第7話
「はい。実を言いますと、私が朝夜くんをここに呼び出した理由は、漫画研究部に勧誘するためだったのです。ごめんなさい、騙すような真似をしてしまって」
そう言って浪川は一度浅く丁寧に頭を下げた。
「……あー、いや、お前が謝る必要なんてねぇよ。多分、こうでもしないと、俺は動かなかっただろうし」
「そうですか。では、行きましょうか」
「……あぁ」
――あー、そっかー。まぁ、そうだよなぁ。別に、浪川から告白されるかもとか、期待してたわけじゃねーし。全然、悔しいだなんて思ってねーし。ていうか、俺はそもそも浪川を振る予定だったし…………。
そう強がってみるものの、浪川に対する認識が変わった今では、少しだけ残念に思ってしまうのは仕方のないことだろうか?そんな知るはずもない俺の内心ごと置いていくように、浪川は一人先に三人のもとへと歩いていく。
「皆さん、お待たせしました」
「おっ、やっと来た」
浪川に声をかけられると、秀樹はすぐに顔を上げて反応してみせた。
百八十センチを超える長身に、華奢であるが貧弱さの一切を感じさせない体格。適度にかき上げられた短髪に、女子受けのよさそうな塩顔そして落ち着きのある低い声音。
今の俺がこいつに唯一勝てるのは身長くらいだろうか。とにかく、秀樹は俺が気に食わないと思うくらいのスペックを詰め込んだ、自称群馬一運のいい男だ。
すると秀樹の隣にいた眩昼がずいと一歩前へ出た。
少女と呼ぶには少々背が高過ぎる百七十二センチの身長に、サラサラと忙しなく揺れ動くセンター分けのボブヘア。本当に俺の双子なのかと疑いたくなるほど愛嬌のある顔つき、そしてだらしなさすら覚える気の抜けた表情。
黙っていれば劇団の男性役も務められそうな凛々しさを秘めた顔をしているが、その全てを無に帰すのが眩昼なのだ。
「ねぇねぇどうだった来藍ちゃん?おにーちゃんは釣れた?」
「はい、見事な一本釣りができました」
「おー!さっすが我らが漫研の部長だ!えへへ」
――おい待て誰が活きのいいカツオだ。
と、決して俺は口に出すことはなく、眩昼に視線を向けることで不満を露わにする。だが、眩昼とは物理的に距離があるため気づかれることはなかった。
――いや、それよりも、だ。誰も俺のことを見ていないのは何故だろうか。俺に影を薄くできる能力があるわけでもないのに。
「ふふっ、やっぱり来藍ちゃんに頼んで正解だったねぇ」
「はい。在実さんが提案してくれた通り、この場所であれば一発で朝夜くんをおびき出すことができました」
――おい待て誰が巣穴に逃げ込んだ野ウサギだ。
と、皆から少し離れた位置で会話を聞いていると、俺をおびき出すための作戦を計画した人物が判明した。その正体は、つかみどころがまるでない遊びの天才、在実だった。
長身の兄を持つ在実は意外にもその背丈は低く、小柄な浪川と並んでも身長差がそこまでない。しかし、兄が憎たらしいほど爽やかな顔つきであるからか、その遺伝子は双子の妹である在実にも確かに受け継がれている。
浪川にも引けを取らない艶やかな髪は、頭の後ろで髪飾りによってポニーテールに。小麦をこねた生地のような色白さと張りのある肌、そして小悪魔をも連想させる魔性を秘めた切れ長の目。
ふと、こうして浪川と在実を見比べると思うことがあった。心なしか二人ともどこか顔つきが似ているような気がしたのだ。決してパーツが似ている訳ではないのだが、どこか面影を感じるところがある。おそらく俺の気のせいであるだろうが。
しかし、相変わらず三人は誰一人として俺のことを見ようともしない。ここまでされたのであれば、さすがの俺でも気付く。――そう、どうやら俺は三人から無視されているそうだ。
その理由は見当もつかないが、とりあえず俺は皆のもとへと近づいてみる。そして俺は一呼吸置き、意を決して声をかけた。
「……あの、久しぶり」
「「「……」」」
――あぁ、何ということだろうか。
俺の決意は何とも虚しく散るように、その声は自分でも驚くほど小さくとても弱々しいものだった。当然三人は誰一人として気に留めることはなく、わざとらしく無視を貫いていた。
だがそんな中でも、浪川だけは俺の方を振り向いてくれた。
