その75 「それならよし」
『話したいことがある』
喫茶店を出てすぐ颯さんは言った。来た、と予想通りの展開ながらも、それでも驚きに変わりはなく、口から飛び出そうになるほどに、颯さんの言葉はボクの心臓を叩きつけた。
頷き、彼に従って付いていくと、近くの公園にたどり着いた。山の中腹に位置するその公園は、最奥が展望台になっていて、ボク達の街を見下ろすことが出来た。
「景色いいだろ? 茜が教えてくれたんだ」
茜先輩。彼女の名前が出たことで、やはり話というのはアレのことなんだと確信する。
「うん。いい景色だと思う。茜先輩にしてはいいところ知ってるね」
「だよな。アイツにしてはいいところだ」
目が合い、クスッとどちらともなく笑う。そうして無言で街並みを望む。
太陽が僅かに西に傾いた時刻。燦々と降り注ぐ太陽は今日も街を照らしている。立ち上る陽炎が景色をいびつに歪ませる。
静寂。なのに、ボクの心臓は反比例するかのように早鐘を打つ。颯さんが告げるであろう言葉のせいで。
……いやいや。だからおかしいんだって。あの時の二人の話を聞いてからずっとおかしい。今のこのごっこを止めることは、ボクも颯さんも望んでいることであり、特にボクとしては颯さんに迷惑をかけなくて済むようになるんだから、願ったり叶ったりじゃないか。そう何度も何度も何度も言い聞かせているのに、どうしてボクはこんなにも不安になるんだ?
……そうだ。きっとそれは現状への甘えだ。今のぬるま湯が心地良いから、変わるとなくなってしまうから、それが嫌なんだ。ボクのわがままだ。それはいけない。ボクの都合だけで颯さんに甘えちゃダメだ。
「……司。あのな」
ついにきた。落ち着けボク。胸が今までで一番きゅってなってるけど、そんなことは二の次だ。今から颯さんが話を切り出す。もうごっこは止めようって。ボクはそれを了承して、今までありがとうございましたってお礼を言うんだ。それでまた今まで通り。先輩と後輩という関係に戻れる。だから泣いちゃダメだ。我慢して、普段通りで、笑顔で、お礼を――。
……え。泣いちゃダメ……?
「つ、司、なんで泣いてるんだ?」
「――っ!?」
颯さんがボクを見て狼狽える。慌てて目尻を拭うと、そこには光るものがあった。
涙だった。
「あれ、なんで、ボクは泣くつもりは……」
胸が苦しい。きゅっとなって、息も出来ないくらいに。それはまるで颯さんとのこの関係がなくなってしまうことが嫌だと告げるように。
……ああそうか。
唐突に理解した。痛いのは胸じゃなくて心なんだ。心が痛くて、でもボクが気付かないから、心の痛みを胸の痛みに変えて知らせていたんだ。けれど、それでもボクには伝わらなくて、溢れた想いが涙となって出てきたんだ。
溢れた想い。それはきっと……きっとじゃなくて、間違いなく颯さんへの想いだ。
そうだ。そうだよ。ボクは――
「……イヤだ」
「えっ」
「颯さんとまた元の関係に戻るなんて、イヤだ」
ずっと前から、颯さんのことが好きになっていたんだ。
「ちょっと待て、戻るってどういうことだ?」
颯さんが困惑している。
「……とぼけなくて良いよ。話聞いてたから」
「話? 話って……」
「部室で、茜先輩と――」
「まさか先週の話か?」
頷く。すると颯さんは2歩、3歩と近づき、ボクの肩に手を置いた。
「それは違う。誤解だ」
「誤解って――」
取り繕わなくて良い。ウソは言わなくて良い。そう続けようとしたら、それよりも先に颯さんが言った。
「止めるって言ったのはこの曖昧なごっこ状態を止めるって意味って、元に戻ろうと思って言ったわけじゃない!」
颯さんは一度区切り、そして――
「俺はお前とちゃんと付き合いたいんだよ……」
「好きだ司。いや、努。好きだ。ずっと好きだった。俺と正式に付き合ってくれ!」
「……え」
颯さんがボクのことを……ん、ちょっと待って。
「つ、努?」
聞き間違えでなければ颯さんは今そう言った。僕が好きだと。そして『努』が好きだと。
やはり聞き間違えではなく颯さんは強く頷いた。
「好きだ」
「え、ええっと、ちょっと待って。ちょっと待って」
生まれてから今までで、一番頭が混乱しているかもしれない。今颯さんはボクのことが好きだと言った。それは間違いないと思う。だって好きだから付き合いたいって言ったんだから。それを前提として、颯さんはその後なんて言った? 努? 努が好き? ずっと好きだった? 努の頃からずっと好きだったってこと? じゃあ今は? 何が好きなんだ?
