獣人
鞘を使ってほんの少しだけ箱の蓋を開ける。と、その瞬間に内側から大きくふたが開かれた。思わず緊張して息が止まる。
蓋を開けたのは小さな影。亮の腰ぐらいの高さでしかない。ぼさぼさの髪の毛は赤く、手足は傷だらけでとても細い。服も今の亮と同じような、袋に穴をあけた程度のみすぼらしいモノ。目を一杯に開いてガタガタと震えている。頬はやせ血の気の引いた青い顔。完全に怯えてしまっているようだ。今箱を飛び出したのも、恐怖のあまり我を忘れた結果だろう。
「子供!? 大丈夫かい? 怪我はなぅわっ!?」
声をかけた途端に抱き着かれる。そのまま大きな声でワァワァと泣き出してしまった。この惨状の中、ただ一人生き残っていればそれも仕方ない。むしろ奇跡的に生き残ったともいえる。亮には子供などもちろんいないが、親戚の子供相手で扱いは慣れている方だ。邪魔をしないように屈んで背中や頭を優しくなでる。この状態の子供に言葉は要らない。ただ思い切り泣かせる方がいいことを知っているのだ。
『主、この子は』
(ラナ、話は後。君にはやってもらいたいことがある)
『・・承知しました』
亮の思念を受け、ラナがそっと離れる。その後少しして落ち着いたのか疲れたのか、子供は抱き着いたまま寝入ってしまった。その手は亮の服を握りしめて離そうとしない。無理やり剥がそうとすればこの子が起きてしまいそうだったので、そのままにしてゆっくりと抱え上げる。その時に気付いたのはその軽さ。先程は細いという感覚でしかなかったが、それどころの話ではない。手足は骨と皮しかないのではないかと疑うほどであり、胸にはあばらが浮き出ている。
倉庫の壁を乗り越え、集落から離れた。こんな子供に集落の惨状を見せる必要はない。そしてこの子以外の生存者は恐らくいないだろうと判断したのだ。
眠ったままの子供の頭をなでながら一時間ほど経っただろうか。ラナから準備が終わったという連絡を受け、すぐ近くに戻ってもらう。服を握る手も弱くなったので彼女に子供を頼み、彼は集落に戻る。彼なりのケジメを付けるためである。
頼んだ通り、ある程度形の残る遺体は家屋の廃材と共に山と積まれている。直接見てしまっては吐き気を催しそうなそれに耐えかねて目をつむる。
(僕の力がラナの言う通りなら、できるはず。天へ渦巻く風、骨をも燃やす高温の炎)
自分の中にある「何か」が抜ける感覚。肉体を強化した時には感じなかったそれを確かに感じた。おそらくはそれが魔力で、今から発動する魔法は肉体強化とは比べ物にならない量を消費するのだろう。
亮は火葬を行うつもりなのだ。見るからに洋風のファンタジー世界で火葬もどうかとは考えた。しかし、埋葬では魔法を使ったとしても手間がかかりすぎる。何より急な事で棺も用意できるはずがない。棺もない状態の遺体を穴に入れるという事は、どうしても捨てるイメージに繋がる。彼にはできなかったのだ。
(こんなやり方では納得できないでしょうが、どうか心安らかに)
日本式に手を合わせるのも何か違う気がして、彼は黙祷する。風に煽られた炎はバチバチと音を立てて燃え上がる。熱を感じ数歩下がった。やがて音と熱が小さくなると、彼は目を開ける。燃える物がほとんどなくなったそこは真っ白である。その真っ白な灰も風に煽られて、赤くなり始めた天へと上っていく。彼はもう一度短い黙祷をささげて、その場を去った。
亮の姿を見た途端、飛び込んでくる小さな影。もちろん、あの子供である。眠りから覚めると見知らぬ女性が近くに居ればそれも当然かもしれない。
「大丈夫だから、ね。安心して。あのお姉ちゃんも僕の仲間さ」
軽く頭をなでながら言うが、子供はイヤイヤと首を横に振るだけだ。よほど驚き不安になったのだろう。少し配慮が足りなかったか、と反省し頬をかく。
「主、おかえりなさいませ。御用は済みましたか?」
