その64 「22センチ」
美味しい料理に舌鼓を打ちながら、ボクと颯さんはこの後の予定についてあーだこーだと話し合った。カラオケにボーリング、ゲームセンターにショッピング、ここから少し電車で南へ行ったところにある海へ行ってみるとか、反対にバスで北へ行ったところにある山の上の公園に行ってみるとか、他にもいろいろと候補は出た。しかし、久しぶりに二人で遊べるのならどこでもいいと、ボクも颯も同じ気持ちだった。おかげでお互い譲り合うばかりと、なかなか行き先は決まらなかった。最終的に候補全てに番号を付けて、スマートフォンのアプリを使い、出た数字のところへ行くことになった。まさかこういうことにも役に立つとは。恐るべしスマートフォン。
そうしてやってきたのはボーリングだった。デートの定番と言えば定番……なのだろうか。まあ既に茜先輩というストーカーの目から離れた今、デートごっこは終わっているわけだからどうでもいいか。
受付を済ませて、ボーリング用の靴をレンタルするため、大きく数字の書かれた細長い自動販売機が並ぶ前に立つ。
「司、靴のサイズは?」
「22センチ」
財布から小銭を取り出しながら応える。その意味に気付いて顔を上げた時には既に遅く、22.00cmと書かれた自動販売機からガコンと音をさせて赤色の靴が滑り出てきていた。
やられた。ここは僕が全て奢るつもりだったのに。さっきのレストランで颯さんに奢ってもらったのだ。ボクは割り勘を主張したけど聞き入れて貰えず、お店の雰囲気的にも揉めるのは憚られたので仕方なく先に外へ出た。そのため金額さえも見られなかったけど、二人分のボーリング代以上はしたはず。ボーリング分をボクが全て持っても五分といったところだろう。そう思ってたのにこれだ。
靴をボクに渡しながら颯さんがニヤリと笑う。思惑がバレバレだったのだろうか。だったらやり返そう。
「颯さんはたしか27.5センチだったよね」
あらかじめ必要分の硬貨を手に持ち、すぐにお金を投入できる状態で颯さんに尋ねる。
「いや、28.5だ」
「え、そうだっけ?」
二年の時に靴のサイズを聞いたときは27.5って言ってたような……。
「嘘」
チャリンと、すぐ近くで音がした。慌てて視線を向ける。またまた颯さんがニヤリと笑いながら、出てきた靴を取り出していた。
「27.5で正解だ」
だまされた。
「颯さんの卑怯者!」
「はっはっは」
颯さんが勝ち誇った顔でレーンへと向かう。うぅ……、また奢られてしまった。なんでお金を払っているのに機嫌が良さそうなんだ。散財したいタイプなのだろうか。いや、普段の生活を見る限りじゃそんなことはないはず。
とにかく、これ以上颯さんにお金を払わせるわけにはいかない。このあとお金を払うタイミングといえば、ボーリングを終えた後のゲーム代だ。その時は意地でも払おう。そう心に誓い、颯さんの後を追う。
途中でボーリングの玉を一つ取り、持っていく。努だった頃よりもかなり軽い物を選んだのにずっしりとくる重さだ。よくこんなに重い物をほいほい投げられたものだ。ためしに颯さんが持ってきた黒いボールを持ち上げようとしたら、肩が抜けそうになった。
「勝負する? 負けた方が相手のお願いを一つ聞くってことで」
23と書かれたレーンにあるボールリターン(投げたボールが戻ってきて貯まるところ)でボールを磨きながら颯さんに提案した。
「いいけど……いいのか?」
まるで勝利を確信しているような上から目線の物言いだ。これでも努の頃に何度となくボーリング場に足を運び、下手なりに回数をこなすことでそれなり以上のスコアを安定してたたき出せるくらいには腕に自信がある。それを颯さんも知っているはず。だからの提案。なのにこの態度。ちょっとムカッとする。
