そうだ、だから僕は右手と左手、二点から重力波を放った」
いまだ暗黒物質がくすぶる両腕を見せる。
右手と左手、二ヶ所から放たれた重力波はシバの体に入り、体内で交差してXを描く。
その交差したポイントに女王蠅がいた。
単発であれば物質を傷つけない程度の重力波も、二つ重ねればそれ以上の威力を発揮する。
二線の重力波が折り重なる場所で、女王蠅は捩じり切られて粉砕された。
それ以外のどの部分も傷つけることなく。
「クロミヤ=ハイネ……! 貴様というヤツはどこまで……!?」
泣き笑いのヒュエに支えられながら、シバはこちらへやってくる。
加減したとはいえ、体に暗黒物質を叩きつけられてダメージゼロとはいかない。
「トルドレイド=シバ」
風の神クェーサー。
「もう一度言っておく。お前は僕に勝てなかったと思っているようだがな。僕は僕で、お前に負けたと思っているぞ。お前には本当に色々してやられた」
僕はヤツの襟首を掴んで、乱暴に引き寄せた。
お前は人間が持つ可能性に着目し、それを伸ばそうと人間に近づき、結局人間と共に生きた。
文明を拓き、集団を率い、悲喜こもごもを分かち合い、人間と一緒にここまでやって来た。
それは僕がやりたかったことだ。
僕が千六百年封印されていた間、お前は、僕の望みを充分すぎるほどに叶えまくっていたではないか!
「この都市は、この都市に住む人々は! 僕の作りたかったものそのものじゃないか! それを抜け駆けで作っておきながら、負けただと!? 逆だ! 僕は今敗北感でいっぱいだ! お前が作りだしたこの都市は、最強神などという称号なんか足元にも及ばないほどに……!」
素晴らしい。
襟首を離されたシバは二、三歩よろめきながら後退し、再びヒュエに背中を支えられた。
「…………………………負けたよ」
「兄上様?」
訝し気な表情のヒュエをひとまず無視し、シバは呟く。
「やはり貴様には到底敵いそうにないな。我が敗北すらも、ここまで価値あるものとして輝かせるとは。ルドラステイツ……!」
そびえ立つ風の教団本部際頂上から、街並みを見下ろす。
「我が輝かしき敗北の都か」
「だから違うって言ってるだろう。勝利の都でいいんだよ」
二人並びあう僕たちに、わけもわからずキョトンとする女性二人。
とにかくも風都ルドラステイツの騒乱は、ここに解決を見たのだった。
* * *
こうして戦いが済んだ後も、疲労困憊の僕たちはすぐさま動く気にはなれず、風の教団本部最高層区画の屋上に留まっていた。
少し離れたところで、カレンさんとヒュエが話をしている。
「……青い空」
「どうしたんですヒュエさん?」
「初めて見るので……。拙者はルドラステイツから一度も出たことがなく、ルドラステイツはこれまでずっと『風の結界』に覆われていたから……」
「マジですか!? ダメですよそれ! ヒュエさんももっと色んなことを知らないと!」
脳がとろけるような高くて浮かれた声を、僕たちは何ともなしに聞いていた。
「勝利の都も、まだまだ改善の余地がありそうだな」
「フン」
しかし終わってみれば、一番最初の大目標であるマザーモンスターの撃滅。それが達成されて、万々歳の成果ではないか。
風のマザーモンスター、ベルゼ・ブルズ。
無数の極小ハエが何千万という群れを作り、それ全体で一個体という特殊なモンスター。
風属性のモンスターはソイツらが各地に散って卵を産み付けることで増え続けていたらしいが
、それももうないということだ。
「しかしお前、なんでマザーモンスターを都市の防壁代わりに使っていたんだ? まさかマントルみたいに、それで信仰を稼ごうと……?」
「ふざけるな、俺にとってはモンスターなどどうでもいい代物。四元素の連中との付き合いと、我ら風の教団の鍛錬相手になればと生み出したものに過ぎん。ベルゼ・ブルズを『風の結界』として利用したのも、使えそうなものを利用しただけだ」
「そうですか」
けっこうタイトな話題だが……。
自分たちのお喋りに夢中なカレンさんやヒュエには聞こえてないな。
「だがなエン……、いや、クロミヤ=ハイネ。貴様これでベルゼ・ブルズを倒したなどと思っているのではあるまいな?」
「え? 違うの?」
「核で要とはいえ、女王蠅一匹潰した程度で全滅するようではマザーモンスターとしては脆すぎるだろう。アレには、こういう事態に備えて、ちゃんとした安全装置がついている」
えー?
せっかく終わったと思ったのに。
「ベルゼ・ブルズは、どこかに特別な卵を産み付け、隠している。『緑帝卵』と言ってな。女王蠅が死ぬと自動的にそれが孵り、新たな女王蠅が生まれるのだ」
「……じゃあ、それを潰さない限り?」
「何度繰り返そうと元の木阿弥だな」
なーんーだーよー?
せっかく達成感で満たされていたというのに、それが抜けて代わりに疲労感が倍増だ。
「……ただ、女王蠅が死んでから『緑帝卵』が孵るまでには少し時間がかかる。その前に卵を潰してしまえば、それでもうベルゼ・ブルズは終わりだ。早速かかるぞ」
とヨロヨロ立ち上がるシバ。
「え? いいの? マザーモンスター潰して?」
「貴様はヒトの話を聞いていなかったのか? 俺にとってモンスターなどどうでもいいのだ。しかし風の教主としては、五大教団の総意に背いて何の利もない。ヤツらには、そろそろ役目を終えてもらうとしよう」
教主としてなんとクールな考えであろう。
元々人間として過ごす時間の方が多いコイツにとって、神として信仰が減ることはあまり深刻ではないのかもしれない。
そもそも信仰自体、他の神より多く確保してそうだしな。
「……これから他教団と親交を深めていければ、『風の結界』など必要もないしな」
「え? 今なんつった?」
風の向きが変わろうとしている。




