その46 「ごめんなさい!」
お姉ちゃんに半眼で見つめられながら、プリンをグルグルとかき混ぜる。明らかに好意的じゃない視線を受けても、やめるつもりはなかった。どんなボクになってもウニ(ウニ風味含む)は大好きなんです。
「やっぱりそれはやるんだ……」
「うん。美味しいよ。食べる?」
「いらない」
間髪入れずの拒否。慣れているので傷ついたりはしない。「うげー」という顔をするお姉ちゃんを無視して、醤油を垂らし、またかき混ぜる。そして一口。今日もいい感じにできました。
「そういえば、もうすぐで司の誕生日じゃない?」
「んー?」
スプーンを咥えてカレンダーを見る。今日は6月17日。
「うん。あと三日だね」
「何言ってるの。司の誕生日は1月26日じゃない。6月20日は努の誕生日よ」
鼻にティッシュを詰め込んだ残念なお母さんが言う。「そうだった」と、ボクとお姉ちゃんは頷く。6月20日は吉名司が努になった日であり、言わば努の誕生日。本来のボクの誕生日は1月26日だ。
「誕生日はいろいろなところで使うから、覚え直すの難しいよね。司は間違えて書いちゃったりしない?」
「うーん。携帯電話を買うときにちょっと戸惑ったかな。あと、この前DVD借りようと思って会員証作るときにも間違えそうになった。ずっと6月20日って覚えてたから、まだ1月26日が誕生日って言うのはピンとこなくて」
「うんうん。大変だよね~」
お姉ちゃんが頭を撫でてくる。子供扱いされるのは嫌だけど、撫でられるのは気持ちいいので、何も言わない。
「ねえお母さん。6月20日は何もしないの?」
お姉ちゃんがお母さんに尋ねる。ボクも気になってお母さんを見つめる。
「な、何もしないわけないじゃない! 愛しの努の誕生日なのよ! 七面鳥やら何やら買って盛大にパーティーよ!」
ティッシュを赤く染めながらハイテンションなお母さん。でもどうして七面鳥? お祝いしてくれるのは嬉しいけど。
「なんならお母さんの新鮮な生き血を――」
「結構です」
丁重にお断りすると、お母さんはガックリと肩を落とした。どうせ飲むならお姉ちゃんの血の方が好みです。
「お祝いするってことは、司がプレゼントをねだってもいいってこと?」
「もちろんよ」
すぐに立ち直ったお母さんが力強く頷く。それを見たお姉ちゃんが笑みを浮かべ、ボクの手を取った。
「良かったね、司。プレゼント買ってくれるって」
「ほんと? でもいいの?」
「ええ、なんでもいいなさい。お父さんの一月分のお小遣いまでならオッケーよ」
新聞を読んでいたお父さんがビクッと肩を震わせる。お父さんの財布が心配だ。なんて考えていると、お姉ちゃんがちょんちょんと腕をつついて、「お父さんのことは気にしないの」と囁いた。そうは言われても……。
「……考えとくね」
「そう? 早くしなさいね。もう三日しかないんだから」
「うん」
お父さんがほっと胸を撫で下ろす。プレゼントはケーキにしよう。お父さん想いの娘に感謝するように。くすくすと笑いながらウニプリンを口を運ぶ。
「司、やっぱりそれだけはやめたほうがいいと思うんだけど……」
「やめません」
◇◆◇◆
朝食を食べ終えるとすぐに家を出て学校へと向かう。道路の日陰のところには、まだ一昨日の雨の名残である水たまりがあり、そこに映る太陽を眺める。
「水たまりに落ちないようにね」
「うん」
時折水たまりをひょいと飛び越える。久しぶりの晴れで気分がいい。ふと思い出して鞄の中を覗く。うん、ちゃんと忘れず持ってきてる。
「昨日は何通貰ったの?」
お姉ちゃんがボクの鞄を見て言う。口で言っても時々信じてくれないので、実物を見せようと、今ちょうど確認したばかりの手紙を取り出す。
「三通か。最近また多くなってきたね」
それは昨日貰ったラブレターの返事が書かれた手紙だ。
「うん。なんでだろう」
