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エピソード:その日の帰り道

 空には星。背中側から聞こえる足音が遠ざかる。髪の毛についた芝生。軽く頭を振る。微かに残る花の香り。カラリとした心地良い風。視界の右端に精霊が二人舞っている。俺は歩く。右足を踏み出し、次に左足を地面から上げ少し前方に下ろす。変わらずに、精霊たちはついてきた。


 自分が覚えている一番古い記憶にも、精霊たちが登場してくる。それが、”普通”ではないことを知ったのは小学校にあがってすぐの頃だっただろうか。どんなに神様にお願いをしようとも、両親に当たり散らそうとも、自分の意志に関係無く見えていたし、一つ学年が上がった頃には自分が"普通"でいる為に見えない振りをすることを覚えた。

 学校、教室、小さな世界から孤立したくは無かったけれど、更に一つ学年が上がる頃には、それすらも無駄な努力なんだと気付いてしまった。見えてしまうものは、見えてしまうし、それを認識してしまった時点で、向こうもこちらに干渉をしてくるのだ。それが、世界の真理であって、自然の摂理だと両親に教えられた。人間も、自然の中の一つのパーツでしか無いらしい。幼かったあの頃の自分には、理解することは難しかったけれど、今なら答案用紙に定められた答えを書き込んでいくかのように容易だ。


「世界の公式……」


 魔法使いであった両親は、そう呼んでいた。

そういう構造で、そうでしか答えが導き出されなくて、そこに理屈など存在しない。もう、”そういうもの”と頭に叩きこむしかない。

 世界には精霊と人間がいて、精霊と交流が持てる人間を魔法使いと呼び区別してきた延長線上に、気付いたら立たされていた。この線の上から離れることは出来ない。拒絶しようが、逃避しようが、間違いなく俺は魔法使いの血を引いているので、その現実からを受け入れるしか無かった。ちなみに、魔法使いというのは遺伝するらしい。劣性遺伝子だったら良かったのに。でも、まあ、そうしたらとうの昔に魔法使いなんて人種は滅んでしまっているのかもしれない。


 「あーぁ」と口の中で不満を漏らす。歩きながら、片腕を伸ばし、軽く息を吸い、小さく口を開く。一緒についてきていた風の精霊が気配に気付き、俺の腕に絡みつくように周囲に集まり始める。細い腕を俺と同じように前方に伸ばし、楽しそうに騒ぎ出す。

 こいつら風の精霊は、楽しかったらなんでも良い傾向がある。だから、たぶん、俺と相性が良くて、よく近くにいるのだと思う。

 伸ばした腕を勢いよく真上に振り上げ、そして、強く、念じる。


――翔べ!


 遠くでゴゴゴッと空気の震える音がしたかと思うと、周りの木々がざわめき出したそのすぐ後に、後方から突風が駆け抜ける。俺は軽くジャンプをして、その風に体を預ける。


――公式だとかなんだとか、難しいことはよく分からねー!


 吹き抜けた風は治まり、数分前と変わらない穏やかな夜がそこにあった。ただ、自らの跳躍だけでは届かない高さの宙に浮かび、俺は空中散歩をしている。周囲には先程よりもテンションの上がった様子の風の精霊たちがお互いに手をつなぎながらくるくると飛んでいた。それを横目に、両手で何かを包み込むような形を作る。


――光よ


 そう念じると手の中に小さな光が灯る。それは次第に膨らみ始め、掌から泉のように溢れだし俺の腕をつたい落ちていく。と思うと、次の瞬間には勢い良く噴出し始め、その光の洪水に頭から飲み込まれる。けれど、息苦しさはない。これは、光。光の魔法。

 頭の天辺から足の爪先まで光に飲み込まれ、やがて掌から湧き出していたものがおさまりはじめる。こうやって光を屈折させて、周囲から見えないようにしてもらう。いわば、光学迷彩。

 風の精霊と光の精霊の力を借りて、俺は時々空中遊泳を楽しんでいるというわけ。

 反射的に瞑っていた目をゆっくりと開くと目の前には、俺と同じように宙に浮かぶ人がいた。風が吹いているはずなのに、白く光り輝く銀髪や、銀糸で織ったような重さを全く感じさせない衣服が靡くことはない。この精霊もまた光だからだ。

 背丈は俺より少しあるだろうか。どいつもこいつも俺よりデカイというのは何事だ。頭髪、睫毛、皮膚、そして衣服も白いというよりは銀色に近く光り輝いていることを除けば、普通の人間のように見える姿。


「昼間はありがとう、王様」


 人の姿で現れた”王様”に礼を告げると、彼(精霊に性別があるのかどうか俺には分からないけど、そう見える)は微笑んで、ゆっくりと前を指さした。彼の前方、つまり、俺は振り返り、指の指す方を確認する。

