第2話
「……ふぅ」
横開きの扉を静かに開ける。
――やっぱり、ここだけはいつだって静かだ。
精神的疲労から解放された喜びから、俺は浅く溜め息を吐いた。
ここは賑やかな本校舎の裏手にある、第二校舎一階の図書室。
逃げ込むように図書室へと入室し、広く視野をとって一帯を見渡すも、誰一人として利用者はいなかった。決して蔵書数が少ないわけでもなく、設備が特別古いわけでもないない。むしろ設置された新刊コーナーには知名度の高い作品が並べられている。
このように人がいないのには理由があった。県内屈指の進学校であるこの県立高山大可高校に通う学生にとって、休み時間はこの後に控える授業の小テストに備える時間なのだ。
勉学に対する意識は人それぞれであるが、ここに通う学生のほとんどはなんだかんだ勤勉だ。この学校は毎日一つ二つほどの小テストがあるのだから、このような場所で時間を浪費することはできないことになる。
小綺麗さが妙に際立つ室内を進み、数だけは無駄にある長机に備えられた椅子の一つに腰を掛ける。
「……はぁ」
――思えば、どうして面識のない浪川が俺にあんなことを……。
今度は頬杖をつきながら、深い溜め息を吐いた。すると背後にある本棚の裏側から、誰かが動く物音が聞こえた。
「――おや、これはこれは。疲れとは無縁の朝夜君がぐったりしているとは、珍しいものだ」
本棚越しに、しゃがれたいい声で皮肉が飛んできた。その声を聞いて、俺は気だるげさを前面に出しながら後ろを振り向く。
「あぁ、アリス先生。別に、身体的な疲れじゃないですよ」
「まぁ、そうであろうな」
その言葉に表情筋がぴくりと躍動しかけるも、努めて冷静であろうと心がける。
「はぁ……。イギリス人ってほんっとうに、皮肉が好きですよね。そろそろその余計な口を紅茶で満たしてきたらどうです?」
立ちたくもない土俵に立たされた結果、まるで海外ドラマのような言葉で対抗することになったが、日本人の俺の言葉と技量では相手に効果を与えられないといった様子だった。
「ふむ、挨拶程度の言葉を皮肉とは。私は単に事実を言ったまでだというのに」
「あぁ、そうですか。ところで、俺がため息を吐いてる原因がご自身にもあることをご存じでしょうか?」
「さぁ。それと、何度も言うが私の名前はアリステアだ。そうだな、不思議の国に迷い込んでしまった私を想像してみたまえ。世界観より私の異質さが目立ったしまう」
「はは、それは想像しただけで面白いですね」
毎度恒例の、小言の言い合いを手短に済ませる。本棚の裏から姿を現したのは、この県立高山大可高校に勤める『アリステア・フィッツジェラルド』司書だった。
欧州人特有の大柄な体格に、濁りのない泉のように透き通った青い瞳。幾重もの小じわのある精悍で彫りの深い顔立ちと、後ろで一つに束ねられた白銀色の長髪は、まさに理想とする英国老騎士そのものだった。
先生は外見こそ外国人であるものの、日本語を驚くほど流暢に話すものだから初めはかなり驚いた。そしてこの人は正確には教師という意味の先生ではないが、何かとすごい人っぽそうなので俺は先生と呼んでいる。
「それで、どうして君は溜め息を吐いていたんだ?」
先生は丁度作業が終わったところなのか、空になったカートを押しながらそう言った。
「……あー、その、笑わないでくださいよ?」
念を押す様に、俺は先生の目をじっと見つめた。すると先生は何かを感じたのか、真剣な表情で口をムッと結んだ。
「わかった、約束しよう」
「では、言いますね。今日、もしかしたら俺……――告白されるかもしれないんです」
俺は努めて真剣な調子で先生にそう伝えた。するとその思いが伝わったのか先生は、
「……こく、はく。なるほど、そうか」
「そうなんです」
