その51 「似合いますか?」
外へ出ると雨は止んでいた。良かったと思いつつも、せっかく取り出したのに、と残念に思いながら鞄から取り出した傘をしまい、正門へ向かう。
あの公園へ行くのはいつぶりだろう。最近は全然行ってなかったから、最低でも一年以上ぶりなのはたしかだと思う。水たまりを避けて正門を通り、いつもとは逆の右へ進路を取る。
待ち合わせ場所である藤並木公園は蓮池の正門を出て西へ歩き、外壁沿いをグルリと裏側まで回ったところにある小さな公園だ。この公園は街中にあるにも関わらず四六時中ほとんど人がいない。理由はここが蓮池と菜園の間にあるせいだ。菜園とは私立菜園高等学校という学園や蓮池と同じ普通校で、一応共学なのだけど、その実、男子生徒は一人もいない女子校となっている。そのせいもあってか、共学である蓮池と女子校である菜園は近くにありながらお互い少し距離を置く関係にある。噂では両校の外壁が学園よりも数段高いのは蓮池と菜園の生徒で問題を起こさないようにしているのだとか。真意はどうであれ、両校に友好関係はなく、ちょうど間にある藤並木公園はその影響を受けてどちらの生徒も使用することのない終日無人の公園と化している。たまに人がいたとしても、菜園の女子生徒が商店街へ遊びに行くために校内用に正していた制服を外行きの格好に直すくらいだ。
そんな藤並木公園だけど、ボクと颯は一時期暇つぶしにこの公園をよく使っていた。それはまだエンタメ部設立前の一年の頃、どこか静かに本でも読めそうな所はないものかと探していたところ、ここを見つけたのだ。この藤並木公園は一見すると申し訳ない程度の遊具を有するだけの小さな公園だけど、その奥の人工的に作られた林の中には屋根付のベンチがある休憩所があり、いい感じに木々が目隠しに役立って周りから見えないようになっている。そこを二人で使っていたのだ。たまにやってくる菜園の女子生徒にちょっとドキドキしたり、木漏れ日が気持ちよくて気付いたら夜だったりと、それなりに思い入れのある場所。もちろん颯もそう思っているから、ここを指定してきたのだろう。
案の定、公園には誰もいなかった。申し訳ない程度に設置された砂場は砂が硬そうだし、風で揺れるブランコはキィキィと耳障りな音を響かせている。使用された痕跡が少ない寂れた公園。知らない人が見たらちょっとしたミステリースポットに見えるのかもしれない。
やっぱり颯先輩は林の中にいるのかな。公園に一歩、足を踏み入れたところで思案していると、ふいに背中に視線を感じた。振り返れば菜園の制服を着た女子数人と目が合った。彼女達はなぜかキャーと声を上げて手を振ってくる。よく分からぬまま振り返すと、またキャーと声を上げて隣の女の子となにやら話し始めた。表情からして悪口を言われてるわけじゃないみたいだけど、居心地が悪い。彼女達が騒いだせいでにわかに人が集まってきたし、とっとと林の中にいこう。
会釈して公園の中へ。ちらりと後ろを覗い、誰もついてこないのを確認して歩くスピードを上げる。林に入ったところで足を止め、振り返ってほっとため息をついた。胸に手を当てれば心臓が早く鼓動している。蓮池の子ならともかく、いまだ学外の子に騒がれるのは慣れていない。根本が人見知りだから仕方ないと言えばそうだろうけど、もう少し平然としていたい。
踵を返し、林の奥へ目を向ける。たしかこの先にあったはず。ここからじゃ見えない休憩所を目指して、舗装のされていないふわふわとする土の地面を踏みしめる。靴が汚れるけど仕方ない。なぜか道がないんだから。
ものの一分もかからず目的地にたどり着いた。予想通りそこにはこちらに背を向けて木製のベンチに座る男子が一人。ログハウスのように木材で組まれた六角形の小さな休憩所。上半身しか見えなくても、それが颯先輩だということはすぐに分かった。
彼の姿を見て、途端に心拍数が上がる。今更になって緊張してきたらしい。呼び出された理由も分からないまま、とりあえず来てみたものの、颯先輩はいったいボクに何の用があるのだろう。人に聞かれたくないような、二人だけで話すことと言えば限られてくる。
……な、ないない。それはないって。手紙を受け取った時も否定したはずなのに、毎日のようにラブレターをもらっているからか、どうしてもそっち方面に考えてしまう。もしそうだとした場合、ボクはどうすればいいのかな。いまだ颯先輩をボク自身どう思っているのかさえ分かっていないのに、そんな状態で……されても。って、そうと決まったわけじゃないんだし、他の可能性もあるんだって。たとえばボクの正体が……。そっちはそっちで問題だった。
