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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
最終章 ボクはボク
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その68 「どれ着たら良いかな?」

 休日にいつもより早く起きると、自由な時間を長く使えると喜ぶべきなのか、それとも休日なのにゆっくりと眠ることができなかったと嘆くべきなのか、迷ってしまうのは僕だけだろうか。まあ、今日は悠長に寝てる訳にもいかなかったのだけど。


 目覚ましが鳴り始めるずっと前にベッドから起き上がり、カーテンを勢い良く開けた。差し込む光に目を細めながら窓を開け住宅街を見渡す。青々とした葉を広げる街路樹や高々と積み重なった雲に夏を感じる。もう少しすればセミが騒ぎ出すであろうこの場所も、今はまだ小鳥のさえずりだけが響いていた。


「ついに来てしまった……」


 緊張を吐き出すように、青空に向けて呟く。声は誰に届くこともなく、遠い空に吸い込まれていった。


 学校では颯さんと彼氏彼女な関係のふりをし続け、家ではお父さんの追求から逃げ続け、そうしてやってきた日曜日。今日は颯さんがボクの彼氏として両親と会うために、家にやってくる日だ。


「ああ、どうしよう。どうしよう」


 愛用の抱き枕を胸にぎゅっと抱えて、ゴロゴロとベッドの上を転がる。今更何を考えたって遅いのに、焦燥だけが募り、いても立ってもいられなくなる。布団を頭まで被ったり、抱き枕のはむはむさんの腕を引っ張ったり、ウニの置物を眺めてみたり。ようやく落ち着きを取り戻すと、上半身を起こしてグルリと周囲を見回した。昨日掃除、整頓した部屋は塵一つなく、最近になって買い漁り始めたハムスターとカピバラのぬいぐるみが、ウニの置物を交えて整然と並んでいる。ちなみにカピバラは何気なく本屋で手に取った月刊齧歯類の特集『カピバラの全て』を読んだことから、ハムスターと同じぐらい魅了されてしまったので、同じく集めるようにしたのだ。


 お母さんに「やっと女の子らしい部屋になったわね」と言わしめたボクの部屋は、三日前に突然の壁紙張り替えが行われた。白と青の壁紙から白とピンクの壁紙に張り替えられた結果、今のマイブームだという薄緑の壁紙に張り替えたお姉ちゃんの部屋よりも女の子ちっくになってしまった。なのに嫌じゃなかったのは感性が少しずつ変化しているからだろうか。


 プチリフォームされた自分の部屋に満足していると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。


「はーい」


「ちっ、もう起きていたのね」


 今、お母さん舌打ちした。絶対した。


 ドアが開き、エプロン姿のお母さんが姿を見せる。既に外行きの服に着替えたお母さんはメイクまでバッチリ済ませていた。


「おはよう。今日は颯君が来るんでしょ? 早く起きて準備なさい」


「おはよう。うん。分かってる」


 返事をしてから首を傾げる。颯さんが来るのは10時半過ぎ。今は7時前だから、まだ3時間以上もある。時間は充分あるのに。


 ベッドから這い出て、クローゼットをオープン。色鮮やかな洋服を前に、どれを着るべきかと悩む。夏らしく涼しげなノースリーブのワンピースか、動きやすいティーシャツとショートパンツか、はたまた女の子らしいピンクのシャツに白のロングスカートか……。


 クローゼットの前で腕を組み、唸ること数分。ふと振り返ると、まだそこにはお母さんが立っていた。


「何か用?」


 お母さんは優しげな笑みを浮かべたまま首を横に振る。怪訝に思いつつも向き直り、洋服選びを再開する。これは先週着たからダメ。あれは胸に目がいくから論外。それは可愛くないしなあ……。


 良いのが見つからない。と言うより、こういう日ってどんなのを着れば良いんだろう。スーツ? いやいや、そんなに畏まったものじゃないし。


 また悩むこと数分。しばらく思案した後に振り返り、やっぱりそこにいたお母さんにはにかんだ。


「お母さん、どれ着たら良いかな?」


 どうしても決められず、情け無くもお母さんに一任することにした。待ってましたとばかりに表情を明るくしたお母さんは、この展開を予想していたのだろうか。


 お母さんに勧められるがままにシャワーを浴びて寝汗を流し、白をベースとした右胸のカップに大きなピンクのリボンがあしらわれたブラとお揃いのパンツを穿く。自慢の銀髪は時間をかけてドライヤーで乾かし、ブラッシング。お母さんが用意した可愛らしい水色のミニワンピースに黒のショートパンツを着て、軽く化粧(お母さんが)。最後に前髪の左側ちょっとを横に流し造花のヘアピンで止めて完成。


「これで颯君も司にイチコロねっ」


 その歳でウインクは厳しいんじゃないかなと、聞かれたらちょっと大惨事になりかねないことを考えつつ、出来上がったボクを鏡越しに見る。見慣れた顔のせいで善し悪しが分かりづらいけど、『化ける』という漢字が入っているだけに、化粧をしたボクは良い意味で化けていた。肌は白く輝き、唇は朱色で瑞々しく、目もいつも以上にパッチリしているような気がする。髪もオイルみたいなものを塗られたせいか艶々しているし、淡い桜色と白のグラデーションの効いた造花のヘアピンが少女らしさを引き立てていた。


