イグニスの呪い(1)
「それでは失礼します。皆さん、お風邪など召しませぬよう」
恭しく頭を下げ、聖呀は立ち去りに耳元で、
「また甘い匂い嗅がせてね」
と囁き、ティコはビクッと身体を震わせた。
「フム…意外と呆気無かったな。もう少し腕がたつと践んだんだが…」
期待ハズレだったかとフェリスが溜め息を漏らした。あの男の構え自体には隙が無く、確かに手練れに思えたのに……と違和感を感じた。
「良いんじゃないすか?」
「リーダーが本気じゃ無かったとはいえ、腕の一本でも折っといた方が世の中の為だと思うけどなぁ〜」
聖呀の背後を取っていた二人が呟いていた。
「ところでティコは何を渡されたんですの?」
手の上の物に触れた瞬間、突風が吹いた。
「キャアッ!?」
「え…ええっ!?」
慌ててスカートを押さえた手から伝わる違和感。逆三角形の布製品4枚を手にしたメンバーが絶句していた。
「あの野郎ォッ!」
「一体いつの間に…」
「……見られちゃったかしら?」
三者三様の反応を見せるメンバー達。だがフェリスだけはとても楽しそうだった。
「ククク…この私がしてやられるとはね。今度遇うのが愉しみだよ」
腕を組んで仁王立ちのまま聖呀が立ち去った方を見詰めるフェリスにティコの隣に居たメンバーが一言こう言った。
「……どうでも宜しいですけど、いい加減下着を着けてくださいな。はしたないですわよ」
冒険者として鍛えられているフェリスのお尻はとても良い形だった。
「…ックシュ」という誰かがクシャミをしたような気がしたが、取り敢えず聖呀はギルド紹介の宿へと足を向けていた。
宿は門から離れた位置に在る為、どうしても商店筋を通らねばはらない。
道を挟んで様々な店が並んでいる。中心たるギルドには石造りの立派な店があり、離れていく程に木造、屋台、テントを張っただけの粗末な露店へと変わっていく。 扱う物も様々で、武器や防具を売る店、食べ物を提供する店、日用品を並べる店等など。
旅好きの聖呀はどうしても店頭で実演販売されているジャンクフードに目を奪われがちになる。特にフワリと漂うタレが焦げる匂いや脂が焼ける匂いなどはとても魅力的な誘惑だった。
その誘惑に堕ちた腹の虫が「ググ〜」と主張する。しかしそれは聖呀自身では無く、この世界の管理主にしてアイテム欄の居候、アユミエルだった。
「神に供物を捧げる時間のお知らせですヨ〜!」
「ハイハイ、分かったからおとなしくしててくれ」
そういえばそろそろ鑑定が終わった頃かもしれないので一度ギルドに寄る必要がある。どちらにせよ現状では無一文なのだし。
「やぁ、鑑定終わっているよ」
扉を潜ってきた聖呀を確認すると買取窓口の職員が声を掛けてきた。会釈で返事をすると職員はこんな提案をしてきた。
「聖呀君、だっけ?貴方は確か冒険者登録したてだったよね?」
なら持ち合わせは乏しいだろうから麻痺針の代金だけ受け取らず、総合窓口でキラースティンガーの討伐依頼を請けて2時間後に討伐達成手続きをしてはどうか?というものだった。
キラースティンガーは常時討伐対象である為、討伐報酬を上乗せ出来る。本来なら討伐後の依頼請負は不正に当たり、直後の達成申請はエラーとなるのだが、2時間もあけば大丈夫だろう。最初は何かと物入りだからどうかな?といったアドバイスだった。
確かに2時間位なら食事して町を散策すればあっという間に過ぎてしまうだろう。聖呀は代金を確認後、礼をいうと受け取って町へと戻って行った。
「フラれたみてぇだな……」
「フラれましたねぇ」
鑑定士が不正を持ち掛けたのは聖呀の人間性を見る為だ。規約的にもアウトなので当然ペナルティーが課せられる。
しかしそれを知ってか知らずか聖呀はスッパリ断ってしまったのだ。
「「俺の目的は金じゃ無いんで」…か、じゃあ何が目的なんでしょうか」
「さぁな、案外ガキの頃に夢見がちな正義の味方かもよ」
予想はニアピンだった。だが彼らにそれを確かめる術も、また暇も無い。こうしている間にも冒険者達は依頼を熟すべく列んでいるのだから。
―この世界も決して平和では無い。今、この瞬間にも何処かで誰かが魔獣に襲われ、悪しき者に財産を、尊厳を、命を奪われて絶望している。だからこそギルドには依頼が殺到している。
だがそんな事は瑣末な事でしかない。本当の“絶望”は聖呀の前を欲望全開で妖精のように飛び回っているダ女神によって齎されようとしているのだ。
串焼きの肉や果物の蜂蜜漬けなどの屋台を右へ左へと飛び回る妖精連れの異国の少年を町人達は怪訝そうな目で見るが直ぐに興味を失う。それ程雑多な種族が行き交うのだ。
田舎者と判断した屋台の親父が値段をふっかけてボロうとしたが【アナライズ】で適正価格の判る聖呀には通じない。むしろコストぎりぎりにまで買い叩かれてしまう。