「ただいま、ラナ。こっちは問題なく、ね」
一つ頷いたラナは念を使った話を亮に送ってくる。少し考えてそれに許可した彼は、やはり子供の頭をなでながら自分にできる事を始めるのだった。
* * * * * *
目が覚めた時にいた女の人はどこかに出掛けていく。目を開いた時に心配そうな顔で私をなで続けてくれてたのに、私は驚いて思わず手を払ってしまった。人間はやっぱり怖い。でも少し落ち着いた今、私はあの人に悪いことをしたかなと思う。
「さて。それじゃラナが、あの女の人戻ってくるまでに火の準備をしよう。手伝ってくれるかい?」
私にとって怖くない男の人はそう言って笑ってくれる。なぜかその笑顔で安心できる。その言葉は強制でもなんでもないのに、私は素直に頷いていた。そしてそんな自分にびっくりする。なでられていた手が離れて、私は急に不安になった。けど、その人は近くに居る。大丈夫。
私は牛の獣人。世界から嫌われている、半獣半人の化け物。少なくとも、今まではそう呼ばれていた。私が物心ついたときからそうだった。だからそれに理由も、そして疑問も感じなかった。殴られ、傷つけられてもそれが生まれつきのものであるから仕方ないとしか思えなかった。
でも、この人は違う。私が獣人なのだと気づいているのかいないのか。わからないけどさっきの言葉の通りに手伝うことにする。この後の反応でわかる。私が獣人だと知っていればよほどうまくやっても罵られる。手早くできないのは当然だから。でも
「ありがとう。これぐらいで十分だよ」
この人はお礼を言ってくれた!? 身体が弱っているのか緊張しているのか、うまく動かない体で手伝ったのに遅くなったことを気にする様子もない。むしろ気遣ってくれているのかもしれない。そして私はお礼を言われて嬉しくなった。顔が赤くなってうつむいてしまう。そんな反応をする自分自身に内心びっくりしている。
手早く枯葉や枝を山にする。男の人の手のひらから火の玉が生まれ、火が移される。パチパチと勢いよく燃え出す焚き火に、太めの枝を足していく。あっという間に焚き火は大きくなった。私は驚きっぱなしだ。この人は火の玉をごく普通に生み出した。まるで話に聞く魔法だ。でも今は関係ない。焚き火は焚き火。ゆっくり熱が私の方にも伝わってくる。
「君は、普通の人間じゃないのかい?」
ピシリと音を立てて空気が固まったかのように感じた。体は思う通りに動かないのに震えてくる。伝わってきた熱は急激に冷めた。やっぱりこの人は獣人だとわからなかっただけなんだ。知った以上は他の人と同じなんだ。そう、絶望してしまう。一旦暖かさに触れたからか、その絶望はより深くまで私を蝕んでいく。
「あ、いや!気にしてたらごめん! その角や耳を初めて見たから。言いたくなかったらそれでいいんだ。ごめんね」
そんな私に気付いたのか謝られた。謝られる? これまでだったら私の方が謝るのに。しかもこの人は今「初めて見た」と言っていた。あり得ない。獣人は人間より数は少ないとはいえそれなりにはいる。おかしい。頭が混乱してくる。
「私の、獣人の事を知らないの?」
私に出来たのはそう尋ねてみることだけだった。それに対する答えはあっけないもの。
「そうか。そう言われてみれば確かに君は牛の獣人、だね。知らなかった。初めて見たよ。」
あまりにあっけない返答で、むしろ私が拍子抜けしてしまう。でも一つ分かった。本当にこの人は獣人を初めて見たということ。
「獣人は人間達からの嫌われ者。大抵の人間が嫌ってる」
「それに、何か理由があるのかい?」
不思議な事を訊く。また混乱してくるけど、私の知ってる通りに伝える。
「わからない。なんだか人間の神様がどうとか言ってるけど、興味なかったから」