「ほら、皆さん。どのような意図があるのかわかりませんが、いつまでも無視をしていると朝夜くんが悲しみますよ。そうですよね?朝夜くん」
「えっ?えーと……、――そうだそうだ。もっと言ってやれ、浪川」
よくわからないまま俺は腕を組んで、浪川に火力支援を要請した。
「ふふっ、わかりました。――ということで皆さん、このままではせっかく私がおびき出した小さな獲物が逃げてしまいますよー」
「なっ!?」
しかし背後から突然の裏切りを受け、形勢が一気に不利となった。これにはさすがの俺も攻勢に出るしかなかった。
「あのサぁ……。俺が黙ってるからって、どいつもこいつも好きかって言いやがって……。――いいかお前ら。あまり余計なこと言うと俺、帰っちゃうからな。……いいのか?……機嫌損ねて、帰っちゃうぞ!……ほら!」
少しずつ秀樹たちから遠のきつつ、後ろを何度か振り返る。しかし誰一人として俺のことを引き留めてくれないため、仕方なく戻ることにした。
「……くそっ。誰か一人くらい引き留めろ」
「――ふっ」
「……え。今、誰が笑った?」
俺が情けなく戻ってくると、沈黙を貫いていた三人は急に顔を背けだし、小さく震え出した。俺は訳も分からぬまま浪川を見ると、浪川は意味ありげな様子で俺に目配せをしてみせた。
「ふふっ。三人とも、いつもの朝夜くんが戻ってくるのを待っていたんです。ほら、見てください」
「え、……あぁ、なるほど。――そういうことだったのか」
浪川の視線の先を見る。するとそこには何とかして沈黙を貫こうとして、笑いを堪えるのに必死な三人の姿があった。秀樹はそっぽを向き、眩昼は頬を風船のように膨らませ、在実は口に手を当てている。
そう、全て浪川が言った通りだった。俺の心配は杞憂に終わり、誰も俺に対して負の感情を露わにしてはいなかった。最初から、俺が心配する要素は存在していなかった。
そのことがわかった途端、俺はこの場に来てやっと十分に息を吸うことができた。
「……ふっ、ふふ。ははっ、なんだよお前ら、……まったく。苦しそうに耐えてるんなら、さっさと笑えばいいのにサ」
三人の様子があまりにも滑稽だったため、俺は思わず笑ってしまった。すると我慢の限界になったのか、三人は一斉に堪えていた笑いを一思いに解放しだした。
一番最初に口を開いたのは秀樹だった。
「はぁっ、はぁっ、あぁー、このまま笑いを堪えて死ぬかと思った。ったく、朝夜ったらどうしたんだよ。最初のらしくねぇ弱々しい声は」
「……うるせぇ。思ったより声が出なかったんだよ」
あれに関しては俺としても不本意だった。決意は漲っていても、体が追い付かないことがあるのだと初めて知ることとなった。
秀樹は憎たらしいほど爽やかな顔つきを歪ませながら、手を何度か叩いて愉快そうに笑っていた。そう、これだ。この不思議と他人に不快感を与えることのない、こみ上げてくる面白おかしさを純粋に受け止め吐き出すような笑い方をするのが、秀樹だ。
そんな懐かしさを覚えつつも、秀樹の両隣へと意識を移す。
「はぁ。眩昼と在実も、ずいぶんと清々しい笑顔じゃねーか。そんなに面白かったか、俺のことが」
俺はそう言って目を細めると、やっとのことで二人に俺の文句ありげな表情を見せつけることができた。しかし眩昼や在実に対しては何ら効果がなさそうだった。
「だ、だって、ふふっ……。おにーちゃん、デカいのにおどおどしてて声小さかったし。でも、キレた時の声は大きかったからギャップでつい……、ふふふっ」
身悶えするように笑う眩昼の言葉に対し共感するところがあるのか、隣の在実も頷きながら笑っていた。
――なるほど、第一声にはキレがなかったと。そして、キレたら声にキレがでたと。
そんなことを口にして場を凍らせるつもりはないため、俺は代わりに深く溜め息を吐いた。
「でもよかったぁ。てっきり、朝夜くんは私たちのことを嫌っているんじゃないのかって思ってたんだから」
呼吸を整えた在実が文句ありげにそう言うと、秀樹と眩昼は同意を示すように頷いて俺を見た。俺に何かを訴えるような視線だ。
