その20 「ウニ三つ」 ◆
十七時過ぎとまだ晩ご飯には早い時間のせいか、店内はボックス席がいくつか埋まっているだけでガラガラだった。いかにもアルバイトという大学生くらいの店員さんがボク達に気づき、営業スマイルで迎え入れた。ボックス席へと案内され、流れのまま適当に座るのかと思いきや、
「ちさはつーちゃんの隣に座ります!」
「あー! 司の隣はあたしが座ろうと思ってたのにー!」
「いくら茜先輩でもこれだけは譲れないです」
「ぐぬぬ……いいもん。だったら司の前に座るから。あ、颯先輩はレーンの手前に座ってお寿司取ってくださいね」
「なんで俺が指図されなきゃいけないんだ……」
「まあまあ。私が上手に座って取りますから」
「ありがとう、沙紀。お前っていいヤツだよな……」
というわけで、ボクの隣には颯とちさが、その前に茜と沙紀が座ることになった。やたらちさが近くに座っていて動きづらい……。
「がっでむ! 颯先輩の隣って司じゃないですか!」
座った途端に茜が叫んでテーブルを叩いた。
「いやお前が寿司取れって言うから」
「どうせ取るのは上手の沙紀じゃないですかっ。騙された。こんなしょうもいミスをするなんて……」
「なんで俺こんなに言われてんだ……?」
茜に呆れながらも、沙紀が並べた小皿に醤油を、湯飲みにお茶の粉とお湯を注いでいく。男のくせに気配り上手だ。
「やっぱりつーちゃんはウニからですかー?」
「もうボクのことはつーちゃんで固定なんだ……」
ボクの腕にしがみつくようにして寄りかかるちさが、ハッとして目尻を下げる。
「も、もしかしてつーちゃんはイヤでしたか?」
「いやって訳じゃないけど、できたら司って呼び捨ての方がいいかな~と」
「……分かりました」
何かを決意したような表情をしてボクを見つめる。普通に呼んでくれるもんだとほっとしていると、
「それならつーちゃんのことをこれからは妖精さんと呼び――」
「つーちゃんでお願いします」
間髪を容れずにそう返す。一体何に対しての「分かりました」だったんだ? とにかく、ちさはボクのことを司と呼ぶつもりはないことだけは分かった。
「まだ夕方だからあまり流れてないなあ」
まばらにレーンを流れるお寿司を見て茜が呟く。
「頼もうか。すみませーん」
茜が手を上げてレーンの内側にいる板前さんに声をかける。お寿司屋らしく「へい、なんでしょう!」と景気よく返事した男性がボク達の元にやってくる。
「あたしハマチと甘エビとマグロといくら。ほらみんなも頼んで」
「んじゃ、俺は炙りサーモンとエンガワ二つずつ」
「ちさはカッパ巻きとシーチキンをお願いしますです」
「ウニ三つ」
「鯛とガリを」
…………。
『ガリっ!?』
一斉にみんなが視線を向ける。突然注目を浴びた沙紀が驚きにビクッと体を震わせる。
「ち、違うの。ガリの残りが少なかったから補充してもらおうと思っただけよ」
羞恥に頬を染めながら、ガリの入った箱を開けてボク達に見せる。たしかに箱の半分も入っていない。板前さんも納得した様子で注文を繰り返し、近くを歩いていた店員さんにガリを持ってくるよう伝えて去って行った。
お寿司より先にガリの注文。ガリが完全に切れているならまだしも、先を見越しての補充なんて後にすればいいのに。まあ、沙紀なら仕方ないか。
「少ないですか? これくらいあれば充分のような……」
しかし、ちさはそう思わなかったようだ。箱の中を覗いて首を傾げている。そうか、ちさは知らないのか。茜がお寿司の到着を待ちきれずに割ってしまった割り箸の先をちさに向ける。
「いい千沙都。沙紀はね、ここにお寿司を食べに来たんじゃないの。ガリを食べに来たの」
「ガリを、ですか……?」
「そう。沙紀はガリを愛してやまないガリマニア。本来であればお口直しのために少量ずつお寿司の合間に食べるガリを、ガリの合間にお寿司を少量食べると言っても過言ではないほどの量を食べるガリマスター。お店的にはあまり来てほしくない人種なのよ。ガリってタダだから」
「ガ、ガリマニア……」
ちさがゴクッとのどを鳴らす。全然緊張するところじゃないから、そこ。
「言い方に悪意しか感じられないぞ……」
「悪意なんてこれっぽっちもありませんよ。それに、だいたい合ってるじゃないですか」
なんでわざわざ的を射ずに脚色して『だいたい』にするのか理解に苦しむ。しかも茜は気付いているのだろうか。隣に座る沙紀が変な笑いを浮かべているのを。
「ふーん。それじゃあガリマニアでガリマスターの私が、茜のお寿司全部に刻んだガリを乗せて、さらにその汁をかけていくから、ガリの美味しさを存分に味わいなさいね」
ニコリと沙紀が笑う。それを見た茜が「ひぃっ」と小さく呻いた。
「すみませんでしたやめてくださいお願いします。あたしがガリ嫌いなこと知ってるのにそんな意地悪しないでください」
ペコペコと頭を下げる。どうせこうなるんだから言わなければいいのに。茜に学習能力というものはないのか?
