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あいそまたーんっ  作者: 本知そら
第五章 初夏のお話
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その39 「痛いよ立夏」

 3限目。特別教室や部室が並ぶ、閑散とした第二校舎。そのなかでやや刺激臭のするとある密室。ざわざわと騒がしい周囲を余所に、ボクは額に汗を滲ませて眼前に並ぶ二つの物質を凝視していた。


 無数の微細な結晶体。蛍光灯の光を受け白く輝くそれは一見するとどちらも同じもののように見えるが、よくよく観察すると細部の形状が異なっていた。おそらくこの二つは別の物質なのだろう。


 ……一体これが何なのか。ボクには分からない。室内には切羽詰まった声が飛び交っている。みんな自分のことで手一杯なのだ。助けを求めるように周囲を見回しても、誰とも視線を交わすことはなかった。


 いや、一人だけいた。それはすぐ隣にいた立夏。彼女はニコリともせずに無表情でボクを見下ろしていた。まるで刃物のような鋭い視線を送る立夏。目を合わせ、伝えたいことを見抜いたボクは静かに一度ゆっくりと頷いた。


 再度相対する二種類の白い結晶の山。それを交互に見つめる。緊張からか、汗が頬を伝いポタリと床に落ちる。


 百聞は一見にしかず。だったら百見は一触(食)にしかずだ。やがて決意し、おそるおそる手を伸ばす。指先にいくつかの結晶体を付着させ、それを口元に運び――


 ペロッ。


「これは……青酸カリっ!?」


「塩だあほっ!」


 コンと頭の上で音が鳴った。すぐさまそれは痛みとして伝わり、ボクの瞳にじわりと涙を浮かばせた。


「い、痛いよ立夏」


 両手で叩かれたところを押さえて抗議の声を上げる。


「塩を取ってくれって言ってんのに、無視して青酸カリだとかほざく司が悪い」


「だって見ただけじゃどっちが塩か砂糖か分からなくて、それなら舐めて確かめるしかないでしょ? 舐めると言ったらやっぱりこれはやっておかないとって思って――」


「思うのは司だけだ」


 そう言っておたまを突きつける立夏。その鉄製の調理器具でボクの頭を叩いたのか。通りで痛いはずだ。ほら、ちょっとたんこぶできてる。


「つーちゃん大丈夫ですか? はい、お塩です」


「さんきゅ、千沙都」


 ちさがボクを案じながら、塩の入った透明なプラスチックケースを立夏に手渡す。「平気」と返すとニコリと微笑んだ。


 3、4限目は家庭科。今日は調理実習ということで、ちさの在籍する1年5組と合同で授業を受けていた。蓮池ではカリキュラムの違いにより、家庭科を男女別で履修することになっている。年度初めから2学期中頃までは女子が、そこから年度末までは男子が受講する。今頃男子は体育館でバレーかバスケでもやっていることだろう。


「涙目のつーちゃん、かわいいですっ」


 嬉しそうにボクをギュッと抱きしめ、頭を撫でるちさ。内心またかと呆れながらも、その柔らかな抱擁に体を預け目を細める。この毎日受ける子供のような扱いも、男ではあり得ないスキンシップも、いざ抵抗することを諦めて受け入れてみると、案外心地いいものだった。今では女の子の柔らかな感触にも周囲の目にも慣れてしまって、されるがままだ。……さすがに更衣室で抱きつかれた時は恥ずかしさのあまり死ぬかと思ったけど。


 周囲を見やると、みんな料理が不得意なのか悪戦苦闘しているようだ。包丁やフライパンを振るう手が危なっかしい。まあ、人のことは言えないんだけど。


「司のせいでちょっと焦げたじゃないか」


 立夏が計量スプーンで塩を掬い、それをフライパンの中にパラパラと落とした。手慣れた様子に感嘆の声が漏れる。たしかにフライパンの中で踊るキャベツだか白菜だかの端が少し黒くなっている。でも大丈夫。このくらいならセーフだセーフ。


「一度やってみたかったんだよ。ミステリーでは定番のあのシーン」


 刑事が犯行現場に落ちていた白い粉をペロッと舐めて言うあのセリフだ。現実的にはいろいろとツッコミどころ満載のシーンらしいけど、フィクションなんだから細かいことは気にしない。


