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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
最終章 ボクはボク
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その66 「お父さん?」

「はあ……」


 意識せずため息が漏れる。今日何度目だろう。昨日の夜からずっとこんな感じだ。気付けばため息を漏らしている。それだけ憂鬱だということなのだろう。頑張って作ったお弁当も喉を通らない。


「はあ……」


「どうした? さっきからため息ばかりついてるぞ」


 ガツガツという表現が似合いそうなほどにお弁当をかき込んでいた颯さんがお箸を止めて話しかけてきた。食べる気のしないプチトマトをお箸で転がしながら応える。


「その、いろいろとありまして……」


「いろいろ? 悩み事か? それとも体調が悪いのか?」


 颯さんが心配そうに顔を覗き込む。口の端にご飯粒がついていて、表情とのアンバランスさにプッと吹き出してしまう。


「体調なら大丈夫。良いとは言えないけど、そう悪くもないよ」


 今日の朝から絶賛女の子の日に突入してしまったせいで決して調子がいいというわけではないけど、今度の新しい薬はボクに合っているのか、効き目は少々弱いながらも副作用がほとんどなく、頭がぼーっとすることはなかった。多少お腹の下がシクシクと痛むだけで全然我慢できる範囲だ。


 ため息の要因はもっと別のところだ。


「えっとですね……」


 言うべきか言わざるべきか。数秒悩み、結局ボクは言うべきだと判断した。これは彼に深く関係のあることなのだ。ゆっくりと口を開く。


「冷静に、冷静に聞いてよ……」


「お、おお」


 空気を読んだ颯さんがお箸を置いて、ボクに向き直る。喉仏のある喉がゴクリと動いた。


「お父さんがね。彼氏を家に連れてこい、だってさ」


 ……。


「…………は?」


 目を点にした颯さんが十二分に時間を置いてから発したのは、その一言だけだった。


 ◇◆◇◆


 それは昨日の夜のことだ。


 休日一日を颯さんと二人で遊び、暗くなる前に家の前で別れ、ぬいぐるみを抱えて玄関をくぐった。


「ただい――って、お父さん、そんなところでどうしたの?」


 玄関で尻餅をついてボクを見上げるお父さんを目にし、首を傾げる。スーツ姿なことから今仕事から帰ってきたのだろう。日曜日だというご苦労様です。


「お父さん?」


 返事をしないお父さんを訝しむ。目の前で手を振っても反応なし。瞳に力もなく、心ここにあらずといった感じだ。


 何度か呼びかけ、手を振った後、これではダメだと肩に手を伸ばしたときだった。虚ろだった瞳に突然光が灯り、子持ちのインドアサラリーマンとは思えない俊敏さでボクの手首を掴み、立ち上がった。


「えっと、お父さん?」


「司、ちょっとこっち来なさい」


 いつになく低い声でそう言い、ボクの手を引っ張ってリビングへと急いだ。「そこに座りなさい」とソファーに座らされ、晩ご飯の準備をしていたお母さんまで作業を中断させ、ボクの正面のソファーに二人並んで腰を下ろした。


 何事かと目をぱちくりするお母さん。ボクはと言えば、まあ似たような感じなんだけど、いまだ胸の中にいるはむはむさんが場にそぐわないような気がして、渋々腕の中から解放し、そっと隣に座らせた。うん。かわいい。


「どうしたのよ突然」


 エプロンで手を拭いながらお母さんが口を尖らせる。無理矢理作業を中断させられたのだから当然だ。目つきも少しだけお父さんを咎めるように鋭くなっている。いつものお父さんならここですぐお母さんを解放するだろう。しかし、今日は様子が違った。いや、様子ならさっきから違うのか。とにかく、いつも気配の薄いお父さんから鬼気迫るものを感じた。それでも全然怖くはない。何故ならボクは怒られるようなことをした覚えが一切ないのだから。


「司」


「なに?」


 早く部屋に戻って、就寝時以外のはむはむさんの定位置を決めたいのだ。重々しくしなくていいから、とっとと用件を済ませてほしい。


「……さ」


「さ?」


「さ、ささ、さささっきの男はなんだ!?」


 ……ん?


 一瞬お父さんの言っていることが理解できなかった。さっきの男はなんだと突然問われても、物言いが抽象的過ぎて何を伝えたいのかがさっぱりだ。しかし、時間が経つにつれ、小刻みに拳を振るわせるお父さん、なるほどと言いたげな顔でニヤリと笑みを浮かべるお母さん、この二人の様子とさっきの発言を合わせて考えれば自ずと答えは見えてくる。


 つまりだ。


「お父さん、玄関から覗いてたの!?」


「ひどいわあなた! いくら娘でもプライバシーというものがあるのよ!」


「ぐ、偶然だ! 偶然玄関に入ったところで外から司の声が聞こえたから、父親として娘を出迎えてやろうと外へ出たらだな」


 この父親。会社から帰って早々ボクの帰りを待ち伏せしていたと言うことだ。なんてことだろう。家庭内にストーカーがいるなんて。もちろん冗談だけど。


 しかしアレを見られていたと言うことは、隣の颯さんも見られたと言うことだよね。…………やっぱりお父さんにはそんな風に見えたのかな。いやいやいや。まだそうと決まったわけじゃない。たとえそうでも、ボクが否定し続ければ、子煩悩なお父さんのことだ。きっと信じて――