 学校から駅へ向かう道に、人影。それが先程別れたばかりの劉生だと気付くのに2秒もいらなかった。


「なんで劉生が気になるの?」


 向き直り、問いかけても彼はニコニコと微笑みを返してくるだけ。人間の言葉を理解はしているようだけれど、会話が成立することはない。だからと言って特別に困ったことも今までなかった。


「そういえば、シロはどこ? いつも一緒なのに」


 王様は再び同じ方向を指さす。それにつられ背後を確認すると、目の前にいる彼と同じような銀色の輝きで、腰くらいまである長い髪の人物が劉生の後方をふわりふわりとついていっているのが見えた。これには驚いた。

 今まで2人が誰かに対してこんな風に執着を見せたことが無かったからだ。もしかしたら、あったのかもしれないけれど、俺が知っている範囲では無かった。だって、俺にすら最初は警戒心剥き出しでなかなか姿すらも見せてくれなかったっていうのに。


「劉生は魔法使いじゃないでしょ?」


 彼は精霊が見えていない。と、思う。至近距離で風の精霊たちが忙しなく飛んでいても何も反応することも無かったし、”魔法使い”が存在したら『嬉しい』と言っていた。だから、劉生は魔法使いでは無い。では、なんで、精霊たちは彼を気にして、彼に懐いて、楽しそうに振る舞うのだろう。

 

――分けわかんないんだけど……


 制服のポケットに両手を突っ込んで、胸の奥にかかるモヤを振り払えないまま、劉生とシロを目で追いかける。駅まで伸びる一本道。スケッチブックを片手で持ち、まっすぐに駅へ向かっている背中。そういえば、美術室で絵を描いている時も姿勢が良かった。

 背筋を伸ばしながらキャンパスと向き合い、真剣に筆を走らせていた。何もなかった真っ白なキャンパスに花や風景が描きこまれていく様はまるで魔法のようだった。最初から、そこにあるのが正しかったみたいに、劉生の手によって配置されていっていた。

 まあ、魔法使いの俺が『魔法みたい』って思うのもおかしな話だけど。


――そう言えば、さっきの風、大丈夫だったかな


 右手の指先に携帯電話が当たる。これには彼の連絡先が記録されている。でも、だからと言って、何を伝えればいい?


「明日も学校にくる…とか?」


 真っ先に浮かんできたフレーズが恋する乙女の考えたそれのようで、俺は頭を抱えた。


――違う。もっと、なんか、こう、自然な切り口で……

 

 両肩にふわりと何かが触れた感触。そして、花の香り。振り返ることなく、それが王様だと分かる。


「風の子たちもそうだけど、どうしてみんな劉生のことになると俺にアピールしてくるの」


 視線は少しずつ遠ざかる劉生の背中へ。初めて会話をした時よりも、確実に興味が増している。自分は見えないにも関わらず、精霊からこんなにも愛されている彼。こんな人間を俺は見たことが…


「あ……」


 ある。あるかもしれない。記憶の片隅に、そんな人がいた気がする。はて、どこで会ったのだっけ。

あたたかな記憶のぼんやりとした輪郭すらも思い出せない。腕を組み首を傾げながら記憶を辿っていると、王様が後ろから両腕で強く抱きしめてくれた感覚。彼らには質量が無い。ただ、肌に触れると僅かに温もりを感じる気がした。俺は反射的に振り返る。一瞬見えたのは、未だかつて見たことのない彼の寂しそうな表情。


「王様?」


 次の瞬間には王様はいつも見せているように小さく笑って、スッと上に跳躍し、シロに向かって呼びかけるような仕草をした。

 それに気付いたのか、シロは名残惜しそうに劉生の背中をしばらく眺め、彼の周りを一周してからこちらに向かって飛んできた。彼女の軌跡は、もし星の粉が存在したとして、それを振り撒いたらさぞかし綺麗だろうなという想像を実現させたそのもので、銀糸のような髪の毛とともにキラキラと光り輝いていた。


「シロも、劉生のことが気に入ったんだね」


 やけに上機嫌なままのシロは、スピードを落とすことなく俺に両腕を伸ばしながら抱きついてこようとする。俺は抱きとめるように軽く両腕を伸ばした。背後からは王様、前方からはシロに抱きつかれ、微かに香る花の匂いに心地よさを覚えながら目を閉じた。いつかも、こうやって二人に抱きしめられたことがあるな。なんてことを思い出しながら。