蓮池に入学して一ヶ月くらいは毎日下駄箱や机にラブレターが複数届いていた。しかし五月に入ると数は減り、六月になるころには一週間に一通程度にまで落ち着いていた。それなのに、ここ一週間は四月の頃に逆戻りしたかのように、毎日ラブレターが届くようになっていた。
苦笑するボクにお姉ちゃんは「しょうがないよ」と言う。
「最近の司はかわいいもん」
「ボクは何も変わってないよ?」
化粧をしたわけでもない。髪型を変えたわけでもない。以前のボクと同じはず。
「見た目じゃなくて、雰囲気がね」
それもあまり変わったとは思えない。たしかに内面は『司』になったことで少し変わったと思うけど、元々学校では無意識に『司』っぽく振る舞っていたはず。やっぱり分からない。ボクは首を傾げる。
「いくら司が変わっていないと思っても、本人では気付かない細かな仕草や表情が違うんだよ。司は前より仕草が女の子っぽくなって、表情が柔らかくなった。たぶんそのせいでまた人気が出たと思うんだよね」
お姉ちゃんが腕を組んでうんうんと頷く。そうなのかな。お姉ちゃんが言うのなら、そうなのかもしれない。
「それでも、この量はおかしいよね」
手紙は毎日平均して三通ずつ貰っている。嫌味に聞こえてしまうかもしれないけど、自分の容姿がそれなり以上であることは理解している。でも、ボクにここまでの魅力はないと思う。
「司は律儀に返事を考えて書いて出すから、それを目当てにしてる子もいるんじゃないかな?」
「こ、断りの手紙なのに?」
「どうせ無理でも、せめて手紙くらいはほしい、とか。だって手書きだよ? サインだよ? ファンならほしいんじゃない?」
「ふぁん?」
「そう。特に一年の五組と二組の……」
そこまで言って、突然言葉を切った。そして曖昧な笑みを浮かべて視線をそらす。
「……コホン。なんでもない」
なんでもないはずがない。
「ボクのクラスとちさのクラスがどうかしたの?」
「な、なんでもない。ほんとになんでもないから」
「明らかに挙動不審なんだけど……」
じろりと睨み付ける。それでもお姉ちゃんは目をそらし続ける。
「あ、あーっ。そろそろ急がないと遅刻しそう!」
「え、まだ全然時間は……ちょっとまってよ!」
お姉ちゃんがボクから逃げるようにして走り出す。すぐにそれを追いかけた。
◇◆◇◆
結局はぐらかされたまま学校についてしまった。しつこく問い詰めても良かったけど、そんなに気にもならなかったので、そのうちお姉ちゃんの方から話してくれるのを期待して待つことにした。そんな時が来るかどうかは知らないけど。
下駄箱を開けて中を覗き込む。案の定今日も入っていた。
「司、今日はどう?」
「四つ」
お姉ちゃんと廊下で合流し、鞄に手紙を仕舞う。
「捨てればいいのに」
「せっかく書いてくれた物を捨てるのはちょっと」
「律儀に読んで返事まで書いて、いい人過ぎるよ、司は」
「普通だって」
「そんなことするから手紙が増えるんじゃないの?」
「そんなことは……あるかも」
手紙の中には一度返事を書いて断った人もいる。ちゃんと返事を書いて断れば諦めてくれると思ってやっているんだけど、それが逆効果なのかもしれない。
「今度試しに返事を書いてみないとかしてみたら? もしくは目の前で破り捨てるとか」
「返事を書かないはともかく、破り捨てるのは……」
「それくらいしないと諦めないんだって」
「うーん……」
そういう厳しい態度も、時としては必要なのだろうけど……。
などと考えていると、視線の先に見知った人を見つけた。相手もこちらに気付いているようで、目が合うと満面の笑みを浮かべた。
「やあ、司ちゃん」
「こんにちは、出間先輩」
以前に手書きで『試供品』と書かれた香水をくれた出間先輩だ。挨拶して軽く会釈すると、なぜか彼は大きく目を見開き、動きを止めた。
「い、出間先輩どうしたのかな?」
「あなたが初めてコイツの名前を呼んだからじゃない?」
出間先輩に聞こえないよう、お姉ちゃんとひそひそと話す。
「初めて? 出間先輩なら何度か会ってるし、名前も呼んだことあると思うけど」
