その40 「ボクって重い?」
「そうしてできたのがこれなんです」
放課後。午前に受けた調理実習の話に花を咲かせていたボクはその成果をみんなに振る舞った。身体的にも調理器具的にもかなりの被害をだしてしまったけど、そのかいもあり結構美味しくできたので、誰かに食べて貰いたかったのだ。
ローテーブルの中央に置いたそれを、ちさはニコニコと、沙紀は僅かに躊躇しながら口に運んだ。
「あら、美味しい。これで本当に作ったの初めて?」
血の海の話をした後なので驚きも大きいのだろう。沙紀は目を丸くしてボクを見た。
「はい。あ、でもほとんど立夏とちさに教えて貰いながらですけど。ね、ちさ」
ちさは小さく首を振る。
「たしかに教えましたが、コツをちょこっと教えただけです。それだけでこんなに美味しいのですから、つーちゃんは料理の才能がありますです。……包丁の扱いだけは背筋に寒いものを感じますが」
「包丁?」
最後の方にぼそっと何かを言ったような気がするけど、ボクの耳にまでは届かなかった。
「なんでもないです。とにかくつーちゃんは料理の才能があるのです」
「司の新たな特技発見ってところかしら?」
沙紀とちさが手放しで褒め称える。こういうときにお世辞を言うような二人ではないので本心だろう。
「もう、そんなにおだてても何もでませんよ?」
「これだけで充分よ」
沙紀がテーブルの中央に視線を向ける。
「そうです。これ以上望んだらバチがあたるです」
頑張って作ったものが評価されるのは嬉しい。ただそれも度が過ぎると気恥ずかしくなってくる。少し俯きがちにいると、ちさが顔を覗き込んできた。
「つーちゃん、リンゴみたいでかわいいですっ」
「わっ、ちょっと、見ないでよ!」
「元々の肌が白いから綺麗に赤くなっているわね」
「こ、これは二人があまりにも大袈裟に言うから……」
隠すように両手を頬に当てる。いつもは触るとひんやりとして気持ちいいのに、風邪でもひいているかのように熱を持っていた。
「全然大袈裟じゃないです」
「ええ。茜もそう思うでしょ?」
そう言って沙紀が隣を向く。いつもならこういうとき真っ先に話に加わる茜が、今はどういうことか、静かにソファーに座って紅茶を飲んでいた。ズズーと上品とは言い難い音を立ててダージリンのストレートティーを味わう茜。カチャリとカップをソーサーに置き、ゆっくりと閉じていた目を開いた。
「うん、まあ、いろいろ言いたいことはあるけど」
いつもの彼女らしくない言葉。昨日までの茜なら考える前に口から出ただろうに。言ったら怒られそうなことをちさと沙紀も思っていたようで、ボク達は心なしか緊張しつつ次の言葉を待った。
「なんでさっきの話からクッキーが出て来るの!?」
『……なんだそんなことか』
三人の言葉が綺麗に重なる。ボクとちさがため息をついてソファーに体を預け、沙紀が何事もなかったかのようにテーブルの中央にあるクッキーに手を伸ばす。ちなみにクッキーは二種類あり、狐色の普通のクッキーはボクが作ったもので、黒色のチョコクッキーはちさが作ったものだ。
ボク達三人の反応を見て茜が目を見開く。
「なんだとはなによ!?」
ボクはサッとカップを持ち上げる。案の定茜はテーブルを叩いて立ち上がった。
「司が作ったのはパスタとスープとサラダでしょ? なんでそれがクッキーなのよ!?」
「茜先輩違います。つーちゃんが作ったのはサラダです。スープはちさが作りました」
補足するとパスタを作ったのは立夏だ。野菜がメインのパスタなんて初めてだったけど、とても美味しかった。
「いやそういう細かいことは今はどうでもよくて!」
「細かいのは茜でしょ。いいじゃない。サラダからクッキーが出来ても」
「はい!? え、ちょっと沙紀なにいってんの!? サラダとクッキーは全然別物でしょ! そもそも調理方法自体違うじゃん。サラダは切って盛りつければいいけど、クッキーはレンジ使うじゃない」
「レンジじゃなくてオーブンレンジよ」
「沙紀の方が細かい!」
茜がカップを沙紀から奪い、ぐいっと一気飲みする。紅茶はそんなふうにしてゴクゴク飲むものじゃないのに。
「とにかくあたしは、なんでサラダを作ったはずなのにクッキーがここにあるのか聞いてるの!」
「それはもちろん、サラダを作った後にクッキーを作ったからですよ」
茜の動きがピタリと止まる。そして誰を見るともなく、「あーなるほど」と呟いてポンと手を叩いた。
「そうきたわけか」
「いえ、ちさは元からそのつもりで話してますけど……?」
「ボクの言い方が悪かったかもしれないです。すみません」
