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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第七章 彼氏彼女ごっこ
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その57 「どうぞ」

 急いで中庭に向かうため、立夏を振り切って教室を出たボクは人目を気にしつつも階段を駆け下りて昇降口へと向かった。昼休みの人のまばらなエントランスを抜けて靴を履き替える。一応と三年生の下駄箱の前を覗いてみたけど颯さんはいなかった。もう待ち合わせ場所の中庭にいるのだろう。もしかするとボクのようにクラスの誰かから足止めを受けているという可能性も無きにしも非ず……いや、ないかな。茜先輩ならともかく、誰かに弄られる颯さんはあまり想像できなかった。


 はたしてボクの予想は見事に当たり、待ち合わせ場所にはすでに颯さんの姿があった。周りに人がいないせいか、広いベンチに一人座った彼は落ち着きなくあたりを見回している。


 初夏というこの時期の中庭は、桜の木の下が木陰になって絶好の休憩ポイントなのだけど、靴を履き替えないといけないという面倒さのせいで利用する人はそれほどいない。そのため自然と彼氏彼女的な関係にある男女が訪れるようになり、昼時には甘々な方々の憩いの場となっている。


 人づてに聞いた話だと、ここを利用する場合はお互い不干渉とし、一定の距離を置いて場所を確保することが暗黙の了解になっているらしい。なるほど。それで颯さんの近くには誰もいないんだ。桜のおかげで上から見られることもないし、適当に決めた場所にしては案外いいかもしれない。


「はあ、はあ……。颯さん。すみません、お待たせしました」


「お、おぅ。俺も今来たところだ」


 大した距離でもないのに息を切らしてやってきたボクを、颯さんは下手な嘘と引きつった笑顔で迎え入れた。


「まあ、座れよ」


 そう言って腰を浮かし、横へとずれる颯さん。ただでさえ五人は座れる長いベンチが、彼が右隅まで移動することで余計に広く見えた。そこまで移動することはないだろうと、内心苦笑しつつ真ん中に腰を下ろし、颯さんとボクの間に保温箱と水筒を置く。


「うわ、本当に作ってきてくれたのか」


「朝にそう言ったじゃないですか」


「それはそうだが、実際こうして目の当たりにして、やっと実感できたというか、本当に作ってくれたんだなと驚いたというか」


「……や、約束ですから」


 保温箱からお弁当箱を取り出し、その中の二つを颯さんに差し出す。


「これが司の作った弁当か」


「はい。ですが……こほん。颯さん。一応分かってると思いますけど、ボクが料理をはじめたのはつい最近で、お弁当なんてこれが生まれて初めてです。ボクとしては結構上手に出来たと思うんですけど……変でも笑わないでくださいよ?」


 受け取ったお弁当をしげしげと見つめられ、多分に期待しているようなので釘を打っておく。


「分かってるって。それより、ここに来てからずっと言葉遣いが元に戻ってるぞ」


「言葉遣い? ……あっ」


 そうだった。敬語はNGなのをすっかり忘れていた。意識して喋らないとすぐ戻ってしまう。


「まあ許してください。ちょっと今は直せそうにないので」


「どうして? 登校してた時は結構普通に喋れてたじゃないか」


「あの時はまだ余裕ありましたから」


「あれで余裕だったのか……すげえな。俺なんてガチガチだったのに」


 知ってます。そのおかげでボクは緊張せずに済んだんだし。


「ってことは、今はかなり緊張してるって事か? なんでまた」


「緊張もしますよ。……一応これが、初めて自分の料理を家族以外に食べて貰うことになるんですから」


 それは言うなれば、ずっとこっそり特訓していた成果を初めて部活の監督や先生、そして衆目に晒す時のような。または小学生の頃の音楽の時間に、シンと静まりかえった教室の前でただ一人、みんなの前で歌わされたときのような……さすがにあそこまでは緊張してないけど、つまりはそれぐらい今のボクには余裕がないということだ。颯さんも理解してくれたらしく、「なるほど」と呟いた。


