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夏と平日

作者:

 





「サボってみたい」


 突然そう言った私の顔を、夏渚(なお)はぽかんと口を開けて見つめた。そして、すぐにくしゃっと笑った。


「行こう。じゃあ早速、明日」



 ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎



「もしもし。お世話になっております。

 大舘(おおだち)莉子(りこ)の父ですけれども、本日体調が悪いのでお休みします。


 ……


 はい、よろしくお願いします。

 失礼します。」



 電話を切った夏渚は、一仕事終えたように満足気な顔をしている。


「バレてない?」


 心配性な私は、恐る恐る夏渚に聞いた。


「大丈夫だよ。ほら、次、莉子の番。」



 プルル、プルル、プルル……

 呼出音が耳に入る度に、鼓動がどんどん早くなる。


 プツッ

『もしもし。〇〇高校の△△です。』


 えっと、なんて言えばいいんだけ。

 ものすごく緊張して、言葉が思いつかない。なんとかさっきの夏渚を思い出し、夏渚の母になりきって言葉を並べた。


「……はい、よろしくお願いします。失礼します」



 ほっと力が抜けて、腕も首もだらんとなった。

 でも、顔上げたら夏渚はいつもの笑顔で笑っていて、あっさりと言った。


「よし、行こう」



 ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎



 夏渚と毎朝待ち合わせをしているこの駅から、電車とバスで片道2時間と少し。交通費は往復で一月(ひとつき)分のお小遣いくらい。私にとっては大冒険だ。

 けれども、彼はいつも通り飄々としている。

 その温度差がなんだか悔しくて、


「ちょっと緊張する」


 と、小さな声で主張してみた。

 すると彼は、


「緊張するね」


 と、微笑みながら返してくれた。

 夏渚は絶対緊張なんかしてないのに、いつも私の気持ちを汲み取って、変に格好つけたことを言わない。

 そんなところが大人っぽくて好きだなって思う。



 ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎



「黄色い線の内側までお下がりください」


 聞き慣れたアナウンスと共に、いつもの電車が到着した。同じ学校の人と顔を合わせないよう、普段は乗らない一番端の車両の、一番端の扉から乗り込んだ。

 電車の中は、スマホを弄るサラリーマンや完璧なメイクを施した大学生のお姉さん、近くの高校の制服を着た人達なんかで、かなりぎゅうぎゅうになっている。


 私は壁を背にし、彼は私の前に立つ。

 背の高い彼の顎が、私の頭の上にあるのを感じた。

 ちょっと背伸びをして頭をコツンと当てちゃおうか、なんていうくだらないイタズラを企んでいたら、次は高校の最寄り駅だった。


 私は今日、扉が開いてもあの駅で降りない。

 夏渚と一緒にサボるんだ。


 最寄り駅に着いたことを告げるアナウンスが流れ、プシューと音を立てながら扉が開き、見慣れたホームが現れた。

 そしてまたすぐに、プシューという間抜けな音と共に、呆気なく扉が閉まった。


 夏渚の顔を見上げた。

 彼はくしゃっと笑った。

 私も笑った。


 もう、緊張はしていなかった。



 ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎



 サラリーマンも大学生も高校生もポツリポツリと降りていき、とうとう2人並んで座れるようになった。



「案外、こんなもんかって感じかも」

「ええ!ほんと?莉子はもっと罪悪感でいっぱいだと思ってた」

「夏渚はないの?罪悪感」

「んー、ないな」


 それはそうだろう、と思った。

 彼は、よく学校をサボる。

 月に2回くらい。

 月に2回は「よく」に入らないのかもしれないけど、サボったことがない私にとっては、十分「よく」の範疇だった。



 終点の駅まで、いつものようにくだらない話をした。

 途中、彼が手を握ってきたので、私も握り返した。

 野球部の夏渚の手の平は、皮が厚くてすごく硬くなっている。初めて触れた時は驚いたけど、今はこの手が大好き。


 しばらくして終点に着いた。

 でも、手は繋いだまま電車を降りた。


 改札を通る時に引き落とし金額を見て、随分と遠くへ来たことを実感した。



 ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎



「バス乗るの久しぶり」

「俺も。中学の頃プールに行った時以来かも」


 あ、「俺」って言った。

 彼は「俺」って言ったり「僕」って言ったりする。


 2ヶ月前くらいに突然、


「これからは『僕』って言う。なんかそっちの方が大人っぽいから」


 と、宣言した。

 その理由が子供っぽいのでは?と思ったけれど、そこがかわいいなと思った。


 野球部の友達といる時は「俺」って言うけど、私の前だと「僕」って言う。

 時々「俺」って言っちゃってて、そこもなんだか愛おしい。


 私は昔から俳優やアイドルの類に全く興味が無くて、男の人に対する「かっこいい」「かわいい」という感情がわからなかった。

 好きなアイドルに夢中な母や姉を見て「かっこいいがわからない私は異常なのでは?」と不安になった小学5年生の私は、ある日テレビに映った適当な俳優を指さして「この人かっこいい」と母に言ってみた。

