【異質の章-3-】集合場所のほんの一間
現在午前8時50分、集合時間10分前。一足先に集合場所である高崎駅についていた俺は、東口前のロータリーで一人待っていた。
一年生の頃はほとんど外出しなかったため、久々に春服にそでを通した。
白シャツに灰色のジャケット、そして黒のパンツとショルダーバッグ。無難なファッションのお手本のような装いだ。
家を出るときに眩昼から、「えっ、おにーちゃんが珍しく普通の格好してる。どしたん?」と真顔で小言を言われたのはさておき。俺はもう中学生の頃にこじらせていた独特な着こなしはやめたんだ。今はもう陰に隠れてコソコソする必要はないし、変なキャラ設定もいらない。普通の格好でいいんだ。
そんなことを考えながら、腕を組み一人で空を見上げている。今朝は少し肌寒かったが、日が昇ってからというものぐんぐんと気温が上がっている。年々、夏の始まりがせっかちになっているせいで春と感じられる期間が短くなっている気がする。
固い地面に打ち付ける靴の音。微かに聞こえる駅のアナウンス。意識しなければ聞こえてこない、たくさんの車の往来が生み出す絶え間ない風音。ひとたび意識を聴覚に集中させると、普段であれば気にならない音の数々が途端にうるさく聞こえるようになってしまった。
しかし、くだらない考え事はすぐにやめることとなった。タッタッタ、と。騒々しさの中、後ろの方から聞きなれた軽快な足音が近づいてくる。時間は集合時間5分前。振り向かずとも、誰が来たのかよくわかった。
「――おはよぉ」
「ん、おはよ」
声がした方に振り向くと、そこには私服姿の在実の姿があった。
白いシャツに、ファンタジー作品に登場する村娘を連想させる藍色のワンピース、そして少し厚底の黒のブーツ。斜め掛けのブロンドのショルダーバッグを揺らしながら、在実はトコトコとこちらに近づいてきた。
「ふふ、どうかな?今日の着こなしは、これから行く場所に合わせてみたんだ」
俺に見せびらかすように、在実は体を左右に捻らせてワンピースを揺らしてみせた。その様はまるで人形に命を吹き込んだかのよう。いや、ミュージカルの舞台から抜け出してきた演者のようだと言うべきか。とにかくその姿を見た瞬間にたくさんの感想がじわじわと湧き出てきた。
「えーと、その、物語の世界から飛び出してきたみたいで、よく似合ってるよ」
「そう?へへへ~」
俺のぎこちない誉め言葉でも、在実は目じりをキュッと細めて笑ってくれていた。部室で何度も在実が笑っている姿を見ていたのに、何故だろうか。俺に向けて笑ってくれていることに対して、どこか懐かしさを覚えてしまった。
「それにしても朝夜くん、ずいぶんと普通な格好になっちゃったね」
「なんで残念そうな顔してるんだよ……」
足先から首元まで、在実は俺の服装を見て心底残念そうに呟いた。それと同時に、努めてまともな格好をしようと心がけたが、残念そうな反応をされてしまって複雑な気分が芽生えてしまった。
「だって、昔の朝夜くんの独特なセンスが好きだったんだもん。物語に出てくるキャラクターみたいな格好してる朝夜くんが」
「……あの、思い出すだけで恥ずかしくなるような過去を掘り下げないで……」
今は顔を手で覆っていないと、恥ずかしさでその場に立っていられなかった。
黒いローブのようなものをまとってみたり、革靴を履いてみたり、見よう見まねで自作したアクセサリーを身に着けてみたり。コスプレに近しいものを普段着として着ていたせいで、当時の俺のファッションセンスはかなり尖っていた。そう考えると、今の俺は平凡のほか何者でもない。
「はぁ。家を出てくとき、眩昼にも同じようなことを言われた。珍しく普通の格好をしてるって。でも、高校生になってからはずっとこんな服装だからな」
「ふーん、変わっちゃったんだぁ。今日行く場所、ドラマの撮影現場とかにも使われてるらしいから、前みたいな恰好をしててもよかったのに」
「それは……、まぁ、考えもしなかったっていうか……」
しかし、そうだとわかっていても、多分俺は以前のような恰好はしなかっただろう。あの時、中学生だった俺の脳に焼き付いていた物語の主人公への憧れは、今となっては完全に消え失せてしまっている。もうこの身にその姿を宿す必要もないし、その情熱が再び戻ることもないだろう。そうわかっているから、そうなってしまっているから、今の俺は普通の格好をしているのだろう。
言葉にするまでもない考えを、喉の奥で留める。するとロータリーの奥からこちらに向かって車が近づいてくる音が聞こえてきた。
「あっ、朝夜くん。先生が来たよ」
「ん、どれどれ。へぇ、あの車がそうなんだ」
後ろを振り向くと、黒いボディをしたSUBARU製の車が近寄ってきていた。一般的な自動車と比較して、先生が乗っているものは一回り大きく見えた。あの大柄な体格にぴったりなサイズ感だ。もしパステルカラーの軽自動車にでも乗っていたら、そのギャップから思わず俺は腹を抱えてしまっていただろう。
先生が運転している車は俺たちのそばで停車し、ゆっくりと助手席側の窓が開いた。
「――おはよう、在実君に朝夜君。今日は天気に恵まれたいい日だ。さぁ、乗りたまえ」
「おはようございますー。先生、今日はお願いしますねぇ」
「おはようございます、って……」
開いた窓から運転席にいる先生が声をかけてきた。在実は何事もない様子で挨拶をしたが、俺は挨拶そっちのけで視線を釘付けにされてしまった。それもそのはず、先生が身にまとっていたのは、
「む、どうしたのかね、朝夜君。私を見た感動のあまりうろたえてしまっていると見た」
「いやいや、最初から俺がこうなることを狙ってますよね?その、どうしたんですか。執事みたいな恰好をして」
黒のコートに、灰色のネクタイとズボンとベスト、そして白のシャツと手袋。誰がどう見ても一目で執事を連想させる着こなしを先生はしていた。しかし、何ということだろうか。これほどまでに執事姿が似合う人間はなかなかいないだろう。そう思わせるほどに、身なりが見事に調和していた。
「そうだな、今となっては趣味のようなものだ」
「え、コスプレが趣味ってことですか?」
「そう解釈してくれても構わない。では行こうか」
「はぁ。まぁ、お願いします」
俺はよくわからないまま、在実と一緒に先生の車に乗り込んだ。一応俺は新入部員であるため、右後ろの席は在実に譲って俺はその隣に座ることにした。
芳香剤の香りの一切がしない、落ち着きのある車内。在実と先生の格好と自分の格好を比較すると、何だか俺だけが浮いてしまっているようにも思えた。よそ行きの村娘に、使用人。そして俺は別世界から持ち込んだ無難なファッションに身を包んだ庶民。
おかしい。俺は無難な格好をしてきたはずなのに、何故このような思いをしなくてはならないのだ。浮かないように、普通の格好をしたことでかえって浮くことになって居心地が悪い。だがそんな俺の思いも知らずに、車は目的地へと順調に向かっていく。
高崎駅からおよそ一時間。ナビの画面に映るテレビを見ながら他愛のない会話を繰り返し、お出かけ気分の道中を満喫していった。