もうひとつの自分
コミュ障とはいえ、人がキライとか対人恐怖症とかではない。
大人になって、気が付いた。
同じ趣味・同じ目的をもった人の集まりである時、どうでもいいような会話が成立する。
どうでもいいような会話が苦痛ではないのだ。
よく考えると当たり前である。
同じ趣味・目的をもった人の集まりの会話っていうのは、実はどうでもいいような会話ではなくて、趣味・目的の会話なのだから。
自分の居場所を見つけたと感じた瞬間だったかもしれない。
今までの自分(正確には、いつもの自分)以外にもうひとつの自分を作ることにした。
あがり症で人前で話すのが苦手な自分と違う自分。
いつもの自分は本名。
もうひとつの自分はニックネーム。
ニックネームで自分を語ることにより、もうひとつの自分になるのだ。
なるというよりも演じるのだ。
基本的には、ニックネームを語る時、いつもの自分の話はしない。
多重人格ではないので、もう一人の自分ではなく、もうひとつの自分と呼ぶことにしている。
多重人格ではないので、もうひとつの自分になったとしても、その時起きたことはいつもの自分もはっきりと覚えている。
そもそも、もうひとつの自分になりきれないことも多くある。