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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第七章 彼氏彼女ごっこ
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その58 「はいっ、あーん!」

 うぅ、ありえない。どうして今のタイミングで噛むかなあ……。ましゅかってなんだよ、ましゅかって。


 盛大に噛んだボクは恥ずかしさのあまり二の句が告げられず、お弁当を差し出したまま頬を熱くさせた。本当はすぐにでもここから逃げ出したいのだけど、それをすると後で後悔するのが目に見えているので、なんとか我慢している。


『……』


 お互い無言。噛んでしまったボクが黙るのは分かるけど、どうして颯先輩までボクを見つめたまま固まっているんだろう。固まらずに何か言ってほしい。何も言わないぐらいなら、「コイツ噛んでやんの、ププッ」と馬鹿にされたほうがまだマシ……ではないか。それはそれでイラッときて、ボクの右腕が常人ではちょっと目で捉えられないくらいの速度で振るわれてしまう。とにかく、なんでもいいから早くこれを受け取ってほしい。もしくは何でもないようにごく自然と「ああ、じゃあ貰うわ」という風に掻っ攫ってほしい。そして元々自分の分でしたと言わんばかりの堂々さで食べきってほしい。


 だというのに、颯先輩はいまだボクを見つめたままピクリともしない。ただ、顔の色だけは赤く変わっている。そんなところばかりボクに合わせなくて良いから、さっさとこれをなんとかしてほしい。そろそろ両腕も疲れてきたので。


「えぇと、あの……っ」


 むぅ……。颯先輩がずっと真正面から見つめてくるものだから、気恥ずかしくて目をそらしてしまった。どうしようこれ。もうなんかキツイ。主に精神的に。どこからかこの様子を眺めているであろう茜先輩の視線も痛い、気がする。


 どれだけ時間が経っただろう。結局先に痺れを切らしたのはボクだった。


「は、颯先輩っ!」


 声を張り上げると、ビクッと颯先輩の体が震えた。


「お、おぉ。なんだ?」


「その、ポテトしゃら……サラダ、どうですか?」


 噛んでません。


「そ、そうだな。司が食べないなら遠慮なく貰うとするか」


 ようやく颯先輩がお弁当を受け取る。何故かボクとお弁当を交互に見る彼の顔はさっきよりも赤くなっているような、なっていないような。


 しかしこれでやっとポテトサラダを渡すことが出来た。第一段階はクリアだ。あとはボクが颯先輩にポテトサラダを食べさせてあげれば――


「って渡しちゃダメじゃないですか!」


「うおっ!?」


 颯先輩に渡したばかりのお弁当箱を両手で掴み、無理矢理奪い取る。突然のボクの行動に、颯先輩はお箸を持ったまま仰け反った。


「な、なんだよ。やっぱりポテトサラダを食べたくなったのか?」


「いえ、まったくそんな気はこれっぽっちもないんですけど、颯先輩がこれを受け取っちゃダメなんです」


「はあ? どういうことだよ」


「どど、どういうことって、それはその……」


 颯先輩が自分でポテトサラダを食べては意味がない。本来の目的は残してしまったポテトサラダの処理ではなく、あくまでも颯先輩に「あーん」をすること。ボクがお弁当箱とお箸を持ち、颯先輩に「あーん」をしないといけないのだ。


『はい、颯先輩。あーんっ』


『あーん』


 ちょっと脳内シミュレート。……できるのかな、これ。架空のボクをひっぱたきたくなったんですけど。ウニをグリグリとその頬に擦りつけたくなったんですけど。


「よく分からんが、残すのはもったいないだろ? ほら、寄越せって」


「ち、ちょっと待ってください」


 颯先輩が腕を伸ばしてくる。お弁当箱を奪われないように死守すると、眉間に皺を寄せられた。見た目が見た目だけに睨まれたりするとちょっと怖い。身長差があって見下ろされているからなおさらだ。


「その、ですね……」


 怖々と見上げる。あ、訂正。怖いというよりも恥ずかしい方が上だ。顔から火が出そうなくらいに熱い。無意識にお弁当を持った手に力が入る。なんかミシッとか聞こえた気がするけど気のせいだ。


 それから少しの沈黙の後、ボクは緊張に震えながらもこう言った。


「…………ボクが食べさせてあげます」


 自分でも驚くほどのか細い声だった。颯先輩の耳まで届いたかどうか心配になるくらいで、実際彼は怪訝な表情をして見せた。


「なんだって?」


 問い返す彼の反応は正しいのだろう。だけどこっちとしては恥ずかしいセリフをもう一度言わないといけないわけで、自然と理不尽な怒りがこみ上げてくる。


「だ、だからっ、ボクが食べさせてあげるって言ったんです!」


 気持ちのままに発した声は存外大きくて、慌てて口をつぐんで辺りを見回すと、遠くのベンチで背を向けていたはずの男女数人と目が合ってしまった。すぐに目をそらすあたり、間違いなく今のは聞かれてしまったのだろう。言いふらす人達ではないことを望みます。


「たっ、食べさせるってお前まさか……!?」


 颯先輩の目が大きく見開かれる。コクコクと素早く頷くと、首から顔までの色合いが一瞬にして茹で上がったタコのように変化した。


「おおおい待て。落ち着け!」


「たぶん先輩よりは落ち着いてます」


 お互い顔を真っ赤にしてるんだから五十歩百歩な気がしないでもないけど。何故か底にヒビが入っているお弁当箱を膝に置き、右手に持ったお箸でポテトサラダを掴む。もうここまで来たらやるしかない。後は勢いだ。


