その後のバレンタイン前編 「話というのはね……」
暦の上ではあと一家告げもすれば春になるというのに、まだまだ寒くコートが手放せない二月のある日。
学校帰りの放課後。近くの商店街にあるファミレスにボクと沙紀、そして茜がいた。四人掛けのテーブルに沙紀と茜が並んで座り、テーブルを挟んで沙紀の正面にボクが座っている。
「……失敗した」
茜がドリンクバーコーナーで作成したオリジナルドリンクと称するコーラアンドアセロラブレンドドリンクを微妙な顔をして飲んでいる。
「なんで混ぜるの……?」
「どっちも好きな飲物なので、混ぜたら美味しいかなぁって思ったんです」
好きな者同士を合わせたらさらに美味しくなるのではないか、という小学生理論を来年には大学生になる予定の現役高校生が実践するものじゃない。たいてい失敗するんだから。
しかし、後輩であるはずの僕に対して先輩の二人が敬語を使っているのは、知っている人が見るとどう思うんだろう。まっ、入店するときにちゃんと周りに蓮池の制服を来た子がいないことは確認しているので、その心配はないのだけど。
「で、話というのはなんですか?」
真剣な表情で沙紀が言う。ここに彼女達を呼んだのはボクだ。そう難しい話題じゃないんだけど、努の頃を含めても、ボクが二人だけを呼びつけるなんてことは初めてなので、よほどのことだと思っているのだろう。
大学入試を一週間後に控えた今、本当の最後の追い込みをかけている時期で、本来なら私用で二人をこんなところに呼び出すなんてもっての外だ。だけど、事が事なので彼女達しか頼る人はなく、彼女達も「司先輩の頼みなら」と快く承諾し、大事な時間を割いて来てくれたのだ。
「えっと。話というのはね……」
来年にすればいいとも思った。今年は自己流でとか、買って済ませてしまってもいいかとも思った。けれど、来年は来年であり、今年は今年だけで、やるからにはいいものを作りたい。
だから、恥を忍んで二人に頼んだ。
「ち、チョコの作り方を教えて欲しいんだ」
「えっ……」
「チョコ……?」
二人が目を丸くする。先に口を開いたのは茜だった。
「もしかして、バレンタインですか?」
コクリと頷く。
今日は二月十二日。バレンタインの二日前だ。チョコと聞けば誰だってそれに行き着くだろう。
「ほーぉ。なるほど理解しました」
茜が腕を組みウンウンと頷く。……でも茜の場合、きっと――
「颯先輩に「わたしがチョコです。召し上がれ☆」ってするために、チョコを塗りたくってくれってことですね!?」
やっぱり……。斜め上というか全然見当違いというか。実際そんなことをして学校はどうす――そのあたりは考えてないか。むしろ、なんでボクがそんなことをすると思ったのか詳しく聞いてみたい。きっと理解できないけど。
「違う。チョコの作り方を教えて欲しいんだって」
「これも作り方にならないです?」
「なるかもしれないけど絶対やらない」
「ですよね」
分かってるなら言わないでいてほしい。
「颯先輩へ手作りのチョコを渡したい、ということでしょうか?」
「うん」
さすが沙紀だ。そういうこと。
司になって初めてのバレンタイン。既製品よりも手作りを渡したかったし、どうせ渡すならできる努力をした上でのチョコを作りたかった。
「……司先輩も女の子ですねぇ」
しみじみとした口調で茜が言う。改めて言われると、ちょっと恥ずかしい。
「わ、悪い?」
「いいえ悪くないです。かわいいです」
そう言って茜が笑う。沙紀も口元に薄く笑みを浮かべていた。
「颯先輩に手作りのチョコを渡したいから、私達にチョコの作り方を教えて欲しい、ということですね。分かりました」
カチャリと手に持っていたティーカップをソーサーの上に置く。
「明日、私の家で作りましょう。ちょうど私も明日作ろうと思っていたので」
「ありがとう、沙紀」
ちょうど私も作ろうと……というのはたぶん嘘だろう。今年、彼女が今日までバレンタインの話題に触れたことは一度もない。去年や一昨年であれば、少なからず何かしら茜と盛り上がっていたはずだ。きっと、ボクに気を遣わせないようにと配慮したのだろう。申し訳ないと思いつつも、その心遣いを嬉しく思う。
「茜はどうするの?」
「あたしも作る。ちょうどいい気晴らしになるし」
「いいけれど、邪魔はしないように」
「そんな邪魔なんて……しません、はい」
沙紀に睨まれた茜がペコペコと頭を下げた。
「茜、ありがとう」
礼を言うと、こちらを見て照れくさそうにはにかんだ。
「ちょうど商店街に来てますし、今から材料の買い出しに行って、明日の放課後に私の家に集まり、チョコを作りましょうか」
「りょーかい」
「うん」
話が素早くまとまる。二人を頼って正解だった。
「……ねぇ沙紀。千沙都はどうする?」
「あの子は別にいいんじゃない? いても戦力にならないし、むしろ邪魔すると思う」
「わお、ばっさり」
「それにあの子はあの子で明日は忙しいだろうから」
「あー、そういえばそっか」
茜が沙紀に体を傾けて、なにやらコソコソと話している。
「何話してるの?」
「な、何でもないです」
茜が慌てた様子で沙紀から離れ、手を振った。
「じゃあ明日は三人、旧エンタメ部女子部員だけってことで」
「旧女子部員は沙紀と茜――」
「まあまあ。それはそれ、これはこれってことで。司先輩も今じゃ立派な女の子で……あれ、あたし達より女の子してない?」
「そんなことはないと思うけど」
「だってこの中で一番可愛くて、唯一彼氏がいて、恋する乙女になってる」
「……」
言葉にして改めて言われるとかなり恥ずかしい。特に最後の方。ま、まあそう言われてもしかたのないことをやっている自覚はあるけど……。乙女、乙女かあ……。
「司先輩、顔真っ赤ですよ?」
「へっ?」
慌てて両頬に手を当てる。熱い。
「うん。そのポーズ凄く可愛い!」
茜が笑顔で親指を立てる。が、すぐに真顔になると沙紀を見て、
「……これが努先輩だったって信じられる?」
「あの頃でも言動は結構中性的だったから、見た目はともかくそれ以外なら」
「あー。そう言われたらたしかに」
「……えっ、そうなの?」
初めて知った……。
その後ファミレスを出たボク達は、商店街でチョコを詰まるための材料を買い集め、それらを沙紀に持って帰ってもらった。手伝ってもらうので少し多めにお金を出そうとしたけど、「ここはきっちり割り勘で」とまさかの茜からの提案と「それ以上に迷惑をかけてきましたから」という沙紀の謙虚さにより、きっちり三等分された金額を支払うこととなった。