「颯さん……いや颯、どういうことだ? もう頭がこんがらがって何がなにやら」
「何って、言ったそのままなんだが」
「そのままって、そのままってことは、颯はボクのことが好きで、司が好きで、でも努だった頃からボクのことが好きで、努じゃなくなった後のボクも好きで……そういうこと?」
そういうことと聞きつつ、もう自分が何を言っているのか分からない。ただ行き着く先は、
「それって、ほ、ほほ、ホ――」
「断じて違う!」
「うわっ!?」
強烈に否定されて、肩を揺さぶられる。
「俺はお前が好きなんだ。努とか司とか関係なく!」
関係ないと言われても見た目も性別も違うのに、どうして一緒くたに出来るのか。
「落ち着け。落ち着いて、そしてもう一度ちゃんと聞いてくれ!」
「う、うん」
もの凄い剣幕で言われ、思わずぎこちなく頷く。
颯は一呼吸置いて、ボクを強く抱き締めた。突然の行動に驚愕する。動きが取れない姿勢のまま、彼はボクの耳元で、もう一度告白した。
「俺は司になる前の努だった頃から今の司も含めて、性別とかそんな括りではなく、『お前』が好きなんだ」
◇◆◇◆
「そうだと気付いたのはいつだったか、俺にも分からない。ただ、気付いたときにはもうお前のことを目で追っていた」
告白の後、落ち着きを取り戻したボクは颯と近くのベンチに座り、彼が吐露する話に耳を傾けていた。
それは一年の頃からの話。ボクが颯と出会った頃にまで遡るのだという。
「同じ学校から進んだ奴がいなくて、入学したての俺には友達と呼べるような奴がいなかった。普通は席の近い奴とそこそこ仲良くなって、そこから交友関係が広がるのが一般的だと思うが、誰も俺に話しかける奴はいなくて、俺もそういう周りの雰囲気に気付いていて、積極的に友達を作ろうとはしなかった。だから友達は誰もいなかった。ほら、俺って見た目がこれだからな」
覚えている。あの頃の颯は一匹狼という言葉が似合うようなヤツだった。
「そんな時だよ。お前が、努が話しかけてきたのは。正直驚いたし、嬉しかった。お前とは席が離れていたのにな」
ボクから? そんなアグレッシブなことしたかな……したかもしれない。入学したてで、ボクにも友達と呼べる人がいなかった。そんな時に一匹狼な颯を見つけて、あっちも一人ならと話しかけたんだ。そこに大した理由はない。なんとなく彼なら友達になってくれそうだったからだ。
「そうして俺達は行動を共にすることが多くなった。俺が部活に入っていないと言ったら、
『だったらボク達で自由に出来る部を作ろう』とお前はエンタメ部を立ち上げた。当時の行動力には脱帽したよ」
まったくだ。でもきっとそれは颯がいてくれたからだと思う。一人で部を立ち上げても寂しいだけだ。
「もうその頃にはお前のことを気にしていたと思う。気付いたのはもっと後だったけどな」
そうして颯がふっと笑う。
「いやあ、気付いたときはほんともうどうしようって思ったよ。さっきの司以上に動揺した。もしかして俺はそう言うヤツなのかって」
そういうヤツ。つまりは……まああれだ。うん。それは動揺しないわけがない。
「だから留学した」
……ん?
「留学? だからってどういうこと?」
「そのままの意味だよ。お前から離れて、自分を見つめ直すために留学した」
「あ、あー、なるほど。そういうこと……」
…………。
…………はぁ!?
