【異質の章-2-】遊びの天才の本音
《在実視点》
――来藍ちゃんのはたらきかけによって、朝夜くんが私たちのもとに戻ってくるようになった。
来藍ちゃんがいてくれたからこそ、朝夜くんは戻ってきたんだって。もし漫研に来藍ちゃんがいなかったら、誰も朝夜くんに声をかけることができなかったと思う。きっと、誰が提案しても乗り気じゃなかったはず。だって、朝夜くんが私たちと距離を置くことになった原因を、それぞれが抱えているはずだから。
金曜日の活動は、各自がもっとも集中できる場所で行うことになっていた。だから今、私は自分の部屋で漫画の背景を進めようとしている。しているけど、手がなかなか進まなかった。
それはきっと、朝夜くんから誘いの言葉をもらって、嬉しくなっちゃってるからなんだと思う。
朝夜くんから一年ぶりに、連絡が入った。昨日の夜の出来事だった。
内容をまとめると、作品作りの取材をするにあたって、クリエイティブな活動経験が豊富である私の意見を聞きたいというものだった。
相変わらず、朝夜くんから送られてくるメッセージは小説みたい。単刀直入に「一緒に取材に来てくれないかな?」って言えばいいのに、私の様子を窺うように、さりげなさを演出するように、不自然なほどたくさんの言葉をぶつけてくる。
でもそれが懐かしくて、嬉しい。だってそれだけ、一生懸命に私のことを考えてくれているんだから。
「……はぁ」
もうダメだ。もう頭が朝夜くんのことでいっぱいだから、何もできる気がしない。
そう思っていると、机の上に置かれたスマホに通知が入った。――相手は朝夜くんだった。
「……明日は先生が送迎をしてくれるって。ふーん。……ふふっ」
特別嬉しさがこみ上げてくるような内容じゃないのに、朝夜くんから連絡が入ったという事実だけで嬉しい。昨日からずっと、この繰り返し。
いつもの部室に朝夜くんが加わったときは、自分の心の中で特別何かが大きく変わった気はしていなかった。もちろん嬉しかったし、安心したのは事実。でも、私にとっては朝夜くんがいる日常こそが当たり前で、その当たり前に戻っただけだって。そして、朝夜くんは私たちのもとに戻ってきただけで、私だけのことを考えているわけじゃない。
でも、違った。私と二人きりで言葉のやり取りをしている間は、朝夜くんの意識は私だけを向いてくれている。絶対にそうとは限らないけど、朝夜くんの意識の中に私がしっかりいるという事実だけで嬉しい。
スマホを手に、机から離れてベッドの上に飛び込む。
どう返信しようか考えたり、朝夜くんが次にどんな言葉を私にかけてくれるのかを待っていたりすることが楽しい。明日着ていく服は何にしようかなって考えるのが楽しい。朝夜くんはどんな服を着てくるのかなって、妄想するだけで楽しい。
やっぱり、私の頭の中に朝夜くんがいるだけで、何気ないことであっても鮮やかな色が付けられているみたい。特別かっこいいわけでも、男らしいわけでもないのに、朝夜くんには相手の頭の中に自分の存在を強く植え付ける能力がある。きっとこれはみんなも同じはず。
お兄ちゃんも、眩昼ちゃんも、そして、来藍ちゃんもきっとそのはず。みんな朝夜くんと話しているとき、いつもより少しだけ変な子になっていると思う。当然、私も例外じゃない。
朝夜くん自身が少し変わってるから、その影響を受けているのかな。いや、私たちも相当の変わり者だから関係ないかも。
――ふふっ、朝夜くんっていつもこういうこと考えてるのかな?
