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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第六章 吉名司
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その48 「遅くなるって言ってました」

 どんよりと曇った空から雨粒がこぼれ落ちる。それは目の前のアスファルトを濡らし、色を濃くしていく。雨は嫌いだけど、そうして周りの色を変えていくところは好きだった。


「ファンクラブがあったなんて驚きだな。司が毎日ラブレター貰ってるっていうのは知ってたが、まさかそこまで人気だったとは」


「そうですね。ボクもビックリです」


 話題はファンクラブについて。やはり颯先輩は本当にファンクラブの存在を知らなかったようで、内心ほっとした。颯先輩までファンクラブに入っていたら、エンタメ部での非会員が沙紀先輩だけになってしまう。バランス的に、颯先輩はこちら側にいてもらわないと困るのだ。ボクと沙紀先輩だけじゃ、あの二人を押さえつけるのには無理がある。


「まっ、ファンクラブがあっても不思議じゃないか。司はかわいいからな」


「にゃ!? ……い、いえ、そこは不思議に思いましょうよ。ボクよりかわいい子なんてごろごろしてますし」


「ははは。自信を持てって。ラブレターがその証拠だよ。それに、過度な謙遜は嫌味に聞こえるぞ?」


「うっ……そ、そうですね」


 颯先輩が笑う。かわいいと言われるのは嬉しいけど、知人に面と向かって言われるのは恥ずかしい。


「ラブレターなんて貰ったことないなあ……やっぱり貰うと嬉しいもんなのか?」


「んー、どうでしょうか。たぶん嬉しいと思うんですけど、毎日のように貰うと、うんざりしてくるというか……」


「なるほど。大量に貰うと有り難みもなくなる、と。そういえば、今朝も告白されたんだって? しかも昇降口で」


「し、知ってるんですか!?」


 心臓が大きく揺れる。驚愕して、知らず颯先輩から一歩遠ざかる。


「おい、濡れるぞ」


「へ? あっ。す、すみません」


 慌てて元の位置に戻る。


「出間ってヤツだっけ? サッカー部のエースで、一年の頃からレギュラーの座を勝ち取ったって噂の」


「はい、その出間先輩だと思います」


 サッカー部のエースなんて初めて聞いたけど。


「性格も良くて、結構女子からも人気でモテてるんだろ? 司はソイツを振ったんだってな」


「はい」


 同意すると、颯先輩は目をそらし、言いにくそうに話を切り出した。


「……ど、どうして司は出間を振ったんだ? 初対面ってわけでもなかったんだろ?」


 そ、そういう話を元親友にしますか……。いえ、颯先輩からしたらボクはただの後輩なわけですが。


「どうしてって言われても……出間先輩はいい人ですが、好きでもなんでもなかったし、そう言う気はさらさらなかったというか……」


「そ、そうか……。司はなんとなく、ああいう優しい男が好みだと思ってた」


「え? ち、違いますよ。あんな人、タイプじゃないです」


 顔の前で両手を振って全力で否定する。あれ、なんでボクはこんなにムキになっているのだろう……?


「じゃあ、どういう男が好みなんだ?」


「こ、好み、ですか?」


「ああ」


 颯先輩の真剣な表情。答えないといけない雰囲気が漂っている。自分の好みなんて考えたこともなかった。でも、出間先輩はボクのタイプではないことは間違いないと思う。それならどんな人が好きなんだろう。……お姉ちゃん? いやいやそれはあくまでも姉妹としてだ。それ以前に男でもない。そうなるとあとは颯先輩くらいしか思いつかないけど、これもなんか違うような……。


「……よく分からないです。すみません」


「いや、いいんだ。いきなり聞いた俺が悪かった。俺も好みのタイプを聞かれても答えられないからさ、気にするな」


 颯先輩はそう言って微笑んだ。その表情がどこかほっとしたように見えたのは気のせいだろうか。先輩は「話を戻すけどさ」と前置きして、話を続けた。


「ファンクラブって、どんな活動してるんだろうな。有名人のファンクラブみたいに広報紙を作って配ったりしてるのか? そんなもの見たことないが……」


「さあ。でも、あまり具体的に何をしているのかは、知りたいとは思わないですね」


「まあ、たしかにそうだな。どうせロクなことしてなさそうだ」


 知って怯えるくらいなら、知らずにいたほうがいい。案外人生ってそういうものかもしれない、とちょっとスケールを大きくして考えてみる。そうすれば、ちさや立夏、茜先輩がしたことも簡単に許せてしまう気がした。もうすでにほとんど許しているのだけど。


