その33 「likeの意味でな」
「お、お姉ちゃん。いつからそこにいたの?」
顔をひくひくと引きつらせながら言う。できれば「ちょうど今来たところ」という答えを来たいところだ。
「司が颯先輩と仲睦まじく図書館から出て来る辺りから」
残念。初めからだった。軽く死刑宣告されたような気分だ。だからと言って死にたくはないが、シェルターを設置して引きこもりたい。美衣がゆっくりと歩み寄る。
「司を待たせちゃいけないと思って急いで来たのに、まさか颯先輩と二人きりだったなんて」
案の定の含みのある言い方に、その先のおおよその展開を想像する。あのお母さんの娘だ。どうせ颯と二人で歩いているところを見て、頭の中を桃色に染め上げたのだろう。
「いい雰囲気だったよね~。なんかこう、二人の周りに何人たりとも近づけさせないオーラみたいなものが見えるくらいに」
予想通り桃色だった。美衣の周りにこそ桃色のオーラのような見える気がする。
「あれは間違いなく――」
「……いいか、美衣」
何か変なことを聞いてくる前に先手を打つ。顔を寄せ、周りに聞かれないよう小声で話す。
「だいたい何を考えているか分かるから言うけど、別にボクと颯に何かあったわけじゃないからな? ただ参考書を借りに図書館に寄ったら、そこに颯もいた。同じ部活の先輩と後輩だから見て見ぬ振りもできない。だから社交辞令的に世間話をしていた。ただそれだけだからな?」
鼻先に人差し指を突きつける。そんなボクの形相に驚いたのか、美衣が目を丸くする。
「分かったか?」
「う、うん。分かった」
念を押すと、美衣はぎこちなく頷いた。少し反応が薄い。本当に分かっているのかどうか微妙だ。
「ほら、帰るぞ」
しかし頷いてくれたことに満足したボクは美衣に背を向け歩き出す。遅れて美衣が小走りで横に並ぶ。校門を通って大通りを渡り、江角川の土手を歩く。その間、終始美衣はちらちらとこちらに意味ありげな視線を送ってきた。こういうのは気にしたら負けなんだろうけど、こうも間近に感じては気になって仕方ない。小さく嘆息してから口を開く。
「なんだよ。さっきから人の顔をじろじろ見て。言いたいことあるなら言えって」
「えっ。いいの?」
途端に美衣の目が輝いた。地雷を踏んだかも。かもじゃなくて踏んだ。
「いいか悪いかは話の内容次第――」
「ねえねえ。どういう心境の変化なの?」
こっちの話を遮られて少しむっとする。しかも意味が分からない。主語を付けろ主語を。
「何が?」
「何がって、分かってるくせにぃ」
「いやさっぱりなんだけど」
横目で見ながら、努めて平静に返す。ここで過剰に反応してしまっては美衣の思うつぼだ。冷静に、冷静に。
「いつから颯先輩と付き合ってたの?」
「…………は?」
聞き間違えか? いや、たしかに今、美衣は「付き合っているの?」と言った。予想の斜め上だ。好きだ嫌いだとかそういう話ではなく、それを軽く飛び越えてしまっていた。
「い、いや、付き合ってなんかないけど」
「うそだぁ~。あの雰囲気は間違いないって。恥ずかしがらなくていいから。付き合ってるんでしょ?」
その自信はどこから来るんだ。
「恥ずかしがってもないし、付き合ってもないっての」
「またまたご謙遜を」
「謙遜なんてしてない。ただ事実を言ったまでだ」
「事実って言うのは、観測した人や場所によって変わるらしいよ」
「哲学はいい」
「シュレーティンガーの猫」
「粒子がどうのこうの以前に猫がかわいそう」
ため息をつく。お母さんほどではないがしつこい。どうして女の人は他人をくっつけたがるんだ。茜も……って、あれは物理的にくっついてくるのか。
「うーん。他にも聞きたいことあるし、司がそこまで言うなら付き合っていないと仮定して話を進めるけど」
「仮定じゃない」
「付き合っていないと仮定しても」
譲る気はないらしい。
「司は颯先輩のことが好きなんだよね?」
「なんでそうなるんだよっ!」
またもや予想の斜め上。思わず声を荒げてしまった。慌てて周りを見て、誰もいないことにほっとする。
「だって司、颯先輩と凄く楽しそうに話してたよ? あれはもう先輩のことが好きとしか」
「ボクからしたら颯はただの部活の先輩ではなく、友達だった颯なわけで、特に緊張することもないから自然に振る舞えるんだよ。そりゃ楽しそうにも見えるって」
「でも見た感じはちゃんと先輩と後輩してたよ?」
「そう見えるようにこれでも頑張ってるんだから当たり前」
見えなかったらそれはそれで問題だ。年功序列推進派ではないが、それでも人生経験的な意味で同じ学校の先輩には敬意を払うべきだと思う。美衣が腕を組み、首を傾げて「むー」と唸る。別に悩むことは何もないような。
「……司は颯先輩のことが嫌いなの?」
「どこをどうみてボクが颯を嫌いに見えるんだよ」
「じゃあやっぱり好き?」
「まあ、好きか嫌いかなら、好きだな」
「それはつまり愛してるってことだよね?」
「loveの方かよっ! ボクが言ってるのはlikeの方だ! ったく、両極端すぎるだろ……」
「私は十進法より二進法派。そしてお好み焼き定食は許せない派なの」
