その14 「もちろんイヤですっ!」
蓮池高校に入学して三日目のことだ。
「好きです。付き合って下さい!」
昼休みの屋上。いつの間にか机の中にあった手紙に従ってきてみれば、手紙の主である二年の禅条寺といういかにもスポーツマンという好青年に告白された。
手紙の字が筆ペンで綺麗に『伝えたいことがあるので、昼休みに屋上で待ってます』なんて書いてあったから、まさかこれが美衣の言ってたラブレターか? と勘ぐりつつも、きっと書道部の部活勧誘か何かだとポジティブ(?)に考えたボクは、突然の思春期的な展開についていけず、しばらく放心してしまった。だって仕方ないだろ。いくら今の姿が中の上でも、ボク、ラブレターなんて貰ったことなくて自信がなかったんだよっ。
「……へ、返事を聞いてもいいかな?」
彼は頬を少し赤くしながら聞いてきた。男に微塵も興味のなかったボクは、我に返ると真っ先に言ってやった。
「はいっ。もちろんイヤですっ!」
はっきりと力強く、拳を胸の前で握りしめつつ宣言する。すると目の前の彼の顔が途端に青ざめていく。「友達からでも」と食い下がる彼を突っぱねると、顎の骨が外れたかのように、彼の口がかくーんと大きく開いた。
言い過ぎたか? と少し後悔する。しかし中途半端な返事をして無駄に希望を持たせても彼に失礼だ。ボクなんかより周りにはもっといい子がたくさんいる。元男じゃない正真正銘の女の子が。そういう子と付き合う方が彼にとってもいいに決まっている。彼のためにもボクのためにも、心を鬼にした。
「ど、どうして!? 理由を教えてくれ!」
今にも泣きそうな顔をして、それでも彼は食らいついてきた。ボクが元男だからと言えれば早いのだけど、そんなことは口が裂けても言えなかったし、彼にしてみても「男に告白してしまった」というトラウマは作りたくないだろう。あーでもないこーでもないと散々悩んだ挙げ句、ボクはこう答えた。
「ボクは男と付き合ったことなんて一度もないし、付き合うつもりもないんですっ!」
頭の隅の方で警報がなっている気がするが、言ってしまった今ではもう遅い。とにかく、これで諦めてくれるかなと様子をうかがっていると、意外にも効果はばつぐんだったようで、彼はこれでもかというぐらいに目を見開いてからガクッと肩を落とし、「そうか……」と言葉を絞り出すように言った。そして「すまなかった」と謝ってから、力なく手を振って屋上を出て行った。あっさり諦めてくれた理由がよく分からないけど、とにかく良かった。と、そのときのボクは安堵した。
しかし翌日。下駄箱を開けてみると二つほどの手紙が入っていた。中を開けてみればそれはラブレターだった。朝からさっそくのボディーブローを貰いつつ教室へ行くと、今度は立夏から「司って男に興味のない百合っ子なのか?」と聞かれた。見事KOされて机に突っ伏すボクに、立夏は心配しながらもことの成り行きを教えてくれた。
どうやら昨日の屋上での告白を偶然第三者に見られていたらしく、それが友達から友達へと広まり、やがて『吉名司は男には興味がない百合っ子』と脚色されて全クラスに波及した。たった一日で全校に広まった噂は、一部の男を「俺があの子を異性の魅力に目覚めさせてやるっ!」と燃え上がらせ、一部の女の子を「あの子となら男なんかより全然いい!」と新たな世界への扉を開いてしまったらしい。なるほど。その結果がこのラブレターか。……どうしてこうなった?