「ん、ああ、司来てたのか。こっち来いよ」
ふいに颯先輩が振り返った。思考に囚われていたボクは肩をビクッと震わせた。
「こ、こんにちは」
会釈して休憩所の中へ。座ろうか座るべきか悩みつつ颯先輩と向かい合ったところで彼は立ち上がった。
「悪いな。こんなところへ呼び出したりして。でもよくここが分かったな。公園からじゃここは見えないはずなのに」
「え、あ、その……こ、公園の方にはいなかったので、もしかしてと思って林の方に来てみただけです」
若干どもりながらも平静を装って答える。彼は思案顔をしたけど「そうか」と納得してくれた。
そうだった。ここは外から見えないし人が来ないからボクと颯先輩は使っていたのであって、それを知っているはずのない司が迷いもせず来れたのはおかしい。電話かメールでもして誘導してもらった方が良かったのかもしれない。
「司にこれを渡したくて呼び出したんだ」
そう言って彼が差し出したのは手の平に乗るくらい小さな箱だった。きちんと包装されていて、リボンまでしてある。どうみても何かのプレゼントだ。
「昨日は俺だけ見舞いにいけなくて悪い。これを選んでたらいけなくてさ」
「いえ、そんなこと気にしなくても……でも、どうしてボクにこれを?」
颯先輩を見上げる。彼は頭を掻きながら目をそらし、ぶっきらぼうに、早く受け取れと言わんばかりに手を突き出した。
「き、今日は司の誕生日だろ? だから誕生日プレゼントだよ」
……え?
その言葉に衝撃を受け、肩を震わせた。冗談かと、聞き間違えかと思った。しかし彼がそれを間違えるはずがない。だから狙ってやっているとこなのだろう。
……ああ、そうか。そういうことか。
理解したボクは自然と笑みが零れた。怖がるのではなく、笑みが。ここで断ることもできた。けれどボクは、それを受け取ることにした。
「えっと、ありがとうございます」
「おう」
僅かに顔を赤くする彼がボクに視線を戻し、歯を見せて笑う。風邪を引いて忘れていたけど、今日は六月二十日。ボクの誕生日だった。颯先輩はそれを覚えていてくれた。素直に嬉しい。
軽く箱を揺らしてみると、カタカタと中で揺れた。小物? ウニのアクセサリーとか? 颯先輩がプレゼントするものってなんだろう。凄く気になる。
「開けてみてくれよ。別に爆弾とか入ってるわけじゃないから」
箱を揺らしているのを勘違いしたらしい彼が苦笑する。訂正しようと思ったけど、今はいいかと止めて箱の封を開けた。それはペンダントだった。三つのリングがお互いのサークルの中を通ったシルバー製のペンダント。リングにはそれぞれ刻印がなされ、どこかの有名なブランドの名前が刻まれている。
女の子らしいアクセサリーを一つも持っていなかったこともあるだろうけど、ひと目見て気に入った。自然と頬が緩むのは仕方のないことだと思って、それを大事に手の平に乗せて視線を上げる。
「あの、いいんですか? これ、高いんじゃ……」
「いいんだよ。俺が勝手に選んで勝手に渡したんだから。今更返されても返品なんて恥ずかしいから捨てるだけになるし、良かったらもらってくれ」
「……はい」
手の平の上にあるそれをぎゅっと握りしめて胸に抱く。颯先輩には努だった頃もいろいろとプレゼントをもらったけど、これが今までで一番嬉しいかもしれない。
せっかくなので首に巻いてみる。見えない首の後ろで止めるのは少し時間がかかったけど、なんとか一人でつけることができた。見下ろすと銀色に輝く三つのリング。ネックレスなんて初めてで、なんかこそばゆい。
「似合いますか?」
「ああ。バッチリだ」
彼がグッと親指を立てる。きっとお世辞なんだろうけど、ここは素直に受け取り、「ありがとうございます」と微笑んだ。
いい雰囲気。うん、いい雰囲気だ。プレゼントをもらって、受け取って、二人とも笑って。このまま告白の流れに行ってもおかしくないくらいに。
でも、これは違う。ボクの考えが当たりだと言うように、ボクが見つめる前で、颯先輩は腕をゆっくりと下ろし、スッと表情を変えた。はにかんだものから、真面目な顔つきに。ボクも微笑みながら内心は冷静に、彼を視界に捉え続ける。
しばしの沈黙が続く。ボクはじっと彼の次の言葉を待った。そして、
「やっぱり、そういうことなんだな」
諦めのような、寂しさのような、納得したような、いろいろな感情の混ざった言葉を颯先輩が吐き出す。
「六月二十日は司の誕生日じゃない。努の誕生日だ。つまり、そういうことなんだよな、努」
彼の言葉に、ボクはゆっくりと頷いた。