第5話 角
金髪に翠眼の少女がいた。14、5才くらいか。
少女の前には頭に角を生やした大きな狼のような獣が、今にも彼女に襲いかからんとしている。
なんという美少女っ。
これは第一ヒロイン発見か!
なんて思考は浮かば無い。
そんな元気は無い。
俺が思ったのは、やっぱり異世界なんだ、魔物がいるんだ、だった。
「ガアルルルルッッ!」
角のある恐ろしい獣が吼えた。
口に並んだ牙が凶悪だ。
あのモンスターの名前とかHPとかはでるのか?
念じてみる。
はいはい。出ないね。
都合よくレベルが表示されることもなかった。
少女は後ずさり、そして地面に倒れた。
その次の行動は、どうしてそんなことをしたのか俺自身も謎だ。
自分の病状を知ったばかりで混乱してた。
死への恐怖や、なぜ異世界にきたのか、もっと大事に一所懸命生きればよかったという後悔とか、諦めとか死にたくないといういろんな思いが渦巻いていた。
ただ、はっきり感じていたのは何かへの理不尽さだ。
どうして自分は死ぬんだ。
こんな異世界で。
整理の付かない心の中に怒りが湧き上がっていた。
そして俺の思考は跳躍した。
どうせ死ぬなら、やってやる。
今まで生きてきて無論そんなことはしたことがない。
それでも俺は、あっさりと命がけの戦闘へ踏み込んだ。
「ああああぁっ!」
叫び声を上げて突進すると棍棒で魔物を殴りつける。
腕に伝わってくる感触は鈍く硬かった。
「ガフッ」
魔物が吼える。
そこからは無我夢中だった。
ぎらぎらと恐ろしい魔物の目。
棒を振り回し、蹴った。
魔物の突進を身を投げるように角をよける。
起き上がって棒を振り回す。
心臓がどくどくと鳴っている。
魔物の鋭い爪がかすり皮膚が裂けて血が流れる。
「ぐっ」
角があたると肉が裂けた。
狂ったように棍棒を振り回す。
生物を殴る感触。
体を裂かれる痛み。
それでも、俺は激しい高揚感に包まれていた。
魔物という死を前にして、病んだ体を駆け巡る血が、俺に生きているということを感じさせている。
俺は人生で始めての死闘の中に生きていた。
しかし、俺は戦闘の訓練などまったくしたことがない。
それに元々の疲労に加えて出血だ。
呼吸も苦しくなっている。
――やばいっ
叩き付けた棍棒を魔物は角で受けた。
木が折れる。
半分くらいの長さになってしまった。
拙いと思った瞬間。
魔物が突進してきていた。
「がはっっ」」
俺は吹っ飛ばされて地面に転がった。
距離を取った魔物がゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「グガァラァラァァァァ」
大きく開けた口に鋭い牙が並んでいた。
俺は上手く立ち上がれずに座ったまま後ずさった。
「うあっ」
その時、振り回した腕が魔物の鼻を捕らえた。
魔物が一瞬怯んだ。
そうだ、急所だ。
テレビか漫画で見た。
もし犬や狼と同じならば。
急所は鼻と。
もう一箇所ーー
魔物が再び大口を開けて再び攻撃をしかけてくる。
――口の中だ。
「うぁぁぁぁぁっ」
俺はその口の中に折れて先の尖った棍棒を腕ごと突っ込んだ。
ぞぶりと肉を突き刺す感覚。
そして腕に走る激痛。
牙が腕に食い込んでいた。
圧し掛かられた姿勢で、俺の腕は半ばまで魔物の口の中だ。
魔物は口から血を飛ばし、酷く暴れる。
「わぁぁぁっ」
俺は突き刺した得物を離さない。さらに押し込もうとした。
痛い。
魔物が俺の体に爪をかけて、腕を食いちぎろうとしている。
筋肉を裂かれて力が抜けていく。
喉に刺さした切っ先は、この魔物の致命傷となるのかわからない。
腕を噛み切られれば出血多量で、いや、その前に喉を噛み切られて死ぬだろう。
さっきまで死を覚悟していてた。
それでも燃え上がるような意志があった。
この女の子を助けて死ぬこと。
そのためにはどうしたらいい?
そのためにはこいつを殺さなければいけない。
だから、もっと喉の奥へ刺すんだ。
だが、これ以上は喉の奥を刺せない。
力が足りない。
魔物が前に出てくるから刺せたのだ。
だめなのか……
恐ろしい目が自分を見ている。
自分の血と魔物の血が飛沫となって顔に飛び散る。
食い殺そうとしている魔物の目、そして角が見えた。
ああ――そうか。
「いいところに付いてるじゃねえか!」
血まみれで俺は笑いながら、左腕をその角にかける。
異世界の魔物だという証であるその角を力の支点に、左腕で角をがっちりと巻き込むようにして、喉の奥へ得物を押し込んだ。
「おおおおおぁぁぁぁぁ」
叫び声を上げていた。
魔物が暴れる。
ばしゃばしゃと血が降り注ぐ。
噛まれている腕に伝わる魔物の体内の蠢動。
わかっているのは振りほどかれたら死ぬということ。
どうせ死ぬこと。
それならこいつが死ぬまで絶対に力を緩めない。
どのくらいそうしていただろう。
不意に魔物の体がびくびくと震えた。
血走っていた目が、俺を食い殺そうとしてた恐ろしい目の光が鈍くなっていく。
体ごと地面に倒れこんだ。
ごぼごぼと血の泡をこぼしながらだらんと口が開いた。
そいつはもう動かなかった。
腕を引き抜く。
ズタボロで血まみれだ。
他に負った傷もある。
出血と怪我でかなりの重症だ。
「うぉぉぉぉぉ」
それでも俺は雄たけびを上げた。
叫んで地面に転がった俺を少女が覗き込んでいた。
大きなエメラルドのような瞳からぼろぼろと涙がこぼれている。
俺の傷に手を当てて血を塞ごうとしている。
もちろんそんなくらいではもう間に合いそうにも無い。
「もう大丈夫だ……」
言葉は通じているのかな。
力が抜けていくが、左手をぬぐうとなんとかそれをつかみ出した。
「これで涙をふきなよ」
らしくないかっこいい死に方だな。
このハンカチもやっと役にたった。
そう思いながら俺の意識は遠くなった。
次回 第6話 おお、いきなり死んでしまうとは情け無い?
7月23日12時頃 更新予定