こうしてボクにまた一つ、悩みの種が増えた。
◇◆◇◆
高校の食堂というものは大抵どこも込んでいるもので、それはボク達が通う蓮池高校も例外じゃない。入口から向かって左を見ればパンやらお弁当を並べたテーブルに大勢の生徒が隙間なく群がり、生徒達は我先にと手に取った商品の代金を払って食堂を出て行く。ちらっと見えたテーブルには、『チョコパン売り切れ』という文字が見えた。他にもいくつか売り切れの文字が見えたので、もう少しで完売しそうだ。右を見ればカウンターには長蛇の列。くねくねと曲がった列は入り口近くまで伸び、並んだ生徒の手には食券が握られている。
三年間通い続けた知恵を生かし、立夏にボクの分の食券を預けて列に並んで貰い、その間にボクは水の入ったコップを持って空いている席を探す。
今日も無事窓際の席を確保することが出来た。大抵この場所は三年が占拠していて下級生が使うことは滅多にないはずなんだけど、何故か来てみるといつも空いている。不思議だ。まあ、有り難く座らせて貰うけど。
数分と経たずに立夏がお盆に料理を載せてやってきた。案外早く順番が来たようだ。立夏からお盆を受け取り、さっそくお箸を持って口に運ぶ。ボクが頼んだのは、三年間食べ慣れた具の少ない親子丼だ。味も少し薄い。でも何故かこの味が好きでよく頼んでいる。
「そういえば、司は弁当なしなんだな」
「ボクは料理できないから。そう言う立夏は?」
「あたしが作ると、親が『どうせなら弟の分も』って言うんだよ。それが嫌でさ」
立夏がラーメンを啜りながら話す。あ、スープがはねた。
「ま、あんだけメニュー豊富なら弁当なんて作らなくていいだろ」
ここの食堂はメニューが豊富だ。名前は忘れたけど、全国展開している某ファミリーレストランが学校から委託され、この食堂を借りて営業しているらしい。だからメニューがレストラン並みに揃っていて、しかも安い。けれど、それでもアレはないんだよな。
「どした? 丼をじーっと見つめて」
「うーん。たしかにメニューは豊富なんだけど、ウニ丼がないのは残念だなって」
「ウニ丼?」
「うん。あ、お寿司でもいいや」
立夏が「ウニ丼かぁ……」と呟いて箸を止める。視線を天井に向けて、何か考えているようだ。
「ウニ旨いよなぁ。高いけど。大抵回転寿司だと金皿みたいな豪華な皿だし。司はウニが好きなのか?」
「うん。そのまま食べて良し、焼いて良し、飾って良し、投げて良しの万能選手だよ」
「いや後半おかしいだろ」
立夏が半眼でボクを見る。何もおかしなところはない。だってこの間美衣にウニを投げたんだから。プラモデルだけど。
「あの黒紫のトゲトゲの殻がインテリアにいいんだよ。ほら、マリモとか杉玉みたいな感じに」
「マリモはともかく杉玉なんて飾らないだろ普通」
「普通ってなんだろうね」
「哲学に持っていくのはやめろ」
哲学はお金にならない。以前哲学の先生から聞いた名言(?)だ。だったらどうして哲学なんて専攻したのかと聞きたかったけど、きっと知らず知らずのうちに戻れないほどに夢中になったからだろう。講義する先生はいつも楽しそうだったし。ボクのウニ好きに通じるものがある。うん。たぶん。
高級食材であるウニを好きになってしまうととても困る。好きなのに希にしか食べられないから。だからどうしても思いが募って、それを紛らわせるためにウニの情報を集めだし、次第にその外見にも虜にされ、殻を部屋に飾りだし、それを眺めるのが趣味になってしまった。自分でもこれは普通ではないなと思うけど、ここまで来てしまってはもう遅い。もう戻れないのだ。ウニかわいいよウニ。
「食堂にウニ丼があったら毎日頼むのに」
「絶対ない。あっても頼むのは司ぐらいじゃないか? 絶対高いぞ?」
「食堂が値上がりしたってお母さんに言って毎日の食費を上げてもらう」
「二十円、五十円ならまだいいとしても、百円単位で値上がりしたらさすがにバレるだろ」
「足りない分はお小遣いから出す」
「そこまでして食べたいのか……」
「バイトも辞さないっ」
ぐっと手を握るボクを見て、立夏が「すげぇ」と呟いた。ウニ談義に花を咲かせつつ箸を進める。立夏が食べ終えてから数分。やっと器を空にするころには、ボクのお腹は少し膨らんでいた。ちょっと苦しい。ケプッ。
おかしい。量が増えたんだろうか。いや、器もご飯の盛り具合も、鶏肉が二キレしか入ってないケチさ加減も、卵の微妙な半熟加減に至るまで全て以前となんら変化なし。まるっきり同じだ。それなのにこの満腹感を通り越した胃もたれ具合。言い方を変えると「食べ過ぎた」というヤツ。どうしたんだろう。
