廃墟
目の前にいたのは絶世の美女。先程の違和感はどうやら今まで思念として受け取っていた声を、はっきりと耳で感じ取れたことによるのだろう。しかしなぜこんな場所に美女がいるのか、皆目見当もつかない。
「主、大丈夫ですか? どこか痛むところでも?」
「い、いや。大丈夫、です。ところであなたは?」
「異なことを仰せですね。私は主に銘を頂いたラナブラック。もうお忘れですか?」
ラナブラックであれば忘れるはずもない。が、さも当然のように告げる目の前の女性が剣であるなどと言って誰が信じるだろうか。
「ラナブラック、君は人型に姿を変えられるんだね」
「はい、我が主。私自身の意志はもちろん、主の都合で姿を戻すことも可能です。ただ、今のままでは人目につくことはできませんね。鞘に納めて頂けるようお願いします」
そう。その女性は全裸であったのだ。同じく全裸の亮もいるのだが、男の裸を見て喜ぶものはあまりいないだろう。その点、剣が擬人化した女性は完璧なまでのプロポーションだった。
身長百七十程の亮よりは少し低いくらい。くびれた腰に程よい大きさの乳房、大きすぎないお尻。透けるような白い肌に、すらりと伸びる手足。十人中九人の男性は見とれてしまうだろう。腰まで伸びる銀髪は動きやすいように後ろで三つ編みでまとめられ、前髪は眉の上できっちりと切りそろえられている。
「さすがに、そうマジマジと見つめられては照れてしまいますよ主」
「あ! あぁ、ごめん! 鞘だったね!」
慌てて地に置いていた鞘を取りに行く亮。裸体から目をそらす為でもあったのは間違いない。手探りで鞘を手に取り、視線を前にしないようにして渡す。ラナブラックは剣の姿に戻らず受け取ると、一瞬にして衣服を身に着けた。もちろん、その手に既に鞘はない。
銀のラインが複雑に絡み合った模様のズボン。無駄な装飾を一切省いた実用的な長袖のシャツ。防寒具であると同時に防具であるだろう革のベスト。手袋から靴に至るまで基調の色はすべて黒。その中でチョーカーに付けられた紅い宝玉が目立つ。
「なるほど。鞘の模様を反映してるんだね。その姿なら町中でも安心だ」
「その通りです主。しかしまずは主の身を清めましょう。泉の水ならば飲用も出来ます」
言われて自分の体の状態を認識する。吐しゃ物やキマイラの血が付き、とても人前には出られない姿である。もちろん全裸であることもあるが、むしろ全裸だったからこそ簡単に処理ができると考え直す。
汚れを落とし荒れた喉を潤す。ついでとばかりに全身を洗う。水は少し冷たかったが、返って気分もさっぱりした。少し前に見たラナブラックの裸体の事も、汗と一緒に流し落とした気分である。もちろん、体が反応しないよう彼女には剣に戻ってもらっている。
(ラナブラック、僕はこれからどうすべきかな? 今のところ全く指針がないんだ)
『はい。主も仰っていましたがまずは町中、集落を目指すべきですね。服を用意するのはもちろんですが、食事や宿泊なども人里ならば比較的安全です』
確かに、と頷く亮。だがそれには必要不可欠なものが欠けている。その事を尋ねようとしたがまだ話は続くようだ。
『金銭に関しては問題ありません。キマイラの核があるはずです』
言われて初めてキマイラが倒れた場所に目を向けた。白い灰は完全に散らばり、何も残っていないはずだった。が。
(これが、キマイラの核?)
草むらの陰にキラリと光る紅い石。否、石のような物。直径五センチ程の球体で色は血のように深い紅。キマイラの心臓にも似た物質であるせいか、ごくわずかに脈動しているような気がしてくるから不思議なものである。
『核を冒険者ギルドに持ち込めば、ある程度の金銭にはなるはずです。一番近い人里にはギルドの支部はありませんが、その集落から続く道にはギルドの支部はいくらでもあります』
(どちらにしろ服は必要になるわけだね。その時は君にお願いするしかないか)
お任せください、と返事が返ってくる。体が隠れる程度の服があれば仕立て直すことができると言っていたが、剣が人型になったとしても針を片手に作業する姿は想像できない。要らない考えに頭を使ってしまったが、指針が決まったなら次は行動である。
(じゃあラナブラ・・いや、ラナ。その最寄りの人里まで案内してほしい。どれぐらいある?)