 精霊たちは、人間のように感情を隠したり偽ったりは決してしない。嘘もつかない。ありのままの感情で動き、俺を振り回し、何があってもいつも側にいてくれた。今となっては家族よりも近い存在として当たり前のように自分の毎日に溶け込んでしまっているけれど、なかなか受け入れられなかった幼い頃のことを時折思い出す。そんな時は決まって、何度も繰り返した小さな後悔を反芻して、胸の奥の方に押し込めてきた。

 ゆっくりと目を開き、右手をポケットに潜り込ませる。それに気付いたのか王様とシロがほぼ同時に体を離し、お互いに手を繋ぎ、俺の目の前に立ち(正しくは浮かんで)優しく笑みを浮かべる。気付けば二人の周りを楽しそうに風の精霊たちが飛び回っていた。


「君たちもか…。わかったよ。劉生に連絡すれば良いんでしょ?」


 と、言ってはみたものの実際に何を伝えれば良いのかが分からない。とりあえずメールの画面を立ち上げ、送信先に彼のメールアドレスを設定する。本文のところへカーソルを動かしてみたは良いものの、肝心の送信すべき内容が思い浮かばずに親指だけが宙を何度も行ったり来たりとした。

 数秒の間、画面を凝視し、息を吐き、バックライトを消した。暗くなったそこに写ったのは、消化しきれない感情を持て余したような表情をした自分の顔。


――何をやってるんだ、俺は


 手元から顔をあげた瞬間に怒ったような表情の風の精霊が物凄い勢いで向かってきたので、寸前のところでかわす。その向こうには残念そうな顔をした光の二人も確認できた。

 言葉は交わせないけれど、彼らの言いたいことはわかる。無言でも伝わってくるものがある。自分でも重々承知している。


「ごめん」


 この言葉しか浮かんでこなかった。

彼らを失望させてしまったことに対しての謝罪と、言葉をかける相手を失い、今でもその行き場を探している謝罪、そのどちらもを乱雑に混ぜあわせたようだった。

『記憶は場所に宿る』というけれど、俺の場合は全細胞にあの時のことが染み付いてしまっていて、今や後悔の塊が息をしているんじゃないかと思う時がある。どんなに後悔をしても何も変わらないことなど分かってはいるけれど。


「今日は帰るよ」


 誰に言うでもなしに声を発する。それが思考の停止の合図であるかのように。所在なげな右手に握られた携帯電話。とりあえず、右手ごとポケットにしまう。そして、そのまま家の方角へ体を向けて宙を移動する。風の精が追い越さんばかりに横を並走していく。それを横目に、出来るだけ何も考えないように風に乗り真っ直ぐに飛ぶ。飛ぶ、と行っても動く歩道の上を歩いているような感覚。

 家の灯りが後方へ流れていくのを眺めるのが好きだ。なんとなく眼下へ視線を向けていると、いつの間にか自分の下を王様とシロが仲良く二人手を繋ぎながら飛んでいるのが見えた。俺の視線に気付いたのか、シロが手を振っている。

 俺も手を振り返そうと、右手を今まさにポケットから引き抜こうとした時だった。指先に振動が伝わる。数秒震えた後、沈黙を取り戻す。なんだろうと思いながら、シロには左手で手を振り返し、携帯電話を取り出す。

 ディスプレイには、メールを受信したことを知らせる表示。差出人は『りゅうせい』で、携帯電話を握る右手が少し、ほんの少し、いや確実に、震えた。


「ははっ」


 無意識のうちに笑い声が。どうして、このタイミングで、メールが届いたんだ。まるで自分の行動が見透かされているかのようじゃないか。


「あははっ、まじかー」


 急に笑い出した俺に一瞬驚いたような精霊たちがフワリとこちらに向かってくるのが見えた。そんなのもお構いなしに腹を抱えながら一頻り笑い、改めてディスプレイを見つめ、受信したメールを開く。表示された文章を目で追う。


『明日は妹たちの面倒をみないといけないことを思い出したから、学校には行けないと思う。

 明後日は行く予定


 あと、今日はありがとう』


 歩きながら、この文章を打ったんだろうか。別に、明日会えるとか会えないとか、次いつ会えるとか、そういうのは気にしないのに。

今までだって他人に対して興味を持たないように暮らしてきたのに。

どうして。

一歩踏み出せずにいた俺に対して、どうしてこうも彼はすんなりと求めていたものを与えてくれるのだろう。


『りょうかい。また美術室で!』


 親指を滑らせて返信をする。メールを送信完了したメッセージを確認してから、右手ごとポケットにしまう。

 視界の隅で風の精霊たちが舞っているのが見えた。何がそんなに楽しいのだろう。

自分の頬が緩んでいることに気付きながら、ポケットの中の携帯電話を握りしめた。


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