「腹も減ってきたことだし、弁当開けてみていいか?」


「ど、どうぞ」


 緊張の中、颯さんがお弁当箱をゆっくりと開ける。今更ながら、渡す前に形が崩れていないかくらい確認すれば良かったと後悔する。しかしボクの心配は杞憂に終わった。蓋を開けたお弁当の中身は、朝見たままの形に収まっていた。


「本当にこれを司が?」


 颯さんが目を丸くしている。これはどっちの意味だろう。出来れば良い方だと嬉しい。


「はい。ただ、正確にはお母さんに手伝って貰ったので、二人で作った、が正しかったりします」


「でも司が作ったことには変わりないんだよな?」


「それはそうですけど」


「凄いな。うちの親より上手いんじゃないか?」


「褒めすぎです。お世辞言っても何も出ませんよ?」


「お世辞じゃねーって。焦げ目が全然ないし、ホント上手いって」


「うぐ……はいはい。もういいですから、お弁当食べちゃってください」


 やれやれまったく、なんて冗談を言うんだろう。料理を初めてまだ一週間のボクが、颯さんをここまで育ててきた両親の腕にかなうはずがないじゃないか。……まあ、褒められたのは素直に嬉しいけど。


「そんじゃ、頂きます」


 颯さんが漆塗りのお箸を持って手を合わせる。あれ、あんな高級そうなお箸、ボク入れたっけ? なくしてもいいように安物のプラスチックのヤツを入れたと思ったのに。


 自分の分のお弁当を広げながら、横目で颯さんを盗み見る。お弁当箱へと伸びたお箸が数秒空中で迷った末に掴んだのは卵焼きだった。


「……お、味付けは塩か。うちと同じだ」


 モグモグと咀嚼しながら言う。同じ味付けだったのは良かった。卵焼きは家庭によって、砂糖を入れたり、醤油を入れたりするところもあるってお母さんが言っていたから、少し心配していたのだ。しかし、一番の問題は味の方だ。


「……どうですか?」


「ん、どうって? ……あー。旨いよ。すげー旨い。これなら何杯でもご飯がいけるな」


「そ、そうですか。よかったあ」


 ふっと肩の力が抜ける。気付かないうちにずっと力を入れていたようで、両肩に違和感を覚える。これが肩が凝るというヤツなのかな。胸が小さいのに肩が凝ったりしたら、茜先輩が聞いたらお腹を抱えて笑い転げそうだ。でも、胸が大きいと本当に肩が凝ったりするのかな。今度沙紀先輩に聞いてみよう。


 颯さんが次々におかずへ箸を付けていく。卵焼き、唐揚げ、ポテトサラダにそぼろのように玉子を敷き詰めたご飯。お茶はボクの好きな玄米茶。お箸が止まったところで、水筒の蓋に注いで手渡した。


「さんきゅ。いやー、マジで驚いたよ。まさかここまで旨いとは思わなかった」


「颯さんのお口に合って良かったです」


「これなら俺じゃなくても旨いって言うって。司は料理の才能があるんじゃないか?」


「そんなものないですよ。颯さんはさっきから褒めすぎです」


 あまりにも褒めちぎるものだから頬が熱くなってきた。悟られたくなくて顔を背け、箸を動かす。卵焼き美味しい。


「全然褒めすぎじゃねえって。これなら毎日毎食でも食べたいぐらいだ」


「そ、そうですか? ……でも毎食は無理なので、せめてお昼だけでも期待に応えられるよう頑張ります」


「おう。ぜひ頼む。無理はするなよ」


「一つ作るのも二つ作るのも、手間は変わりませんから。それに、颯さんに食べて貰うなら手抜きもできませんし、練習になります」


「そうか。んじゃ、遠慮なく楽しみにさせてもらうぜ」


 卵焼きを口に含みながらちらりと横目で見た颯さんは笑っていた。不覚にもカッコイイと思ってしまったのは雰囲気のせいか、それとも彼が美形に分類される顔立ちをしているせいなのか。見ていられなくてすぐに視線をそらした。


