エピソード:同じ日に
いつだってこの世界は、魔法の力で溢れている。けれど、魔法を心の底から信じている人は、この世界にあとどのくらい残っているのだろう。
――まぁ、魔法が使えても、学校の試験からは逃げられないんだけど
数日学校に足を運ばなかったせいで、俺はこうして夏季休暇中に追試というか、補習というか、なんだ、その、一人で試験を受けることになっている。
一人きりの教室というのは、なんともまあ、居心地が良くて、毎日がこんな風だったらきちんと登校しても良いのにとか、そんなくだらないことを考えつつ端末を立ち上げ、試験プログラムをひたすら進めていく。ディスプレイに表示された問題文を読み、付属のペンで回答をひたすら記入するという、とてもシンプルな動作を繰り返す。それを頬杖をつきながら、最後の問題までこなしたところで俺は窓の外を見た。
――魔法か……
そもそも魔法という言葉さえも、古臭く幼稚なものとして扱われているご時世に、魔法使いが実際に存在することを誰が信じているんだろうか。純粋な心の子どもとか、そのあたりか。そうであって欲しい。
魔法は、すごく身近で当たり前のものなのに、扱える人が減ってきているせいもあって、その存在を意識すらしない人の方が多くなってしまったと魔法管理課の人が言っていたっけ。
自分の目に見えなかったり、言葉ではなかなか説明出来ない事柄については、はじめからそんなもの存在しないものとしていた方が都合が良い、というか楽なのだろうな。視界に入れなければ気にもならないし、耳も閉ざして遮断してしまえばいい。魔法など信じていなくても時間は流れ、毎日が忙しく過ぎていき、その繰り返しで生きていくには何の問題もない。
俺も自分にとって都合の悪い事からはそうやって距離を離すし、それが防衛方法なのだから、悪いこととは思わない。むしろ賢いやり方とさえ思う。
――あんまり学校に寄り付かないのもそういう理由だし……たぶん
そろそろ外を眺めるのにも飽きてきたので、設定された試験終了時間よりも早く教室を後にすることにした。
だけど、だけどやっぱり、信じられていないと分かっていても、それでもじっと隣にいてくれている存在のことを考えると、胸が締め付けられるような感覚を覚える。
限られた人間にしかその姿を確認されることはないソレは、精霊と呼ばれている。
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廊下をふらふらと歩き、次の試験が始まるまでどこか時間を潰せるところはないかと涼しそうな場所を探していたら、校内で一番西側に位置する美術室の前に辿り着いた。授業で何度か使ったことがあったはずだけれど、あまりよく覚えていない。こんな日当たりの悪い場所にあったっけ。
扉に手をかけたところ、偶然にも鍵はかかっていなくて、これも日頃のおこないの賜物かなと小さく笑った。俺は昔から運が良い。
「お邪魔しまーす」
中に入り、教室中を見回しても誰もいないようだったので、戸締りするのを忘れていたとかなのだろう。不用心にも程がある。
美術室の中は、絵の具の匂いなのか独特の香りが充満していた。
俺は一番風通りの良さそうな教室の後ろに位置していた机まで歩き、すぐ近くの窓をほんの少し開けることにした。
その瞬間、ふわりとカーテンが揺れる。よく見ると風の精霊たちがカーテンの裾を掴んで楽しげに遊んでいるようだった。いつのまに、と思ったけれど、風のある場所ならどこにでもいるのだった。もっと言ってしまえば、空気のある全ての場所には存在している。
――こらこら、あまりカーテンを揺らすでないよ
椅子に腰掛けながら心の中で呟くけれど、お構いなしにカーテンを自らの体に巻きつけたり、はたまた相手に巻きつけようとしたりで夢中のようだ。何がそんなに楽しいのかわからないけれど、きゃっきゃとはしゃぐ精霊たちを見るのは、むしろ嬉しかった。
風の精霊というのは体長15センチ程で、人間によく似ていて、ファンタジー小説の挿絵でよく見るように耳が少しとんがった姿をしている。きっと精霊を目視できる人が、最初にイラストを描いたに違いない。それぐらい絵本やゲームなどに登場する精霊は、本来の姿と遠くかけ離れてはいない。いつもフワフワと浮かんでいたり、人間の周りを飛び、駆け抜けていたりしている。他の精霊よりも好奇心が強いみたいで、イタズラめいたことをするのが好きな者が多い。俺もよくイタズラされるし、もちろん仕返しをしたりする。
――君たちはいつも楽しそうだね
いつの間にか自然と表情が緩んでいた。
カーテンの方に手を伸ばすと、それに気付いた精霊たちがカーテンの裾を掴んで俺の腕に絡ませてくる。
精霊を目で見ることが出来ない人からして見れば、風ではためくカーテンに向かって、なぜだか手を伸ばしてる変わったやつにしか映らないだろう。
