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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
最終章 ボクはボク
72/83

その70 「いくね」

「あらいらっしゃい」


「こんにちは」


 すぐに出てきたのは和やかな表情をしたお母さんだった。颯さんは戸惑った様子は微塵もなく、けれど少し固い表情で頭を下げた。


 ほっ。お父さんが出てきたらどうしようと心配していたけど杞憂だった。でもよくよく考えれば、お父さんが出迎えるわけがないのだ。お父さんならきっと眉間に皺を刻んだ、どう見ても門前払いしそうな顔で出迎えるに決まっている。歓迎ムードなお母さんがそれを許すはずがない。


「この度はお招きに預かり――」


 口上の途中でお母さんが手を出し制する。


「高校生なんだからそんなのいいわよ。体裁を考えれば良いのは大人だけで」


「え、はあ……」


「でも心遣いは素晴らしいわ。司」


「ん?」


 お母さんが歳を鑑みないウィンクをして親指を立てる。


「やっぱり合格よ。お母さんに異論はないわ」


「う、うん」


 なにがやっぱり合格して、何に異論がないんだろう……。聞き直す前にお母さんは踵を返し、背を向けてしまった。


「二人はリビングに行って。お父さんが待ってるから」


 そう言ってキッチンのドアを開けて中に入っていった。


 再び二人だけになって、なんとなく颯さんを見やると目が合った。言葉はなく、颯さんは一度頷き「お邪魔します」と靴を脱いだ。彼に続いて家に上がり、リビングのドアの前に立つ。


 いつもなら特に何の気兼ねもなく開くドアなのに、今は別物に見える。木製なのに鉄製のような、ただの取っ手なのに電流でも流れているような、重く触れづらいドア。


 ドアというより、開けたらいるであろうお父さんのせいだよね、これって。ああもう、なんでこんなことに……。


 直前になってもこの状態。お父さんへの恨みばかりが募っていく。


「開けるぞ?」


 ふいに降ってきた言葉にはっとして顔を上げる。颯さんがドアノブに手を掛けてこちらの様子を覗っていた。


「え、うん。……あ、ちょっと待って。ボクが開ける」


 反射的に頷いてからすぐ横に振って取り消す。ここはボクの家だ。ボクが開けなくちゃ。


 颯さんは何も言わず手を引いた。代わりにボクが手を伸ばし、ドアノブに手を掛ける。


 はー、ふー。はー、ふー。


 大きく深呼吸を二度繰り返し、肺の中に溜まったもやもやを外に押し出す。実際にもやもやが解消されたかはさておき、気持ちは決まったような気がする。


「いくね」


 自分に言い聞かせるように、颯さんに告げ、ガチャリとドアノブを下げ、ゆっくりとドアを開いた。


 開けた視界には見慣れたリビングが広がり、しかしいつもとは違う雰囲気を醸し出したお父さんが一人、ソファーの真ん中に座っていた。新聞は畳み、両手を膝においてボク達を今か今かと待つように。


「こんにちは」


 颯さんが深々と頭を下げる。釣られて頭を下げそうになったけど、すんでの所で踏み止まる。


「こんにちは。そこに座りなさい」


 お父さんがわずかに視線をこちらに向け、そして対面のソファーに視線を移す。


「失礼します」


 まるで面接の時のような淀みない動きで、颯さんがソファーに移動し、腰を下ろす。慌ててボクもそれに続き颯さんの隣に座る。どれくらいの間隔で座れば良いのかなと迷ったけど、遠すぎても不自然だし、近すぎるとお父さんがテーブルをひっくり返しそうなので、くっつかない程度に間を開ける。


 ……。


 ……あれ?


 沈黙。すぐにでも話を切り出すのかと思いきや、お父さんは無言のまま颯さんを見ていた。見ていた、というより半ば睨み付けていた。なかなかに怖い……けど、いつものお父さんを知っているのでボクとしては別に怖くもなんともない。声はかけづらいけど。


 とは言え、それはボクがそうなだけであり、颯さん的にはお父さんは他人であって、その他人から睨み付けられているというのはたまったもんじゃないだろう。颯さんは悪いことをしているわけじゃないし。


 ここはボクが助け船を出さないと。ええと。な、何か話は……。


 緊張で上手く頭が回らない。と、とりあえず颯さんを紹介すればいいのかな。


「お父さん、こちらが明坂颯さん」


「分かってる」


 むかっ。不躾な言いようにちょっと腹が立つ。礼儀として紹介したのにその返答はどうだろう。そこは自分も自己紹介するところだと思う。


「ふっ」


 言い返すか投げるかどちらにしようか考えていたところ、お父さんが今日初めて表情を崩した。


「明坂君」


「はい」


 表情そのままに颯さんの手がきつく握られる。対してお父さんは相手を小馬鹿にしたような薄い笑みを浮かべる。あんな顔も出来るんだと、お父さんの新たな一面を見てしまった気がした。