ラナブラックが擬人化した姿が女性であったせいか、呼び名もそれらしくしてみた。覚えやすく言いやすい。それに対して剣は身じろぎするように一度震えただけ。異論もないようなのでこのままでいいのだろう。
『っ!? こ、ここからですと南に直線距離で30キロ程。主ならば30分ほどで到達できるでしょう』
いやいや、とばかりに思わず頭を振る。自動車もないこの世界で、直線距離30キロを30分など到底無理である。直線距離ということは障害物も考慮していないということだろう。川や山で迂回することを考えれば、例え自動車があったとしてもそんな時間では到着できるはずがない。
ではどうするのか。いろいろ考えるが思い当たらない。
(君が言うからには魔法なんだろうけど、ちょっとイメージができないな。空を飛ぶのも瞬間移動も)
『なるほど。主が言うのならそうなのでしょう。主の仰る瞬間移動も、見通しの効かないこの場所ではやめておいた方が無難です』
古くからあるダンジョン攻略型のゲームで、違う階層に魔法でワープする時にはその先に本当に何もないか確認する必要があった。いきなり水に落ちて溺死などはいい方だ。下手をすれば壁の中にワープしてしまい、そのままゲームオーバーになりうる可能性さえあったのだから。
流石にそんな事態はご免こうむりたい。ラナブラックの助言に素直に頷いた。そして再び考え込む。空を飛ぶのも瞬間移動もイメージができない。ならば地面を進むしかないのだが、歩いたり走ったりでは時間がかかるだろう。そうなると
(自分の体を強化して突っ走るしかない、か)
『はい。それはそのまま戦闘にも流用が可能ですので、一度は経験された方がよろしいかと』
魔法で強化できる幅は元の肉体の筋力に比例するとも言われたため、これからは筋トレを始めようと考える。そこまで考えて、ふと疑問がわいた。
(ところでラナ。さっき君は、この世界で大魔導師と呼ばれる者が持っている百倍の魔力を僕が持っていると言っていたよね? ごく普通の人と比べたらどれぐらいになるの?)
回答によっては魔法を使う際には残量に気を配るべきだろう。
『はい。一般に言われる魔法を使える者、魔導師を1とします。熟練した魔導師ならば10、才能があったとしても20。天才と呼ばれる者の場合は50がいいところです。大魔導師と呼ばれる伝説級を100としました。ですので、主は普通の魔導師の一万倍はあるということですね』
(それは、まさしくチートだね)
意図的なものすら感じてしまう。もちろんそうでなければなんの力も持たない一般人が、剣と魔法のファンタジーで生活などできないのだろうが。科学的な考え方や創作物から得られた想像力と膨大な魔力があれば、この世界で生活することは容易だろう。それこそラナブラックが言った通り『覇を約束する』こともできる。今のところ、亮にその予定はないが。
先の事は措き、今は自分の体を強化することを考える。ただ足腰を強くするだけではおそらく駄目だろう。心肺機能を高めなければすぐに息切れし、動体視力を高めなければ何も見えない。自分を覆う目に見えない障壁も必要だ。単なる砂埃でも加速した状態で当たれば怪我や失明の恐れがある。つまりは内臓を含めほとんど全身を強化することになる。
思いつく限りの想像を働かせ、それを魔法として自分の身体に表していく。いきなり筋肉が発達するようなことはなかったが、どことない違和感はやはり感じてしまった。
(これが魔法、か)
『はい。今回は初めての魔法ということで複雑な手順で行いましたが、今後はこの魔法の効果を念じて頂ければ私が補助いたします。効果を即発揮できるようになるでしょう』
剣に魔法を登録するという感覚だろう。もちろん、便利なことこの上ない。魔法を作成開発、登録する作業も筋トレに併せて行うべきだ。亮はそう心に決めて駆け出した。