「それはその、そう思われても仕方がないというかサ。……あぁとにかく!俺は心を入れ替えて戻ってきたんだ。だからもう高校一年生までの俺はおしまい。それでこれからはお前たちのいる漫研に入部するからサ。だから……」
ここまで一呼吸もせず言っておいて、何を言うべきかわかっているのに、その先の言葉がつっかえて出てこない。あいつらを見ると余計にだ。
視線を落とす。すると、未だに手に握られていた皺だらけの入部届がふと目に入った。それを見て何を思ったのか、俺は未記入の入部届を三人のいる方へと突き出した。
「……だからもう一度、俺とお前らで何かをしよう。いや、させてください。俺が原稿を書くからサ、お前らでそれを漫画にしてくれ」
浪川に依頼されたこともあり、俺は三人にそう提案してみせた。
すると今まで気配を消していた浪川が隣から「その『お前ら』に、私も含んでくれますか?」と、声をかけてきた。当然否定する理由もないため、俺は頷きながら、
「あぁ、俺をこの場におびきだしたのはお前なんだから当たり前だ。それで、お前らはどうだ。俺の提案を呑んでくれるか?」
三人の目を見る。すると眩昼たちはそれぞれ目線を交わし合った後、悪だくみをするように気味悪く含み笑いをしだした。
「……なんだよお前ら。気味悪いぞ?」
「いやぁ、その前にな朝夜。お前はまだ漫研部員じゃないだろ?だからオレたち誇り高き『高山大可高校漫画研究部』にお願いをするにはちと、地位が足りないと思わないか?」
秀樹が仰々しくそう言うと、両サイドの眩昼と在実も「そうだそうだ」と言って、気味悪く笑みを浮かべながら頷いた。
「はぁ。地位が足りないって、それじゃあこれに印鑑と名前を書けばいいんだろ?」
「まぁ、書いたとしてもおにーちゃんは新入部員として、あたしたちがこき使ってあげるからサ。安心してねっ」
腕を組んだ眩昼は、どこか嬉々としてそう言っているような気がしてならなかった。妹との一年ぶりのまともな会話がこんなのでいいのかと思いつつも、俺は一体何を安心すればいいのかまるでわからない。
自身の困惑を目を細めることで伝えようとするも、眩昼はまるで気にも留めちゃいなかった。
「まぁ、とりあえず朝夜くんを部室に連行しようよ。話はそれからの方がよさそうだからねぇ」
在実がそう言うと、浪川も含めた俺以外の全員が「賛成」と、俺の連行に同意する反応を示した。どうやら俺には逮捕状が出ているのか、これから何らかの容疑についてこいつらに尋問されるらしい。
どうして誰も連行という言葉に言及しないのか不思議に思っていると、秀樹が「そんじゃ、このまま部室に直行ー」と気の抜けた調子で歩き出した。俺はその後姿をぼんやりと眺めながら、あいつらのもとに戻ってきたという事実を噛みしめた。
――えーと、とりあえず、これでよかったってことでいいのか。
今日の一連の流れの結果として、俺の憂いは呆気なく消え去ることとなり、それだけでなく新たな目的を手に入れることができた。――俺はあいつらだけが抱えているであろう『思想』を取材によって見つけ出し、それを題材に原稿を作る。
浪川曰く、どうやらあいつらの取材をすることは、作品作りのためだけでなく俺にとっても何かしらの恩恵があるらしい。
何故浪川は作品作りの協力を「邪教の教祖になる」と表現したのか。そして何故浪川を取材することが俺にとって面白いことになるのか。気になることが他にもあるせいで、当分退屈とは無縁な生活が送れそうだ。
そんなことを薄っすらと考えつつ、俺は校舎へと先を行く三人の後を追おうと自転車に手をかけた。すると隣から突然「よかったですね。朝夜くん」と、浪川から声をかけられたので振り向く。
「あぁ、どうも。……えーとその、なんて言うか、ありがとう。一応、これでもお前にはすごく感謝してるっていうか。ただ、言葉にするとむず痒いっていうか、あぁとにかく俺はそういう人間だってことで」
「……ふふっ、わかりました」
口早に捨て台詞を吐いた俺は、恩のある浪川に対して無礼と思いつつも、いたたまれなさからその場を後にした。そんな俺に対し浪川はこれ以上何も言うことはなく、隠し切れない満足さを顔に浮かべて俺の隣をただ静かに歩いていた。




