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ダ女神と悪執事の救世術  作者: 式神 影人
14/21

北との中継地《バトゥ村》

シマッタ…、ボケるの忘れてた。あと、胡散臭い方言は適当なので突っ込まないように



「寂しいな…」


 そう呟いたのは荒野を行く6人+1柱の内、黒一点の聖呀だった。何が寂しいかというと、岩や枯木しか無い風景も勿論だが、折角異世界を歩いているのだからBGMくらい鳴っても良いのではないかと思っていた訳だ。

 例えば“龍の冒険”的なのとか“最終の幻想”っぽいのとか。

 もっとも、元の世界で散歩していても鳴る事も無いが…。


 聴こえて来るのは足音と武器が鳴る音くらいで、あとは同行する傭兵ギルド【蒼天の嵐】の女性陣の内容の無い噂話で盛り上がっている声くらいだ。


「いきなり“寂しい”とか言われてもまだ、昼過ぎたばっかだしなぁ…」

「……そっちじゃ無いよ」


 こればかりはゲームをした事の無い彼女達には理解出来ない事だ。スマホでミュージックプレイヤーを起動させてもいいが問われたら説明が面倒臭い。それにそろそろ充電が必要な筈だ。


 改めて考えてみると元の世界が如何に音で溢れかえっていたかが理解出来る。田舎では静か過ぎて牛蛙や鈴虫の鳴き声でも安心出来る位だった。

 だが、ここはその蛙や虫のサイズが桁違いに大きい。万が一蝉でもいた日には騒音どころでは無いだろう。

 こっそりイヤフォンで聴く事も考えたが、リアル戦闘で自ら聴覚を遮断するなど自殺行為なのは容易に理解出来る。やはり地道に歩くしか無い訳だ。


 馬車でも有れば楽なんだろうな…とは思うものの手綱すら握った事が無いので無意味だろう。

 先程からブツブツと何が言いたいかというと、要は飽きた訳だ。


 元の世界で女性に良い印象の無い聖呀は女だらけのパーティー(しかも料理すら出来ない)に囲まれ、四方八方から姦しい声に晒されている。ストレスは溜まる一方だ。【神速】でおいてけぼりにしようかとも思ったが冒険者ギルドから外れるとアユミエルの尻拭いが立ち行か無くなる。

 いっその事、纏めてアイテム欄に放り込んでやろうかとも考えたが、アユミエルは女神だから可能なので、ただの人間は不可らしい。理由を聞くと、


「人間を収納出来たら世界から幼女が居なくなるのですヨ」


と返された。納得するしかなかった。


「…で、バトゥってどんな村なんだ?」

「基本的に農村だよ。野菜作りや酪農してる。まぁ北のフローザンとの中継点だから旅人相手の宿屋も結構ある。前は寄らなかったのか?」


 前とは例の不死の魔獣群討伐の事だが、あの時は【神速】使って走り抜けたので寄る必要が無かった。


「ちやみに黒い毛色の山羊を飼育していますわ。雌雄同体ですので一匹いれば自分で繁殖してくれるて初心者でも簡単ですわ」


(バトゥの黒い山羊……、両性具有…?)


 それは本当に山羊なのだろうか?もしかして山羊なのは肩から上と脚だけで身体は人間だったりしないのだろうか?村の女性は黒いローブを纏っただけで中は素っ裸とかじゃないだろうな……と思う。嫌な予感しかしない。


「あとはシュブニグ……」

「もういい、解ったから…」


 それはもう山羊の姿さえしてないだろ。しかもまた黒いのか…。寒冷地の近辺で保護色ですら無いとは…。

 聖呀は軽い目眩と頭痛がしてくるのだった。




「……見えてきた。あの村がバトゥ」


 割と高めな柵に囲まれている。境界線っていうより山羊が逃げ出さない為の囲いの中に人が住んでるイメージだ。少し濃いめの獣臭と乳製品の匂いが漂っている。


「やぁ、まんずよぐ来だなっス。何も無ぇだがゆっぐりしでけ」


 羊が歩いていた…、いや正確には羊の毛皮を被った狼の顔をした獣人が出迎えてくれた。信用して大丈夫なのだろうか…?

