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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第一章 こうしてボクは変わった
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その7 「うにゃ!?」

『髪を切りたい。髪を切ってほしい』


 入学式前日の夜。ボクはお母さんにお願いした。ボクの銀色の髪は先がお尻の辺りにまで届くほど長く伸びている。おかげで気にせず椅子に座ってしまうと時々踏んでしまう。さすがに邪魔なので切って貰おうと思ったのだ。


 しかしお母さんは、


『髪を切るなら先にお母さんの首を切りなさい!』


 だばぁぁと滝のような涙を流しながら、とても物騒なことを口にした。言われたときはドン引きしたけど、その発言の根本にあるのは、ボクの髪と自分の命を同列に扱うほどに、ボクのことを大事に思ってくれているということだ。とてもお母さんらしい。その証拠に、今もお母さんはボクに血を吸わせてくれている。


「はぁ、はぁ……」


 今回は前回と違い、お母さんの首筋に噛みついている。痛がる様子はない。前に言っていたように、お母さんは痛いのが好きなMなのかもしれないけれど、血を吸われるというのはあまり気分のいいものではないだろう。それなのにこうしてボクに血を与えてくれている。そのことは素直に嬉しい。


「はぁ、はぁ……」


 ……嬉しいのだが。


「はぁ、はぁ……あぁ」


 さすがに無視できなくなって口を離し、お母さんを見上げる。


「ね、ねぇ、お母さん」


「はぁ、はぁ……。な、なにかしら?」


 頬を赤く染め、うっとりとした表情でボクを見下ろす。やめろ。我が子にそんな大人の表情を見せるんじゃない。


「こ、声出すの止めてもらえる?」


「だって、司に血を吸われるの、気持ちよくて……」


 ……。無言で再び首筋に噛みつく。


「あぁ!」


 さらに噛む。歯形が残るぐらいに力を込めて噛む。


「いい! いいわそれ!」


 お、おかしい。絶対痛いはずなのに、どうしてそんな反応ができるんだ? あぁ、そうか。もう、手遅れなんだ……。脳内に医者が黙って首を振る姿が浮かぶ。所謂いわゆるさじを投げるというやつ。慌てて距離を取る。お母さんが物欲しげな表情をしているが、そんなこと知ったことか。


「じ、じゃあ着替えてくる」


 返事を待たずにリビングを出て、自分の部屋へと戻った。次からお父さんか美衣に頼もう。そう心に誓って。


 朝から血を吸っていたせいで時間があまりない。急いで制服に着替えないと。寝間着代わりのジャージとシャツを脱ぎ、タンスから取り出した淡いブルーのブラジャーに腕を通す。肩紐を肩にかけて、カップとカップの間にあるホックを止める。お母さん曰く、このフロントホックタイプのブラジャーは背中で止めるスタンダードタイプの物と比べると、背中や脇の肉を集めやすく、谷間を作りやすいらしい。まあ作りたいとは思わないのでそんな面倒なことはしないけど、胸の小さなボクでも自然とそれっぽいものができるのは、このブラジャーの性能が凄いってことなのだろう。なるほど。こうして男は騙されるわけだ。


 ブラジャーなんて必要ないと思っていたけど、付けると胸がシャツに擦れないし、飛び跳ねた時に皮膚やら肉が引っ張られる感覚も薄まり安定している。最近になってお母さんが小さくても必要と言っていた意味が分かってきた気がする。


 白色のブラウスを着て、赤色のチェックスカートを穿く。同じ赤色チェックのリボンタイを首に巻き、鏡を見ながら位置を調整する。そしてキャメル色のブレザーに腕を通し、金色のボタンで前を留める。最後に膝上まである黒のニーソックスに脚を通す。


 スカートの裾を摘まみ、パタパタとはためかせる。これが本当に服なのだかうろかと思うくらいに心許ない。ぶっちゃけこれって腰に布を巻いただけで、パンツ見え放題じゃないか。下から覗けば見えるし、そうでなくても風で捲り上がれば見える。しゃがめば見えるし、座って足を開けば見える。どんなに気にしていても見えるときは見えるらしいから、ある程度は見えることを覚悟しなければならないのだとか。ああ、それで女の子は下着にも気を配るのか。この前美衣も「ブラとパンツは揃えるように」って言ってたし。


