その54 「話が違います!」
キュポッとふたを取り、若干耳障りな音をさせてホワイトボードにペンを走らせる。書き終えてこちらに振り返った茜先輩は、力強くホワイトボードを叩き、その文字を読み上げた。
「司と颯先輩、彼氏彼女な嘘から出た実作戦!」
「ぶっ!?」
沙紀先輩が淹れてくれたレモンティーを吹き出す。
「ちょっと茜先輩! 話が違います!」
ハンカチで口元を拭きながら抗議する。今回は正面の茜先輩の席に誰も座ってなかったので被害はなかった。良かった。いや、ソファー拭かないといけないから良くはないけど。
「あれ、そうですか? あたしはもとからこのつもりだったんですけど……って、今ここには立夏も千沙都もいないので、普通に話して貰って構いませんよ? 廊下にはCDプレーヤーを置いて、近寄りがたくなる音楽をかけていますから、盗み聞き対策もバッチリです」
いつの間にそんなものを? と、耳を澄ましてみれば、たしかにドア一枚隔てた廊下の方から、ジャングルの奥地に住む少数民族が奏でそうな奇怪な音楽が聞こえてくる。合間合間に入る茜先輩の合いの手がなんともシュール過ぎて変な笑いが出てしまい、やる気を削がれる。ゲームで言うとMPが吸収されそうな、そんな音楽。あれなら茜先輩並みに好奇心旺盛な人じゃないと近寄りもしないと思う。たとえ聞き耳を立ててもあの音量だ。まず部室の中の声は聞こえないだろう。それでも努になる気はないけど。
「気遣いは嬉しいですが、今のボクは司で、そしてこれからも司です。だから意味もなく努になることはありません」
「そうなんですか? 美衣ちゃんの前では努先輩になってるのに?」
「な、なんでそのことを知ってるんですか!?」
それは家族以外誰にも言っていないことだ。どうして茜先輩が? まさかお姉ちゃん!? でもお姉ちゃんと茜先輩はそんなに仲良くはないし……。あーだこーだと考えるボクを見て、沙紀先輩がため息を漏らす。
「司は相変わらず嘘に騙されやすいわね。茜がそんなこと知っているはずないじゃない。鎌をかけられたのよ」
「なっ!? 茜先輩!」
「てへっ。……え、ちょっと、それはなし! ごめんなさいすみませんっ」
騙されたことに腹を立てて茜先輩を睨み付けると、ペロッと舌を出した。まったく反省していないので鞄からウニを取り出すと、慌てて頭を下げた。
「どうしてそんな凶器を持ち歩いているんですか……それ、銃刀法違反とかにならないんですかね、まったく……」
額の汗を拭いながら茜先輩が半眼を向けてくる。ウニは食べ物であり観賞用なので凶器ではありません。
「それはそれとして、もう少し気をつけた方がいいですよ。先輩は正直過ぎるんです。すぐ顔にも出るし」
自分でもそれは分かっているけど、それを茜先輩に注意されるなんて、ちょっと屈辱だ。
「……善処します」
露骨にショックを受けているのが態度に出てしまったけど、茜先輩は気にした様子もなく小さく笑うだけだった。
「とにかく、先輩が司だというならそのままでいいです。ただ、あたしは司のことを司と思うと同時に努先輩だとも思ってますから、こんなときくらいは努先輩だと思って話すことにします。いいですよね?」
ボクは少しだけ考えて頷く。
「はいはい。誰にもバレないようにしてくれるなら、いいですよ」
「善処しますっ」
ニカッと歯を見せて笑う。ボクのことを知っても相変わらずのマイペース。茜先輩らしい。
「でも、部員じゃない立夏はともかく、どうしてちさを呼ばなかったんです? あの子の性格的に、仲間はずれにされたって知ったら拗ねると思いますよ?」
「あー、それは二人に頼み事をしてもらっているからですよ」
「頼み事?」
「はい。まっ、他にも理由はあるんですけどね」
そう言って茜先輩が苦笑する。一体何を? とボクが聞く前に茜先輩が話し出す。
「今、第一校舎の四階はさっきのアレでてんやわんやの大騒ぎです。そこに先輩が行けばどうなるか、だいたい想像できますよね? そうならないよう、ここで作戦会議をしている間に一年生を沈静化させるように頼んだんですよ。あの子ならファンクラブの子も使えるし。それにほら、先輩達がいちゃ収まるものも収まらないでしょ?」
「う、うん。そうですね……」
それは想像に容易く、時期外れの転校生よろしく、席の周りをみんなに囲まれて質問攻めに合う姿が脳裏をよぎった。普通に質問だけならいいけど、こういうときのみんなって、目が血走ってるから怖いんだよね……。
「いやーしかし千沙都にその役を頼むのは骨が折れましたよ。なかなか首を縦に振らないもんだから、秘蔵のつーちゃんお昼寝フォルダからお気に入りの一枚を渡すハメに……あ、いや、こっちの話です」
茜先輩がぼそぼそと言って顔の前で両手を振る。つーちゃんって聞こえたけど、また何か裏でコソコソとやっているのだろうか。
「じ、時間もないのでそろそろ本題に入りましょう!」
あ、逃げた。茜先輩が微妙にひきつったままの顔で教卓をバンと叩いた。