「颯が留学したのって自分がホモかもしれないからってことか!?」
「だからホモじゃねぇって!」
肩を掴まれガクガクと揺らされる。
「わわ、分かった。分かったからストップ」
充分に頭をシェイクされてから手が離れた。ちょっと気持ち悪い。
「とにかく、自分を見つめ直すために留学したんだ」
「う、うん」
こくこくと頷く。言いたいことはあるが、これ以上頭を揺らされては大変なことになってしまう。
「お前と離れて、冷静な自分になって考えた。その間向こうでも友達はできたが、お前のように親友とも言えるほど仲の良いヤツも、好意を持つほどの相手もできなかった。そして一年が経った。気持ちは何も変わらなかった」
颯がボクを見て、肩を竦める。
「まあ、帰ってきたら努はいなくて、代わりに司がいたんだけどな。でも、司には悪いが、俺にとっては良かったよ。自分の気持ちを確実なものにできたからな」
そう言って颯ははにかんだ。が、すぐに表情を引き締める。
「努。いや、司。もう一度言う。俺はお前がなんであろうと、お前という人が好きだ。男とか女とか関係ない。お前という心を持つ者を心から好きになったんだ。だから――」
颯が立ち上がり、ボクの前に来ると頭を深々と下げ、右手を差し出した。
「こんな俺で良ければ、俺と付き合ってください!」
颯からの誠心誠意の告白。それはボクの胸を十二分に突いた。
……答えるのは簡単だ。だから、ボクはすぐに答えないことにした。それより、もっと凄いことに気付かされたから。
「そっか。そうだよね。そういう考え方もあるんだよね」
「司……?」
颯が顔を上げ、訝しげにボクを見る。気にせず立ち上がり、彼の横を通って木製の手摺りまで歩いて行き、振り返った。
「見た目とか性別とか関係ない。努とか司だとか、姉だとか妹だとか、体裁なんて二の次。大事なのは変わらない心。ボクがボクであると言うこと」
始めぽかんとしていた颯も、ボクが何を言おうとしているのか理解したのか、少しずつ表情を柔らかくしていった。
「ずっとボクは何かにならなくちゃって思ってた。そうしないと頭の中がぐちゃぐちゃになって、自分が何なのか分からなくなりそうだったから」
その結果が今のボクであり、美衣の妹で、なのに時々は姉で……颯の後輩だった。
「ボクは器用じゃないからさ。どうせいつかはボロがでると思うんだ。そもそも今でもいろいろと矛盾してるからね。茜はボクを努というし、でも他のみんなは司って言うし、美衣に至っては時によって変わるし。もうごちゃごちゃだよ。……だったら面倒に考えずシンプルに、分かりやすくすれば良いんだ」
「ああ、司らしい考え方だ」
颯が笑って頷く。ちょっと小馬鹿にされた気がして、半眼を向ける。
「それは褒めてるのか褒めてないのか、どっちなんだ?」
「たぶん褒めてると思うぞ」
「それならよし」
ニッと笑いかけてから、颯に近づく。手を伸ばせば届きそうな所まで来て立ち止まる。
「ボクはボクで行こうと思う。いいかな?」
答えなんて決まっているのに、ボクは颯に尋ねた。案の定、颯の答えは、
「ああ。そっちの方が司らしい」
「面倒臭くなっただけじゃないか? とか思ってない?」
「思ってねぇよ。お前がここ最近頑張ってたのは知ってる。それに、そのせいで時々辛そうにしていたのも知っている」
辛そうにしてたのか。知らなかった。たしかに定期的に今の自分が何なのか、頭の中で整理するときは辛く感じていたけど、顔にも出ていたんだ。
……なんだ。やっぱり色々無理だったんだ。ボクみたいな不器用な人が、何かになろうと型にはまろうとするなんて。
だからと言って後ろ向きになることはない。むしろ今は前向きだ。
「じゃあ、これからはそういうことでよろしく。あ、でも学校とかじゃ今まで通り颯先輩として接するからね。他の目もあるし」
「そこは颯さんのままでいいんじゃないか? その、な?」
そっか。ボクと颯はそういう関係として振る舞っていたから、そこまで戻る必要はないのか。……まあ、それでいいのかどうかは、さっきの颯に答えないといけないわけだけど。
さて、そろそろ答えてあげようか。これ以上待たせるのも颯に悪い。
「颯」
「お、おう」
空気を読んだのか、颯の声が上擦っている。そんなに緊張しちゃってまあ。
「颯はさ、ボクのどこが好きなんだっけ」
「優しいところだ。一年の時、偏見なく俺に話しかけてきてくれた時のように」
両親に会いに来てくれたときと同じ問いに同じ答えで返した。
「……つ、司はどうだ?」
「ボク? ボクは、そうだね……」
この問い、順番が違う気がする。答えると言うことはそういうことであると同時に答えているようなものだ。
……まあ、それでいいんだけどね。
答えなんてそもそも決まっているんだから。
「誠実なところかな」