朝夜くんは昔から、考え事に耽ってボーっとしちゃう癖がある。どんなことを考えてるのか聞いてみると、不思議なことを考えてたり、難しいことを考えてたり、妄想をしていたり。現実なんかよりもずっと物語の世界が大好きな朝夜くんは、やっぱり普通の人と違った感性や精神を持っていると思う。
朝夜くんは小学生の時から誰よりも遊びに夢中で、本気で、納得するまでやめることがなかった。そして、私が考えた遊びをとても気に入ってくれていた。
遊びの天才、って今でも言われてるけど、そうなったのは全部朝夜くんのせい。朝夜くんの意識が私に向いていることが嬉しくて、そのためにいろんな遊びを考えて気を引いていた。
朝夜くんの遊びに対する意識は、中学生になっても同じだった。いや、むしろエスカレートしてたかも。
大好きな物語の主人公のようになるため勉強を頑張って、結果的に群馬県で一番頭がよくなって、そして最後まで目標に向かって真っすぐで。当時は単にすごいとしか思ってなかったけど、こうして振り返ってみると朝夜くんは本当に物語の主人公みたいな人だったんだなって思う。
そんな朝夜くんは誰よりも魅力的で、大好きだった。きっと私は、朝夜くんに恋をしてるんだって、恥ずかしいけど当時はそう思っていたなぁ。だから朝夜くんをもっとそばで見たかったし、私から離れないようにしたかった。
――けど、私が恋心だって思っていたものは、一般的なものと違ったみたい。
私が朝夜くんに対して思っていることを打ち明けたとき、朝夜くんは私の思いに対して「嬉しい」と言ってくれた。そして、私の告白を受け入れてくれた。
嬉しくて、その日は全然眠れなかったのを今でも覚えてる。これでもっと、朝夜くんの意識は私に傾いてくれるって。
それから私はひたすらに朝夜くんの気を引こうと行動した。恋人らしいことは、ある程度したと思う。手をつないだり、デートをしたり、抱きしめたり。でも、キスはしなかった。そう、途中で私はあることに気付くことになった。気付きたくもなかった、私の朝夜くんに対する本当の気持ちの形に。
――私は朝夜くんの顔や体が好きなんじゃない。精神や感性みたいな、目に見えない部分が大好きなだけだったってことに。
朝夜くんも、本当は私を恋人として見ていなかったと思う。頑張って、私のための一般的な恋人を演じていてくれたんだと思う。だって小学生の頃から友達だった関係を、あるときから急に恋人にするってことは難しいはずだから。
結果として、私たちは互いに相手の恋人にはなれないと思うようになって、気まずさだけが残ることとなった。互いに思ったことを言葉にしてないけど、空気だけで十分わかった。無理やり恋人みたいなことをしようかって、互いにけん制し合っていたから。
結局、結末は別れようという言葉もなしに関係が自然消滅していくというものだった。でも、同時に気分が少しだけ軽くなった。軽くなったのに、嫌な気分だった。大好きな人から解放されて楽になったんだって、そう思いたくなかったから。
受験勉強が忙しくなると、朝夜くんと会うことも、話すこともなくなって、私たちが立てた共通の目標はまとまりがないまま見事に達成された。
最後は盛大にみんなの前で、「正体不明の学年一位は俺でした!」って言うはずだったのに、朝夜くんはカミングアウトもせず、一人で静かに卒業を迎えてしまった。だから私たち以外誰も朝夜くんが群馬県で一番頭がよかったってことを知らないし、私たちですらすごいねって、頑張ったねって褒めることができなかった。
――……あれ?おかしいな。さっきまであんなに嬉しい気持ちでいっぱいだったのに、どうしてこんなことを考えてるんだろう。
気付いたら手に持ってたスマホがやけに重く感じていた。朝夜くんのことを考えると、お腹の中がキリキリと鈍い痛みがしていた。
画面には、朝夜くんのメッセージが表示されてる。既読だけをつけられて、私の返信をもらえないままのメッセージがある。朝夜くんじゃないのに、考え事をしてたせいで現実が見えてなかった。
なんとか返信を済ませて、寝転んで天井を見上げる。
明日は朝夜くんと二人きり。だから多分、昔のことを話すと思う。本当はどう思ってたのかとか、どうしたかったのかって聞かれると思う。
少し怖いなぁ。朝夜くんが私のことをどう思ってるのかを知るのって。
――あぁ、そうだ。こんなときは一度、今の思いを文章にしてみるといいんだった。
急に思い出したことに従って、私はスマホのメモ帳を開いた。
来藍ちゃんからこんなことを聞いたことがある。実際に経験したことや思ったことを物語にしてみると、深みのある作品が作れたり、気持ちの整理ができるって。前に一度、今と同じようなことを考えた時があって、その時も文章を書いたんだっけ。
あの時は朝夜くんとの思い出を書いただけだけど、今日は今の気持ちをそのまま言葉にしてみよう。そうすれば少しだけ気が紛れるかもしれないから。