「だって司、毎回名前を……いえ、なんでもない」
途中で口を閉ざし、お姉ちゃんはぶつぶつと独り言を始めた。「無意識に拒否してたのね」とかなんとか。なんのことだろう。
「つ、司ちゃん。ついに僕の名前を……」
彼も彼で変なことを言っている。酷く感動してようで、目尻には光るものが見えた。ここ、下駄箱前の凄く人通りの多い目立つ所なんですけど。
「ありがとう。まさか君自身から勇気をもらうなんて思わなかったよ」
感謝されてしまった。何もしていないのに。周りに人が増えてきて、いくつもの視線がボクに向けられる。うぅ。恥ずかしい。早く教室へ行きたい。でも出間先輩を無視するわけにもいかない。
彼はラジオ体操の如く両腕を水平に広げて、大きく体全体で深呼吸した。二度、三度、四度。それからボクと目を合わせた。ゆったりとした動作で胸ポケットに手が伸びる。よく見るとそこには封筒のようなものが見えていた。……嫌な予感がする。
「司ちゃん。ボクの気持ちを受け取ってくれ」
「うわ、コイツキモい」
出間先輩が手紙を差し出し、それを見たお姉ちゃんがぼそっと呟いた。しばらく考えた末に、手紙を受け取る。ちょっと凝った作りの高そうな封筒。これはもしや……いやいやそんなことはない。こんな目立つところで渡すはずが――
「ラブレターだよ」
渡されました。まさかの公衆の面前で受け取ってしまいました。どうしよう。『努』としてこの人にウニを全力で投げつけたい。
「良かったら読んでみて。そして、答えを聞かせてほしい」
周りでどよめきが起こる。その言葉はほとんど告白のようなものだった。渡したその場で答えを聞きたいって、じゃあどうして手紙になんか書いたんだろう。
「司、逃げてもいいんだよ。後はわたしがなんとかするから」
お姉ちゃんが囁く。ボクは小さく首を振る。
「逃げても一緒。だから今返事するよ。……そのあとはお願い」
お姉ちゃんは何か言いかけたけど、嘆息してポンと背中を叩いてくれた。大勢の人が見守るなか、封筒を開け、手紙を取り出す。便箋は一枚。それを広げる。
……なに、これ。それを見てボクは思いっきり引いてしまった。そして納得する。だから出間先輩は誰とも付き合ってなかったんだと。
便箋は隙間なく文字で埋め尽くされていた。まさに黒一色。文字の大きさも尋常じゃなく、ルーペがあれば見やすいかなと思ってしまう細かさ。あまりにも小さいので、普通なら一行書くスペースをさらに三行に分けて書いている。しかも内容が酷い。『愛』だとか『恋』だとか『好』だとか『綺麗』だとか『運命』だとか『結婚』だとか『子供』だとか、そんな文字ばかり並んでいた。詩的表現に挑戦した形跡も見られるけど、この黒一色の便箋に背中が痒くなるようなことを書かれても台無しだと思う。見た目だけで凄く怖いし。
あまりにも長すぎて全てを読んではいられないけど、彼の一番言いたいことは最後の一行に書かれていた。
『初めて見たときから好きでした。付き合ってください』
……外見はいいし、性格もいい。この一文だけで彼を好きになってくれそうな人はいそうなのに、それまでの文章で全てぶちこわしている。残念な人だった。どちらにしても、ボクは彼と付き合うつもりなんてない。手紙は貰ったばかりだし、本人も目の前にいる。返事は書かず、彼の希望通りに言葉で伝えよう。
便箋を封筒に戻し、彼を見る。笑顔だけど、緊張しているのがわかる。お姉ちゃんに目配せしてから、ボクは行動に移った。一歩前に出て、手紙を彼の胸に押しつける。反射的に受け取った彼からすぐさま体を引き、深く頭を下げた。
「ごめんなさい!」
場が騒然となる。呆然とする彼が何か言う前に、その場から走り去った。遠くの方で彼の声が聞こえたけど、次いで聞こえたお姉ちゃんの声に安堵し、振り向かずに角を曲がり、階段を駆け上がる。四階まで上がったところで立ち止まり、階下を見下ろす。弾む息を整えながら、ぽつりと呟いた。
「ごめん。タイプじゃないんだ」




