死者の群れ
「え…ええ、昼前に出立しました」
「馬鹿か貴様はッ!?彼がどれ程危うく特異な存在かは知っているだろう!」
窓口職員によると聖呀は午前中に受付手前のテーブルに座り、連れの妖精らしき少女と何やら話し込んでいたらしい。断片的に聞こえてきた会話は
『…北から……群れで……冗談じゃない…』
というものだった。
すると彼は〔天蟲の繭〕3個と〔トカゲの革〕〔岩亀の甲羅〕を取り出してテーブルの上に置くと、拝むようにパシンと合わせた両方の掌をテーブルに叩き付けた。すると光り輝く紋様が疾り、3種のアイテムは黒い布の様な物に換わる。
(まさか…錬金術か?アイツあんな事まで出来るのかよ…)
そしてそれを掴み取ると「ちょっと出掛ける」と言い残して走り出してしまった。慌てて止めようとしたが、その瞬間緊急の依頼を告げるアラートが鳴り、その対応を優先せざるを選なかったとの事だった。
「……緊急依頼だと?」
その依頼なら昼過ぎに報告が入っており、午後の2の刻には既に数組の傭兵ギルドメンバーが討伐に向かっている。ギルドは本部をメインとしてそれぞれに風の結晶石柱を通じて情報を共有出来るようになっている。特に情報が命の商業ギルドと冒険者ギルドは入力が有ればほぼタイムラグ無しにアップロードされる、その先端を行く設備だ。
そしてその内容は…
遥か北の雪と氷の領地 フローザンから南へ下った王都へ向けて百数十体にも及ぶ魔獣の一団が進軍中
・近隣支部滞在の傭兵各位は速やかにこれを討伐
・煽動する首謀者らしき魔導師の捕縛、ただし生死の如何を問わない
というものだった。
当然、王都からも最強と謳われた守護兵団が向かっている筈だ。統率が執れている分、個別での行動が主の連係が難しい傭兵パーティーより遥かに頼りになるに違いない。だが言い知れぬ違和感は晴れる事はなかった。
―首謀者の心当たりはある。今から数十年前、王立魔導研究院において天才と称された一人のダークエルフ。彼の才能はこれまでに無い概念を基に新しい魔法を次々と開発していった…。
だが彼の才能は越えてはならない一線を越えようとしていた。
【不死騎兵団】
疲れを知らず、恐れも無く進軍し続ける最強の軍隊、彼は死体から意のままに動く兵士を作り上げる研究をしていたのだった。
初めはギルドへの依頼で集めた魔獸の死骸だった。だがその内に墓が荒らされる事件が起こり始め、調査依頼が出された事により“素材”の入手が困難となってくると新鮮な“素材”を求め、遂にはその場で“調達”し始めるのも厭わなくなっていった。
当然教会の上層部にも知れる事となり、非人道的であると共に神と生命への冒涜であるとの決議によりその身を拘束するよう御達示が下る。
だが一足遅く、赦されざる異端の研究者は“素材”の保存しやすい雪と氷の地へと逃亡し、以後その消息は完全に絶たれてしまった。
そして今、その雪と氷の地から魔導師の率いる魔獸の群れが王都に攻め入らんと南下してきている。
だがそれは充分予測しえた事であり、だからこそ今まで情報伝達技術と軍事戦力を強化してきたのだ。
「…北から……群れで……か」
そう、問題はここより北の王都より更に向こうのフローザンでの出来事を我々より先に知る事が出来た者が居るという事実だ。
「一体、君は何者なのだ……結月 聖呀」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「怯むなーッ!!各自連係を取り、一体に対し5〜10名で当たり確実に潰すのだーーーーッ!!」
騎士団長が激を飛ばす。フローザンより2日の荒野、今この地は戦場と化していた。魔獸百数十体に対して王立軍と傭兵との併せて千人近い連合軍、その戦力は圧倒的だった………筈だった。
ろくに草も生えず、疎らな枯れた木々は骨のようにその骸を晒している。この荒野に響き渡るのは魔獸の雄叫びでは無く、悲鳴と断末魔の叫び。
敵を取り囲むように拡がった配置の最前線で戦士達は剣・斧・鑓など己が信ずる武器を奮い、その後ろに位置する魔法遣いは補助系魔法を唱え、僧侶は傷付き倒れた仲間を癒し続け、弓兵は雨のように矢を放ち続ける。
勇猛なる連合軍達に浮かぶ表情は明らかな疲労と焦燥、そして畏怖……。圧倒的有利な筈の戦局は効果的な戦術をうてないままジリジリと後退を余儀なくされていた。
理由は単純、魔導師率いる魔獸群には魔法が効かないのだ。奴らはいわば動く死骸。黄泉還らせる際の術式にアンチマジックを組み込まれていた。通用するのは物理のみ…、だが彼ら連合軍の顔を見れば解るだろう。
奴らは腕を斬られようが、頭を半分潰されようが平然として襲いかかって来る。それ処か切り落とされた腕そのものが一個体の生物のように指で地を這い、跳び掛かってくる。
「先代と違い、どうやら此度の王は吾輩を歓迎してくれているようじゃな。わざわざ贈物を届けてくれるとは……」