 基本的に村人は全て狼の獣人らしく、畜産を営んでいる者は大抵この服装だそうだ。理由は家畜達を脅えさせない為との事で納得出来たが、根本的に職業を間違えている気がしないでもない。

 村の敷地は広大で住人より家畜の方が多そうだ。町では無く、村なのは人口が少ない事と教会が無い為で、店らしい店も無い。

 宿は冒険者ギルドから派遣されている職員が運営しているとの事。依頼の受付などはしていないらしい。

 チェックインの手続きをしようと思ったが三人部屋が2部屋空いているだけだったのでフェリス達に譲った。フェリスとティコは同室でも良いと言ったが、他の三人が反対したのもあるが、何より聖呀自身が拒絶した。当然の配慮だと思ったのだが、何故か女性の誘いを断るなんて失礼だと全員に怒られた。理不尽にも程がある。


 別にテントもあるのでどうでもいいやと村を散策して廻る。あの不死の魔獣群の一件など関係無いかのように実に長閑な風景だ。

 山羊の額に上下の三角形が重なった模様やトサカが冠状の鶏に蛇の尻尾が生えている事さえ気にしなければ。


(本当に食べても大丈夫なのか?)


 拭いきれない不安は別の形で的中する事になる。

 


「野犬……ですか?」

「んだ…」


 最初に話をした狼の獣人のヨハン(この名前でも聖呀の不安が増す)によると最近になって夜な夜な野犬が現れ、家畜や畑を荒らしていき、被害も決して少なく無いとの事。宿屋を通じて冒険者ギルドに討伐依頼を出したくとも裕福では無い農村では費用を工面出来ないそうだ。

 脅える山羊は乳の出も悪くなる一方でホトホト困り果てているらしい。依頼が出せない以上、傭兵ギルドのパーティーも迂闊に手を出せない(報酬が無いので割に合わない)のだろう。

 実際に被害に遭った場所に連れていって貰うとかなり大きな足跡が残されていた。


「アタシらも聖呀の護衛を受けているからねぇ…」


 基本的に天災レベルの緊急を要する被害がでる恐れがある場合を除いて依頼を複数受ける事は出来ない。高めの柵は野犬対策でもあったみたいだ。


 フェリス達【蒼天の嵐】の返事にガックリと肩を落とすヨハン。依頼さ受げで無ぇフリーの傭兵パーティーさウロウロしでる方が稀だで仕方が無ぇだと乾いた笑顔を浮かべている。


 アユミエルに視線を向けると勢い良く顔を逸らして口笛を吹く振りをしているのでこのダ女神の失態の一環である確証は得た。

 ガックリと肩を落とした聖呀は溜め息を漏らすのだった。




 宿屋に部屋が無い以上、ギルドカードを提示する必要も無いので村長に話を聞いてみる事にした。


「おやおや、まんずこげな田舎さ良ぉ来んしゃったな。茶さ飲んでけろ」


 かなり歳老いた狼の獣人はヨゼフと名乗った。眉や髭も垂れ下がり、杖をついていた。


「嘘っ!?……かなりお強かったんですね」


 アナライズで観たヨゼフのレベルは驚きの高さだった。


「いんや、今じゃただの老いぼれだで」



 ――村を開墾始めた当初、僅か数十名でこの荒れ地を耕し、岩や枯木の根を掘り起こし、時折襲い来る野生の魔獣や山賊共を退けた。

 森から樹木を切り出し粗末な家を建て、井戸を掘った。

 痩せた土地に自分達の糞や枯れ葉で土壌改良をして厳しい条件でも育つ作物を植えた。

 不作の時もあった、豊作の時もあった。僅かに実った作物を狙う魔獣を倒し、衣服や道具を作った。

 絶望して村を出て行った者も居た、志半ばで逝った者は喜んで地に還った。新たな命も増えた。

 閑散期には町に出て傭兵など出稼ぎをして金銭を得た。

 畑が軌道に乗ると魔獣を飼い始め、その肉や加工品を作り、売る事にした。

 生きるのに必死だった、生き残るのに必至だった。

 この老人のレベルの高さはそのまま“生きる”という行為の難易度の高さそのものだった。


 聖呀はヨゼフの手を握っていた。シワだらけで冷たい、だが豆で硬くなった皮膚だった。どれだけ鍬や鋤や鎌、そして斧や剣を振るってきたのだろう。この手が、全身の疵痕が、決して老人の与太話で無い事を証明していた。