「それ、どういう意味?」
「いーや。別に司がいいのなら俺はいいんだけどな」
「……その余裕。後で調子乗っててすみませんでしたと謝っても許さないからね」
見返してやる。強い想いを胸に、勢いよくボールを持ってレーンの前に立つ。先に投げるボクだ。ボールを構え、深呼吸を一つ。ピンを見据えてから、レーンの手前にある小さな矢印にあたりをつけて――
「待て待て司。靴を履き替えろ」
ボールを振り下ろしたところで手が止まる。視線を下げ、足元を見れば、歩きにくく夏らしい涼しげな厚底のパンプス。後ろを見れば、ボールリターンの近くにポツンと置き去りにされた赤い靴。すっかり存在を忘れていた。
すごすごとレーンから下がって靴を履き替える。隣では颯さんが含み笑いをしている。売店で買った靴下を履いてから、ボーリング用の靴に履き替える。立ち上がり、つま先でトントンと床を叩く。床の固い感触が足の裏すぐに感じられて動きやすい。やっぱり厚底の靴はバランスが取りにくいよ。うんうん。
「その格好にスニーカーは似合わないな」
「むしろこの格好でボーリングすること自体間違ってる気がする」
お世辞にもデザインのいいとは言えない靴を履いた自分を想像して苦笑する。周囲を見回しても、ボクのような裾の長いスカートを着てボーリングをする女の子はいない。大抵みんなパンツルックだ。裾が長いと運動するには動きづらいし、誤って踏んづけると転倒し、怪我をする可能性もあるからだ。だったらなんで行き先候補にここを加えたんだという声がどこからか聞こえてきそうだけど、運動部に所属しておらず、体育でも運動音痴なせいでロクに動けないボクは、こういう娯楽的なスポーツでもない限り満足に体を動かせない。お姉ちゃんやお母さんにこれを着せられたからといって、それに左右されることはないのだ。
今度こそはと再度レーンの前に立つ。さっきより若干目線の下がった景色に違和感を覚えつつ、ボールを構える。
「危ないと思ったら両手で投げろよ。転がせばいいんだし」
むかっ。
「ボクは初心者じゃない!」
また馬鹿にしているのかと振り返りながら言ってやったのに、颯さんの顔に笑みはなかった。どちらかというと本気でボクが怪我しないようにと心配するような……ってやっぱりムカつく! ここは格好良くストライクを決めて、どうだ今のボクでもできるんだぞというところを見せて証明するしかない。
そう意気込み、第一投。マーブル模様なエメラルドグリーン色のボールをレーンに向けて投げた。
◇◆◇◆
負けました。ええそれはもう大差で完膚なきまでに負けました。
「ほらみたことか」
「ぬぅ……おかしい。ボーリングは数少ない颯さんに勝てるスポーツだったのに……」
颯さんが椅子に座ってコーラを飲みながらふんぞり返る。ボクは背景にズドーンと縦線を背負って俯いている。勝者と敗者がひと目で分かる構図だ。
「司、何か言いたいことはあるか?」
「ぬぐぐ……。約束だから、ちゃんと一つだけお願い聞いてあげるよ。でもおかしいと思わない? ボールが勝手に曲がるんだよ!」
そうなのだ。真っ直ぐ投げたつもりなのに、毎回途中でグネッと曲がってガターに落ちる。酷いときには投げた瞬間にガターへ一直線。運良くピン手前まで行っても、まるで磁石で引っ張られたかのように曲がり出して結局ガターへ。終始ガターの溝掃除をしてゲームは終わってしまった。
整然とスコア表に並ぶハイフンとGの文字。それに引き替え颯さんの方はというと最低の数字が8で半分以上がスペアかストライク。点数差は言わずもがな。直視するにはあまりにも酷い結果だった。
「どうせ投げるときに手首を捻るか親指が抜け損なって変な回転をかけたとか、ボールに勢いがなくて逸れたんだろ。軽い方が回転がかけやすく、曲がりやすいって聞くしな」