そうか。つまりこれはあれだ。ボクの方が変わったとみるべきだろう。体に合わせて若干小食になったんだ。女になったのも関係あるのかもしれない。ご飯時に「ちょっと少ないんじゃない?」というボクに「少なかったらおかわりすればいいじゃない」と、お母さんが微妙に毎日のご飯の量を少なくしていたのもこのせいか。結局おかわりなんてしたことなかったし。
うーと唸りながらお腹を擦っていると、立夏が可笑しそうに笑った。
「お前ってホント見た目と中身が違うのな。一緒にいて見る度に想像とかけ離れていくよ」
羊頭狗肉。そんな言葉が頭に浮かぶ。
「はいはいどーせボクは見かけ倒しですよ。英語喋れないし」
「いやいや、親しみやすくてあたしとしては大歓迎だ」
立夏が笑う。ちょっと馬鹿にされた気もするけど、気分は悪くない。
「そうだ。まだあたし、司の携帯の番号聞いてなかったよな。良かったら交換しないか?」
立夏が器用に片手で携帯電話を取りだして操作する。おぉ、スマートフォンだ。いいなあ。
「赤外線あるよな?」
立夏が携帯電話をこちらに向ける。
「ごめん。携帯持ってないんだ」
そう言うと、立夏は目を見開き、「マジで?」と声を上げた。そ、そんなに驚くことか? たしかにこのご時世、中学生でも小学生でも、下手すればそれより小さな子供でも携帯電話くらいは持っているものだ。防犯の観点でいつでも連絡がとれるようにと親が持たせるのだろうけど、ボクみたいな携帯を持たない高校生も少なからずいる。別段驚くことでも……いや、やっぱり驚くか。高校生で携帯電話を持っていないのはおそらく少数派だろうし。
そうだよ。お母さんもいい加減携帯電話くらい持たせてくれてもいいじゃないか。たしかに颯から電話がかかってきた時は感謝したけど、それとこれとは別問題。『司』が持っても支障はないのだから、携帯電話くらい持ちたいものだ。
「そうか。じゃあ携帯電話を持ったら教えてくれ。代わりに家の番号いいか?」
「うん」
立夏に家の電話番号を紙に書いて渡し、代わりに立夏の携帯の番号を書いた紙をゲットした。
女の子の番号か……。家族以外では茜と沙紀以来だ。
ふと周囲を見回すと、ぽつぽつと空席が目立ち始めた。ピークが過ぎたようだ。この頃になると食べ終えたからといってすぐに席を立つ人は少なくなる。そのまま食堂に残って、友達と雑談したり本を読んだり、昼休みをここで過ごす人もいるのだ。ボクと立夏もそんな中の一人だ。
これだけ減ればもういいだろう。食堂に来る前に売店で買ったレターセットとボールペンを机に広げる。
「さてと、手紙書かないと」
「手紙? ああ、ラブレターの返事か。律儀だなあ」
「だって返事書いてちゃんと渡さないと、相手の人に悪いでしょ?」
「別に返事なんていいと思うけどな~。断るんだろ?」
「うん」
「もったいない」
「封筒代が?」
「封筒よりもっといいもの」
「……ボールペンのインク代?」
「……まあそういうことにしとこうか」
立夏がずずーっとストローを啜る。ふて腐れているような気がする。その目はボクの手元を見ている。何も言ってこないので彼女から目をそらして手紙を書き始める。しばらくして再び立夏を見ると、じーっと横顔を見られていた。
「……な、なに?」
「いや、司の髪って綺麗だなぁっと。触ってもいいか?」
「いいよ」
手紙を書きながら答えると、立夏が椅子をすぐ隣までくっつけて、ボクの髪に手を伸ばし触ってきた。少しこそばゆい。
「邪魔になって縛ったりしないのか?」
「髪をまとめたことなくて自分じゃできないんだよ。邪魔だから切ろうとしたらお母さんに止められるし、目立つから染めようとしたらやっぱりお母さんに止められるし」
「うんうん。お母さんの気持ちがよく分かる」
立夏が背中の髪を撫でる。その手が徐々に上がっていき、頭に乗せられる。
「はあ~。癒やされるな~」
「……ちょっと立夏」
「なんだ?」
じろっと睨むように立夏に目を向ける。
「今のボク、髪を触われてるんじゃなくて、頭を撫でられてるんだけど」
「ん、おぉ。本当だ。いつの間に」
凄いわざとらしい。まったく。なんで年下から頭を撫でられなきゃならないんだ。ふんっ、と顔を背けてテーブルを片付ける。書き終えた手紙を封筒に入れてのり付けしてポケットにしまう。
「じゃあボクは行ってくるね」
お盆を持って立ち上がる。
「おー。頑張れよー」
立夏に手を振られて一人食堂を後にする。頑張れって、一体何を頑張るんだろう。人を振ることを?