「なるほど。つまり、あたしの料理は司の願望達成のために犠牲になったと」


「名誉ある負傷だとその黒いところを褒め称えればいいと思うよ」


「焦げが褒め称えられるのはご飯ぐらいだっつーの!」


「暴力反対っ」


 再び振り上げられたおたまから逃げるように、ちさの背後に回って盾にする。それを見て立夏が大きくため息をつく。


「ったく。司って子供だよな」


「そこがいいんですよっ」


「まあ否定はしないけどさ。お前みたいなヤツがいるとなごめるし」


「ちさ達に必要不可欠な癒し成分ですっ」


 ぐっと拳を握って力強く言うちさに、肩を竦めた立夏が同意する。二人ともいい子だよなぁ。正直自分のことながらうざいと思われても仕方ないかなと思ってたのに……。あ、そうか。二人がこんなふうに甘いから、調子に乗って年齢不相応なことをするんだよ。すぐ調子にのるからな、ボクは。うん。


「それで、そっちは順調に進んでるのか?」


 片手で軽々とフライパンをふるいながら立夏が尋ねる。ボクは咄嗟に目をそらした。


「はい。んー……もうすぐで出来ますです」


 ちさはコンロの火にかけていたお鍋の蓋を開けて中を覗き込むと、おたまで数回かき混ぜ、またすぐに蓋を閉じた。


「もう? 早いな」


「ちさのは簡単な料理ですから」


「とかなんとか言っちゃって、それ家で下ごしらえしてきたんだろ? さっきこっそりと入れ物から鍋に移し替えてるのを見ちゃったし」


「ばれちゃってましたか。そうです。授業時間だけでは足りないので、今朝1時間ほど軽く煮込んできましたです」


「へぇ~、本格的だな。あたしなんて冷蔵庫の余り物だよ」


「余り物で料理が作れるのはそれだけ料理上手だってことだと思うです。ちさはすぐにスーパーに走りますから」


 二人はさらっと流したけど、朝に1時間軽く煮込んできた、だって? 1時間もあったら二度寝どころか三度寝ができるじゃないか。勿体ない……。


 ボクを余所に二人の会話は盛り上がる。制服の上に新品ではないエプロンをかけて並び立つ立夏とちさ。その手際は周囲から浮いてしまうほどに良く、常日頃から料理をしていることが見て取れた。


 一週間前の家庭科の時間に発表された、高校初めての調理実習の課題は定食だった。お店で定番、あるいはあってもおかしくないセットメニューを作るという、とても自由度の高いテーマだ。先生曰く、とくに縛りを設けないことで自由に料理してもらって、作ることの楽しさを知って貰おう、との趣旨らしい。


 三人一組、最低でも一人は他クラスの子を混ぜるように。まるで小学校での班作りのような決まりのもと、立夏はボクとちさに声をかけ、一つの班を作った。特に揉めることもなく作るメニューはパスタのセットと決まり、どうせなら各々が一つの料理を作ってみようという立夏の提案で、メインのパスタを立夏、それに添えるスープをちさ、サラダをボクが作ることになった。


 それぞれの担当を決めるとき、ボクはいろいろとごねることでサラダという脇役を手に入れた。何を隠そう、ボクは料理を一切したことがないのだ。やったことがあるのはウニの殻剥き程度。ウニの殻剥きの関して言えばプロとも張り合えると豪語できるけど、そんなものが上手でも砂糖と塩の違いが分かるはずもなく、料理はど素人なのだ。そんなボクと、おそらく得意ではないけれど、家で晩ご飯の手伝いをしたことがあるであろう立夏とちさ。経験から鑑みて、全員が同レベルの料理を作り、ボクの料理が浮いてしまわないようにするには、調理の手間がかかるパスタやスープを立夏とちさに任せて、ボクは野菜を切って盛りつけて、ドレッシングをかけたら出来上がりの簡単お手軽なサラダを作ることだった。


 そうして無事サラダを勝ち取ったボクは安心して今日を迎えたわけだけど……


「ああそうだ。聞き忘れていたけど、司はどうだ?」


「つーちゃん、大変なら手伝いますよー」


 失敗した……。どうしてこの二人は見た目と中身のギャップが凄いんだ。男の子のような性格の立夏と、失礼にも何も出来なさそうだと思っていたちさ。……いや、ただ単純にボクがそう思い込んでいただけっていうのもあるけど、まさか二人とも料理が得意だったなんて。しかし、それ以上に驚いたのが自分自身のことだった。