「あんな公の場で告白紛いのことをしてしまったわけですから、ある程度口裏を合わせて食い違いがないようにしておかないと、いらぬ誤解を招き、騒ぎは沈静化するどころか火に油を注いでしまうことになりかねないです。ということで、先輩達が本当に『付き合ってるんだぞっ』というのを全学年全生徒にとっとと分からせるためにあれこれ話し合って決めましょー」
「ち、ちょっと待ってください! なんでもう付き合うこと前提みたいな話になってるんですか!?」
「そうね……例えばお互いのことを司、颯さんと呼び合うとか?」
「それそれっ、そういうこと!」
「無視しないでくださいよ!」
あらぬ方向へ進み出したので慌てて止めに入ると、なぜか不思議そうな顔をして見つめられた。
「いやだって、あんなこと言って『はい嘘でしたー』なんて無理ですよ?」
「そ、それは分かりますが、それをなんとかしようと集まったんじゃないんですか?」
「うんや、全然」
「がーん」
まったくこれっぽっちもという風に首を振る茜先輩に絶句する。
「数日かけて理解してもらったとしても、またあのラブレター地獄の毎日に逆戻りよ。嘘だと言ってもあまりいいことはないと思うけど?」
沙紀先輩までもが茜先輩の肩を持つ。
「しかも、下手したら出間君、でしたっけ? アイツがまたストーカー紛いのことを再開するかもしれないんですよ?」
「またまた、ストーカーって大袈裟な」
「あれ、知らなかったんですか? 二、三年の一部女子の間では有名ですよ? 出間って二年の男子は好きな女の子ができるとストーカー一歩手前のことをするって」
……え? そうなの? 変な笑みを貼り付けたまま、沙紀先輩へと視線を移す。
「……まさかそんなこと。ねえ、沙紀先輩?」
「茜の言っていることは本当よ。現にわたしの友達がそれっぽいことされたわ」
「……」
沙紀先輩に真顔で返され、ブルッと体が震える。……そういうことは考えないようにしていたけど、たしかに告白の手紙や定期的に朝の昇降口で待ち伏せていたかのように現われた出間先輩、彼の言動はおかしいと思って見れば少しおかしかった。ってことは、出間先輩って結構危ない人……?
「それを颯先輩も知っていたから、あの場でああ言ったんですよね?」
「……そ、そうなんですか?」
茜先輩の言葉に颯先輩は何も答えなかったけど、そっぽを向き、頬を僅かに赤くしてお茶を飲む姿は誰が見ても肯定を現わしていた。颯先輩はボクのことを考えて言ってくれたんだ。付き合ってるなんて言ってしまったら自分まで巻き込まれてしまうのに。
「そんなわけですから、先輩、ここは大人しく、颯先輩と付き合ってることにしてください」
「……う、うん。わかった」
ボクのことを思ってやってくれたことなら、それを無下にすることは出来ない。頷くしかなかった。でもそうか。打算的に割り切って、ボクが颯先輩と付き合っていることにしていれば、毎朝のあの手紙もなくなるだろうし、昼休みに告白されることもない。相手は赤の他人ではなく気心の知れた颯先輩だ。全然悪い条件じゃない。むしろ願ったり叶ったり?
なんて、軽く思っていたボクが甘かった。
「それじゃ、朝、お昼の待ち合わせ場所と時間を決めて、二人の呼び方も変えて、一日一回、休み時間にはお互いの教室へ行きましょうか。あとは放課後と……休日のデートプランも決めないと」
『デートプランっ!?』
茜先輩の言葉にボクと颯先輩が同時に声を上げる。
「お、おい待て! そこまでしなくていいだろ!?」
「そうですよ! ただボクと颯先輩が付き合っているというだけでいいんじゃないですか!?」
ソファーから立ち上がって茜先輩に詰め寄る。颯先輩もこれには黙っていられなかったらしい。
「何言ってるんですか。みんなにバレないようにするには、ちゃんと常日頃から彼氏彼女してるところを見せないといけないでしょ?」
「そ、それはそうだが……」
「百歩譲って平日は仕方ないにしても……なんで休みの日にまで、デ、デデデデートなんてしなくちゃいけないんですか!?」
「学校だけじゃおかしいじゃないですか」
「うぐ……」
た、たしかに、それはそれだけど……。ちらりと颯先輩に目を向ける。彼もちょうどボクを見ていたようで、目が合ってしまった。彼の顔が急激に赤く染まっていく。
「それそれ、その反応! 初々しいと言えば聞こえはいいけど、付き合ってるもの同士がそれじゃいつかは疑われますよ?」
同士? 慌てて自分の両頬に手を当てる。凄く熱かった。助けを求めるように沙紀先輩に視線を送る。彼女はため息をついて肩を竦めた。「あきらめろ」ということらしい。
「はい。ではそーいうわけなので、今からそのあたり練っていきますよー」
パンパンと手を打ち鳴らす茜先輩は、とてもいい笑顔をしていました。
「よしっ。なんとかここまでは予定通り……」
「茜先輩、何かいいました?」
「う、ううん! 何も!」




