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思想も強けりゃ邪教に至る  作者: 北村 陽
異質の章 第二幕――初夏、己が心に邪を宿す
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第20話

 いつ、どこで、なぜ俺の嘘がバレたのか、まるで見当がつかない。完璧な偽装を貫き通せたと思っていたのに。


「……はぁ」


 ――これはもう、諦めて白状するしかない。

 残りわずかになっていたコップの水を飲み干し、腹を決める。取材はまだ在実しか行っていないが、まさか最初から不手際を起こすことになるなんて。


「……どうして、俺が嘘をついたってわかったんだ?」


 探偵に名を呼ばれた犯人のセリフみたいだ。

 せめて白状する前に、この理由だけどうしても聞きたかった。昨日の時点で在実は、俺が在実と同じ思想を持っているという嘘をついていたことに気付いていなかったから。

 すると在実は首を傾げながら、


「どうしてって、朝夜くんが自分から嘘だって言ってたよ?」


「……えっ、俺が?」


「うん」


 予想外の言葉、そして予想外の失態をしていたことを在実から伝えられる。


「いつサ?」


「城の中で」


「ほんとに?」


 思い返してみるが、それらしき言動をした記憶がなかった。


「ほんとだもん。本当は触れ合うことが好きだったって言ってたじゃん、私と違うって。それで昨日、家に帰ってからいろいろ考えて。どうして朝夜くんは最初に嘘をついたのかなーって思ってて」


「……」


 水を喉に流し込むことで無言の間をつなごうとしたが、手にしたコップに水はなかった。


「……あぁ、なんだ。なるほどなるほど……。あー、そっちね。はいはい、わかったわかった。確かにそんなことを言ってたなー、確かに。……はぁ」


 ここで一度一呼吸。そして心の中で盛大に――

――いや、そっちかーい!

 ありもしない漫才師の血が沸き立ち、体がふんぞり返りそうになる。

 俺は思わず頭を抱えた。不安から解放されたはずであるのに、一人で勝手に勘違いをしていた自分に対する恥ずかしさで頭が爆発寸前だった。

 私と同じ考えという嘘をついたと言われたら、思想の方かと思ってしまうだろうが。


「その、朝夜くん?」


 俺の不可解な行動を見た在実が、怪訝そうな顔で見ていた。


「大丈夫、なんでもない」


「そう?その、そこまで答えにくい質問だったのかなぁって」


「いや、それも間違いじゃないけどサ……。あ、すみません。お冷ください」


 通りすがりの店員に声をかけ、一度心を落ち着かせる。

 一応今日の取材の前に、ある程度の質問の予想とその回答を考えてあった。


「……はぁ。本当は、在実との関係がきれいに元通りになるだなんて思ってもいなかったんサ」


「それで嘘を?」


「あぁ。もうこの際だから全部話すけど、俺と在実の関係がうまくいかなかったことについて、これ以上在実に思い悩んでほしくなかった。だがらどんな手段を使ってでも、俺はこの問題をどうにかしなくちゃって思ってて」


 昨日の俺は、在実と同じ考えを持つ人間として、在実が安心して心の内を話せる存在であろうと嘘をついていた。だが、これ以上過去のことで思い悩んでほしくないという気持ちは本当だった。


「これは誰が悪いとかそういった問題じゃないけど、自分が納得できなくちゃ心のモヤモヤは晴れないだろ?だから在実の気が晴れるなら、俺は嘘つきになってもいいって。……その、これでいいか?こういうこと、本人の前で言うのは忍びないことなんだが」