 無理が祟り、動けなくなった身体に血は多く流れない。流れない血は生きる為のエネルギーを運ばない。だからこんなにも冷たい手なのだ。

 聖呀はこの偉大なる戦士に敬意を評し、話の礼にとマッサージを申し出た。自分の熱がヨゼフの血に移るよう、血が活力を運ぶように…。

 最後に救急箱から温湿布を取り出すとその広い背中と腰に貼る。


「ああ…、暖げぇな。有難うな、旅の方」


 ヨゼフのシワだらけな顔が優しく微笑んでいた。



 その後、村人にも野犬の話を聞くとどうも北々東から現れるようだ。姿は見えないのが多くの村人が遠吠えを聴いているとの事。その夜、聖呀は村から離れた岩場の陰にテントを張り、待ち構える事にした。




 どれ位経っただろう。それまで夜の闇に溶けていく虫の音が止むと、遥か山の方から小さな赤い光が6ツと揺らめく灯が3ツ現れた。それは地面を小さく揺らして近付いてくる。


(……来たな)


 それは腐った肉のような生臭さを漂わせ、まさに“死”そのものの様に感じられた。


「おおっと!ここから先は通行止めだぜワン公!」


 手にした懐中電灯の光がその巨大な姿を浮かび上がらせる。突然の眩しい光に襲われたそれはダンッ!と後ろに跳び退き、白く鋭い牙を剥いた。その隙間から赤い炎を漏らし、ガルルル…と威嚇する。

 闇の様に黒い体毛、尻尾の蛇も大きく口を開け、今にも噛み付こうと構えている。そして何より特徴的なその三つ首が眼を細め、睨みつけている。


 地獄の番犬【ケルベロス】、それがバトゥの村を襲った野犬の正体だった。


 ババババとケルベロスを囲む様に松明が燈されると岩場の上から5つの人影が現れる。


「よぉ、聖呀。面白そうな事してんじゃ無ぇか、アタシらも交ぜろよ」

「姿が見えないと思ったら案の定ですわ」

「あのさ、コッチはテメェの護衛請け負ってんだ、勝手な事すんなよな」

「ご主人様、お手伝いします」

「……死ぬ気か?変態…」

 

 

 

 フェリス達【蒼天の嵐】だった。何とかと煙は高い所が好きというのはこの世界でも共通らしい。


「報酬は聖呀の作るご飯なのですヨ!」


 しまった…。馬鹿を放置した為に巻き込んだ…と聖呀は後悔した。てっきりアイテム欄で寝ていると思っていたのだ。


「しかし、流石にこう暗いと面倒ですわね…。ダリア!」

「……がってん承知の助。《静寂なる光よ、我が呼び掛けに応えて顕現せよ。そして爆ぜろ!ウィル・オ・ウィスプ!!》」


 ダリアが描き出した魔法陣からフヨフヨと幾つかの光球が現れた。それは頼りなげにケルベロスの頭上にまで浮かび上がり、パン!と弾けると辺りは増えた昼間のように明るくなった。


「……光の精霊。時間制限ある」


 ケルベロスが怯んだ隙に一斉に飛び掛かる、がその硬い体毛は刃を通さず、魔法も効果は薄かった。また、死角から攻めようとしても尻尾の蛇が襲って来るし、3つの頭が広範囲に炎を吐き、その牙を突き立てようとする。

 その太くて強靭な脚と爪も脅威だった。ただの蹴りでも一発喰らえば致命傷に成り兼ねないし、踏まれたら一溜まりもないだろう。そしてその巨体に似合わず、かなり敏捷なのだ。


「チッ…、厄介だねぇ」


 聖呀のサバイバルナイフですら体表を軽く切るだけで到底致命傷にはならない。対デカ物用のレーザーポインターもリュックの奥に仕舞った為、取り出す暇が無い。

 完全に詰んだかと思われた瞬間、何かが聖呀達の頭上を飛び越えていった。


「こんの、だらずがあああああ!」

〔ギャワンッ!?〕


 ケルベロスが初めて悲鳴をあげた。何事かと見上げると鼻っ面に拳を突き立てている銀色の髪が見えた。


「大丈夫だか?旅の方」


 見覚えの無い狼の獣人の青年、人間でいうなら20代後半だろうか?キリッとした切れ長の眼、隆々と盛り上がった筋肉、張りのある声。どうしても会った記憶が無い…。だがその青年の着ている服と身体中の疵痕には見覚えが有った。