「言い訳がましいわ! 素直に司の彼氏が気になったと言えば良いのよ!」


 手遅れでした。


「そ、それは……って、なんで司じゃなくお前から攻められなきゃならないんだ!? お母さんはお父さんの味方だろ!?」


「私はいつでも子供の味方よ!」


「俺より子供の肩を持つのか!? 新婚当時はあんなに俺のことってえぇぇぇぇぇ!? 司の彼氏ぃぃぃぃぃ!?」


「お、驚くのが一拍遅いわね……」


 呆れるお母さんの横で、お父さんがソファーからずり落ちんばかりに体全体で驚きを表現する。そんなに驚かなくても……いや、驚くのかな。お姉ちゃんにもいまだ彼氏ができたことはないし、一応これが我が家では初めてなわけだから、親としては心中穏やかではいられないのかもしれない。


 それよりも、なんとなくこんな展開になるだろうとは予想していたけど、この後が大変だ。お父さんは人を信じやすい。その相手がお母さんならなおさらだ。今更ボクが否定してもそう簡単に信じてはくれないだろう。


「か、彼氏。彼氏なのか!? あの男が彼氏なのか!?」


「ええそうよ! あの颯君が司の彼氏なのよ!」


「あの男は颯というのか!」


 ほら、ボクがいなくても勝手に話が進んでいく。どうしよう。どうしようもない気がするけど。それにしてもお父さんがいつになくテンションが高くてちょっとウザい。あと、なんだか部屋が暑い。エアコン効いてるのかな。


「お母さんは颯君のことを知っているのか!?」


「知ってるも何も努の頃からよくうちに遊びに来ていたじゃない。たまに晩ご飯も一緒したり」


「お、俺は一度も会ったことはないぞ……」


「あらそう? そういえば、あの子が来るときはいつもあなたいなかったわね」


 お父さんががっくりと肩を落とす。耳をそばだてると、「自分の娘の交友関係も知らないとは……」とかなんとかブツブツと呟いている。颯さんがうちに来ていた頃のボクは努だから息子が正解なんだけど、この際どっちでも良いか。


「つ、司。本当なのか? 本当にアイツがお前の彼氏なのか?」


 認めたくない。そんな気持ちがありありと見えた。男親は娘を嫁にやりたくない云々という話をドラマなどで見たことがある。これがそうか。と、冷静に考えてる場合じゃない。応えないと。颯さんとはまだそんなんじゃありません、と。…………まだ?


「聞くまでもないでしょ。だってあなた、司の顔を見なさいよ」


 二人してボクの顔を凝視する。なんだろう。なんなんだろう。


「司、あなた、さっきからずっと顔が真っ赤よ」


「……へ?」


 お母さんがどこからともなく鏡を取り出しボクに向ける。映し出されたボクの顔はたしかに首まで真っ赤になっていた。


「これは違う、違うから!」


「まあまあ照れちゃって。大丈夫。お母さんは分かっているから」


「わ、分かってるって、何を?」


 嫌な予感しかしない。


「その年頃は親に彼氏が出来ても恥ずかしくて隠したいのよね!」


「ちがーう!」


 まったく見当違いなことを言って、どうだと言わんばかりに親指を突き立てるお母さん。すぐに否定しても取り合うことはなく、笑みを深くする。


「すぐに否定しちゃうところがそうだと言ってるようなものよ。お母さんも昔、そういう時期があってね、お父さんと付き合ってるだなんて口が裂けても言えなかったわぁ」


「ほう。お母さんもそうだったのか?」


「ええ。バレたらすぐにでも別れようと思ったくらいに」


「そんなに嫌だったのか?」


「だってあなた、別に格好良くなかったんだもの」


「あれ、俺のせい……?」


 話せば話すほどお父さんの精神が削られていく。背後に縦線を背負い始めたのでちょっと可哀相になってきた。元はと言えばお父さんがこの場を設けたことが悪いんだから、決して手を差し伸べたりはしないけど。


「司!」


 我が家では復帰の早いことで定評のあるお父さんが、ボクの名を叫びながら勢いよく上体を起こし、目の前のローテーブルを叩いた。ガタンと揺れて、テレビのリモコンがカーペットに落ちる。慌てて拾い上げるところがお父さんらしい。


「今度の日曜日に、その彼氏とやらを連れて来なさい!」


 と思ったらお父さんらしくないありえないことを口走りやがりました。颯さんを連れてこいってそんな――颯さんを連れてこい!?


「な、ななんで!?」


「なんでってお父さんがその男と会いたいからだ!」


「あら、あなたそっちもいけるクチ?」


「違う! とにかく、日曜日にその子を連れて来なさい! いいね!?」


「ちょ、ちょっと待って!」


 お父さんはそれだけ言うと、さっさとリビングを出て行ってしまった。自室に直行するのかと思えば、一度玄関に戻って、それから自室へと入っていった。どうやら鞄を置いたままだったらしい。


 しかし、大変なことになった。ただでさえ颯さんに迷惑をかけているというのにこれ以上彼の負担を増やすわけにはいかない。ああどうしよう。今度こそ本当にどうしよう。


「はあ……。ねえどうしよう、お母さん」


「いい機会じゃない。お父さんに颯君を紹介してあげなさい」


 頼る相手を間違えた。

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