 まあパンツが見えることはこの際良しとしよう。いやまったく良くはないけど。それと同じくらいに気になるのが脚の露出だ。特に太もも。ここを外気に晒すことなんて小学生の頃に半ズボンを穿いて以来のことで非常に恥ずかしい。美衣の勧めでニーソックスを穿いてみたものの、どうしても全てを隠しきることはできない。ストッキングとやらを穿けばパンツも太ももも全てがカバーされるらしいけど、あの微妙な肌の透け具合と材質、そしてストッキングというネーミングが男として酷く拒絶してしまう。生物学的には完全に女だけど。気持ちの問題だ。


 鏡の前に立ち、全身を確認する。そこには蓮池高校の女子制服を着た女の子が立っていた。銀色の髪に青色の目。三年間見慣れた制服のはずなのに、初めて見るような新鮮さがあった。


 昨日届いたこの制服を試しに着た(着せられた)とき、ちょっとスカートの裾が裏返ってたり、髪がはねていただけでお母さんに注意された。入学初日からあーだこーだ言われるのは勘弁してほしいので、念入りにチェックする。


 うん。まあ大丈夫だろう。それにしても、まさかもう一度同じ高校に通うことになるとは。しかもよりによって女として……。いやいや落ち込んではいけない。ポジティブに考えよう。そう、また三年間、人よりも多く青春を謳歌できると思えばいいんだ。そうだ。それでいこう。


 ……そんな余裕あれば、だけど。結局がくりと肩を落として落ち込み、筆記用具くらいしか入っていない鞄を持って部屋を出た。


 リビングに戻ると、さっきまでの呆けた変態ではなく、黒のスラックススーツを着てビシッと決めたお母さんがいた。


「司、準備できた?」


「うん。お母さんは?」


「いつでも出られるわ」


 おぉ、さすが今も現役で働いているだけはある。スーツを着ればスイッチみたいなものが入るんだろうか。普通の社会人に見える。


「じゃ、時間もそんなにないし、行こ――」


「はい司ピース!」


 反射的に右手でピースする。すかさずボクの肩をガシッと掴み、顔をぐいっと寄せてくると同時にパシャッとフラッシュが焚かれた。目の前にはデジカメが一台。それを持っているのはもちろんお母さん。横目で顔を覗く。いつもの変態おかあさんがそこにいた。


「……いきましょうか」


 今更キリッとされても無駄だ。どうせ今日はそのデジカメをフル活用する気なんだろう。式中は欠伸とかしないよう気をつけないと。


 ◇◆◇◆


 今日は蓮池高校の入学式。入学式は午後からなので、二年生の美衣は先に学校へ行っている。お父さんは仕事の都合が付かず、お母さんは無理矢理後輩に仕事を預けて有給を取ったらしい。かわいそうに……。


 早めにお昼ご飯を食べたボクはお母さんと共に家を出た。ずっと家に引きこもっていたので、何気にこれが初めての外出だ。バクバクとうるさい心臓を押さえつつ、お母さんと並んで歩く。


 高校はボクの家から徒歩でいけるところにある。時間にして三十分くらい。自転車で行けば十分かそこらでいけるのだけど、自転車通学は生徒会に申請しないといけない。そしてなによりスカートで自転車に乗ろうとなんて微塵も思わなかったので、少々時間かかっても徒歩でいくことにした。それに今日に限って言えば、お母さんがいるので強制的に徒歩だ。


 そして……やはりというかなんというか、銀髪碧眼というこの外見は、かなり人目を引くらしい。さっきから通り過ぎる人がボクを見ているような気がする。向けられた数多くの視線がボクに突き刺さる。


「何をキョロキョロしているの? 少しは落ち着きなさい」


「いやだって、目立つ目立つとは思ったけど、まさかここまで見られるとは思わなくて」


 見られるから怖いということはない。ただ、注目されるとどうしても緊張してしまう。


「そりゃ見るでしょ。かわいいんだから」


「……自分の子供を褒めてどうすんの?」


「あなたは褒めて伸びる子よ」


「いやそういう意味で言ったんじゃなくてね……」


「お母さん、司みたいな子供を持って鼻が高いわぁ」


 だめだこれは。放っておこう。その後もボクを褒め称え続けるので、いい加減に静かにしろと怒ると、「あなたが無視するのがいけないのよ」と怒られた。理不尽だ。


 高校に近づくにつれ、同じ制服を着た子を見かけるようになる。どの子も着ている制服はシワ一つない真新しいもので、緊張した様子からも新入生だということがうかがえる。


 ふいに斜め前を歩く女の子と目が合った。軽く会釈すると、女の子はサッと目をそらして前を向き、小走りで行ってしまった。


 ……あれ。まさかボク、無視された? 少なからずショックを受ける。どちらかと言えば人見知りするタイプのボクが、一緒のクラスになるかもしれない子に頑張って挨拶をしたのだ。それなのに顔を背けられた上に逃げられたのだ。


