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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第六章 吉名司
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その49 「なんでだろうな」

 口に咥えた体温計からピピッと電子音が鳴る。お母さんがそれを手に取り、渋い顔をする。


「三十八度三分。風邪ね」


 読み上げた数字が思っていた以上に高くて驚く。しかし、体を起こせないこの状態だとそれくらいあってもおかしくない、とも思ってしまう。


「司、気分はどう?」


「あたまいたい、きもちわるい……」


 自室のベッドの布団の中。ぼやけた視界と掠れた声で、駄々をこねる子供のように体の不調を訴える。


「昨日雨で濡れたのに、体を拭かずそのままいたからよ」


「だって……」


 言い返そうと口を開いたところで、額に冷却シートを貼られた。ひんやりして気持ちいい。


 昨日、颯と別れたボクは家に帰り、体を拭くことも、着替えることもせず、濡れた制服のまま自室のベッドで横になった。体が濡れて寒いとか、そんなことは二の次で、とにかくなんであの時、颯先輩に「ボクは努だ」と言えなかったのか、そればかりを考えた。いつしかボクは寝てしまい、お姉ちゃんがご飯の時間だと呼びに来た頃にはすでに熱っぽくなっていた。ご飯もろくに食べず、お風呂に入って寝たところ、翌朝起きてみればこの有様だった。


「体は大事にしなさい。元々司は体が弱いんだから、努だった頃みたいに無茶してはダメよ?」


 幼い頃と比べれば全然良くなった方だけど、それでも吉名司の体は努だった頃よりも病弱だ。体力もないし、手先も不器用。いくら吸血鬼の力があるとはいえ、これじゃ努の頃よりいろいろと不便だ。こっちが本当のボクなのだから、文句は言えないけど……。せめて身長はほしかったな、と頭のてっぺんを触る。もう伸びないのかな。


「どうする? 病院行く?」


「いや。病院嫌い。行きたくない」


「注射を打ってもらった方が楽になるわよ」


「注射痛いからもっと嫌い」


 風邪を引いたときはワガママになると言うけど、それはきっと頭が熱くて、考えるのを放棄した結果、思ったことをそのまま口にするからだろうなと、少しだけ残った冷静な部分で考える。まさに今のボクがそうだ。病院と注射は昔から嫌いなんです。お母さんがため息をつく。


「もう。言うことまであの頃の司に戻らなくてもいいのよ?」


「注射するぐらいなら、苦い薬飲んで寝てた方がマシ」


「お子様ね」


「苦い薬飲めるだけ大人だと思う」


「五十歩百歩」


「この五十歩は大きいと思います」


 言い返すと、お母さんは苦笑交じりに「仕方ないわね」と呟いた。


「我慢できなくなったらすぐに言うのよ? その時は無理矢理にでも病院に連れて行くから」


「うん。……なんか今日のお母さんいつもと違うね」


「あら、いつも通りの優しいお母さんよ?」


「鼻血出てない」


「今日は溢れ出る愛を言葉に代えているのよ。でも、そうね……」


 お母さんは少し考える素振りを見せた後、


「親というものは、自分のことよりも子供を優先するものなのよ」


 年甲斐もなく片目を閉じて微笑んで見せた。その姿は記憶の中にある幼い頃のお母さんと重なった。こういうお母さんもいいけど、ちょっと物足りないと思ってしまうボクは手遅れなのかもしれない。


「どうしたの? 突然笑ったりして」


「ううん。なんでもない」


 布団を引っ張って口元を隠す。いつもの変態的なお母さんの方が好きだなんて、恥ずかしくて言えない。そうしていると、階段でドタドタと大きな音をさせて、お姉ちゃんがドアを開けて現われた。


