その後の年始 「おかしい……」
「おかしい……」
新年を迎え、三学期が始まってはや一週間。部室では今日も茜がノートを前にして唸り声を上げていた。
茜、沙紀、そして颯は三年生で、今年は受験の年。三人とも本命はすぐ隣にある千里学園高校の系列校である、私立千里学園大学としている。千里学園大学はこの街で最も人気があり、最も偏差値の高い、最高難度の大学として有名だ。千里学園高校に入学する生徒は、よほど成績が悪くない限りはほぼエスカレーター式に入学できるため、それを目的として高校から千里学園を狙う人もいるのだとか。
ちなみに千里学園大学を志望する三人の動機。
『家から近い。……あと、蓮池に近い』
『就職に有利だから』
『なんか二人ともそこ行くから』
どれが誰か言わなくてもすぐわかるぐらいには特徴が出ている。それにしても、ちゃんとした動機があるのは沙紀だけというのはどういうことだろう。颯ならもっと意識高いことを言いそうだと思っていたのに。まあ、家から近いというのも重要といえば重要だ。それに……ここから近いというのは、ボクにとっても嬉しいというか、色々と放課後のこととか考えてしまうというか……。茜はたぶん何も考えていない。茜らしいといえば茜らしいけど。
そんなわけで、現在受験勉強の追い込み真っ最中だ。千里学園大学の受験日は遅く、二月中旬に行われる。普通は早めに試験を行って学生を確保した方がいいように思えるけど、遅くしてもうちには来るという強気なのだろうか。
追い込みとは言っても、颯と沙紀にその様子は見受けられない。今もいつも通りで、沙紀はガリとお茶を嗜んでいるし、颯は小説を読んでいる。ふたりとも日頃から予習復習を欠かさない勤勉タイプだ。日々の積み重ねがあるから、焦って追い込みをかける必要がないのだ。内申点も高評価で、面接についても担当の教師から去年のうちに既に「完璧だ」とお墨付きを貰っている。当日に名前の書き間違えでもしない限りは合格するだろう。
……問題は茜だ。彼女も馬鹿ではない。本人に明確な目的とやる気さえあれば伸びるのだけど、受験の目的はあれどもやる気が出ないらしく、かなり苦労しているようだ。だから今も最後の追い込みを――
「お年玉が残り少ないんだけど……?」
……まったく追い込んでなかった。椅子から腰を持ち上げ茜のノートを覗き見ると、明らかに勉強とは関係ない数字が書き込まれていた。
「今年は結構親戚に会ったからいつもよりたくさん貰えてウヘヘってなってたのに、たった一週間とちょっとで残りちょっとしかなくなってる!」
茜が頭を抱える。そんな彼女を見る沙紀の目はいつも通りだった。
「あなた、新年から散財してたじゃない」
「散財? どこで?」
「おみくじ」
「……あー」
思い当たったらしい。
一月一日。元旦。茜からの誘いで、昼過ぎにみんなで集まり初詣に行った。着物で着飾った人々をちらほらと見かけるなか、僕達は誰一人として着物だった人はいなくて、それどころか茜は着替えるのが面倒だったらしく、上下ジャージという有様だった。
お参りをした後に恒例のおみくじを引いたときに事件?が起こった。小吉、中吉と無難なものをみんながひいていくなか、茜が大凶を引いたのだ。
おみくじも、寺社からすれば商売みたいなものだ。わざわざ大凶ばかりにして参拝客を不機嫌にさせる必要はない。そのため、特殊な寺社を除いて、たいていの場合は大凶などの極端に悪いものはあまり入れていないか、もしくはまったく入っていないという所が多いという。ボク達が来たこの神社も、凶と大凶はほとんど入っていないことで有名で、ある意味小吉が凶のような扱いになっている。そんな神社のおみくじで大凶を引いた茜は、運が悪いのかどうなのか。レアだと言えばたしかにレアだ。だからいつもの茜ならそう言って大凶など気にも留めないのだろうけど、時期が悪かった。一ヶ月後に絶対落としてはいけない大学入試を控えていたのだ。今のところ模試やらの結果で茜が合格するかどうかはかなり微妙なライン。こればかりは笑って済ませられるものではなかった。しかもおみくじの学業の項目に『落ちる』と明確に書かれていればなおさらだろう。ここまでくれば茜じゃなくても、誰だって茜がしたようにするだろう。