 そのむかつく顔をしたまま、お父さんが口を開いた……が、


「娘同伴とはいいご身分なこ――ぶべっ!?」


「あらごめんなさい。あなたの頭の中に蚊が止まっていたから」


 お父さんの後頭部をひっぱたいて現われたお母さんは、ローテーブルにお茶の入った湯呑みを4つ置いてお父さんの隣に座った。


「そ、そうか、助かっ……頭の中?」


 ナイスアシスト、お母さん。表には出せないので心の中で称賛を送る。しかし、まったくお父さんは……。リビングに通されて早々、開口一番がそれは人としてどうかと思う。喧嘩を売っているとしか思えない。まあ喧嘩を売られたらもちろん買うけど。ウニならお釣りが出るはずだ。


「大人が子供を威圧してどうするの。大人気ないわよ」


「いや、しかし――」


「言い訳無用。それともなに? 自分の優位な立ち位置を利用しないと子供さえ相手に出来ないのかしら? パワハラよパワハラ」


「パワハラって、俺は――」


「ああもう女々しいわね。これ以上何か言うなら、明日から毎日毎食おかずに大量のニンニクを練りこむわよ」


「ニ、ニンニク……だと……っ」


 さっきまでの威厳はどこへやら。目を見開くお父さんは、いつもの雰囲気を取り戻していた。


「そっ、そんなことをされては、明日から会社で誰とも話せなくなるじゃないか!?」


「それが目的に決まっているじゃない。うふふ。にんにくの匂いを体中から発散させて、『なにこの人、社会人なのに匂いに気を配ることもしないのかしら。これだからおっさんは』って女性社員の方々に嫌われると良いわ!」


「待ってくれ。うちの会社は女性が強いんだ。そんなことをされては会社にいづらくなってしまう!」


「私にあなたの社内事情なんて知ったことではないわ!」


 な、なんという嫌がらせ……っ。地味だけど効果は抜群だ。一食二食ならともかく、毎日毎食にんにくを出されては口どころか体臭までがニンニク臭くなってしまう。そんな状態で会社に行けば、話せばその匂いで相手を不快な気分にさせ、いるだけでも放出される異臭で周囲の人々に迷惑を掛ける自動公害マシーンと化すだろう。もちろん家でも似たような扱いになり、お姉ちゃんからも「お父さん臭い、こっち来ないで」と罵られ、他のごく一般的な家庭でも見られる、父親の加齢臭を嫌う娘という構図が出来上がってしまう。きっとお父さんは生きていけなくなる。胃ももたれるだろうし。


「わ、分かった。もう彼を虐めるようなことはしない」


「やっぱり虐めてたのね」


「虐めてはいない! 今のは言葉の綾で――」


「とりあえず今晩のご飯はお父さんだけニボシね」


 お父さんががっくりと肩を落とす。自業自得だけどちょっと可哀相にも思える。ふりかけくらいは許してあげよう。


「ごめんなさいね。この人親馬鹿だから」


 おほほと笑うお母さん。親馬鹿なのはどっちも同じだと思う。変態度で言えばお母さんが圧倒的だし。まあでも、こういう時に冷静でいられるのもお母さんか。


 目の前でしょうもない漫才があったというのに、颯さんは表情を崩すことなく「いえ、気にしていません」と真顔で応えた。


「それで、来てもらったのは他でもない、うちの司とのことなんだけれど」


「はい」


 ついに本題だ。再び颯さんの手に力が入る。ボクはそれを横目で見つめ、見守る。


「ほら、いつまでもしょんぼりしないの。呼んだのはあなたでしょ」


 お母さんがお父さんの脇腹を突く。「ああ」と弱々しい声を出してゆっくりと顔を上げる。


「ただし、颯君を虐めちゃ駄目よ」


「わ、分かってる」


 毎食ニンニクは嫌のようで(誰だって嫌だ)、お父さんは不自然な笑顔を顔に貼り付けた。無理をしているようで、こめかみのあたりに青筋が浮かんでいる。


「ごほん。……颯君、だったかな」


 知ってるくせに。


「はい」


 律儀に応える颯さん。


「あー、その、なんだ……」


 なんだ、って聞きたいことはアレに決まっている。


「アレだな、うん、アレだ……」


 そう、アレだ。だから聞くなら早くして欲しい。さっきから心臓がドキドキして落ち着かない。


「……き、君は、うちの司と……」


 うちの、が凄く強調されていた。


「うちの、司と…………つ、つつつ付き合っているのかね?」



「はい」



 酷く震えた声でお父さんが尋ね、それに凛とした態度で颯さんが返事した。視線をそらすことなく、間髪入れず、むしろ早すぎるくらいに、はっきりと。


 答えは決まっていた。けれど、こんなにも堂々と言うとは思っていなくて面食らってしまった。お父さんも同じみたいで、目と口を大きく開けて呆然としている。唯一お母さんだけは「あらあら」と笑っていた。