一言もクッキーのことを話してなかった気がするので、一応後輩らしく謝罪する。一度もコイツのことを後輩だと思ったことはないけど。
「誰も悪くないわよ。調理実習はお菓子も作るのが当たり前なのに、それを忘れている茜が悪いのよ」
にやりと沙紀が笑う。茜はあさっての方向を向いた。
「あ、あー、そういえばそういうシステムになってるんだっけ? いやー気付かなかったわー」
「調理実習の度に堂々と授業中にお菓子がたらふく食べられると喜んでいたのはどこの誰かしら?」
「ぐっ……」
茜が言葉を詰まらせてたじろぐ。
「ほんっと茜って馬鹿よね。物忘れは酷いし、学習能力ゼロだし、勝手に人を巻き込むし、猫以上にきまぐれだし、炭酸振って開けたらどれだけフタが飛ぶだろうとか言って自分の顔に向けてフタを開けるし、おばけなんていないと豪語してそれを証明するためにと心霊番組見てたら怖い怖い言って全然目を開けないし、間違いなく馬鹿よね。しかも味噌汁は赤だし派」
「あー馬鹿って二回言った! しかも最後の赤だしは全然関係ないよね!?」
「中部地方の方々に謝罪しておきなさい。赤だし好きでごめんなさいって」
「なんで!?」
「自分の胸に手を当ててよく考えることね。CとDの間という中途半端な大きさの胸に手を当てて」
「ぐぐぐ……自分がDだからって勝ち誇りよってからに……」
「そう見えるのは茜がそう思ってるからでしょ」
沙紀がにやりとしたまま大袈裟に肩を竦める。日頃の彼女へのストレスを発散させているように見えるのは気のせいだろうか。それにしても案外二人とも大き……いやなんでもない。
「そ、そりゃ赤点とりまくったせいで2週間も補習を受けさせられて、その後に受けた追試もあんまり良くなったから昨日までずっと大量の課題をやらされたりしてけど、あたしはやれば出来る子なのよ!?」
き、昨日まで課題を出されていたって、茜は一体追試でどんな点数を取ったのだろう。というより、そんなに悪い点数取ったら普通なら留年の話もでてきそうなものなのに、茜の様子からしてその心配はなさそうだ。……きっとお礼参りという名の土下座巡りをしたに違いない。先生はさぞ困っただろうなあ……。
「いつまで経ってもやらなければ、それは出来ない子と同じよ」
「ぬぅ……あーもう! こんな展開になったのも全部颯先輩のせいです! なんとかしてください!」
「は!? 俺!?」
離れたところにある椅子に座って一人静かに小説を読んでいた颯が突然話を振られて声を上げる。
「そうです! 颯先輩がそんなところで一人いるからツッコミ役がいなくて、じゃあちょっとやってみようかな~って軽い気持ちでやってみた結果がこれですよ! 火傷どころか致命傷ですよ!」
茜は早口で捲し立てると、乱暴にクッキーをつかみ取り、口の中に放り込んだ。
「うまいっ! 司、あたしの嫁になって!」
「遠慮します」
「そんなこと言わずに!」
茜が両腕を広げる。また抱きつかれるかと身構えたけど、すんでのところで沙紀が首根っこを掴んで阻止してくれた。「ちぇっ」と口を尖らせながら茜はソファーに座り直す。
「まあ茶番はここまでにしといて」
さっきまでのやりとりをまったく気にしてない風に茜は言った。今までのは全部茶番ですか。
「颯先輩。どうしてそんなところに一人でいるんですか? こっちに来て話しましょうよ~。司の焼いたクッキー美味しいですよ」
ほれほれとボクが焼いたクッキーを一枚手にとって見せびらかす。そのクッキーの形が作ったものの中でも1、2を争ういびつさだったのを見て、なんでそれを選んだのかと茜をこっそりと睨む。
「いいよ俺は」
素っ気なく返事して、颯は再び本を読み始めた。その予想もしなかった態度に一同呆気にとられる。いや、よく見るとそれはボクとちさだけで、沙紀はいつも通り、茜に至ってはにやにやと嫌な笑みを浮かべていた。あれは間違いなくよからぬことを考えているときの顔だ。
「まあまあそんなこと言わずに~」
にこやかな顔で言った直後、茜が顔を寄せてきた。悲鳴が漏れそうになるのをなんとか堪えて彼女の顔を見つめる。
「司、颯先輩を連れて来て」
「え、ボクですか?」
「司が行けば絶対来てくれるから。ほらほらっ」
無理矢理に立たされ、背中を押される。まったく、今度は何を考えているんだろう。しかしこのまま何もせず戻るのもなんだし、ということで渋々茜に付き合うことにする。
「えっと、颯先輩」
「ん、なんか用?」
颯は本から視線を外さずに短く返事する。しかしその態度に違和感を覚える。いつもより余所余所しい?