「ということはボールのせい!?」
「運動音痴なせいだ。元々そんなに得意じゃなかっただろ。司になってからさらにダメになったんじゃないか?」
「自分のことじゃないのに良くおわかりで……」
的を射た答えに胸が痛い。ボク自身、そうじゃないかなと思っていたのでなおさらだ。
自分が運動音痴なことは百も承知している。それでも努の頃は平均を少し下回る程度には立ち回れていたから気にならなかった。しかし、ここまで顕著だと気にするなと言うのが無理な話だ。元々ここまで運動音痴だったのか、それとも司になったせいで拍車がかかったのかは分からない。どちらにしても由々しき事態だ。早急に対策を……って、運動音痴を直すにはどうすればいいんだろう。
「でも手先は器用になったんだな」
「いえ、どちらかというと不器用だと思うけど……。どうしてそう思うの?」
不器用と言われるならともかく、器用だと言われたのは意外だった。ガターへ吸い込まれるボールのどこを見て器用だと思ったのか。
「毎日作ってくれてる弁当。あれの見た目が凄くいいからさ。昨日のなんてゆで卵ときゅうりに切れ込みをいれて飾ってただろ? 飾り包丁ってヤツだっけ。内心、あの不器用だった司がこんなことまでするなんて、と結構感心してたんだよ」
なんだ、ボーリングじゃなくて料理の方か。しかし、そういうことは後からじゃなくて、すぐその場で言ってほしい。昨日は日頃の成果を試してみようとさらに30分早起きして頑張ってみたものの、何も反応がなくてちょっとしょんぼりしたというのに。……でも良かった。気付いてくれてたんだ。
緩みそうになる頬に力を入れながら「ふーん」と返事する。返答が芳しくなかったからか、颯さんは勘繰るようにボクを見る。
「……もしかしてあの飾り包丁、そういう形に切れる型を使ったとか?」
「ちゃんと包丁を使いました」
「そ、そうか。疑って悪かった」
睨んで言うと、すぐに颯さんは頭を下げた。言うに事欠いてそれとは。
「まったく。いくらボクが不器用だからって、毎日お弁当作って、毎晩練習してれば上手にもなるよ」
「毎晩? それはすげえ。大変じゃないのか?」
「んー。そうでもないかな。上達してるのが分かるからやりがいはあるし、何より颯さんが――」
自分が何を言おうとしていたことに気づき、ハッとして口を紡ぐ。変に言葉を切ったせいで颯さんが怪訝な顔をする。
「俺が……?」
「な、ななんでもありませんっ。さあもう1ゲームしましょうか!」
「お、おお。どうぞ」
勢いよく立ち上がり、『もう1ゲーム』と書かれたボタンを押す。モニターに表示されたスコア表が白紙に戻り、『ツカサさんの番です』と進行を促す文字が流れた。
「次は勝ってみせる!」
「意気込むのはいいが、さっきの点差的に厳しいんじゃないか?」
颯さんが肩を竦める。余裕の現れだ。それを打ち消すように、ボクは不敵に笑う。
「ふっふっふっ。今度のボクはさっきまでとは違うよ」
「違うって何が……お前まさか、アレを使うつもりか?」
説明せずとも理解したらしい颯さんが驚愕し声を荒げる。見た目には何も変わらない。しかし、コンタクトの下の瞳は赤く輝いている。
「そう。今度はこっちで勝負だっ」
颯さんが使っていた真っ黒なボーリング玉に人差し指と中指だけ突き刺して持ち上げる。ほとんど重さというものを感じない。吸血鬼ばんざい。
「おいおい。使うのは別にいいが……そ、それってたしか血がほしくなるんじゃなかったのか?」
何故か頬を赤くする颯さん。また血を吸われて倒れてしまうことを気にしているとか?
「ご心配なく。ちゃんと朝出掛ける前にお姉ちゃんからいただいてきたので」
「……そうか」
あれ。なんで少し残念そうにしてるんだろ。