元よりあまり評判の良い店では無いのだろう、隣の店主が(またやってやがる)と言いた気に睨んでいた。
「旅人や冒険者は命掛けで渡り、命掛けで金を稼いでいるんだ。それを相手に阿漕な商売がしたいならそっちも命掛けでこい」
この一言が決定打になったのだろう、店主は蒼白な顔でガタガタと振るえ、翌日には空きスペースに変わる事になる。
必要物質と食料を買い終え、情報収集を済ませた聖呀が紹介された宿に着くとどうにも内部が騒がしい。
フロアの奥で身なりの良い中年女性が傭兵らしき女性数名に凄い剣幕で怒鳴っている。傭兵の一人は怪我をしているのか宿の主らしき男に応急処置を施されていた。
壁際の長椅子で苦しそうな表情の子供が寝かされている。外傷は無いようなので恐らくは病気なのかもしれない。
会話の内容から無事に着けなかった事で契約違反だのと言っているみたいだ。身なりの良いお女性は王都の貴族らしいが、品の無さから金で身分を買った成金あたりだと思われる。
どうしたものかと思案しているとカウンター奥から出て来た女将さんらしき人が受付をしてくれた。
女将さんが言うにはこちらに着く4日前、雨が降りしきる中、魔獣の群れに襲撃されたそうだ。
相手は火属性の魔獣で雨から逃れる途中に偶然鉢合わせしてしまったようだ。傭兵は雨に濡れて弱体化していたから助かったと言ってたとの事。
(応急処置してたのは火傷か…)
「でも子供が【イグニスの呪い】をかけられてしまってねぇ…、本当に可哀相だよ」
「【イグニスの呪い】?」
【イグニスの呪い】を受けると火の邪霊が口から身体に入り込む事でゴホッ、ゴホッと呼吸が困難になり、次に体内から内臓を焼かれるので高熱を発するようになり、食べ物を受け付けなくなる。呪いが進行すると汗が止まらなくなり、身体が痙攣しだしたら手の打ちようが無くなり、そうなる前に司教様に悪魔ばらいをして貰えば助かる事もあるらしい。
(う〜ん、それって……)
遠目だが宿の“離れ”に運ばれていく子供に照準を合わせ【アナライズ】発動…、聖呀の予想通りのあるバッドステータスが示されていた。
「……やはり風邪か」
病気を“呪い”と勘違いしているという事は、この世界では医学があまり発達してないのかもしれない。まぁ、怪我は治癒系魔法でどうにかなるけど体力までは回復しないのだろう…。
恐らく司教様云々も思い込みによるプラシーボ効果で自然治癒力が高まったのと症状自体重く無かったのが重なった事に尾鰭が付いて拡まったのだろう。
(…しかし、苦しんでる子供をほったらかして金の話か。ヤダヤダ…)
女将さんに宿泊の手続きをとって貰い、手渡された2階奥の部屋へと移動する。まずは……、
「何をゴソゴソと探し回ってるですヨ?」
額縁の後ろや花瓶敷の下、ベッドの裏など、真剣に調べ廻る姿はまるでゴキブリか泥棒……いや、息子の部屋からエロ本を探すの母親ようである。
「いや、旅先の宿舎といえば定番なんで…」
異世界の事情など知る由も無いアユミエルは怪訝な表情である。 こちらの世界では悪魔も幽霊も立派な種族であり、そもそも巫術や護符が存在するかどうか…。
アハハ…と頭を掻きながら誤魔化しながら空気を入れ換えようと窓際に立つと丁度子供が運び込まれた離れが下に見えた。
「発症から3日か…、一番キツイ状態だな…」
このまま司教とやらが到着するまで放置されたら最悪の事態を招くだろう。そう考えた聖呀はリュックの中から使えそうな物はないかと探ってみる。
「これだけ有れば何とかなりそうだな…」
選び出したのは…
“細長い白いシート”
“顆粒の入った青い袋”
“白いタブレットが入った小瓶”
そして、“紫色のクリームが入ったケース”だった。
足りない物は宿に借りるしか無いだろうと一階へと降りる。
「お取り込み中すみません、お湯を沸かしたいので道具を貸して頂けますか?」
「あ?…ああ、その扉の奥にあるから適当に持っていってくれ」
あの中年女性は傭兵達では飽き足らず宿側にまで文句を言い出したようだ。もう殆ど八つ当たりか難癖に近く、聖呀の方を見る余裕すら無い。
アユミエルのアドバイスにより、“鍋”と“鍋敷”と“結晶石”を火と水の二種類を持ち出した。
結晶石とはそれぞれの属性魔力を閉じ込めた透明な魔法石で火結晶は炎を出したり物を温めたり出来、水結晶は水を湧かせたり物を冷やす事が出来る。
持って行き先は当然、あの子供が眠る離れだ。
「……本当に放置してやがる」
聖呀の苛立ちはもっともだが、誰しも呪いなどに巻き込まれたくは無いから仕方が無い。音をたてないようにゆっくりと扉を開ける。
さっきより大分顔色が悪く、息も粗い。かなり汗をかいているので脱水症状も引き起こしかけており、準備してきて正解だった。