 終始在実は俺の顔をじっと見るものだから気恥ずかしい。

 やっとのことで届いた追加の水に手を伸ばし、いきなり半量を流し込む。


「……うん、わかった。ふふっ、やっぱりそういうことだったんだぁ」


 在実はタブレットに一瞬何かを書き込んだ。


「やっぱりって、何がサ?」


「朝夜くんは、優しいなぁって」


「……」


 あまり褒められた気分じゃないのは、浪川に言われた言葉のせい。俺は自分にも優しいため、手っ取り早く気まずさから目を背くことができる孤独を選んだのだから。


「あぁ、そうサ。俺は群馬一優しい男だ。他人にだけじゃなく、自分にもな」


「自分にも?」


「自分に優しすぎると、悩み事から逃げる判断が早くなるってこと。浪川に言われて、ひどく心に響いたありがたいお言葉サ」


 優しさという言葉は、必ずしも『よいもの』でないことに気付かされたいい思い出だ。だがその結果、俺は優しいねと言われても素直に喜べない呪いがかかってしまったのだが。

 在実はその言葉を聞いて何を思ったのか、ニマニマとした笑みを浮かべて、


「ふーん。へへ、それじゃあ漫研のみんなはとっても優しいね」


「あぁ、群馬一優しい人間で構成された、素晴らしい部活だ」


「それじゃあ朝夜くんの設定は、群馬一優しい男の子にしとくねぇ」


「その、それだとあまりインパクトがないって言うか、ものすごく皮肉に聞こえるんだけど」


「皮肉じゃないよぉ。少なくとも、私の中では」


「はぁ、よくわかんねぇ」


 いたずら気のある目つきが向けられる。

 俺が自分のことをどう思っていようが、所詮は俺自身の評価に過ぎない。物語の書き手である在実から見えた俺とは違って当然だ。


「それで、質問は終わりか?」


「うん、そうだね。えへへ、これでやっと、生々しくて、見るだけで心が捻じれそうになって、きれいな形で終わらない最高のストーリーが書けそうだよぉ」


「はは、随分とご満悦なようで」


 在実の口にした言葉と晴れやかな笑みのコントラストが酷かった。


「どんな最悪な関係であっても、その全てを創作のために必要な題材として扱って、あっさり片付けちゃうなんてねぇ……。ふふっ、すっごく素敵」


「はは、ははは……」


 乾いた笑い声しか出せなかった。

 在実の顔つきは、まさに邪悪な思想を宿している人間にふさわしいものだった。俺との過去から解放されたからだろうか、今の在実は自分の思想に支配されているようにしか見えなかった。


「ひひっ、朝夜くんのせいだからねぇ?私をこんな子にさせたのは」


「それはお互い様というか……」


「ふふっ。昨日からずーっと、物語を書きたくて仕方なくってね。でもまだ聞いとかないといけないことがあったから、代わりにキャラを描いてたんだぁ」


 そう言って在実は手にしたタブレットを俺の方に向けてきた。そこに描かれていたのは、


「えっ、これってもしかして……、――俺?」


「そうだよ。へへ、よく描けてるでしょ?」


 在実が俺だと言ったそれは、確かに一目で俺だとわかるものだった。だがしかし、その見た目は人間ではなく、狼人間のような形をしていた。


「すげぇ、死んだ目つきとか、ふてぶてしい態度とかよく描けてる。一目で俺ってわかるけど、でもどうして人間じゃないんだ?」


「それは私が朝夜くんのことをどう見ていたのかを表現するためだよ」


「どう見ていたか……。あぁ、そういうことか」


 なぜ俺が純粋な人間として描かれていないのか。その理由は多分、在実にとっての好きという感情が向けられている対象が、俺そのものでなく目に見えない内側にあったからだろう。

 これは姿でなく内面を好きになっているという描写をするのにぴったりな表現だ。


「ふふっ、わかったかな?」


「あぁ、なんとなく。なるほどなぁ、在実には俺がこんな感じに見えてたと。そりゃ関係がうまくいかない訳だ」


「えへへ。今だからわかるけど、私にとって朝夜くんはおっきなワンちゃんだったんだね」


「はぁ、誰が犬っころだ」


 こうして文句を言ったところで、在実には俺がワンワン吠えてるだけにしか見えないのだろう。

 すると在実はタブレットを見ながら、


「――人と人ならざる者の恋は、心残りという呪いだけを残して終わりを迎えた。そしてその様子を見た一人の魔女が、少女にこう告げた。『この世の出来事は全て、物語の題材に過ぎないのだ』と。魔女はそれだけを言い残し、薄暗い森の奥へと消えていった」


「……そのフレーズは?」


「前に考えた一文だよ。今までの出来事を私の視点から言い表すなら、こんな感じかなぁって」


 すると在実が見せてきたタブレットの画面には文書らしきものが映っていた。


「なるほど……。ん、待てよ」


 人と人ならざる者。これは俺と在実で間違いないだろう。――だが、いきなり出てきた魔女とは一体誰なのか?


「……え、まさか」


 答えは考える間もなく、すぐに浮かび上がった。


「その魔女っていうのは、もしかして……」


「あぁ、この魔女はね、――来藍ちゃんのことだよぉ」


「……」


 何の予想も立てていなかったが、そのうちの一つが的中した気分だった。

 どうして浪川は在実の思想を知っているのかについて、深く考えていなかった。浪川であれば知っていて当然という認識を、無自覚の内にしてしまっていた。だから疑うことすらできなかった。――浪川が、在実に思想を植え付けていたということを。

 ――悔しい。

 勝負に負かされた訳ではないが、それと似た感覚だった。知らないうちに疑いを向けないように誘導されていた事実が認められなかった。


「在実は、いつ浪川からそう言われたんだ?」


「えーと、確か一年くらい前かなぁ。初めて聞いた時は変な考えだなぁって思ってたけど、朝夜くんのこともあって、何度もその考えに助けられて、段々素敵な考えだなぁって思うようになって」