それを聞くと怒ったような難しい顔をして黙り込んでしまった。何を考えているんだろう。黙ったままだと不安になってくる。私はまた元の生活に戻されるんじゃないか、そんな嫌な方向に想像が膨らんでしまう。
「あなたは嫌わないの? あなたは人間、私は獣人なのに」
その不安を拭うために私は声をかける。嫌うのは当然じゃないか、と心の中の私が叫ぶ。この人も同じだ、と。でも否定してほしい、この人なら否定してくれるはずだと期待する私も確かにいた。
「いや、嫌う理由がないね。それとも君は嫌われるような悪い子なのかい?」
そんなことはない。ないはずだ。私は何もしていない。他人の迷惑になるようなことは。私は大きく首を横に振る。それと同時に安堵した。この人は私が思った通りの人だった、と。
「うん、だったらそれでいいんじゃないかな。人間にだって良い奴も悪い奴もいるんだから」
「その通りですね、主。そして獣人の子よ、安心なさい。主はこの世界の人間たちが信奉している神には興味がありませんから」
ガサリと音がしてさっきの女の人が戻ってきた。その様子からすると私たちの話も少しは聞いていたみたい。
「あの、あなたはどうなの?」
「私は主の所持品であり、従者です。主の命がない限り、または危害が加えられたりしない限り差別などしませんよ」
すごい割り切り方。少しびっくりした。
「主、廃墟を回りある程度の物品を拝借してきました。今日はこれで夕食としましょう。また主やこの子の服も調達しています。少なくとも人前に出てもおかしくはない恰好ができるでしょう」
「わかった。なら食事の準備を頼むよ。僕は着替えてくるから。さすがにこれじゃ、ね」
集落って私が居た場所? あの場所の人間には良い思いなんて全然ないし、拝借された物品にしても何も思わなかった。むしろ当然だという、暗いながらも愉快な気分になってくる。
「獣人の子よ、あまり暗い考えは主が望みませんよ。どんな者に対してもその死を悼み、冥府へ送り届けようとするほどなのですから。これらの物品も必要最小限にと念を押されています」
表情に出ていたみたい。鋭い目で女の人に睨まれてしまった。でも死を悼むということは他は全員死んでしまったのだろうか。わからない。けどやっぱり今は気にならない。
そんなことを考えている間に女の人はささっと準備を済ませ、すでに鍋に水を沸かしている。ざく切りにした野菜に少しの干し肉を入れ、灰汁をとりながらゆでている。それを見ているだけで私のおなかがクゥとなってしまう。そう言えば今日は何も食べてなかったっけ。
「はは。僕の方まで聞こえてきたよ。遠慮しないでおなか一杯食べるといいよ」
着替えが終わったらしい男の人が笑っている。私は真っ赤になって、思わず男の人の背中を叩いた。弱っている私の腕じゃ大した痛みもないだろうけど、それでも叩かずにはいられない。
「主、さすがに今のはデリカシーがないかと存じます」
「ん、あぁそうか。ごめんね」
私は真っ赤になって、それでも空腹は抑えきれずに渡された器に入っている料理を食べ始める。一度食べ始めたらその後は恥ずかしさなどなくなった。あまり好きではないお肉は避けながら、二人が驚くようなペースで食べる。もちろんおかわりもした。体の中が温かくなって、暴力を振るわれないことに安心して、私は眠くなる。器を持ったままじゃ危ないのに、頭が船を漕ぐのを抑えきれない。
ふと気が付くと私は横になっていて、毛布代わりの外套に包まれていた。鍋は空になり、焚き火も小さくなっている。後ろにはあの男の人。自分も寝入りながらポンポンと優しく私の頭をなでている。魔物もいるかもしれないこの場所で危ないとは思うけど、私自身も眠気には勝てなかった。そしてゆっくりと目を瞑る。
今度の眠りは深かった。
さいごまでお付き合いいただきありがとうございます。
誤字脱字、感想などもよろしくお願いします
H27.11/21 加筆修正いたしました。