 まさか外国人と思われて敬遠された? それともボクの挨拶の仕方が悪かった? とにかく、彼女が去ったことは事実。これは凹まずにはいられない。


 二年前の出来事が脳裏をよぎる。あれは高校二年の頃のことだ。席が隣ということでよく話すようになった女の子には、とても仲のいい女友達がいた。その友達は休み時間ごとに女の子のところにきては、楽しくお喋りをしていた。その様子は誰から見ても親友と言っても差し支えのないもので、実際ボクは二人のことをそう思っていた。その日もいつものように二人が楽しそうに話をしていたところ、友達が用事があるからといって、女の子の傍から離れ、教室を出て行った。


 そしてそれは始まった。友達がいなくなった途端、女の子はボクに「あの子の相手するの怠いのよね。同じクラスだからとりあえず仲良くしてあげてるけど」と衝撃のカミングアウト。二人のことを親友だと思っていたボクは驚愕し、その後も「あいつってウザイ」などと暴言を吐き続ける彼女にただただ相づちを返しながら、彼女の内面と外面のギャップに心底震え上がったものだ。


 ひえぇぇ……。今思い出しただけでもゾッとする。彼女のせいでボクの女の子を見る目は変わってしまった。しかしそれはあくまでも蚊帳の外のことで、自分には関係のないことだった。それが女になった今となっては、決して他人事ではなくなった。ああ、なんかいろいろと不安になってきた。さっきの子が逃げた理由も分からないし、もしあの友達のようになってしまったら……。


 隠れひとりぼっち怖い!


「どうしたの、司?」


「え? いや、別に」


 いつの間にやら頭を両手で押さえ、イヤイヤと左右に振っていた。何事もなかったかのように素っ気なく答えたが、今更取り繕っても遅かった。


「大丈夫よ。何も心配することはないわ」


 お母さんが優しい言葉をかけてくれる。たまに見せるこの母親面にボクはとても弱い。癒やされ効果が半端じゃない。


 ……そうだ。お母さんの言うとおりだ。何をそんなに悩む必要がある。たった一人に無視されただけだ。それだけであーだこーだとくよくよしても仕方ない。もっと前向きに考えよう。別に誰彼構わず仲良くする必要なんてないんだ。数人と仲良くやれれば高校三年間なんてなんとかなる。それにもしもあの女の子の友達のように嫌われたとしても、ボクがそれに気づきさえしなければ、表面上は友達とやっていけるんだから!


 ……あれ? 前向きというか、ただ考えるのが面倒になっただけのような……。ま、まあともかく、心は軽くなった。


 その後も会釈をすると顔を背けられたり、逃げられたりしたが、中には普通に返してくれる人もいた。総スカンされてはさすがに膝を地につけていただろうけど、その一部の返事してくれた人達の御陰で、テンション的にはややプラスで校門にまでたどり着けた。無視した人もどこか慌てた様子だったし、何か事情があるのだろう。凄い人見知りだとか。うん、間違いない。


 小さく頷きながら校門を通り、昇降口の近くまできたそのとき、


「キャー! なにこの子ちょーかわいいんだけど!?」


「うにゃ!?」


 突如として校舎の中から走り出てきた女の子に抱きしめられた。肺が押し潰されて、変な声も出た。


 だ、だれだ!? 初対面でいきなり抱きつくなんて。常識がないにもほどが……


「教室に飾りたい! 部室に飾りたい! お持ち帰りしたい! ぬぇっへっへ……」


 ……ああ、なんだコイツか。なるほど、納得。そういえば昔、「小さくて人形みたいな女の子を見ると抱きつきたくなる」とか言っていたっけ。あの時は冗談だと思っていたが、まさか本当だったとは……。しかし、だからと言ってやっていいことと悪いことがある。表面上初対面同士の赤の他人に抱きつくなんて、常識的に考えるとぶっちぎりでアウトだ。それをなんの躊躇もなくやってしまうとは……よく今まで退学とか警察にご厄介にならなかったもんだ。さすが平和な国、日本。