「つっ、付き合っているのかね!?」


 腰を上げ、ローテーブルに手をつき、前のめりになって同じ質問を投げかける。


「はい」


 再度の質問にも颯さんは力強く応えた。明らかに動揺しているお父さんは、揺れる瞳で颯さんとボクを交互に見つめ、その後お母さんへと振り向いた。


「お母さん!?」


 お母さんがにっこりと微笑む。


「二人はお付き合いしているのよ」


「おっ、おつっ……」


「恋人同士なのよ」


「こいっ……ふおぉぉぉ!?」


 お母さんの追撃により、ついには変な雄叫びを上げ始めた。ローテーブルの端を掴んだので、慌ててお母さんとボクの足でこっそりテーブルの足を押さえて阻止する。このご時世にちゃぶ台返しなんてやられたら古すぎて恥ずかしい。


「ふんぬっ、ふん――」


「落ち着きなさい」


「へぶらっ!?」


 スパンと心地良い音と意味不明な言葉が同時に聞こえた。


「ごめんなさいね。うちの人、ちょっと気が動転してるみたいで」


「は、はあ……」


 颯さんが反応に困っている。それはボクも同じだった。颯さんを見られたときもそうだったけど、ここまで颯さんを、というかボクの彼氏というものに拒否反応を示すとは思わなかった。娘を持つ親というものはどこもこんな感じなのかな。他を知らないから比べられない。でも、ちゃぶ台返しにまでいたる人は少数派のはず。きっとお父さんのこの反応はやり過ぎだ。


「子供を取られる親というものはみんな多かれ少なかれ寂しいものだし、そんなことは決してないのに、いつまでも自分のそばにいるものだって思ってしまうのよ」


 それでもうちの人は少々やり過ぎだけれどね、とお母さんは付け加えてクスッと笑った。


「なんとなくですが、気持ち分かります」


「でしょう?」


「はい」


 颯さんが釣られるようにして微笑む。お母さんと颯さん、この二人は大丈夫そうだ。元々お母さんはウェルカムだったから心配なんてしてなかったけど。


「お、お母さん、今のはちょっと痛かったぞ」


「落ち着いたかしら?」


「御陰様で……」


 頭を擦りながら、お父さんがソファーに座り直す。機嫌を多少損ねているように見えるけど、落ち着きは取り戻しているようだ。


「それで、どうかしら?」


「どうって?」


 お父さんが怪訝な顔をする。それを見てお母さんがため息をつき、僅かに眉間に皺を寄せた。


「なんのために颯君を呼び出したのかしら?」


「それは、彼が司と本当に付き合っているかどうか知りたかったのと、颯君がどんな子か見てみたくて――」


「なら分かっているわよね? あなたがするべきこと」


 そう言ってお母さんがボクと颯さんを見る。


「……そうだな」


 お父さんもボク達に向き直る。その表情にさっきまでの貼り付けた笑顔はなかったけど、怒ってもいなかった。いつもの真面目な顔をして、いつもより少し堅い口調で言った。


「お母さんのように大歓迎、とはいかないが、颯君、君は司が選んだ人だ。ちゃんと約束通りに来てくれたし、見た限り悪い人でもなさそうだ。……君に司を任せよう」


「あ、ありがとうございます」


 お父さんの言い方に釈然としないものを感じたけど、何にしろ認めてくれたのはたしかだ。これで家族公認、問題は解消された。胸を撫で下ろす。


「ただ、一つだけ聞いていいかな」


「はい。なんでしょうか」


 まだ何を聞くつもりなんだ。せっかく山場を乗り越えたと思ってほっとしていたのに。


「君は司のどこに惚れたんだ?」


 心臓が跳ね上がる。ありえた質問だけど、このタイミングで来るとは思っていなかったので不意打ちだった。しかも惚れたって、そんな直球な……。


 颯さんは何て答えるだろう。気になって、次の言葉を待つ。


「もちろん全部です」


 考える素振りすら見せず、颯さんは即座に答えた。あらかじめ考えていたのだろうか。それとも……


「ですが、強いて言えば」


 颯さんはそこで一度区切ると、ボクの方をチラリと見て微笑み、その後お父さんに向き直り、はっきりとこう言った。



「他人を思い遣る、優しい心です」

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