「まさか……村長さん?」

「何を呆気てるだ?ワシに決まってるでねぇだか。いんや、あの膏薬さ良ぐ効くだな、まるで若返っだみでぇだ!」


 みたいじゃ無く、実際に若返ってます。しかもかなりイケメンです。


「ぺっこ待ってでけれ。こん悪タレさ、お仕置きすっでな」


 着地と同時に地面を蹴り、懐に飛び込むとその腹部に強烈な拳を叩き込んだ。


〔ガフッ!!〕


 何と!ケルベロスの巨体が浮かび上がり、“へ”の字に曲がる。

 腹這いになった背中に駆け上がると今度は真ん中の頭の額にパンチの連打を繰り出し、削岩機のような打撃音が辺りに響く。

 真ん中の頭が脳震盪を起こしたと同時に左の頭がヨゼフに噛み付きに掛かる……が、その横面に回し蹴りが炸裂し、ケルベロスは体勢を崩した。その一瞬を突き、尻尾の蛇が襲ってきたが、ガシッとその首を抱え込むとブンブンとその巨体を振り回し、岩山へと叩き付けた。ガラガラと崩れ落ちた岩がケルベロスに降り注ぐ。


「ハァ…やっぱ歳さ取りだぐ無ぇな…、若ぇ時の足元にも及ば無ぇだ…」


 ガックリと肩を落とすヨゼフに一同は頬を引き攣らせ、乾いた笑いを浮かべるしか無かった。


(…これで足元にも及ばないって)


 聖呀は【アナライズ】で観たレベルの意味を理解せざるをえなかった。


「……ッ!?村長、危ないッ!!」


 岩の下敷きになった筈のケルベロスがヨゼフに向かってその大きな顎を向けた。


「……グッ!?」


 油断した。3つの頭の内、真ん中と左側は戦闘不能になったが、まだ右側が残っていた。


「クッ…、こ…腰が……」


 長い犬歯を掴んで突っ支い棒の様に支えているが元々は老人だ、長くはもたないだろう。こうしている間にもいつ2つの頭が目覚めるかもしれない、決定的な何かが必要だ。聖呀は自分の記憶と所持品を探り、ある物を見付だした。


「村長オオオオオオオオッ!」


 体当たりをするようにヨゼフを突き飛ばすと擦れ違い様にケルベロスの口に昼のシチューの材料を投げ込んだ。


「「「「聖呀ーーッ!」」」」

「ご主人様ーーッ!!」


 口から泡を噴いて藻掻くケルベロスの傍から聖呀とヨゼフを抱え上げて走る【蒼天の嵐】メンバー。

 周りの岩山を砕いてのた打ち回るケルベロスは地響きを発てて倒れると暫く痙攣をして、やがて動かなくなった。




「やれやれ…助かっただ。有難な、嬢ちゃん達」

「間一髪でしたわね…」

「危なかったぜ〜。ところでお前、何やったんだ?」


 聖呀はアイテム欄からケルベロスの口に投げ入れたのと同じ物を取り出すとポンポンとお手玉のように放り上げた。


「……玉葱?」


 玉葱やチョコレートは少量でも犬に対して強力な毒となり、場合によっては死に至る場合もあるのだと説明する。ヨゼフが顔をしかめたのを見て一同は「成る程…」と納得したが、ある事に気付いてその人物に目をやった。


「………?」

 

 

 

 周りの人間が何故自分を見詰めているのかを説明しない方がいいだろう。

 影響が無いなら無いにこしたことは無いのだから。





 気が付けば東の空が明るくなり始めていた。


 蒼天の嵐メンバーはヨゼフを連れて先に、聖呀はテントを回収してから村へと帰る事にする。ただし、リンクスは聖呀の監視に残った。また勝手に行動されては困るからだ。


「なぁ、何でティコには影響が出なかったんだ?ケルベロスはぶっ倒れたし、村長さんも匂いだけで明白に顔をしかめていたのに」

「多分、遺伝子の配合の差だと思う。個人差もあるらしいけど」

「イデンシ……?何だソリャ」


 犬に玉葱は毒になる、これが前提として…。


・ケルベロスはほぼ完全に犬だから完全にアウト

・狼の獣人である村長のヨゼフさんはかなり犬っぽいからかなり危険、多分毒になる

・ティコは見た目犬よりかなり人間に近いからギリギリセーフ


って感じだろうと説明すると、何と無く理解したらしい。何故毒になるかまでは

知らないと告げた。


「ふ…ふ〜ん、だっ…だったらた…例えば、ネ…猫系にも在るのか?」


 猫系獣人の血を引くぞリンクスにとって少なからず気になる所だろう。答えはYES、同じく葱類とチョコレート。それにイカやタコの頭足類の軟体動物にアワビ。ただし加熱すれば大丈夫な物もある。