 しかし、うーん……最近みんなに甘くなったような気がする。前は茜先輩に何かされて許しても、心のどこかではネチネチとしたものが数日は残っていたのに、今はそれがない。お母さんの変態的な言動も、前はキモいの一言だったのに、今じゃ愛されてるなあと感じるところもあり、まんざらでもなくなってきている。きっと今になって昔のように真面目なお母さんに戻られても、物足りなかったり、寂しく感じたりするんだろうなあ。んー……お母さんとお姉ちゃんに毒されてる気がする。


「しかし、ちさを止めなくて良かったのか? アイツになら本気でイヤだって言えば、アイツだけでもやめさせられたと思うが」


 ちさはいい子だ。ただ何かに熱中すると周りが見えなくなってしまうだけ。ボクが強く言えば、彼女は颯先輩の言うように止めてくれたと思う。


「はい。ですが……実害なくて、こっそりやってもらえるなら許容範囲内だと思います」


 ボクを慕ってくれることは素直に嬉しい。その気持ちを踏みにじるようなことはしたくなかった。


「許容範囲内ねぇ……本当にそうか?」


「はい。たとえばゴキブリだってどこの家庭にもいますが、見えなければそれほど気にならないじゃないですか」


「い、言いたいことは分かるが、たとえがちょっと気持ち悪いな……」


「うっ……たしかに」


 ゴキブリが冷蔵庫の裏でカサカサしているシーンを思い浮かべてしまった。……うわっ、背筋がゾクッとした。


「寒いのか?」


「いえ、ゴキブリがワサワサしているところを想像してしまって」


「司もゴキブリ嫌いなのか。努も想像するだけで寒気がするって言ってたっけ」


 トラウマですから。小学生だった頃に複数のゴキブリに襲われて以来、地球上で最も嫌いな生物になってしまった。


「ゴキブリなんてみんな嫌いなんじゃないですか? 黒いし、足がカサカサ動くし、突然ブーンって飛ぶし」


「俺も特に嫌いってわけじゃないけど、飛んでくるとビクッとはなるなあ……ってなんでこんな話してるんだ」


 颯先輩が笑う。つられるように笑みを浮かべ、視線を上げる。視界に入ったのは、左肩を濡らした颯先輩。ボクはどこも濡れていない。傘を持った颯先輩の手がボクの方に寄っていた。


 女の子扱いされている。それは吉名司が女の子なのだから当たり前のこと。しかし相手が親友だった颯なのだ。ボクは驚いた。


「颯先輩、肩が濡れています」


 これは颯先輩の傘だ。彼が濡れるのはおかしい。そう思ったのだけど、


「ん、ああ、気にするな。それよりさ、再来週体育祭だろ? 司はなんの種目にでるんだ?」


 すぐに話題を変えられた。言葉通りそれには触れるな、ということなのだろう。彼の気遣いが嬉しいやら、こそばゆいやら、ちょっと恥ずかしい。


「難しいことは得意じゃないので、200メートル走と組対抗リレーに出る予定です」


「リレーに出るって事は、司って結構足早いのか?」


「人並みです。うちのクラス、運動部が少ないんですよ。颯先輩は何に出るんですか?」


「俺は障害物と綱引きとリレーだ」


「障害物ですか。あれって難しいですよね。麻袋に入ってジャンプして、疲れたところで平均台を渡るのは、ちょっとボクにはできなさそうです」


 実際、一昨年に障害物競走に出て、平均台から何度も落ちて最下位だった苦い経験がある。


「え? ……ああ、まあな。俺もしんどいから他のにしたいって言ったんだけど」


「颯先輩はいつも損な役回りですね」


「誰かがやらないと話が進まないからしょうがない」


 颯先輩が苦笑する。そういう風に考えられる人がいるから、円滑に事が運ぶのだと思う。……照れくさいから口には出さないけど。


 大通りを渡り、住宅街を通って江角川の土手に出る。色とりどりのアジサイを横目にしつつ、誰もいない道を颯先輩と歩く。雨で増水した川はいつもより数十センチ水位が上がっていて、それだけでいつもと違って見える。