幼い頃から遊び相手に困ったことはないけれど、一人で変な行動をとるやつだとして集団の中では疎外されることもよくあった。
人間は自分と異質なものに遭遇すると、それを本能的に排他しようとすることを、幼いながらに経験し学習してきた。
そう、本能の部分で行動をしているので、それが悪いとは責めることは簡単には出来ない。それに、大多数が同意見を持つ中でのマイノリティというのは、とても弱い。それも学習してきたことのうちの一つだ。
魔女狩りという恐ろしい慣習が過去にあったように、魔法の力を扱う存在は、魔法が扱えない人たちからして見ればとても異質で、畏怖の対象にするには十分すぎるくらいの要素を持っている。
――人間ってやつは、とても臆病だよな
俺は精霊を目で見ることが出来るし、精霊の力を借りることも出来る。そう、魔法使いと呼ばれるタイプの人間だ。何もないところから物体を取り出したりというような手品のようなことは出来ないけれど、突風を吹かせたり、水を瞬時に凍らせたり、光の屈折を利用して姿を人間の目に見えなくしたりと、自然に存在する精霊の力を借りて奇跡に近いことをおこなうことが可能だったりする。
世の中の人間は魔法使いか、そうでないかの二パターンしかいないと言うのに、少数派の魔法使いが大変肩身の狭い思いして生きていかなければならない。
こんな世間の中で、魔法使いとそうで無い者が争わないように、どちらかが弾圧されないように、また、魔法を信じる者が消滅しないように、そういうことを世界の片隅で奮闘している組織がある。それが<魔法管理課>
過去に何度か所属している人間に会ったことはあるけど、詳しいことはよく知らない。
――にしても、ここは涼しいなあ
机に突っ伏し、頬をつけるとひんやりとした温度が伝わってくる。窓の外を見上げ、雲一つ無い夏空を眺めた。
こんなに良い天気なのに自分は校舎に軟禁されて一体何をしているのだろうか。
――とりあえず残り二教科をパパッと終わらせて川原にでも行こうかしら
うとうとと意識がだんだん遠のきはじめたその時だった。
カーテンで遊んでいたはずの精霊たちが一斉に動きを止めて、教室の入り口の方を注視しているのが見えた。風が止み、カーテンはだらりと垂れ下がって、みるみるうちに俺の額に汗が滲み始める。
――ああ、もう、暑いなあ
うんざりしながらよくよく耳を澄ますと、廊下を誰かがこちらに向かって歩いているようだ。近付く軽快そうな足音。楽しげなことが待っているのだろうか。
夏季休暇中でも美術室に用があるだなんて、美術部員だろう。特に邪魔するわけでもないしこのまま寝ていても問題はないだろうと結論を出して、体勢を変えずにまた目を閉じた。今日はいつもより早起きをしたせいだからか、俺はすぐに眠りの淵に案内された。
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耳元で何か音がした気がした。一度目は気のせいかと無視をしたが、その後に何度か繰り返し聞こえてきたので、またどうせ精霊たちが何かやっているのだろうと、耳のあたりを左手で払いのけてみる。
すると、聞こえていた甲高い音が一瞬大きく響いて、左耳を思い切り引っ張られた。人の睡眠の邪魔をする精霊たちにはいつもうんざりする。
「んんー・・・ん・・」
何をそんなにかまって欲しいのかと仕方なく上体を起こし、軽く目をこすった。次に視界に入ってきた光景を見て、俺は驚いた。さっきまで頭の中にかかっていた眠気のモヤが一気に晴れていくのを感じる。
教室の対角線上に一人の男子生徒が、こちらに背を向けて座っていた。体に隠れてよく見えないが、彼の前にある机の上にはなにやら様々な道具が並んでいるようで、彼の右腕は忙しく動いている。ただそれだけなら、こんなにも驚きはしない。
俺の目の前で繰り広げられている光景とは、彼の周りにさっきまでカーテンと戯れていたはずの精霊たちが集まって、肩や頭に乗っかって楽しげにしているのだ。かと言って、彼自身がその状況に気付いている風でもない。
きっと彼は、ごく普通の人間だ。精霊を確認することなど出来ないし、精霊たちと意思の疎通を図ることも出来ない大多数の人間のうちの一人だ。そんな人間相手に、こんなにも精霊たちが親しげに接するというか、絡んでいるのを見たことがない。
唖然としていると、俺の周りにまだ残っていた一人の精霊がカーテンと同じように前髪で遊びはじめた。
――おいおいおい、なんだっていうんだよっ
前髪を一束掴んでは、彼の方にぐいぐいと引っ張る動作を繰り返す。まるで彼に話しかけろと言わんばかりに。
しばらく渋っていたら今まで以上の力で前髪を引っ張りだしたので観念し、あくまでも自然に、落ち着いた装いで、彼への一言目を探していた。
今起きた感を出せば良いのだろうか。それよりも、彼は誰で何なのだろう。他人に、興味が湧いたのは、いつ振りだろう。
――あー! もー!