 彼女はボクのことに気づいていないようだ。そりゃそうか。見た目は完全な別人だし。


「肌が赤ちゃんみたいにスベスベだわぁー!」


 ボクの頬に自分の頬をスリスリと擦りつけてくる。なんとか抵抗しようと藻掻くものの、まったくと言っていいほど意味を成さない。


 とそのとき、ふにゅっと何かが二の腕に当った。この柔らかさ。そしてこの位置。それは紛うことなく女の子特有の二つの胸だった。途端に頬が熱くなり、身動きが取れなくなった。動くと彼女の胸の感触が伝わってきてしまう。


 動揺しながら横目で周りを見回すと、場所が場所なだけに、案の定注目の的となっていた。あまりの恥ずかしさに顔を俯かせる。……で、お母さんはなんで平然と見ているんだ。見てるだけなら助けてほし……あ、鼻血出しながらシャッター押した。


「スベスベスベスベ……」


「あ、あの……」


「しかもいい匂いがする! クンクンクン……」


 まておい人の体臭を嗅ぐな。


「す、すみません。苦しいので離してもらえないでしょうか……?」


 複雑な思いを抑えつつ、初対面らしくやんわりと『離れろこの変態(意訳)』と言った。なんで後輩だったコイツに敬語使わなきゃならないんだ。しかし向こうからしてみればボクとはこれがはじめて。初対面の後輩がタメ口というのは後々面倒なことになる。我慢我慢。


「へ? あ、ああ」


 ばつの悪い顔をしてボクから離れて頭を掻く。肩にかからないセミショートのクセのある赤毛があっちこっちにはねている。相変わらずの猫毛だ。その髪とややつり上がった目、そして少しだけ日焼けした肌が彼女を活発そうに見せている。


「ごめんごめん。そこ通りかかったときに君を見つけて、あまりにもかわいかったもんだからつい……ごめんなさいっ!」


 潔く頭を下げる。こんなことをされるから、当時のボクもちゃんと怒れなかったんだよな。


「い、いえ、気にしてませんから」


「そう。良かった」


 嘘です気にしてます。


「そうだっ。これも何かの縁だし、そのまま別れちゃうのも勿体ないから、お互い自己紹介といかない? あたしの名前は立仙茜りっせんあかね。三年三組」


 知っている。お前のせいで二年間どれだけ大変だったか……。でも、それも思い出となれば案外いいものだったりするから微妙な気分だ。


「茜先輩ってフレンドリーに呼んでほしいな」


 茜、先輩……だと……? 数週間前まで「茜」と呼んでいたボクとしては、まったくフレンドリーじゃない。むしろ敬いすぎて口の端がピクピクとしそうだ。


「それじゃ、次はあなたの番ね」


「あ、はい。ボクはよし――」


 言いかけて言葉を飲み込む。どうする? このまま正体を隠すか、それとも素直に明かしてしまうか。茜とは部活の先輩としてそれなりの交流があった。他人ではない。でも茜だからなあ……。うーん……よしっ。ここは脳内シミュレートだ。二年間で得た情報から茜がやらかしそうな行動を予測する。その結果で彼女に正体を明かすかどうするか決めよう。


 正体を明かした場合、彼女の反応は……?


『ええー! 努先輩なんですか!? なんで女の子になっちゃってるんですか!? きもっ!』


 よし、全力で隠そう。


「ボクは一年の吉名司です。クラスはこれから知るところなので」


「司ちゃんかあ……。いい名前だね。でもシェルロッテとかも似合いそうだよねっ!」


 お父さんその二がここにいた。


「そっか。そういえばまだクラス決まってないんだよね。でも大丈夫。いろいろ駆使して見つけるから」


「そ、そうですか」


 ストーカーだコイツ。


「って、もうこんな時間! まだ話したいけどこれ以上遅れると沙紀が怒られるっ。ごめん、あたしそろそろ行かないと。あ、そうそう。まだ部活決めてなかったら、エンタメ部とかどう? あたしもそこにいるから、良かったら来てねー!」


 そう言い残して、茜は風のように去って行った。今年で三年だというのに、一年の頃からまったくかわってない。


 ……エンタメ部か。たった数ヶ月前に引退した部なのに、酷く懐かしく感じた。

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