「えっと……あの、うん。順調では、ないかなぁ……?」


 まな板をちらりと見て、歯切れ悪く返事する。ボクの視線を追ってその惨状を目の当たりにした二人の目が大きく見開かれる。


「……司、何をしたんだ?」


「いや、何をしたということはなくて、普通に野菜を切っただけなんだけど……」


「普通に切っただけでどうしてこんなことになるんだよ」


「ボクが聞きたい」


 真面目に応えたのに頬を引っ張られた。ちょっと痛い。


「なんでまな板と流しが真っ赤なんだよ!」


「まるで血の海です……」


 ちさが表現したように、まな板と流し、その一帯が赤一色に染まっていた。遠くから見ると本当に血の海に見えそうだ。美味しそう……いやいや違う。これはトマトだって。実際さっきまな板の残骸をペロッとしてみたら紛う事なきトマトだったし。ちなみにどことなくA型風味でした。もしかするとトマトで血の代用ができるかもしれない。……成分違うから無理かな。などと考えて、ふと視線を戻すと二人と目が合った。立夏の目が怖い。


「い、今ここでグデーってしたら殺人事件現場ごっこができそうだよね」


「場所が場所だけに勘違いする人が出て来るからやめろ」


 ごもっとも。ここは調理実習室。刃物がそこら中にあるんだから何かの拍子でどこかを切って怪我をしてしまうことは十分にあり得る。


「……これ本当にトマトだよな?」


「ほぼトマトだよ」


「ほぼ?」


「あ、いや、全部トマト」


 ついポロッと本音が出てしまった。言い直すものの既に遅く、立夏が怪訝な表情をして血の海を見ていた。……実はすこーしだけボクの血が飛び散っています。さあ、それはどこでしょう? はい、正解は全体にまんべんなくです。トマトの果肉や果汁の中に本物の血が混ざってるなんて、ちょっとしたホラーだ。あ、いやもちろんそれを狙ってやったわけじゃない。怪我したら痛いんだから。


 原因はトマトの形状と包丁、そしてなによりも、ボクのとてつもなく不器用なこの手だ。親戚から送られてきた大量のトマトをメインにして、野菜の中では比較的好きなレタスとタマネギとキュウリを添えたサラダを作ろうとしたのだけど、トマトのあのツルツルとした丸い形状のせいで包丁がすべって手に刺さり、輪切りにしようと振り下ろした包丁が添えた右手に刺さったりと、元来の不器用さが遺憾なく発揮され、結果この有様だ。ちなみに傷はなめたら治りました。さすが吸血鬼。おかげでちょっと血が飲みたくなってしまった。あとで美衣に頼もう。


「まったく、トマトがもったいない」


「大丈夫。ちゃんと『この後スタッフが美味しく頂きました』ってテロップ入れておくから」


「ほー。だったらスタッフの司さん。どうぞおいしく召し上がってください」


「ごめんなさい無理です」


 また立夏に頬を引っ張られた。痛い痛いと抗議してもすぐにはやめてくれず、離してくれた後もしばらくはヒリヒリと痛みが続いた。涙目で真っ赤に頬を擦っていると、ちさに「いたいのいたいの飛んでいけー」と頭を撫でられた。痛いのは頭じゃない、頬だ。


「で、サラダはどうするんだ? こんなにトマトをぶちまけたんじゃもう残ってないだろ」


「それこそ大丈夫。まだたくさんあるよ」


 テーブルの横に置いてあったダンボールを抱え上げて上に置く。


「すごい量だな……」


「親戚の農家のおじさんが送ってくれたんだよ。家じゃ食べきれないから持ってきたんだ」


「いやいやいや。分量を考えろよ」


「分量?」


「こんなに持ってきても食べられないだろ?」


「……あ」


 立夏に言われて気付く。たしかにそうだ。大は小を兼ねるってことで、多ければいいやと単純にあるだけ持ってきたけど、使うのはその一部。持ってきてもほとんど使わないんだ。トマトだけは諸々の事情により使い切れそうだけど。


「……まあ、あまりそうなのは他のグループにお裾分けするよ。うん、元々そのつもりだったし」


「嘘だろ」


「ぜ、善は急げ。さっそくみんなに配ってくるねっ」


 逃げるようにその場から離れるボクの背中に「早く戻って来いよ-。包丁の扱い方教えてやるから」と立夏の声。余計なお世話だけどお願いします。


 その後、立夏とちさに両脇を固められて、包丁の扱い方の集中講義を受けたボクは、なんとか手を切らずにトマトの輪切りができるくらいにまで上達した。『手を輪切りにしなくて良かったな』と立夏は笑っていたけど、その一歩手前までやりましたとはさすがに言えなかった。

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