「んー、君、何してるの……?」
脈打つ速度があがる。呼吸が浅くなる。
今の一言は不自然で無かったかな。何をこんなに緊張しているのだろう。グルグルと情けない思考が巡りはじめたので強く目を瞑り平静を取り戻そうとした。
が、精霊たちが短く悲鳴をあげたのと、カチャンと金属音が響くのと、彼が小さく声を発したのがほぼ同時に発生し、俺は反射的に身を乗り出す。
向こうの机の上に火の精霊が困惑気味に浮かんでいるのが見えた。
――火傷?
「君、大丈夫!?」
考えるよりも先に立ち上がり、近くにあった水道の蛇口を捻っていた。何が起きたのか分からないという顔でその場から動かない彼に向かって、仕方なく手招きをする。
「念のため、流水で冷やした方が良いよ」
ゆっくりとこちらに向かってくる彼の後ろに、まだ火を湛えたままのアルコールランプを見つけたので、風の精霊たちにキャップをして火を消すように念じる。小さな物を動かすなどであれば、特別な道具は必要はない。
キャップの周りにいた精霊たちがアルコールランプを消火したのを確認し、近くまできた彼の方を見る。視線がぶつかる。戸惑い、疑念、焦り、緊張、様々なものが混ざり合って彼の体から発せられているようだった。まあ、仕方ないか。
「そんなに高温でなかったから平気だと思う……」
火傷したであろう箇所に視線を落としながら彼が口を開いた。視線の先を目で追うと、たしかに右腕の一部分がほんのり赤くなっていた。
学校指定のネクタイをきちんと結んだ首元、きっと切れ長な目元、青みがっかった黒の瞳、真っ黒な髪の毛、悔しいが身長は十センチ程彼の方が高いようだ。
――あれ? どこかで会ったことがあるような
それがいつ、どこなのかが瞬時には思い出せなかったが、同じクラスではないことは確かであって、身近な人間の中にあんなにも精霊に好かれるような者はいなかったと思う。そこまで他人に興味があったわけでもないから言い切れないけれど。
「だから、念のためだって」
まごついている彼の手首を掴み、自分の手ごと流水にさらす。その方が手っ取りばやい。
「ありがとう…えーと」
彼が全身を強ばらせ、状況を一切飲み込めていないという風で俺を見下ろすので、わざとらしく小さく溜息をついた後に自分の名前を告げることにした。
――体はでかいくせに中身は小さいのか、こいつは。
「あ、俺は2年の鳥居創だよ。よろしく」
その後に、なんとも言えない間が一瞬あって、今度は慌てた様子で彼が口を開いた。
「俺は2年の島居劉生。あの…ありがとう…手、濡れてる」
視線は傷口から離さずに、彼、島居劉生は伏し目がちで言った。よくよく見るとまつ毛が長いことに気付いて、ほうと感心してみたが、なんだか急に気恥ずかしくなり掴んでいた手を離す。
「思ったより冷たくて気持ち良いから、つい」
俺はハンカチを取り出して、それで手を拭いた。こいつのどこに精霊を惹きつける要素があるのだろうとまじまじと顔を眺めてみるが、特別な何かを感じ取れるわけもなく疑問は膨らむばかり。そんな俺のことなんてお構いなしに、風の精霊たちは俺達の周りを何がそんなに楽しいのかわからないがふわふわと飛び回っていた。
目の前に立つ彼は、なぜだか不安そうな表情を浮かべながら俺を見下ろし続けている。どこかで一度会ったことがあるのだろうか。
――あ、そう言えば、昨日、窓際に座ってたやつか?
昨日、なんとなく気が向いたので、全ての授業が終わる間際に学校に足を運んでみた時に、校舎から校庭を眺めている生徒と目が合ったのだった。そう言えばその時も、彼の座っているあたりに風の精霊や光の精霊などが浮かんでいたっけ。何かの偶然かと思っていたけど、今日のこの感じを見るにそうでもなさそうだ。
自分の中の好奇心が一斉に彼に向き始めたのが分かった。学校の中に楽しいことなんて無いと思っていたのに、それは自分の周りにいる人が変哲もないというだけであって、少し行動範囲を広げてみると思いの外、楽しげな要素は簡単に手に入れることができるようになっているらしい。
「島居くんは、何してたの?補習じゃないよね」
もう少し目の前にいる彼と会話をしてみようと思った。もしかしたら、今、俺の顔はにやけているかもしれない。未だかつて出会ったことのなかったタイプの人を見つけて、言い表せない期待感に包まれている。変に期待を抱いてがっかりするパターンもあるかもしれないが、けれど、そうはならないだろうという妙な予感さえしていた。
俺は運が良い。残りの試験のことを唐突に思い出し、少しばかり気が重くなるが、きっと、今日も良い日になる。
俺と彼との真ん中で、精霊たちがくるりと踊っているようだった。
創視点から「文化部員と帰宅部員とコーヒー」の途中まで書いています。
この後「文化部員と帰宅部員とコーヒー」に続きます。
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