 リンクスは殆ど人間だから気にしなくていいと言ったら明白にホッとしていた。本当は個人によってはアレルギー性の場合もあるので油断は出来ないのだが。




 で、村へと到着した訳だが…。


「凄ぇ!マジ村長だか?」

「おンやまぁ、そっただ面だっただか!おったまげだ」


 村長の人気大爆発だった。その両腕には小さな子供が二人ずつぶら下がっている。


「ンだ。ごれで村さ、大丈夫だで」


 そうヨハンがホッと安堵した時、


「こンの、だらずがあああああああああッ!」


ドゴオオッ!


 衝撃波が散る程の頭突きを食らわした。


「……っ痛ぇ〜、何すっだ。こン爺ィ!?」

「何すっだで無ぇ!いづンまでこンの老いぼれに縋っ気だ?大概さっさど逝がせろや!」


 あまりの衝撃にへたり込んだヨハンの右肩に手を置き、赤くなった額を優しく撫でる。


「ワシらはこン土地さ耕すぃ、若葉さ芽吹がせだ。だが此処までだ。後はお前だぢが頼もしか大樹さ成っで、花さ咲がせで、めんこい実さ仰山結ばせんね」

「……爺ィ」


 大樹とは人間としては勿論、この村の事でもある。その真意は後続にも伝わったようだ。


「ああ、任せろ。フローザンどごろが王道より大きか樹にすでやっだ」

「調子こぐで無ぇ!」


 再び愛情のこもった打撃音が響くと辺りは暖かな笑顔に包まれ村人は無事を心から喜んだ。

 その夜、細やかな宴は大いに盛り上がる事となる。





―翌早朝―


 まだ陽も明けやらぬ薄明かりの村の出口。そこに一人の男が立っていた。肩には革袋が担がれていて地平線から顔を出したばかりの太陽はその広い背中に遮られていた。


「……行かれるんですね」


 そう声を掛けたのは黒髪の少年だった。


「ンだ。せっがぐ旅の方に動けるようにしで貰ったでな」


 この地に来てもうどれ位の星が廻っただろう。共に夢見た仲間が、頼もしき友が地に還り、愛する者も逝ってしまった。

 “最長老”“村長”と祭り上げられ、気付けば自分で動く事すら出来なくなっていた。役に立て無くなった狼は群を去る。その節理すら守れず生きながらえてしまった。だからこれが最後のチャンスなのだと…。

 実る事の無い老木はお天道様を遮り若木の成長を阻害するからと少し寂しそうに笑っていた。


「世界を見でみたぐなっだで…」


 全盛期には及ばぬものの、20分なら全力を出せる。そんな男としての本能が疼いてしまったのだ。少年の後ろに列ぶ少女達が小指を立ててからかうがヨゼフは豪快に笑い飛ばすのだった。


「確がに嬢ちゃん達はべっぴんさんだし、世界には仰山べっぴんな娘っ子も居るだろが…」


 左肩の袖から腕を抜き、こう言った。


「ワシにゃコイツが一番だで!」


 その上腕には“ナターシャ命”とタトゥーが刻まれていた。きっと遥か昔に亡くした奥さんの名前なのだろう。まだまだ尻の青いヒヨッコは羨ましげに頬を赤らめた。


「あんだ達はこの村の恩人だで、こン年寄りの力が必要ならいつでも呼んでくれんね」


 そう言って門に手を掛けた時、後ろから声がした。


「爺ィ、それじゃ先が短過ぎだべ。そっただケチ臭ぇ事言わんでオラ達にも任せろや」


 それは新村長のヨハンだった。昨日までは何処か頼りなく感じたが、今その面構えには覚悟が見て取れた。


「フン、尻の青か童子がこくでねが」


 その悪態は爽やかな笑顔から漏れたものだった。


「ンじゃな…」


 沈む夕日では無く、昇る朝日に向かって歩き出した偉大な先人、その意味を胸に刻んで聖呀達は逞しい背中を見送るのだった。

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