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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第六章 吉名司
52/83

その50 「今は司です」

 翌日。朝起きて熱を計れば平熱だった。看病してくれたお母さんに感謝しつつ、これなら学校に行けると勢いよく起き上がったところ、吐き気とめまいにより即座にベッドへリターン。様子を見に来たお母さんにちょうど目撃され、『治りかけが肝心なのよ』の一言により、もう一日学校を休むことになった。二日続けて休んだボクを心配してか、その日は立夏、ちさ、茜先輩に沙紀先輩がお見舞いにきてくれた。ボクのことを案じつつも、どこかほくそ笑んでいるように見えたのはなぜだろう。まあ、それよりも印象的だったのは、ホクの部屋を見たときのみんなの引きつった顔だけど。ウニのオブジェの数々と書物のせいらしいけど……別にいいじゃないですか。好きなんだから。


 そして翌々日。今度こそ吐き気もめまいも治まったボクは、お母さんからOKサインも貰い、三日ぶりに登校することになった。久しぶりってほど休んでいたわけでもないのに、なぜか学校を懐かしく感じた。「気のせいだよ」というお姉ちゃんに「やっぱりそうかな」と笑って返し、下駄箱を開けると、パサパサと軽い音とともに下駄箱の中から何かが滑り落ちた。しゃがんで拾い上げる。


「あらあらまあまあ……」


 にやにやとした口元に手を添えて、お姉ちゃんがボクの手元に目を向ける。


「いちにーさん……十二通。三日分だね」


「溜まると途端に返事を書くのが億劫になるのはなんでだろう……」


 うんざりとして手紙の束を鞄にしまう。


「宿題と同じだね。コツコツやればそれほどでもないけど、少しでも溜めちゃうともう見たくもなくなる。特に夏休みの宿題」


「うんうん。まだ日はあるって余裕ぶってやらずにいると、気付いたらあと数日になってて、結局徹夜して終わらせたり」


 暇な時間を活用して少しずつでも進めていれば地獄を見ずに済むのに、中学、高校と毎年夏に懲りもせず繰り返す。あ、これは去年までのボクのことです。でも全国の中高生の約半数くらいは同じ経験をしているんじゃないかと思う。


「そういえば司って、最近宿題が出たらその日のうちに終わらせてるよね。どういう心境の変化?」


「後回しにしてもいいことは何もないから。片付けられるものから片付けていくことにしたんだ」


「ふーん。いい心がけだね。お姉ちゃんは嬉しいよ」


 お姉ちゃんがポンと頭の上に手を置いて撫でてきた。


「ち、ちょっと、こんなところで撫でないでよ」


 昇降口という人通りの多いところでは自然と人目につく。いくつもの視線を感じて頬が熱を持つ。


「うん? あ、ごめんごめん」


 今気付いたらしく、はにかんで手を離す。


「お姉ちゃんはすぐそうやってお姉ちゃんぶりたがるんだから……」


 髪を梳きながら抗議する。


「お姉ちゃんだからねっ」


 お姉ちゃんがふんっと胸を張る。こっちとしてはそんな幼稚なことはやめて、もっと精神的に成長して、頼れるような姉になってもらいたいところなんだけど、まだ少し先になりそうだ。


 お姉ちゃんと三階で別れて四階へ。一年二組の教室に入り席につくと、いつものように立夏が振り返った。


「よっ。久しぶり」


「おはよう。久しぶりって、二日休んだだけだよ。立夏とは昨日も会ったし」


「あはは。それだけお前がいなくて寂しかったってことだ。教室もさ、司がいない間はまるでお通夜で一日が長く感じたよ」


「ふーん」


 素っ気ないふりをしつつ、頬が緩みそうになるのを堪える。友達に自分が必要とされていることが嬉しい。「ボクも寂しかったよ」なんて言葉が頭の中に浮かんだけど、恥ずかしかったのでやめた。