「さすがにそれはヤバイ。恥ずかしいどころの話じゃないだろ!?」


「何もヤバくないです。颯先輩がこれを食べればいいだけの話です!」


 左手を添えて、颯先輩の口元へお箸を持っていく。すると焦った彼はボクの両手を掴んだ。


「いやいやいやそうだけど! なんでコレなんだよ!? 俺が自分で食べれば済むだろ!?」


「それじゃダメなんです!」


 颯先輩がかなり本気で押し返してくる。一応女の子なボク相手に遠慮のないヤツだ。でも残念。ただの人間が吸血鬼であるボクにかなうはずがないのだ。というわけでこっちもコンタクトの下の目を赤く光らせて押し返す。


「なんで――ってああそうか、茜の仕業だろ! さっきこっそり携帯見てたもんな!」


「見てません! いえ見てましたけど育成ゲームの『おさわり厳禁 紫ウニ栽培キット』の様子が気になったのでチラ見しただけです!」


「このタイミングで!? というかお前そんなゲームしてたのか!? しかもウニ育ててんの!?」


「北海道生まれのオクシリさんです」


「名前まであるのかよ! どこまでウニが好きなんだ!?」


「どこまでって、もちろんキリンさんやゾウさんよりもですよ!」


 ちなみにウニの次に好きなのはカピバラです。あと舞茸とコーヒー牛乳。まあどれにしても、食用にも観賞用にもなるウニの足元にも及ばないけど。


「と、とにかく、茜だろ? これは茜の仕業なんだろ? 司からこんなことするわけないもんな。アイツの差し金なんだろ!?」


 プルプルと震える両腕。ボクの、ではなく颯先輩の両腕だ。そんなに全力で嫌がらなくても良いじゃないか。こっちだって恥ずかしいのを我慢してるんだ。大人しく口を開けて「あーん」されたらいいんだよ。


「そうです茜先輩ですよ。それがどうしたんですか」


「別にあれもこれもアイツの言いなりにならなくてもいいだろ? 人には出来ることと出来ないことが――」


「何弱気なこと言ってるんですか。朝は手を繋いだじゃないですか。あの時の勇気はどこ行ったんですか!?」


「あ、あれは俺的にまだセーフだったんだよ。でもこれは――」


「はいはいもう良いですから、観念して食べてください!」


 あーもう面倒だ! こうなったら強引にねじ込んでやる!


「はいっ、あーん!」


「司、ちょっと待っむぐっ!?」


 うだうだ言う颯先輩の口が開いたところを見計らって、ポテトサラダをねじ込む。颯先輩は目を白黒させたけど、さすがに吐き出すことはせず、数回咀嚼してすぐにゴクリと飲み込んだ。


 これが「あーん」……。なんか思ってたのとは全然違う気がするけど、これでいいのかな? あ、そうだ。一応感想も聞かないと。


「ど、どうですか?」


「どうって……まあ美味しかったと思う」


「思う?」


「美味しかったです」


 取り繕うような言い方。きっとすぐに飲み込んだから味が分からなかったんだろう。


「じゃあもう一口。あーん」


「まだ続けるのかよ!?」


「もう一回だけです。はい、あーん」


「……あーん」


 今度は諦めたらしく、おずおずと口を開けた。おっ、今度は普通に「あーん」ぽいかも。


「美味しいですか?」


「美味しい」


「ん、良かったです」


 ふぅ。やっとノルマ達成だ。お箸をお弁当箱の上に置き、少しだけ顔を上げて屋上の方を見る。なんとなく、あのあたりから茜先輩が見ているような気がしたのだ。これなら茜先輩も満足なはず。あとは残りの時間をゴロゴロとして……あ、颯先輩に頼んで血も貰わないといけないんだった。ご飯を食べ終えたら頼んでみよう。


 と、完全に気を緩めていたその時、


「……司、まだ安心するのは早いんじゃないか?」


「へ?」


 颯先輩の低い声。驚いて視線を下げると、そこには嫌な笑みを浮かべてお箸をお弁当箱を持つ颯先輩の姿があった。


「こうなったらヤケだ。司にもやってもらうぞ」


「え? な、なんですか?」


「司は唐揚げ好きだよな?」


「はい、好きですけど……まさか」


 唐突に理解したボクは驚愕し、ベンチに座ったまま後ずさった。フフフと不気味に笑いながら距離を詰める颯先輩。右手に握られたお箸には、ボクが朝揚げてお弁当箱に詰めた唐揚げが掴まれていた。


「俺だけっていうのは不公平だよな?」


「や、あの、こういうのは女の子からするもので、その逆は一般的にあまりやらないんじゃないかなぁ、と……。それにこれボクが作ったお弁当だし」


「いいからいいから。ほら、あーん」


 目の前に差し出された唐揚げ。これを食べさせて貰えば、颯先輩の気も済んで終わる話なのだけど、あーんと口を開けて待つことを頭が全力で拒否している。自分で食べるのではなく、食べさせられるのがこんなにも恥ずかしいことだとは思わなかった。今なら颯先輩があんなにも嫌がっていたのも分かる。


「えーと……颯先輩?」


 そんなわけで颯先輩に引きつった顔で微笑みかける。


「どうした?」


「……やめません?」


 ニコッと。しかし――


「問答無用!」


「ちょっと待って、ほんと待っ――!?」


 制止を求める僕の声もむなしく、結局あーんされてしまいました。

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