「つかさ、大丈夫?」


 ドアを開け放したまま、ボクのすぐ傍に来て顔を覗き込む。吐息がかかるほどの距離。ちょっと近い。


「辛そう。お姉ちゃん、学校休んで看病しようか?」


「大袈裟だよ。お姉ちゃんは学校に行って。早くしないと遅れるよ?」


「うー……。お姉ちゃんらしいことしたいのに」


 お姉ちゃんが頬を膨らませる。リスみたいでかわいい。その頬をペチペチと叩いたら、嬉しそうに手を握ってくれた。


「そう思うなら、帰りに何か買ってきてあげなさい」


「はーい。じゃ、司、早く帰ってくるからね」


「うん。いってらっしゃい」


 来たときと同じように、走って部屋を出て行く。お母さんと目が合い、二人でくすっと笑ってしまう。


「あれでお姉ちゃんのつもりなのかしら」


「美衣らしくていいと思う」


 『努』として答える。姉としては、背伸びしているその姿は微笑ましいけど、妹としては及第点。もっと自然にやってほしい、というのが本音。拗ねるだろうから言わないけど。


「それじゃ、お母さんも行くわね。ちゃんと大人しく寝てるのよ?」


 お母さんがボクをあやすように、布団の上から胸のあたりを軽く叩いて立ち上がる。咄嗟に腕を伸ばし、お母さんのスカートを掴んだ。


「あっ……」


 自分がとった行動に驚き、それでも手は離さないまま、お母さんを見上げる。


「薬を持ってくるだけよ。今日は会社を休んで家にいるから、心配しないで」


 そう言ってボクの頭を撫でる。心地良くて目を細める。


「ありがとう、お母さん」


「何言ってるの。親が子供の面倒を見るのは当たり前でしょ」


 言いながら微笑んで、お母さんは部屋を出て行った。


 ◇◆◇◆


 これは夢だ。すぐにボクは気付いた。


 前に一度見たことのある公園。商店街の中央にある公園にそっくりな、噴水のある広い公園。その噴水の近くにあるベンチで、ボクは横になっていた。熱があるのか、疲れているのか、体を動かすことはできなかった。誰もいない公園で、じっと横になっているだけ。噴水の音と、自分の呼吸音だけが聞こえる。……寂しい。


「司ー!」


 遠くからボクを呼ぶ声が聞こえる。目を凝らして見やれば、それは颯先輩だった。彼はボクに駆け寄ると、片膝をついて顔を覗き込んできた。


「辛そうだな。大丈夫か?」


「……はい。大丈夫です」


 颯先輩の手が伸びてきて、ボクの前髪を掻き上げる。大きな手が額に当てられ、ひんやりと心地良い。


「早く元気になってくれよ。司が学校に来ないと、部室がお通夜なんだよ」


「あはは。分かりました。ご希望通り、できるだけ早く元気になって見せます」


 夢の中とは言え、お見舞いに来てくれたことが嬉しい。本当の先輩にいうように、僕は答えた。無言でボクの額、頬、頭と触れていく。以前ボクの邪魔をしたあの三人は現われない。颯先輩とボクの二人だけだ。


 そのまましばらくボクを見つめる。しかし、颯先輩の表情がふいに変化した。柔和な顔から、思い詰めたような顔に。そして彼は口を開いた。


「なあ、努」


 ボクは笑ってしまう。まったく、夢は唐突すぎる。いきなり颯がボクのことを努と呼ぶなんて。


「……なんだ、颯」


 頭の中を『努』に切り替えて返事する。


「努はどうして、俺に教えてくれなかったんだ?」


 怒りよりも悲しさが多く混じった声で問いかける。


「さあ。なんでだろうな。……最初は、颯に嫌われたくないからだって思ってた。でもそれは間違いで、本当はよく分からないんだ。なんであの時、ボクは言えなかったのか……」


 それが今の本音。どうして颯にだけは、こうも頑なに正体を明かすことを嫌うのだろうか。自分で自分の気持ちが分からない。颯は「そうか」と呟くと、ゆっくりと立ち上がり、ボクに背を向けた。


「お前は、昔も今も、俺の親友だよ。姿が変わったからって、それは変わらない。だから、風邪が治ったらまた部室に来いよ」


「……うん」


 現実でもこうだったらいいなと思いつつ、温かな気持ちで頷き、ボクは目を閉じた。


 ◇◆◇◆


 目を覚ますと、もう夕方だった。額の冷却シートを剥がし、手を当ててみる。……うん、まだ熱はあるけど、かなり下がったみたいだ。ためしに上半身を起こしてみる。頭がグラリと揺れ、吐き気がする。でも起き上がれないほどじゃない。ベッドの脇を見やると、テーブルにはお昼頃に飲んだ薬の空き袋と水の入ったコップがあった。


 ジュースが飲みたい。水じゃなくて、味のついたもの。欲求に従い、布団から這い出て部屋を出る。手すりの重要さを噛み締めながら一階に降り、リビングのドアを開いた。


「司、もう起きて大丈夫なの?」


 すぐに気付いたお母さんが、コンロの火を消して駆け寄る。牛乳の匂い。今日はシチューかな。


「うん。喉が渇いたから、飲み物が欲しくて」


 お母さんに支えられて椅子に座り、用意してくれたオレンジジュースの入ったグラスに口を付ける。体調のせいだろうか、いつもよりすっぱく感じた。ちびちびと飲みつつ、キッチンへと戻るお母さんの背中を見つめる。


「あ、そうそう、司」


 お母さんが振り返らずに言う。


「ん、なに?」


「あなた、さっき…………いえ、なんでもないわ」


 頭を横に振る。なんだろう。気になる。お母さんはそれ以上何も言うことはなかった。

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