「ところで、司が男子と相合い傘で下校したって噂が流れてるんだけど、本当か?」


「へ? 相合い傘?」


 一瞬立夏の言っていることが分からなかった。立夏は「一昨日の朝に聞いたんだけどな」と前置きをして説明してくれた。


「司が学校を休む前の日の放課後。雨の中を司と蓮池の男子が相合い傘をしていたって目撃情報がはいってるんだよ。これは放送部や新聞部とは違うところからの情報だから信憑性に欠けててさ」


 あー、颯先輩と帰ったときのことだ。相合い傘という単語にピンとこなかったけど、たしかにあれは相合い傘だ。でも相合い傘って死語っぽい気がするけどいいのかな。まあ立夏は流行には疎そうだし、しょうがない。


「もしかして相合い傘が分からないとか? 相合い傘っていうのは、一緒の傘に男女が……」


「わ、分かってるよそれぐらい。たしかにしてたよ、相合い傘」


「そのお相手は?」


 立夏が目を輝かせる。立夏はあまりしない、茜先輩やちさがよくする表情。経験上大抵いいことはなかったので、あまり好きな表情じゃない。


「颯先輩」


「颯先輩か。やっぱり……」


 立夏が手を組んでうんうんと頷き、嫌な笑みを浮かべる。


「やっぱり、なに?」


「いや別に、二人は仲がいいんだな~と思っただけだ」


 ニヤニヤ笑いながら言われても……。どうせよからぬことを考えているに違いない。


「同じ部活の先輩なんだし、仲が良くて当然なんじゃないかな?」


「そうそう、そうだよな」


「むっ……それは全然そうは思ってはいません、って言い方だ。傘忘れたから送って貰っただけだよ」


「うんうん。傘を忘れちゃ仕方ないよな」


「だ、か、らぁ~」


 聞き分けのない立夏の両頬を摘まんで左右に引っ張る。柔らかい彼女の頬がお餅のように伸びる。


「いひゃいいひゃい」


「前の日に鞄が濡れて、乾かしてたときにいつも持ち歩いてた折りたたみ傘を出したまましまい忘れたの。それで帰る方角が同じだった颯先輩に送ってもらったの。分かった?」


 コクコクと立夏が頷く。ボクが手を離すと、彼女は赤くなった頬を押さえ、涙目でボクを見つめた。


「でもさ」


「まだ何か言うの?」


 ジロリと睨み付けると、立夏は両頬を押さえて体を引いた。


「つ、司がそう思ってても、颯先輩の方はそう思ってないんじゃないかなあ、と思っただけだよ」


 颯先輩が、か……。乾いた笑いをする立夏から目をそらし、窓の外を見る。今日も雨だ。


 彼はボクのことをどう思っているのだろう。ふと考えて、すぐにやめる。そんなこと、分かるはずもない。だって、自分のことだってよく分かっていないんだから。


 ◇◆◇◆


 放課後。もうすぐで大会があると張り切る立夏と別れて一人エンタメ部の部室へ。誰一人としてすれ違うことのない第二校舎の階段を上がっていく途中で、見慣れた人影を発見した。


 二階から三階へと続く階段の一番上。そこに座っていた茜先輩は、ボクと目が合うと勢い良く立ち上がり、階段を駆け下りた。踊り場でボクとぶつかりそうになり、「おっとっと」と声を漏らしながら前に傾いた体を立て直す。