ということで、茜はおみくじを引き直した。一度ではなく何度も。大凶を引いたのだから、それを打ち消すには大吉しかないと言って、それが出るまで何度も引き続けたのだ。結果、二百円するおみくじを二十数回引いて、五千円ほどを失ってしまった。その散財こそ大凶だと言いたげにみんなが見ていたけど、ようやく大吉を引いた茜がとても嬉しそうだったので、何も言わず黙っておいた。
「元旦の朝に貰ったお年玉一号を一時間後に全部使ったんだよね……」
茜が横に置いてある鞄に目を向ける。鞄には『学業成就』と書かれたお守りがいくつもぶら下がっている。お守り、おみくじ、そして破魔矢なども購入し、茜の元旦の出費は合計一万円弱。
「でもお金を使ったのはその日だけだったような……」
腕を組み、首を傾げる茜。それを見て沙紀がため息をついた。
「三日に私と初売り行ったでしょ?」
「――あっ」
「五日にゲームを買いに付き合わされたわ」
「――あーっ」
茜がコクコクと頷く。
「で、昨日は最後の追い込み用の参考書が欲しいって、本屋に付き合わされたわ」
「あー、あー……うん」
試験まであと一ヶ月しかない今の時期になって参考書を買い足すというのはどうなんだろう。茜の場合は広く浅くより的を絞ってきっちり勉強した方がいいと思うんだけど。
ともかく、今のでお年玉の収支に合点がいったらしく、茜はへなへなと長机に突っ伏した。
「……考えなく使いすぎでしょ、あたし……」
「いつものことじゃない」
沙紀に気にした様子はなし。そういえば、去年も一昨年も茜はこんなことを言っていたような気がする。
「……あっ。参考書ならお母さんに言えばお金くれるかも」
茜が顔を上げる。
「あの時一万円ぐらい買ったから――」
「三冊で七千五百円よ」
「端数切り上げで一万円!」
有効数字が少なすぎる。
「一万円あれば勉強用のお菓子代になるかな」
「あなたは色々買いすぎなのよ。そのくせ全然進まない」
「ぐはっ」
茜の家庭教師でもある沙紀からの言葉に胸を押さえて突っ伏した。
沙紀は自分も受験生だというのに、なんだかんだ言いつつも毎日茜の面倒を見ている。顔や言葉には出さないけど、それだけ茜と同じ大学に通いたいということだろう。
「ほら、帰るまでにあと十ページ」
「じゅっ!? いやここあたしの不得意なところだから――」
「あなたに得意なところがあるの?」
「保健体育」
「試験科目にはないわよ」
「そういうところが不公平だと思わない?」
「だったら体育大学とかそっちに進んだらどう?」
「ごめんあたしインドアだから。アクティブインドア派」
なにその派閥。
「……あなたの学力じゃ、千里は運でなんとかなるところじゃないわよ」
「だよねー。結構ギリギリというかギリギリアウトというか。あたしの学力だと永国あたりが丁度いいよね」
私立永国大学。比較的新しい大学で、広い土地を確保するために隣町の外れに作られた総合大学だ。立ち位置的には千里を頂点とすると、永国は中の上というところ。定員も千里より多く、比較的入りやすい大学になっている。問題は立地があまり良くないというところだろう。
「それでもあなたは千里を受けるんでしょ?」
「うん」
返答は早かった。沙紀が少しだけ目を細める。
「だったら、あと十ページよ」
「うへぇ」
嫌そうな顔をしながらも、茜はシャーペンを持って参考書に向かう。なんだかんだで彼女も彼女なりに頑張っている。
無事茜も志望校に合格することを願っている。そうすれば、彼女も蓮池に立ち寄りやすくなるのだから。