「あれはお好み焼きにいろいろおかず的なものが入ってるからセーフだろ? むしろボクとしてはラーメン定食の方が許せな……って美衣が変なこと言うから話がそれたじゃないか」
美衣を睨み付ける。しかし気にした様子もなくおおげさに肩を竦めてみせる。
「もう。話が進まないから、この際司は先輩のことが好きということにして」
「likeの意味でな」
「好き、ということにして」
なんで強調した。
「先輩の方は間違いなく司のことが好きだよね。loveの意味で」
「いや、それこそありえないだろ」
「どうして?」
間髪入れずに否定すると、美衣は目を丸くし、心底不思議そうに言葉を返した。
「だってアイツ、女が苦手なんだぞ?」
「そうなの? そんな風には見えないけど」
「間違いないって。女の子と合コンするより男友達と遊んだ方が楽しいって言ってたし、自分からはあまり女の子に近づこうとしなかったしな。その証拠に、ほら、この前司として初めて颯と会ったとき、握手したときのアイツの顔、引きつってただろ?」
「そうだったかなぁ……。あ、でもさっきの先輩は普通じゃなかった?」
「部活の後輩だからって頑張ってたんだろ」
「うーん。むしろあれは……」
美衣が眉間に皺を寄せて首を捻る。それから目を閉じ、しばらくして、
「それって、先輩に直接聞いたの?」
「いや。いくら親友でも踏み込んじゃダメなラインってモンがあるだろ?」
「ふ~ん。やっぱり……」
意味ありげに呟き、その顔に笑みを浮かべる。
「なんだよ」
「べつにぃ~。あ、こっちにコンビニあるんだよね。寄ってジュースでも買っていこうよ」
言いながらさっさと土手から降りていく。
「ちょっと、話をはぐらか――」
「つかさー。はやくー」
美衣が振り返り手を振る。その姿は、もうその話は終わりだとでも言っているように見えた。ボクは嘆息し、諦めて土手を降りる。どうせだからついでにこの前発売したばかりのウニ味のポテチも買っていくか。
住宅街を歩き、しばらく進んだところで目的地のコンビニを見つける。公園の前を通りかかったとき、二人同時にピタッと足を止めた。
「やる?」
「もちろん」
ドサッと鞄を地面に置き、臨戦態勢に入る。交差した手を握りしめ、クルッと一回転させて顔の前に持ち上げ、両手の中を覗き込む。……見えたっ、気がする。
『ジャンケンポン!』
美衣はグー。ボクはチョキ。そっと手を開こうとしたら見つかって「ダメ」と一喝された。
「いや実はこれ、『五本も必要ない。貴様など二本で充分だ』というラスボスが垣間見せる余裕を振りまいたパーであって――」
「いいから買ってきて。オレンジジュースね」
右手でしっしっと追い払われながら、左手で150円を渡された。……た、たまには妹に勝ちを譲ってあげないとな。150円をこれでもかとぎゅっと握りしめながら、一人コンビニに入る。前回の教訓からカゴを手に取り、その中に美衣に頼まれたオレンジジュースを入れる。そして自分の分はどれにしようと、ガラス戸の巨大冷蔵庫の前でうろうろする。
うちの冷蔵庫もガラス張りにすれば中が見やすくていいよなあ。炭酸はこの前ダメだったから……そうだ、微炭酸ならどうだろう。ちょうどいいところに新発売の微炭酸のオレンジジュースが目の前にある。商品名は『ボンッ! ジュース』というらしい。ネーミング的には微炭酸とは思えないが、ちゃんとラベルには微炭酸と書かれている。まあ無理だったら誰かにあげればいいし、試しに買ってみるか。ボンッ! ジュースをカゴに放り込み、お菓子コーナーへ。目当てのウニ味のポテチとイカソーメン、そしてプリンをゲットしてレジへ向かう。
カゴをレジに置く。店員がやたらチラチラとこちらを見ながらバーコードを読み取っていく。あれ、この店員、前にも会ったことあるような……。全ての商品の読取りを終え、レジに合計金額が表示される。それを見て財布から1000円札を取り出そうとしたとき、店員が思いもよらない言葉を口にした。
「あ、温めますか?」
……どれを? からかっているのかと思い、店員を凝視する。
「ほ、ホットオアアイス?」
しかし彼は緊張した様子で、その目は本気だった。もしやボクのことを外国人だと勘違いして、それで親切に聞いてくれているのだろうか。とは言え、それでもどれを温めるのか分からない。買ったのはジュース二本とポテチとイカソーメンとプリン。はっ。まさかイカソーメンをスルメのように炙る的な意味で……。ないない。
「エレクトロニックレンジでチーン?」
英語力がボク以上に残念な人だった。喜ぶところじゃないけどちょっと嬉しい。このままだと笑ってしまいそうだったので助けてあげることにする。
「あの、そのままで大丈夫です」
「っ!? は、はい!」
あれ。ただ断っただけなのに、元気良く返事して、さっきまでののろのろとした動きが嘘のようにキビキビと買った物をビニール袋に詰め始めた。
袋を受け取ると「ありがとうございました。またお越し下さいませ!」とホテルマン顔負けの腰の角度を披露した。思わず「は、はい。また来ます」と答えてしまう。顔を上げた彼の表情はとても輝いていた。たぶん彼は接客業に向いていると思う。