足元の土がめり込んだ。一歩一歩に進む距離が驚くほど多い。一気に後ろに流れていく景色に恐怖を感じるほど。すぐに泉から離れ森の中へ。木々を避け岩を回り込む。裸足の亮が思い切り踏めば間違いなく怪我を負うだろう尖った石も逆に踏み砕く勢いである。
その五分後、彼は地面に倒れ伏していた。
理屈は難しくない。内臓を含め肉体機能を強化して動かす。息切れは確かにしない。が、強化する前と比べると大量のエネルギーを消費することになる。当然そうなればエネルギー切れも早い。要するに空腹で動けなくなってしまったのだ。キマイラとの戦いの後、胃の内容物を吐き出してしまったのも大きい。人間である以上生理的な現象で、これは仕方がないと言える。
(さすがにこればっかりは予想もできなかったな。次のいい経験になった、としておこう)
見かねたラナブラックが人型をとり、毒のない食べられる木の実や果物を集めてくれた。それらを頬張ることで飢えをしのいだ亮は、改めて魔法を構成しなおす。強化そのものは問題なかったのであるから、体力の代わりに魔力を消費するようにすればいい話である。念のために十分ほどの休憩をとり、再び走り出した。
三十分後、ラナブラックの言った通り集落に到着していた。正しくは「集落」であった場所である。
風下であったせいか異臭がしていたのは、少し前からわかっていた。全身を強化していたために嗅覚も強化されていたのだろう。焦げや血、加えて糞便。それらが混ざりあって鼻が曲がりそうな悪臭に変わっている。
近くまで寄ってわかったが、もはや動くものはいない。集落の主な家屋は木造なのだが、その殆どは破壊され焼け落ちている。辛うじて残っている壁にも鋭い爪痕が残っている。畑も柵も何もかもが破壊され、無事なものはない。
「うっ! これは酷い、ね」
『破壊からあまり時間が経っていないように思います。もしかするとあのキマイラの仕業だったのかもしれませんね』
建物がこれだけ破壊されて人間だけが無事なはずはない。背中に傷のある者、焼け焦げた人型、頭の無い者、下半身の無い者。何も持たないもの、剣や弓を持つ者、杖らしい物を持つ者。老若男女問わず息をしている者はいない。
すぐにでも逃げたくなる足と二度目の吐き気をこらえつつ、廃墟になってしまった集落を探索する。音のない静かすぎる場所。自分の足音と風だけが聞こえるのは不気味なものだ。まだ破壊の実行者が居ることも想定して、剣に手をかけゆっくりと歩いている。周囲を警戒しながら進むのはやはり神経を使う。
ガタンッ!!
大きな音がして思わずその方向を見やる。そこには他と比べても小さな建物があった。警戒しながら近づくとそこはどうやら倉庫のようだ。亮からみて全面である壁には扉が付いていたようだが、屋根ともども吹き飛ばされている。その壊された戸から中を伺う。棚や箱がいくつかあり、農具が壁に立てかけられている。
そこまで近付けば音の原因はわかった。立て掛けられていた鍬が倒れただけのようだ。しかしそれほどの強い風は吹いていない。不思議に思って壁を乗り越えた。少し様子を伺うがそれ以上の音はしない。倉庫の中には穀物を入れる大きな袋があり、それを一枚もらうことにした。袋の閉じている方の両角と真ん中に穴をあける。袋を逆さまにしてその穴に腕と頭を通し、膝まである袋の腰の辺りを紐で結べば服に見えないこともない。下着がないのでチクチクとするが、背に腹は代えられないだろう。
『主、気を付けてください。その箱の中に何かが潜んでいるようです』
(箱の中?)
そうと知って注目すると極々わずかながらカタカタと箱が震えている気がする。となると、先ほどの鍬も箱の振動によって床に倒れたのかもしれない。一気に緊張感が高まる。危機を逃れた住民か、それとも破壊の実行者か。
万が一に備えて剣を抜き、鞘で慎重に箱を開ける。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
誤字脱字、感想などよろしくお願いします。
H27.11/21 加筆修正いたしました。