128 黒い終焉
地母神マントル。
この災厄を引き起こした張本人が、今になって再び姿を現したか。
その理由もわかる。
王手をかけられたことをヤツもわかっているのだ。
僕は、耳に掛けられた無線機を外し、投げ捨てる。
「マントル、そこを退け」
距離は遠く離れていても、神同士の波長を重ねれば充分会話はできた。
「『フェアリー』という仮の姿なら、潰されても問題ないとか思っているなら大間違いだぞ」
「なんでですかエントロピーさん!? アナタはワタシを褒めてくれたじゃないですか! ワタシのしていることは素晴らしいことだって認めてくれたじゃないですか! なのに今になって全部否定するんですか!?」
マントルの訴えは悲痛だった。
「皆幸せになれるんです! 人々は戦わなくてもいいし働かなくてもいい。煩わしいことはすべて外に追い出し、永遠に生きられるんです! 神たるワタシは、その見返りとして祈りによく似た精神エネルギーを吸い出す。皆に得があって、誰も苦しまない! こんな最高のことを、どうして邪魔するんです!?」
「マントル……」
そう、僕はお前の恐ろしさに気付けなかった。
お前の気弱さの裏に潜む歪さをわからず、安易に誉めそやして、結果お前の暴走を助長してしまった。
きっとインフレーション辺りはお前の内側にある狂気に気付いて、それが表面化せぬよう常に気を配って叩きまくってきたのだろう。
恐らくその結果があの、普段の気弱さだったのだ。
「すまない。僕はお前を本当に理解してやれなかった。すべてを理解せず、一面だけを見て。都合のいいようにしかお前を解しなかった。すまない。本当にすまない……!」
「エントロピーさん、何を言っているのですか?」
「しかしマントル。幸せというのは多分、そんな簡単なものではないんだ。何が幸せか、その答えは容易に出るものではない。誰もがその問いに取り組み、それぞれがまったく違う答えを出す。だから真の正解なんて永遠に出ない」
誰かを幸せにする。
それはお節介かもしれないけれど、願いとしてはどうしようもなく正しいものだと思う。
しかし相手の意思を無視し、自分の答えを他人に押し付けるのは、どうしようもなく罪だとも思う。
幸せを得ることよりも、何が幸せかを考えることが、人の生にとって重要なことだから。
「だからマントル、人から考えることを奪うお前の行いを許すことはできない。その行動ごと僕は、お前たちを消滅させる。いずれ人が必ず死ぬように、この世界にも何万何億年後かに必ず訪れる終焉を、先んじて今……」
……お前と、お前の眷属に与える。
「大々縮小『ブラック・ホール・キャノン』」
僕の手から、粉粒よりさらに小さな一点が放出された。
それは今のところ大人しいまま一直線に飛び、巨大樹の幹に到達した瞬間、あらかじめ設定されていた通りに……。
すべてを飲み込みだした。
「きゃああああああッ!? なにぃぃぃぃぃぃぃいッッ!?」
極限まで圧縮された暗黒物質は、その質量によってさらに重力を増し、ある臨界点を超えると無限の重力を発するブラックホールになる。
そうなったら何も逃れられない。質量があるものもないものも、すべてが重力に囚われて無限の闇の中に落とされる。
世界最大の質量を誇る地のマザーモンスターすらも、その樹体をメキメキいわせ、そのメキメキという音すら空気もろとも吸い込まれて、ひしゃげ、砕けながら闇に消える。
そして、それ以外の者も。
「いやぁぁーーーッ!? 何故ぇぇぇーーーッ!? ワタシの神体も! 神体まで重力に引き込まれるぅぅぅぅーーーッ!?」
マントルの必死の叫び。
だから警告したんだ「そこを退け」と。
この闇の神エントロピーの最終手段は、肉体を持っていないからと言って影響を断てるほど甘いものではない。
質量とはまったく関係ない神体――、神の魂すら飲み込むことができるのだ。
火の神ノヴァとの会話で、僕は「神を封印できない」と言った。
封印することはできないが、消し去ることはできるのだ。
ブラックホールの暗黒の彼方に。
ノヴァやコアセルベートにすら使わなかったこの力を、よりにもよってお前に使わなければならないなんて。
「…………痛恨の極みだよ、地母神マントル」
もっと僕が気をつけて言葉を選べば、お前とはわかりあえるかもしれなかったのに。
「きゃああああーーーーーーーッッ!! いやぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!」
地母神の断末魔すら飲み込んで、極最小ブラックホールはやがてみずからも飲み込んで、跡形もなく消え去った。
僕が設定した通りだった。
あとには何も残らなかった。
巨大樹はその大半を飲み込まれ、抉られて切株のような形になった下部を除けば、葉っぱ一枚残らなかった。
効果範囲を設定すれば、その外は傷一つ付けず、しかし内側は塵一つ残さない。
我が究極の破壊。ゆえに使わなくていいなら最後まで使いたくなかった。
しかしそれによって今回は、勝つことができた。
イヤ、ブラックホールの力だけではない。
絶好のタイミングで駆けつけて、見事に僕を支えきってくれた四人の勇者たち。勝利は彼女らのものだった。
* * *
こうしてイシュタルブレストの攻防戦は幕を閉じた。
グランマウッドの根に取り込まれた人々は、時間を掛けながら一人一人切り離され、誰一人犠牲なく救出することができた。
木皮から離れると同時に封じられた意識も回復し、取り込まれる前とまったく変わらず行動できる。
人間に関して、この騒動で失われた命はない。それは救いと言えば救いだった。
しかし、その代わりと言うように都市が受けた被害は甚大だった。
グランマウッドの暴れ回る根によって建物の多くが倒壊し、地面も割れて、天変地異の跡であるかのようだ。
これを元の、五大都市の一つにまで戻すのは至難の業であるかのように思えた。
しかしその難業に、人々は乗り出さなければならない。
いかなる困難を目の前にしても、考えて、それを踏み越えるのが人間なのだから。