「先輩も一緒にどうですか? 一人でこっちにいるより、みんなと一緒の方が楽しいですよ?」
僅かに笑顔を引きつらせながら言った。別に颯に緊張しているわけじゃない。原因は後ろから感じる視線のせいだ。三人がこちらをジローっと見つめているらしく、酷く居心地が悪い。早く颯を連れて戻ろう。
「俺は別にいい。気にしないでくれ」
いや、四人でわいわいやってるその隅で一人本を読まれるのは、それはそれで気にするんだけど……。
「クッキーもあります。ちょうど3時ですし、おやつにぴったりです」
「ガキじゃあるまいし、おやつなんていらねーよ」
「そんなこと言わずに――」
「いらない」
いらっ。……彼はいつになく頑固だ。しかしそれよりも、初めてボクが作ったクッキーを颯はいらないと言った。言ってしまった。そのことにボクは腹を立てた。いびつな形のクッキーだけど、あれでも結構頑張ったんだ。みんなにも食べて貰って、美味しいと言ってくれた時は凄く嬉しかった。それを颯は入らないと言ったんだ。
久しぶりにカチンときてしまったので、彼を無理矢理連れて行くことに決めた。そうだよ。元々颯は無理矢理連れて行くくらいの方がちょうどいいんだ。二人で部活を作るときだってボクはそうしたんだから。
「お、おい」
颯から乱暴に本を奪い取る。それを本棚に戻し、戸惑う颯の手を握りしめた。
「ちょっと司――」
「もうつべこべ言わずにこっち来てください!」
両手で力一杯颯を引っ張る。しかしまったく力がないので颯の体はピクリともしない。
「ぬぐぅ……」
だめだ全然動かない。こうなったら本日二度目の――
「わ、分かった。分かったから!」
「へ? わわっ」
ふいに颯が立ち上がる。そのせいで手から力が抜けて体勢を崩してしまう。体が後ろに傾き、伸ばした手が空を切る。しかし、すぐに颯の手がボクを捕まえた。
「っと、危なかったな。悪い」
「い、いえ。こちらこそありがとうございます」
胸を撫で下ろして見上げると、至近距離に颯の顔があった。こんなに近くに彼の顔を見たのは初めてかもしれない。あ、首のところにほくろ発見。
元親友に新たな発見を見つけていると、いつの間にやら彼の顔が見たこともないくらいに真っ赤になっていた。まるでさっき血の海と化したトマトのようだ。……たとえが悪かったかも。
「顔が赤くなってますけど……もしかしてボク重かったですか?」
きっと颯は力みすぎたのだ。片手でボクを引っ張っていたし、結構な力が必要だったのだろう。
「い、いや、そんなことはない」
「はっきり言って貰って良いですよ?」
「大丈夫。本当に重くなかったから」
「でも」
「重くないって言ってるだろ!」
何故か颯は声を荒げてさっさといつものソファーに座ってしまった。重いかどうか聞いただけなのに、なんでボク怒鳴られたんだ?
腑に落ちないままソファーに座り直し、ふと周りに目をやれば、茜は肩を震わせながら声を殺して笑い、沙紀はボクを見て呆れ顔でやれやれとジェスチャーをしていた。ちさはクッキーをひたすら食べている。
周りの反応に首を傾げながらちさを腕をつつき、誰にも聞かれないようにそっと囁く。
「ねえ、ボクって重い?」
ちさはあからさまに眉をひそめてから大きくため息をついた。