「ここ綺麗になったんだな。前は鼻を押さえたくなるほどの臭いだったのに」


「昔は自転車も浮いてましたからね。見違えました」


「……そうだな」


 昔を思い出しているのだろうか、颯先輩は何か考えるような素振りを見せてから、短く答えた。


「……なあ、司」


 それはしばらく沈黙が続いたあとだった。


「は、はい」


 突然声をかけられ、どもってしまう。


「今日、家に努はいるか?」


「……え?」


 一瞬思考が止まる。颯先輩が何を言っているのか分からなかった。だって、吉名努はボクなのだから。


「こっちに戻ってきてからまだ一度も努と直接会ってないんだよ。今家にいるんだったら、ちょっと寄って行こうかと思ってさ」


 ああそうだ。颯先輩の言う努は男だった頃のボクだ。なんですぐそれが分からなかった? 最近努として振る舞うことが極端に少なくなったから? それとも颯先輩が一ヶ月前あたりからあまり電話してこなくなったから? それとも……。


 とにかく、今日はお母さんとお父さんは仕事で、美衣も部活で遅くなると言っていた。もちろん努もいないのだから、今家には誰もいない。ボクが家についても、しばらくは一人だけだ。


 そうしてボクは気付いた。周りには誰もいない。たとえどこかに人が隠れていたとしても、この雨の中なら誰にも会話を聞かれることはない。そして、司としてのボクと颯先輩の関係も、今じゃ他人ではなくなり、部活の先輩後輩としての地位を確立している。後輩の話を無下にはしないだろう。場所的にも、二人の関係的にも、颯先輩にボクが努だと正体を明かすには絶好の機会だ。


 頭の中を『努』に切り替える。今しかない。これ以上引き延ばしてもさらに言いにくくなるだけ。意図しない形で正体がバレる可能性も上がってしまう。だから今だ。颯にボクが吉名努だと伝えるんだ。簡単なこと。ただ一言、「ボクが努だ」と言えばいい。四月頃なら笑い飛ばされていたかもしれないけど、今ならボクの話を真面目に聞いてくれるはずだ。怪しまれてもいい。とにかく、まずは一言言うんだ。


「あ、あの……颯、先輩」


 違う。「颯」だろ。なんでこんなときまで先輩って付けちゃうんだよ。説得力なくなるじゃないか。


「ん、どうした?」


 颯が立ち止まる。ちょうど目の前には交差点。ここから真っ直ぐ横断歩道を渡ればボクの家。渡らず右へ曲がれば颯の家だ。


「そ、その……」


 自分のことなのにじれったい。なんでさっさと言えないんだ。恥ずかしいのはほんの数分。それが済めば楽になれるんだ。もう騙さなくていいんだ。颯がボクの言葉を待っている。その目はまるでボクを見透かしているようで、耐えられず視線を逸らしてしまった。


 ……無理だ。ここじゃ言えない。そうだよ。もしかしたら誰かが見てるかもしれない。雨の中でも、声が聞こえてしまうかもしれない。うん、ここじゃ危ない。だったら颯を家に招き入れて、そこで落ち着いて話せばいい。そうしよう。


 兄は家にいる。だから来てくれ。さっきの言葉よりも、もっとずっと言いやすい。これなら言える。さあ、言ってしまえ。


「お、お兄ちゃんは、今家に……」


 ……。なんでそこで止まる? あともう少しじゃないか。「家にいるから来てください」で終わりだ。なんでそれが言えないんだ。


 ……やっぱりボクは、颯には……颯だけには『吉名努』を忘れてほしくないのだろうか。一週間前に、司として生きていくって決めたのに、それでも颯にだけは努のままでいたかったのか?


「……お、お兄ちゃんは今日も遅くなるって言ってました」


 結局ボクの口から出たのは、こんなどうしようもない言葉だった。


「そうか。だったら仕方ないな。司を送って帰るとするか」


「ここまででいいです。ありがとうございました」


「いや、ここから家までまだちょっと距離があるだろ? ちゃんと家の前まで送って――」


「颯先輩の家はここを右ですよね? 走ればすぐですし、もう大丈夫です」


 信号が青になる。何か言いたそうな颯を残し、走って横断歩道を渡る。


「颯先輩、おつかれさまでした!」


 渡りきったところでくるりと振り返り、頭を下げる。


「司! 待て!」


 颯先輩の制止を聞こえなかったことにして、ボクは走り出した。

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