そうこうしているうちに板前さんが注文したお寿司を、ほぼ同時に店員さんがガリを持ってくる。茜がマグロの切り身をお箸で持ち上げ、醤油につけてシャリの上に戻す。相変わらず変な醤油のつけ方をするヤツだ。沙紀は沙紀で鯛を早々に食べて、空いたお皿にガリをてんこ盛りにしている。もう箱のまま直接食べればいいんじゃないかな、うん。
さて、人のことばかり気にせずに、ボクも久しぶりのウニを堪能しよう。ここのウニの軍艦巻きは、薄切りのきゅうりで量を誤魔化しておらず、上から見るとシャリが見えないほどにぎっしりとウニが詰まっている。そんなどっさりと盛られたウニが目の前に六貫。この光景を前にして、涎があふれ出ないわけがない。たぶん今口を開けば漫画のような涎の滝が形成されることだろう。割と本気でそう思う。ウニにしょうゆを少しだけ垂らし、お箸で海苔の所を挟んで持ち上げ、口元へ持っていく。あーんと大きく口を開け、一口で一気に食べようとしたが、意外と口が小さかったので半分だけ囓る。
やばい。やばいなんてもんじゃない。あれほど美味しいと感じた血より遥かに美味しい。美味しすぎてウニと一緒に舌までとけてしまいそうだ。やっぱりお寿司と言えばウニだな。うん。むしろウニ以外いらない。ウニ寿司専門店なんてあったらきっとボクはそこに通うことだろう。要お財布と相談だけど。
「なすの寿司って、あれはないよな~」
お寿司を食べながらレーンを眺めていた颯がぽつりと呟いた。
「ちさは結構好きですけど、たしかにお寿司としてはどうかと思うことがあります」
「だろ? 他にもアボガドとかハンバーグとかさ。もうそれ寿司じゃなくて酢飯の上に載せた何かじゃないか、と」
「でもカッパ巻きも野菜のきゅうりを巻いてますから、なすやアボカドはセーフではないかと、ちさは思うです。ハンバーグは……創意工夫の末のものと考えれば、有りなのかもしれません」
「なるほど。一利あるな」
颯が感心したようにさちを見つめる。二年間部活が一緒だった茜や沙紀はともかく、まだ数日のはずのさちとここまで仲良くしている颯に少なからず驚く。
「はいはいっ。あたしも厚焼き卵の間に挟まったシャリの異常なまでの量の少なさはどうかと思うの。あ、板前さん椎茸と炙りチーズ一つずつ!」
「お前全然話聞いてなかっただろ……」
「聞いてますよ。厚焼き卵に何故砂糖を入れて甘くするのか、ですよね? あたしは味の素と塩を入れてマヨネーズで食べるのが――」
「あーもういいや」
颯がシッシッとあしらい、茜は「えー」と不満気に声を漏らして、いくらの軍艦巻きを口にぽいっと放り込んだ。
イラストはレゥさんに描いて頂きました。