「ところで、そろそろ言葉遣いを変えられないのか? 約束は約束なんだし、頑張ろうぜ。もう緊張することもないだろ?」


「い、今はそれどころじゃありません。ご飯食べるのに精一杯なので」


「ご飯……?」


 そう。ボクはただでさえご飯を食べるのが遅いのだ。他のことになんて構っていられない、構っていられないのだ。それ以外に理由はない。うん。唐揚げもいい出来。ポテトサラダは……残そう。


 食事を進めていると、ポケットの中で携帯電話が振動した。確認すると茜先輩からのメールだった。


『はい、そこでいい雰囲気になったら「あーん」ですよ!』


 あーん? あーん……あーん!?


 頭の中に浮かんだ凄まじい光景に、思わず立ち上がりそうになるのをなんとか我慢して再度メール文を見る。しかし何度見ても同じだった。


 あーんって、所謂彼氏彼女的な関係にある男女が相手の口元に食べ物を持っていって、食べさせてあげるというとてもとても甘々で恥ずかしいイベントのアレのことですか!? ですよね!?


「どうした司、スマホなんか見て」


「へっ!? い、いえ、なんでもないですっ」


 慌てて携帯電話を仕舞いながら何でもないと手を振る。颯先輩は怪訝な顔をしたけどすぐに興味をなくしたようで、食事を再開した。ちなみにメールには続けてこうも書かれていた。


『なお、颯先輩にこのことは言わないように』


 周りに茜先輩の姿は見えないけど、おそらくどこかからボク達を監視しているのだ。颯先輩に内容を教えるわけにはいかなかった。


 内容を教えないってことは、あの甘々イベントをボクからやらなくちゃいけないということだ。どうすればいいんだろう。なんの脈略もなく「はい、あーん」ってすればいいのかな。それとも「その量じゃ足りないだろうからボクのもどうぞ」と勧めてみればいいのかな。どっちも却下だ。恥ずかしい。


「司、それ食べないのか?」


「はいっ!? ええっと、それってどれですか?」


 颯先輩がお箸を使って指し示したのは、丸々と残った手つかずのポテトサラダだった。


「ポテトサラダですか?」


「ああ。全然手を付けていないが、司ってポテトサラダ嫌いだったか?」


「はい。食べられないってことはないですけど、出来れば食べたくないですね」


 喉に詰まる感じというか、あのベットリとしたジャガイモのすり潰した食感が好きではないのだ。


「それも司が作ったんだろ? 嫌いなものをなんで作ったんだよ」


「颯先輩が前に好きだって言ってたからですよ」


 どうせ作るなら喜んでもらいたい。美味しいと言って欲しい。だったら颯先輩の好きな物を作ればいい、という安直な考えだ。自分の事なんて忘れていた。


「前って二年の頃か? そういえばそんなこと話したな。……ちなみに、司。ついに言葉遣いどころか俺の呼び方まで戻ってるぞ」


「ええまあはい、そうなんですけど、もう訳解らないのでこの際どうでもいいです」


 正直気付いていたけど、今のボクにそんなことに気をかける余裕は微塵もなかった。


「どうでもいいって……。でもそうか、これはわざわざ俺のために……」


 呆れ顔の颯先輩。その後ポテトサラダを見つめたまま何やらぶつぶつと呟いた。


 ポテトサラダ? ……これだ! 唐突にピコンと頭上に豆電球が点灯するほどの妙案が浮かぶ。そうだよ。嫌いなものを処分してもらうよついでに、ポテトサラダを食べさせてあげればいいんだ! 今のこの流れなら自然だし、いける!


 恥ずかしいことに変わりはないけど、その度合はかなりマシな方だと思う。とにかく、このチャンスを逃すのはありえない。やるしかない!


 ボクは意を決してお弁当箱を両手に持ち、颯先輩へと突き出す。そして意識して声を大にした。


「は、はは颯先輩。このポテトサラダ、残すのはもったいないので、食べて貰えましゅか!?」


 ぬわーっ。噛んだ! 噛みすぎた! 落ち着け自分っ。

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