「……何を世迷い事を」
その言葉の意味はすぐに解る事になる。
「ク…クラウス、何を…や…止め…ギャアアアーーーッ!!」
予期せぬ後方からの叫び声に振り向くと絶命した筈の傭兵が仲間であった僧侶の首に噛み付いていた。間欠泉のように噴き上がる血飛沫、そして再び前を向けば魔獸に殺された兵や傭兵達がユラリと立ち上がって連合軍へと向かってくる。
「バ…馬鹿な…こんな事が…」
騎士団長はこの不死騎兵団の真の驚異を理解した。魔獸達は全て死体であり、殺されたぶんだけ勢力を拡大していく。もし今ここで連合軍が全滅する事になれば一気に10倍にも膨れ上がってしまうだろう。既に戦力の1/10が重傷及び死亡し戦闘不能となった今、敵を殲滅する手立てが無い以上、最早戦い続ける意味は無い。そう判断し苦渋の決断をせざるを選ない。
「総員に告ぐ、即時撤退せよッ!!」
「た…隊長…?」
誇り高き王立騎士団の団長が国王の勅命に背いてまで発した撤退命令に騎士達は驚きを隠せなかった。
「傭兵諸君も皆それぞれに矜持はあろうが命あってこそだ。早く行きたまえ」
だが当の団長自身は最前列で一人剣を構え、敵軍を睨めつけたまま動こうとしない。
「成る程のぉ…、賢明な判断じゃ。じゃがここで退いたとて僅か数日生き延びるだけじゃと思うがのぉ」
まだ年若い新人騎士数名に王都への退去要請の伝令として馬を走らせた。幸い死体である魔獸達の機動力は低い、少なくとも王族は難を逃れられる筈。ギルドを通じて都や周辺地域の貴族や一般の民達も欲に走らねば助かるに違いない。
「後は俺が死なずに出来る限り時間を稼ぐだけか………」
「別にお前さんだけやる必要は無ぇだろ、ワシにも稼がせろや」
「テメェだけに格好つけさせるかよ」
バンと肩を叩く二人の老騎士、共にいくつもの戦火をくぐり抜けた戦友であり、仲間だった。
「愚かな…死ねば忠誠を誓ったこの剣を陛下に向ける事になるのだぞ。そんな不名誉……」
「その分、奴らを減らせば良いわい」
「最期がむさ苦しい爺と一緒とはな…、先に死ぬなよ」
老いたとはいえ、かつて“三ツ首の番犬”と讃え恐れられた強者が揃い、その顔に最早畏れは無かった。
「…別れはすんだようじゃの。くたばり損ないが残ったところで何が出来るというのじゃ」
「ワシらより爺ぃが何をほざく」
アイコンタクトをとるまでもなく同時に展開した3人は一斉に地面に向かって氷結魔法を掛けると白い帯が敵軍を囲い込むように輪を画いて走る。
ブシャァァァ…
最前列を進む真新しいコボルトやオーク“だったもの”が凍った地面に足を滑らせて藻掻く上を後続部隊が次々と無慈悲に踏み潰していく。飛び散り、拡がる血と体液がまるで別の生き物のように蠢き、後続の足に絡み付いていく。
肋骨に貫かれた足を胴体ごと踏み出そうとしてバランスを崩して倒れた元オークをオルグが邪魔だとばかりに蹴り飛ばす。
これで全体の1/10位にはダメージを与えられただろうか?だが、ここまでだろう。足をとられる真新しい死体は恐らく凍結した大地に不慣れなこの近辺で戦列に加えられた近隣の魔獸。あのフローザンから南下して来た本隊、特にあの巨鬼オルグなどはこんな薄氷は容易く踏み砕いてしまうに違いない。
落とし穴を掘れるほど爆発力のある魔法は無い。居残った3人の魔力も既に底を突き始めている。
(……これまでか。申し訳ありません陛下。そして我が妻よ、子よ…不甲斐無い俺を赦せ)
他の二人も同じ心境だろうと一つ溜め息を吐いて俯く頬に何かが当たって伝う。
「雨…か?きっと神も泣いてくださっているのだろう…」
天を仰ぎ瞼を開いてみたが空には雨雲一つ無い、代わりに小さな黒い点があるだけだ。そして黒い点は徐々にその大きさを増し……。
「オッサン!邪魔だぁぁぁあああーーーッ!!!!」
「………ッ!?」
ズンッ!!!
まるで稲光のような閃光が視界を白一色に支配する。そして降臨した王者の如く立ち上がる影はゆっくりと振り返りこう叫ぶ。
「テメェ、アユ助!勝手に水筒出すんじゃ無ェ!お陰で中身全部ぶち撒けちゃったじゃないか!!」
「わ…私だって喉が渇いたデスヨ…ちょ…く…苦し……」
・・・・・
突然現れたこの少年は何者なのか?手の中で暴れている小さな少女は妖精だろうか?いや、そもそも彼はここが地獄の一丁目だと知っているのだろうか?どう見ても修羅場を潜ってきた傭兵とは思えない幼さの残る顔立ち、華奢な身体。武器すら持たず、見た事の無い奇異な服装…。どこから見ても異国の庶民、良くて冒険初心者だ。
この死地にはそぐわない異質な存在にその場の全員が硬直した。
「ヤレヤレ…これまで落ちちゃったじゃないか。壊れてないだろうなぁ」
バチバチと音を発てる黒い箱を拾い上げて少年は溜め息を吐いた。
「さっさと逃げろ、坊主。ここはガキの遊び場じゃ無ぇぞ」