 すると母は「え、全然かっこよくなくない?」と私の意見を一蹴した。

 その瞬間「私は本当にわからないんだ」と感じた。

 今思えば、好みの違いだから気にすることはないのだけれど、その頃の私は不安になった。


 でも、今はわかる。

 夏渚を見ていればはっきりとわかる。

 部活を頑張ってるところや、大人っぽい一面に気が付いた時は「かっこいいな」って思うし、ちょっとバカな行動とか子供っぽい一面を見つけたら「かわいいな」って思う。



「楽しいね」


 と、言ってみた。


「ほんと、楽しいね」


 と、くしゃっと笑って返してくれた。

 この笑顔も、かわいいな。



 ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎



 バスの降車ボタンを押した頃には、2限の終わりくらいの時間になっていた。

 時間割を軸に考えてしまう私は、まだどうしようもなく高校生なんだと感じる。


 バスから降りて、ぐうっと思いっ切り伸びをした。深呼吸をすると、潮の香りが鼻を抜けていった。

 海に面したバス停。

 もう、それだけで絵になる。

 夏渚の焼けた肌と真っ白な半袖のカッターシャツが、晴れた空と青い海によく似合っていた。


 私もカーディガンを脱いで半袖になった。

 スクバのチャックを開けると、ポーチとお財布、水筒とお弁当袋だけが入っている。サボるからにはと思って、教科書や筆箱は全部家に置いてきた。

 いつもより軽いスクバに、畳んだカーディガンをそっと入れた。



「お待たせ」

「莉子の半袖新鮮、いいね」


 彼はほとんど「かわいいね」とは言わない。

 いつも「いいね」と言う。

 でもそれは、「かわ」という言葉を付けるのが恥ずかしいから、ということを私は知っている。

 彼の私を愛おしそうに見つめる瞳を見ればわかる。

 目は口ほどに物を言うとはこのことなのだなとわかる。


 でも、今日は意地悪したくなった。

 電車でイタズラをし損ねたからかもしれない。


「かわいい?」


 こんなことを聞くのは初めて。

 言った途端に恥ずかしくなってきた。


「かわいいよ」


 海を背景に、彼はくしゃっと笑う。

 大好きだなって思う。

 彼が私の手を取る。

 海沿いをゆっくりと歩く。


 海を眺めていたら「あ、そういえば、今日学校だった」と、急に思い出した。

 でも私は今、初めて来たこの海辺の町で、彼と手を繋いで歩いている。

 3限は、確か古典の授業だ。でも、その教室に私たちはいない。

 そのことがおかしくて、でもたまらなくドキドキして、


「緊張するね」


 と彼に言った。

 彼は、


「僕は全然緊張してないよ」


 と、くしゃっと笑って言った。

 幸せだなって思った。


 そして、少し歩いたせいか自分の空腹に気が付いた。


「夏渚、お腹空いた」

「僕も。あそこの砂浜でお弁当食べよっか」


 学校をサボって、遠く離れた町で、好きな人と海を眺めながら食べる、お母さんが作ってくれたお弁当。

 一体、どんな味がするんだろう。

 きっと、忘れられない思い出の味になるんだろうな。



「夏渚」

「ん?どうした?」

「サボりって最高だね」

「うん、最高だね」


 くしゃっと笑う夏渚の顔を見つめながら、私も笑った。


 ところが、夏渚は少し真面目な顔になって、


「ずっと莉子に言いたかったんだけどさ」


 と、急に改まった。

 夏渚はなかなか次の言葉を口に出さなくて、その()が私を少し不安にさせた。

 でも、そんな不安は必要なかった。

 夏渚は照れくさそうにこう言った。



「俺、莉子のくしゃっと笑う笑顔が、かわいくて、大好きなんだ」



 あ、また「俺」って言った。

 でも、そのことは伝えない。

 だってそれよりも、今、夏渚に伝えたいことがあるから。



「私も、夏渚のくしゃっと笑う笑顔が、大好きだよ」



 恥ずかしくて、嬉しくて、愛おしくて。

 今、私たちはきっと同じ顔をしている。

 高い位置にある夏の太陽と、くしゃっと笑う夏渚の笑顔が、私の目にはたまらなく眩しかった。











私は、学校をサボって制服のまま海に行くという夢がありましたが、叶うことなく卒業してしまいました。

でも、叶わなかったこの夢を、莉子と夏渚が叶えてくれました。

物語っていいなって思いました。

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