 ……うん、いいんじゃないかな。鏡の少女がほんのりと笑って小首を傾げる。が、背後に立っていたお母さんがにんまりしているのを見て、すぐに表情を引きつらせた。


「大丈夫っ。人間誰しもナルシストよ」


「うぐっ……」


 バッチリ見られていた。恥ずかしい……。


 ◇◆◇◆


 一通り支度を済ませて部屋を出ると、友達と遊ぶ約束があると言っていた二度寝中のお姉ちゃんを叩き起こして送り出し、リビングで新聞を広げる渋い顔のお父さんに内心ため息をつきながら挨拶を交わしてから少し遅めの朝食を取った。その後もう一度玄関、リビング、自分の部屋と掃除をして、颯さんを迎え入れる準備が整ったのは、なんと10時過ぎてのことだった。


 時間が経つのは早いなあ。アップルティーを啜って一息つく。髪をまとめていたヘアゴムを取り去ると、ふわりと背中に広がった。


 ダイニングテーブルからリビングのソファーで渋い顔をするお父さんを見つめる。この一週間見慣れた表情だ。


『自慢の娘をどこの誰かに取られるなんて有り得ない。もしそれを許すなら、自分のお眼鏡に合った人でなければならない。親馬鹿っぽい努先輩のお父さんなら考えそう』


 まさにそんなことを考えてそうな顔だ。人を寄せ付けない雰囲気をその身に纏っている。おかげで存在感が当社比五割増しだ。


「司。髪の毛が絡まっているわよ」


「ん、ありがと」


 お母さんがボクの髪を梳く。他人に髪を梳いて貰うのは気持ちが良い。特にお母さんは手つきが優しいからなおさらだ。心地良い刺激に目を細める。


「大丈夫。颯君ならお父さんも認めてくれるわ」


「……うん」


 別に彼氏じゃないけど、認めてくれるのなら素直に嬉しい。一応ボクの先輩なのだから。


 お母さんのおかげで気持ちが落ち着いてくる。落ち着いて、ようやく自分が緊張していたことに気付いた。ただ先輩を親に紹介するだけだというのに、何を神経質になっているのか。


「だから、ね」


 お母さんが顔を寄せて、耳元で囁く。


「颯君と正式に付き合っちゃいなさい」


「っ!? な、なんで知っ――むぐっ」


「しーっ」


 お母さんが僕の口を手で覆い、その甲に人差し指を立てた。見開いた目を向けると、クスクスと笑っていた。


「静かに。お父さんに聞こえるわよ?」


 すぐさま視線をリビングに向ける。お父さんは相変わらず渋い顔をして新聞を広げていた。テレビの音で気付かなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。あのお父さんのことだ。今になってこの話をしても、どうせマイナスな部分だけが耳に届いて、あらぬ疑いをかけられるに違いない。実際この一週間、話す度に誤解が増えていったんだし。おかげであの四六時中の仏頂面だ。


 しばらくしてお母さんは手を離してくれた。


「これでもあなたのお母さんよ? 見ていれば分かるわ」


 いつもであればここで暴言の一つは言うところなんだろう。しかし、全身から滲み出る心優しい母親オーラを正面から浴びたせいで言葉を失ってしまった。まるで我が子を案じる普通の母親じゃないか。


 ふいに楽しげな笑い声がリビングとダイニングに溢れた。お父さんがテレビのチャンネルを変え、音量を上げたようだ。こんな時間にお笑い番組かな。


「命短し、恋せよ乙女」


「え、なに?」


 テレビに気を取られて聞き取れなかった。お母さんは悪戯っぽく笑い、「さあ、なんて言ったのかしらね」と言ってはぐらかすと、ボクの頭を押さえて前を向かせ、再び髪を梳き始めた。


「はい。できたわよ。さあ、颯君を迎えに行ってきなさい」


 言われて時計を見ると、長針が真下を指そうとしていた。そろそろ颯さんが訪問してくる頃合いだ。一人でインターホンを押し、出迎える両親と一人相対するのはキツイだろうと、事前にボクが外に出て合流する手筈になっていた。お母さんのことが気になるけど、今はこっちを優先しないと。


 クイッとアップルティーを飲み干してリビングを出る。玄関に向かおうとして思い止まり、脱衣所へ。洗面台の前に立ち、鏡に映った自分をチェック。右の青と左の赤が存在を強調していた。チラリと洗面台の脇に置いてあるコンタクトレンズケースを見やる。


「……ま、いっか」


 コンタクトを付ける手間と颯さんを待つ間片目を閉じる手間を天秤にかけ、後者を選ぶ。化粧をしてしまっているからというのもあるけど。


 今度こそ玄関へと廊下に出るとリビングのドアを開けてお母さんがこちらを見ていた。


「ちゃんと颯君を連れてくるのよ」


「うん。ちょっと行ってくるね」


 お母さんの前を通り過ぎ、玄関でショートブーツを履く。むむ、これも先週のパンプスみたいにかかとが厚底になっていて高い。歩きにくいなあ。


「司」


 ガチャリとドアを開け、敷居を跨いだところでお母さんに呼び止められた。振り返り、次の言葉を待った。


「司、あなたはあなた。他の誰でもないのよ。自分の気持ちに、正直にね」


 お母さんは笑みを深めて、今度ははっきりと聞こえるように、ボクを見つめて言った。

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