150 億日の武
僕とシバを中心として、凄まじい勢いの風が渦巻く。
当然ヤツが、風の神力で吹かせたものだろう。
「貴様がエントロピーであるとわかった以上、手を抜く謂れはない。全力で倒させてもらうぞ!」
僕たちを取り囲む風は、ビュウビュウと唸り声を上げて、僕らの耳元を騒がせる。
だがここまで騒々しければ、僕らの出す声もかき消され、観戦中のカレンさんたちにも届くまい。
「風の神クェーサー。たしかに僕は、お前のことをちゃんと理解できていなかった」
四元素の中でも印象が薄いと思っていたお前が、まさかここまでの執念を内に抱えていたとは。
「それならば僕も創世六神の一人として、お前の挑戦を受けよう。お前が積み重ねてきた千六百年とやらを、僕にぶつけてくるがいい。だが僕の暗黒物質は生半可じゃないぞ」
我が両腕から噴き上がる暗黒物質の渦。
それはまるで黒い煙のようでもあったが、しかし暴風吹き荒れるこの闘技場で、本物の煙のごとく風に流され拡散したりはしなかった。
暗黒物質だからだ。
地水火風、すべての神気を殺し去る、究極の消滅物質であるからこそ自然の風にも吹き流されることもなく、塊であることを保っている。
「お前が人間となってどれほどの努力してきたか知らないが。神力の上下関係こそ絶対だ。特に我が闇とお前たち四元素との上下関係は絶対の中の絶対。その摂理を、お前はどう覆す?」
風の神が、己が器とする人間の顔をニヤリと歪めた。
「風双銃フウマコタロウ」
またあの武器か。
筒状の穴から神力交じりの圧縮空気を撃ち出し、敵対象を打ち砕く武器。
しかしその弾丸も暗黒物質の障壁の前では、無意味であると証明されたはずだ。
僕は銃口が向けられるより一息早く、両手を横に振って暗黒障壁を張り巡らせる。
さあこれでお前は僕を傷つけられないぞクェーサー。
「『崩』」
カチン、と引き金が引かれる気配が伝わった。
それと同時に僕の体は吹き飛ばされた。
「なぐッ!?」
全身を殴りつけられたかのような凄まじい衝撃。
両足が地面から離れ、勢いよく飛ばされる。
「なんだ!? 何が起きた!?」
まったくわからなかった。
前面には隙間なく暗黒物質の盾を布陣し、針一本通る隙間はなかったはずだ。それを超えて、ヤツは僕に銃撃を食らわせたというのか!?
「強いがゆえに見落とすことは多い」
クェーサーが――、シバが悠然と僕に向かってくる。
「俺が何を司る神であるか? 俺が治める教団の名は? まったく失念しているようだな」
「何を言っている? お前は風の神で、風の教主だろう。ついでに言うと風の勇者だ」
「いかにも。しかし貴様は、風というものを把握しきれていない。絶対なる強者は、力一つで何でもできてしまうがゆえに、何事も通り一遍の理解で済ませてしまう。深く知ろうとしない。そこに弱者のつけ入る隙がある」
傲慢なのか謙虚なのかどっちなんだよお前は?
「風とは、つまり空気だ。そして空気は世界のどこにでも存在する。見えないだけで。我々の目の前にも、そして我々は絶えず空気に触れ続けている。手も足も顔も、体全体で」
「は……ッ!?」
「俺はその空気を、神気を通して自在に操ることができるのだ。お前は既に空気に触れている。それは常に俺に触れられているのと同義だ。いかなる強固な障壁で間を隔てたところで変わらん」
「つまり……、今の衝撃は……!」
「先ほど説明してやったな。この銃という武器は、内部の薬室という部分で圧縮した空気を爆発させることで、空気の弾丸を撃ち出すと。ただしこれは風の神具だ。神気を操ることで、薬室内の反応を銃身の外にまで広げることができる。お前に触れている空気などもな」
「つまり……!!」
僕の周囲を丸ごと薬室、というものに変えて引き金を引くことによって爆破。
それがさっきの衝撃の正体か!?
「風の双銃術、多分の式『崩』。挨拶代わりだが、それなりに高度な技ではある」
「丁寧な解説どうも。……でもいいのか自分の技の秘密をベラベラ喋って?」
「自分がどうしてやられたかを知れば、敗北感もより克明に刻み付けられる。情報を隠匿すれば、それだけで有利などというのは、弱者の中でも卑しい弱者の考え方だ」
「秘密教団の教主が言うセリフか!」
僕はシバへ向けて突撃した。
あの『崩』とかいう技がある限り、ヤツは空気と通して常に僕に触れている状態だ。
いつでもゼロ距離攻撃を行うことができる。
いかなも障壁も無意味。恐らく僕とヤツの間の空気を完全に遮断でもしない限り。
ならば離れているのは、僕の方だけがひたすら不利だ。
懐に潜り込んで接近戦に持ち込む!
「……と、思うだろうなあ」
シバは驚くほどあっさり、僕の接近を許した。
拳や蹴りの激しい応酬が始まる。
「ほう、なかなかに鋭い動きだ。どこで習った体捌きだ?」
「父と、大いなる森と獣たちかな?」
「ハッ、道理で鋭くとも洗練されてはいないわけだ。闇の神エントロピー。貴様は先程俺に、何故人間に転生したかと聞いたが、お前の方こそ人間に転生したのは何故だ?」
僕の両手両足には既に暗黒物質が付加されていて、掠っただけでもシバの体表に付着し、ヤツの神力を食い尽くしていくだろう。
そうなればヤツは無力化して、何もできなくなる。
そうなれば僕の勝ちだ。
それだけなのに……。
「聞くまでもなくわかるぞ。『人間が好き』というだけで神々の戦いを起こした貴様だ。ただ純粋に人間になってみたかったのだろう。貴様の見識は常に浅い。絶対強者であるがゆえに物事を深く見据える目が備わらなかった。だから人の体がもつ可能性に気付くことができないのだ」
シバが、その手に銃を持ったまま僕の手首を固め、グラリと引っ張ってきた。
踏ん張ろうとしたが不思議と力が入らず、容易にバランスを崩す。
「みっともない動きだ。重心が丸見えだぞ!」
シバのもう一方の手が、電光の速さで銃身を僕の顎に叩きこむ。
銃とはつまり金属の塊。鈍器として使えばそれなり以上に痛い。
「風の双銃術、一分の式。接近戦での手数の多さこそ双銃術の真骨頂よ」
「ぐっ、クェーサー……、お前……!」
圧倒されている。肉弾戦で。
それを支えているのは技術力だ。あの人間シバとしてのクェーサー。僕より遥かに人の体の扱い方に精通している。
「一極丹田より六臓六腑。広がりて十二経脈十五絡脈。達する点は六百六十穴。通るは気血。空の気たる空気に対し、体に満ちる気こそが気血。即ち体内八十四経絡、人体を通る風の道なり。その要諦を知り、自在とすることにて、己を風とすべし」
それは……。
「我が風の教団が千年かけて磨き上げてきた風の武の極意。闇の神エントロピーよ。たしかに神力のみでお前に勝つことは、何億の年を積み重ねても不可能かもしれん。だから俺は屈辱に耐え、それ以外の力を取り入れることにした。お前が最強神としての孤高を汚してまで愛した、人間の力すらもな」
千六百年。
ヤツはその時間のすべてを注いで、あらゆる種類の力を手に入れたというのか。
僕を倒すために。
今の目の前にいるのは、もはやただの神ではない。
神という究極の存在になってなお、さらに究極であろうとする。
それは神であることを凌駕する。




