その後の年末 「……手伝わないよ?」
十二月。エンタメ部の部室にて。
「あ、雪だ」
窓の外でちらつく白い粉を見て思わず口にする。雪なんて何年ぶりだろう。
「おぉ。本当だ」
「珍しいわね」
隣と対面にいた疾風と沙紀も顔を上げ、窓の外を見て言う。
この地方では冬になっても雪が積もるどころか降ることも稀で、こうして目にすること自体がほとんどない。決して積もることはないと思っていても、雪が降る光景を見ただけで気分が高揚してくる。
早いもので今年ももうすぐで終わりだ。さきほどまで終業式があり、明日からは冬休みだ。
三人が視線を窓の外に向けるなか、茜はパイプ椅子に座って長机に両肘をつき、両手を口元で組み、どこか遠くを見ていた。ちなみにメガネはしていない。
「何故、人は年末になると大掃除をするのか……」
見た目だけ、意味深げに問いかけた。
「茜先輩がポテチを落とすからじゃないですか? あーもう疲れました」
頭に三角頭巾を被り、エプロンを付けた千沙都が立ち上がりながら言う。
「いやそれ別に年末だからとかじゃなくて今のことだよね? それに落としたのはあたしのせいというか、ポテチの袋が堅くて開けられないから誰か開けてって頼んだら千沙都が立候補して開けようとしたけどやっぱり堅くて、なんかオチが読めたから止めさせようとしたのに聞かなくて、全力出した結果ぶちまけた千沙都のせいだよね?」
茜が床を指差す。そこには見事に一つも食べられなかったポテトチップスが無残に散らばっていた。
「ちさは頼まれたから頑張ったんです。それなのにちさだけのせいにするなんて……茜先輩は鬼ですか!?」
「あたし止めたよね!?」
「止めるならもっと強く止めてくださいです。よく言うじゃないですか。止めて止めてはむしろやってほしいっていうフリだって!」
「それはコントの世界の話だから! なんであたしが自分で買ってきたポテチをぶちまけられるようなことをさせるの!? そんなのただのアホでしょ! ねぇ沙紀!?」
茜はぐるんと勢いよく首を振り、ソファーで寛いでいる沙紀に視線を送る。沙紀はお茶をズズズと音を立てて飲んだ後にガリを一つ口に含み、横目で茜を見た。
「あなた、アホじゃなかったかしら?」
「きぃぃー!」
茜がサルみたいな声を出して頭を掻き毟った。いつものやりとりなのにいつもより怒っている感じなのは、きっとポテチが食べられなくてイライラしているからだと思う。食べ物の恨みは怖い。茜だとそれほどでもないけど。
「話の流れ的に今のはあたしに同調するところじゃない!? なんで千沙都の肩持つの!?」
「別に肩は持ってないわよ。千沙都も早く掃除しなさい。せっかく大掃除を済ませたのに、台無しじゃない」
ギロリと千沙都を睨み付ける。
「は、はいです」
千沙都は背筋を伸ばして答えた後、再びしゃがんでポテチを拾い始めた。
「そう、大掃除!」
茜が今度は沙紀を指差す。が、すぐに長机に両肘を付いてさっきまでしていたポーズに戻る。
「何故、人は年末になると大掃除をするのか……」
沙紀がため息をつく。
「あなたの家では大掃除しないの?」
「凄いする。お母さんが鬼になってする」
鬼になって掃除するとはどういう……ああ、今のように、全然動かない茜にイライラして、鬼の形相で掃除をさせるってことか。納得。
「じゃあしなさい。あなたの担当のところだけ残ってるわよ」
沙紀が部屋の隅に目を向ける。そこには茜が拾ってきたガラクタが埃を被って山積みにされている。
「……来年じゃダメ?」
「そう言ってやるつもりないでしょ」
茜が目を逸らす。
「掃除しないならアレ全部捨てるけど、どうする?」
「捨てるってアレだよ? もったいないとは思わない?」
「思わないわ」
同意を求めるように茜が視線を巡らせる。(茜的には)残念ながら全員が頷いた。このガラクタの山を見て、誰が勿体ないと思うのか。
「沙紀、ごめん。一生のお願――」
「イヤよ」
「まだ言ってないよね!?」
言わなくても分かる。掃除を手伝って欲しいのだろう。イヤ以外の選択肢が見当たらない。
「あれぐらい自分で掃除しなさい」
「えー。今沙紀手が空いてるんでしょ? 手伝ってよ」
「私はちゃんと自分の分を済ませたの。……早く取りかからないと本当に捨てるわよ?」
「ぶー」
茜が頬を膨らませて不満をアピールする。そしてその表情のまま、沙紀と同じくソファーでお茶を飲んでいたボクと颯を見る。沙紀がダメならボク達、というわけらしい。
「……手伝わないよ?」
「右に同じ」
「ケチッ!」
捨て台詞を吐いて、ようやく茜が立ち上がりガラクタへと向かった。ガラクタは山になっているけど、ほとんどが空洞だから見た目ほど数は多くない。一人で充分だろう。