俺の言葉を嚙み砕くように、先生はゆっくりとそう口にした。
しばらく互いに見つめ合う時間が訪れ、どちらが先に口を開こうか様子を窺っていると、先生が先に動きを見せた。
努めて真剣な表情を維持しているが、プルプルと何かを堪えるように口元が小刻みに揺れていたのだ。それに加えガタガタと、金属製のカートの持ち手が潰れてしまうのではないのかというほど力強く握っている。
「……あの、先生。もしかして笑うのを堪えてます?」
「いや。ふふっ。そんなことはふっ、ない……ふふっ」
俺が目を合わそうとすると先生はぷいと目線をそらし、その顔は心なしか苦しそうでもあった。
唇を嚙み千切る寸前の先生に、俺はさらなる追撃を加えることにした。
「――しかも、相手は俺にはもったいないくらいの美少女です。それに、放課後来てほしいと言われた場所は裏手の神社の、それも参道の一番上なんです」
「ぶぶふっ」
いよいよダムが決壊したように、英国紳士の面影もなく先生は盛大に吹き出してしまった。
本当に、なんと失礼な人なんだろうか。俺だって性格がひねくれていて、不愛想で、前髪が少し目にかかっているだけで、顔はそこまで悪くないし背もかなり高い。ポテンシャルは十分あって、今まで見つかっていなかっただけかもしれないのだ。
そんな不満を口にすることはなく、俺は鋭い視線で先生に訴えた。
「あぁ、私としたことがすまない。笑うつもりはなかったのだが、君が私の想定以上のことを話してくるものだからつい」
「はぁ、もういいです。俺だって、これがきっと何かの罰ゲームなんだって思ってますもの。でも、だからこそ、先生に相談したいことがあるんです」
すると俺の声音で何かを察したのか、先生は気味が悪いくらい一瞬にして普段のクールな顔つきで俺の目をまっすぐ見た。こういう真剣な大人の表情をいつでもかっこよくできてしまうのが、腹立たしくも羨ましい。
「もし仮に相手が俺に告白をしてきたとして、そしてその人と俺は話したことも接点もなかった場合、相手の気持ちを一番傷つけない告白の断り方って何ですか?」
俺は今一番思い悩んでいることを口に出した。
相手の告白を断るという決断、それは自己評価の低さや相手が高嶺の花であるということから導き出されたものではなかった。好きな人に告白をするという勇気と決意が必要な行為に対し、俺は無責任な回答をしたくないのだ。
俺は相手のことを好きと思える存在であるかもわからないのに、軽はずみな判断で首を縦に振り、その後相手が俺に対し「もしかして、自分と無理に付き合ってくれているのかな?」と思ったらどうするんだ。俺は相手にそう思われることが嫌であり、そして相手に俺という存在が思っていたものと違うと勝手に失望されるのも御免だ。
これは暇であるが故に導き出すことができた、絶対譲ることができない俺の恋愛観だ。
そんな俺の様子を見てか、先生は考えを巡らせるように一度窓の外を見た。
「ふむ。――では君に一つ聞こう。それは外部からの評価を気にしてではなく、君自身と相手だけを中心とした考えに基づいて導き出した答えなのかね?」
鋭く傾けられる視線と重厚感のある声音も相まって、俺は一度声を詰まらせるも何とか答えようとする。
「はい、そうです。ですので教えてください。俺はどうすればいいのですか?先生」
単刀直入にそう問いかけると、先生は空いている席にどっしりと腰を掛けた。
「ふむ、どうやら君の中で揺るぎない答えが決まっているようだ。――では教えよう。私が半世紀生きて導き出した最善とやらを」
「はい、先生。よろしくお願いします」
まるで弟子の成長をようやく認めた師が秘伝の奥義を伝授させるように、俺は先生と面と向かって座りながら話を聞き、その最善をものにしていった。