「三日ぶり。どう、風邪はもう治った?」


「こんにちは。はい、もう大丈夫です。昨日はお見舞いありがとうございました」


「なんのなんの」


 茜先輩がはにかんで手を振る。誉められるのに慣れていない先輩らしい反応だ。


「こんなところでどうしたんですか?」


「ん、司を待ってた」


 ボクを? と聞き返す前に、茜先輩はポケットから何かを取り出し、それを差し出した。


「手紙、ですか」


「うん。あ、司が考えてるようなもんじゃないよ。苦労してるのは知ってるから」


 手紙というものにいい思い出がないボクは自然と表情が暗くなったようで、茜先輩が慌てて付け加えるようにして言った。


「ちゃんとこれでも、あたしの目の届く範囲では成功確率ゼロパーセントの手紙なんて、書かせないようにしているよ?」


 茜先輩がそんなことをしていたなんて初めて知った。どっちかというとみんなを煽ってる方が想像しやすいのに。


「えっと、ありがとうございます」


「えへへ。うん。司に誉められると、なんか嬉しいね」


 頬を少し赤くして茜先輩が言う。ボクは視線をそらす。


「受け取ったらすぐに読んでくれ、だって」


 受け取った手紙を裏返す。そこには『明坂颯』と書かれていた。わざわざ手紙? と不思議に思いつつ、封筒を開き、便箋を取り出す。便箋には一文、『今日の放課後、藤並木公園へ来てくれ』とだけ書かれていた。なんだろう。もしや告白……なわけないよね。自分の考えに苦笑して、手紙を鞄にしまい、顔を上げる。


「すみません。今日は部活休みます」


「りょーかい」


 素直に頷くだけの先輩に違和感を覚える。聞き分けが良すぎる。そう思った。いつもの彼女なら「なんて書いてあったの?」とか「付いてっていい?」くらいは言いそうなものなのに。茜先輩はクスッと笑ってから踵を返し階段を駆け上がり、振り返った。




「頑張ってください。努先輩」




 ボクは目を見開く。何を頑張るのか、という疑問を一瞬にして掻き消すほどに、続いて聞こえた『努先輩』という一言に驚愕した。


 茜先輩にバレていた!? その思いから一瞬血の気が引いたけど、すぐに収まった。なぜなら、茜先輩は微笑んでいた。本当の意味での司となったあの日の沙紀先輩のような微笑みを、彼女が浮かべていたからだ。


「今は司です」


 だからボクも、はにかみながらも笑って返す。


「それだけは沙紀から聞きました」


 それだけ。つまり自分でボクの正体に気付いた、ということ。内心苦笑する。なんだ。これなら隠す必要なんてあまりなかったのかもしれない。


「司は司で、あたしも司のことは司だと思ってますけど、それでも司は努先輩なんです。司が司になって、みんなも司を司だと思っても、あたしは努先輩なんです。……あれ、あたし何言ってるんだろ? と、とにかくそうなんです。そういうことなんです!」


 司という言葉がゲシュタルト崩壊しそう。耐えきれずにプッと吹き出してしまう。慌てて口元を押さえたけど、茜先輩に気付かれてしまった。


「ち、ちょっと笑わないでくださいよ!」


「ごめんなさい。あまりにもまとまってなくて」


 茜先輩が頬を膨らませる。それを見てまた吹き出してから、頭の中を『努』に切り替える。それは茜の前では初めてのこと。しかし不思議と緊張はしなかった。


「言いたいことは分かったよ。ありがとう、茜」


 茜の肩がビクッと揺れる。


「つ、司の姿で努先輩みたいに言うと、なんか違和感ありますね」


 茜が顔を俯かせて言う。


「そうか? 美衣や親の前では最近までずっとこれだったんだけどな」


「……うん。そうですね。訂正します。違和感全然ないです」


「全然ないというのも、それは喜んでいいのか悪いのか」


「あはは」


 茜が顔を上げる。彼女は笑っていた。


「きっと、見た目なんて些細なことなんですよ。あたしがそう思えば、そうなるんです」


「茜にしてはいいこと言う」


「あたしも驚いてます」


 彼女らしく、歯を見せて笑う。しばらくして、下から誰かの声が聞こえてきた。わいわいと騒がしいその声に耳を傾けると、どうやら家庭科クラブの面々のようだ。茜は一瞬寂しげな表情を見せたが、すぐにクルリと背中を向け、手を振った。


「それじゃ、司、また明日」


「……はい。また明日」


 ボクは彼女の背中に一礼して、階段を下へと降りていった。

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