今日はこの後にエンタメ部で少し早いクリスマスパーティを行うことになっている。三時からとしているので、それまで大掃除をすることになったのだ。誰が何をするかは公平にクジで決めたけど、茜だけは例のガラクタがあるのでクジには参加させず、それを整理整頓させることにした。
大掃除は一時間ほどでさっきほぼ終わったのだけど…………案の定というか、茜は一人椅子に座って漫画を読み寛いでいた。その後小腹が空いて鞄からポテチを取り出し、気付いた千沙都が駆け寄り、袋を開けようとしたけど失敗して中身を全部床に零し、それを掃除して……今に至る。
「はあー。なんでこの忙しい年末に掃除なんて……」
「汚い部屋のまま年を越すのは気持ち的に嫌じゃないか? 掃除して、綺麗さっぱり新年を迎えたいだろ?」
颯が模範的回答を返す。まるで年末のテレビに流れる掃除用品の宣伝のようだ。
「いえ、あたしはそういうの気にしないので」
「少しは気にしろよ。年末年始ぐらい……」
颯が肩を落とす。気にしないというよりは、面倒臭いからとにかく掃除したくないだけのように思える。たぶん当たってる。
「床掃除終わりました!」
ゴミ箱を抱えて千沙都が立ち上がる。彼女の周りの床を見ると、ポテチは綺麗になくなり、拭き上げた床は光沢を放っていた。
「ナイス! 千沙都、次は――」
「ご苦労様。ガリか煎餅食べる?」
「煎餅くださいです」
千沙都は差し出されたガリを避け、皿に盛られた煎餅を手に取り囓った。遠くでは無視された茜がこっちを向いて固まっている。沙紀も違う意味で固まっていた。今の選択肢でガリを選ぶ人がどれだけいるだろう。
「ところで、この後クリスマスパーティをするんですよね?」
ガジガジと硬めの煎餅に齧り付きながら千沙都が言う。
「ええ」
避けられたガリを寂しそうに見ていた沙紀がそれに答える。
「なんで二十四日にしないんですか?」
『――っ』
さらっと爆弾発言。ボクと颯が同時に反応して、肩を震わせた。沙紀がちらりとこちらを見る。
原因はボク達にある。というか空気を読めばすぐに分かりそうなものだけど……まあ千沙都は純粋というか天然なので本当に気付いていないのだと思う。だってそんな表情してるし。
二十四日はボクと颯だけ先約が入っていてみんなと一緒できないのだ。だけどみんなともパーティをしたいので、今日にずらしてもらったのだ。今日なら終業式の後ということで時間もあるし、みんなを集める手間も掛からない。
千沙都にどう言ったらいいものか。考えていることは同じようで、沙紀と颯と目が合う。颯が目で訴えるように、正直に言うのがいいんだろうけど、ここには茜がいる。正直に言おうものなら、きっと二人してあーだこーだと盛り上がって面倒なことになるに違いなかった。
と、憂鬱になっていたが、展開は予想していたものと少し違っていた。
「千沙都……空気というものを知ってる?」
声に目を向ければ、雑巾を握り締めた茜が腰に手をやりこちらを向いていた。その傍らにはキラリと光るガラクタが。……磨いたらしい。
「く、空気ですか? 空気って人間が生きるために必要な――」
「あー、そっちじゃなくてもう一つの方の空気」
「えっと……茜先輩が全然読めないヤツですか?」
「それだけどあたしは空気読める方だからね!?」
千沙都が目を細め、疑惑の眼差しを送る。
「……で、その空気がどうしたんですか?」
「とりあえずそのあたしを疑うような目は止めようか」
「生まれつきです」
「生まれつきで糸のように細い目をしてたっけ!? ……まあいいや。とにかく、空気よ空気。読めば分かるでしょ? 主にそっちの空気」
茜と千沙都が同時にこちらを見る。千沙都が怪訝な顔をしてボク達を見つめて、そして、
「――はっ!?」
ようやく気付いたようで、目をカッと見開いて颯を指差し――
「颯先輩、クリスマスは聖夜ですよ! 聖夜に何するつもりですか!? 何するというかナニするんですよね!?」
……微妙に違ってた。
「しねーよ!!」
颯が顔を真っ赤にして立ち上がって叫んだ。見れば千沙都も真っ赤だ。
「いやいやするんですよね!? しちゃうんですよね!? そりゃ男だったらしたいですよね!? 溢れ出るリビドーを余すことなくぶつけたいんですよね!? さすが颯先輩です! やりやがりますね!」
「何がさすがか知らないが、しねーって!」
「ちさもつーちゃんにリビドーをぶつけたいです!」
「お前は何を口走ってんだ!?」
「……千沙都ってリビドーって言葉知ってたんだ」
千沙都と颯が言い争うなか、ほぼその原因と言える茜が冷静にツッコんだ。
「茜。早く千沙都をなんとかして」
「あたしが?」
「あなたが五月蠅くしたようなものでしょ?」
「まあそうだけど」
「責任持って大人しくさせて」
「えー。面白いからもうちょっとこのまま――はいすぐ止めます」
沙紀に睨まれた茜が二人の間に割って入る。
「はいはいどうどう。颯先輩落ち着いて。千沙都は中学生みたいな妄想はストップ」
「中学生って! ちさはただ……その……」
千沙都が顔を赤くして反論しようとするが、俯き、声も小さくなっていく。
「千沙都……」
茜が千沙都の肩をポンと叩く。
「高校生ならもっと性癖爆発させな――いだっ!?」
沙紀の投げた茜のガラクタが後頭部にクリーンヒット。いい音がしたけど、材質は柔らかそうなのでコブはできないはず。
茜が後頭部を押さえながら涙目で振り返る。
「ちょっと沙紀!」
「なんとかしてって言ったのにかき混ぜてどうするのよ」
「いやぁ、どうせするならもう少し過激にいった方が面白いかなって」
「そういうのいらないから」
「ですよね」
颯と千沙都がソファーに座り、同じように茜も座ろうとしたところを沙紀が阻止し、渋々一人だけ掃除に戻っていった。
「……いいか。別に千沙都が思ってるようなことは微塵もないからな?」
颯が釘を刺しておく。千沙都は半信半疑ながら、仕方なくといった感じで頷いた。
「二十四日は司の両親にお呼ばれされてるんだよ。うちでクリスマスパーティしないかって」
それは先々週の日曜日のこと。期末テストの勉強のためにうちへとやってきていた颯に、お昼ご飯を一緒していた父さんからおもむろに提案があったのだ。事前に父さんからの説明はなしの独断。結果颯はオーケーしてくれたけど、後で母さんに怒られていたのを覚えている。
「お呼ばれですか……」
「両親公認なんですね」
「いやむしろ自宅に呼ぶことによって、二人だけの親密クリパを阻止しようとする父の最大の抵抗なのでは……?」
茜、だいたい正解。母さんに怒られていたとき、父さんは「ああでもしないと一線を越えてしまうかもしれない」などと言って弁解していた。
一線を越える……。まあその、茜や千沙都が言ってるように、アレのことなんだろうけど……うん、まだそれはちょっと早いと思う。
「だから沙紀に言って、パーティをずらしてもらったんだよ」
「颯先輩。なんでそこで沙紀なんですか? 一応ここあたしが部長なんですけど?」
「普通に考えて相談するなら沙紀以外ありえないだろ……」
「くっ……否定できない」
わかってるなら態度を改めればいいのに……茜には無理か。
「あ、司先輩、今あたしを見て『だったらもっとちゃんとすればいいのに。でも茜じゃ無理か』とか思いませんでした?」
「よく気付いたね」
「否定しない!?」
司先輩という響きにいまだ慣れない。
ボクと颯が付き合いだしてから、茜はボクのことを努先輩ではなく司先輩と呼び始めた。ボクとしては以前のように呼び捨てで構わないのだけど……こだわりはないので、茜の好きにさせている。なお沙紀は呼び捨てだけど、茜同様敬語になっている。こっちはこっちでおかしい。
「こういうことだ。千沙都、わかったか?」
「わかりたくないですけどわかりました」
「少しは本音を隠せよ……」
「人間正直が一番です」
正直なのはいいことだけど、何でもかんでも正直だと茜のようになってしまう。
「司先輩、今『正直過ぎると茜みたいになる』とか思いませんでした?」
「うん思った」
「正直過ぎる!」
茜がガクリと肩を落とす。たしかに茜は空気が読めるみたいだ。
千沙都が壁にかかった時計を見やる。
「そろそろ時間ですし、颯先輩とつーちゃんのために、少し早いクリスマスパーティへと向かいましょうか」
千沙都が鞄を持って立ち上がる。沙紀がそれに続き、みんなの分の湯呑みと急須を持って立ち上がると台所へと向かった。
「えっ。ち、ちょっと待って」
慌てた様子で茜が掃除を終わらせる。茜の後ろには磨き上げられた――ガラクタの山があった。掃除しても結局山のままだった。
全員が部室を出たことを確認して、沙紀がカギを閉める。
「クリパってどこでするんだっけ」
「商店街にあるカラオケよ」
「あー。歌えるし食べ物あるし騒いでも文句言われないからいいよね。沙紀、グッチョイスッ!」
「カラオケですかぁ……ここはやっぱり、一年生のちさが場を盛り上げるために演歌を――」
「それは私が歌う」
人の少なくなった階段を降り、昇降口で靴を履き替えてグラウンドに出る。
振り返り、校舎を見上げ、また来年と心の中で呟き、学校を後にした。
――その後、クリスマスパーティは、茜がジュースだけで酔ったみたいなハイテンションを終始維持しつつ颯と千沙都を弄り倒しているのを、沙紀がおつまみをつまみつつ止めるのを、ボクが眺めるという構図が二時間ほど続いて、最終的には店員さんからのお時間ですがコールによって沙紀が無理矢理三人を黙らせて終了した。
ちなみに二十四日の方は、終始緊張した颯と父さんが当たり障りのないぎこちない会話を続け、ボクと母さんと美衣がそれを見つつチキンやケーキを食べて談笑するというある意味穏やかなパーティだった。