「……そうだったのか」


 真っ先に出てきた言葉は、『救済』だった。浪川は在実に思想を植え付けることで、救済しようとしていた。

 邪教とはいえ、教祖たるもの信徒を導くことは当たり前のことだ。在実は浪川に導かれた結果、過去の悔いをその思想を以てして片付けようとした。

 だがしかし――、


「でも、在実は昨日こう言ってたよな?そう思い込んでも、楽になれたのは一時的だったって」


 この思想は一見全ての悩み事に対して効果的のように思える。だが実際は悩み事に対する見方が変わるだけで、根本の問題は一切解決していない。その場しのぎの粗悪な応急措置でしかなかった。


「うん、最初はね。でも、それも全部昨日から変わったんだぁ」


「どうして?」


「だって、朝夜くんも同じ考えだって、そう言ってくれたから。悩み事も全部消し去ってくれて、私との思い出を価値あるものって言ってくれたから」


「……」


 今の気持ちを言い表すことができなかった。嬉しいのか、喜ばしいのか、誇らしいのか、罪悪感に苛まれているのか、わからない。

 在実の心に影響を与えたのは紛れもない俺自身の行動によるもの。だが、考え方については全て浪川から授かったものを、あたかも自分のもののように見せていただけだった。

 俺がしたことは、かつて浪川が在実に施した救済を真似しただけのものだった。


「朝夜くんのおかげで、この考えは本当に素敵なものなんだって、そう思わせてくれたんだ」


「……そっか。――はは、そういうことか」


 在実の話を聞いて、理解した。浪川が言う教祖、そしてその役割を。

 浪川は邪教の教祖として、在実に思想の種をまいた。そして俺はその種を芽吹かせるために、発芽しやすい環境を整えた。種を植えたところで、環境が整わなければ芽は出ない。

 俺は言わば『春』なのだ。春夏秋冬(ひととせ)という名は伊達じゃない。

 しかしその方法が俺にとって納得できるものではなかった。


「ねぇ、どうして朝夜くんはさっきから気まずそうな顔してるの?」


「えっ、いや、だって……」


 在実に心の内が見えるほど、俺は悩んでいた。

 これは俺自身の考えじゃないだなんて、今更言える訳がない。言ったら全て、昨日の言葉が嘘になってしまう。


「朝夜くん」


「……」


「もう、朝夜くんは物語の題材なんだから、黙ってちゃダメでしょ?ね?ふふっ」


「……はい」


 ――あぁ、流石だ在実。

 こう言われてしまっては、俺は黙ることはできない。――俺も在実と同じ、浪川から思想を植え付けられているのだから。


「はぁ。俺も在実と同じで、浪川からこういった考え方があるって教えてもらったんサ。でも、昨日の俺はあたかも自分の考えであるかのように振舞ってて、嘘をついてたんだ」


「あぁ、そのことで朝夜くんは悩んでたんだぁ」


「だから昨日の俺は全て嘘。最初っから本当のことなんて何もなかった」


 俺は水を口にした。

 嘘で在実を欺き、嘘によって在実の心に影響を与えた。結果が良い方向に向かったとはいえ、後味の悪いことだったとしか言いようがない。


「ふーん、そっかぁ」


 在実は何か言いたげな様子で俺を見ていた。


「朝夜くんは、やっぱり優しいねぇ」


「……」


「優しすぎて、――つまらない」


 その言葉を受け入れられないとばかりに、全身が痙攣し始めた。

 顔を上げてはならない。もし今、在実の目を見たら、俺はきっと正気でいられない。

 意識しないと、呼吸ができない。心臓だけが、俺を生かそうと懸命に動き続けている。

 永遠とも思える静寂の末、在実は口を開いた。


「それじゃあ私は、嘘に動かされているだけだって言うんだ」


「……」


 違う、そんなことはない。在実自身が嘘でできているとは言っていない。


「朝夜くんにとって私は、嘘に気付かず幸せそうにしているヒロインでしかないんだ」


 それも違う。在実のことをそんな粗末な存在だと思ったことは一度もない。


「朝夜くんは、私を気にかけてくれた気持ちですら偽物だって、自分にも嘘をつくんだ」


「……いや、それは……」


「ほら、違うんでしょ?ふふっ」


 優しげな笑い声に釣られて、顔を上げる。

 するとそこに俺が想像していた在実の顔はなかった。あるのは俺をからかうような、愉悦を帯びた目だった。


「どこからどこまでが本物で嘘かだなんて、考える必要ってあると思う?」


「いや、その必要は……」


「正解は、あるときもあるし、ないときもある。優しさってホイップクリームみたいだよね。適量だととってもおいしいけど、たくさんあり過ぎるとくどくなっちゃう」


 在実はそう言ってカプチーノを飲み干した。

 在実が言わんとしていることの意味がわかり、胃がきりきりと痛み始める。


「せっかくビターでおいしいガトーショコラが運ばれてきたのに、最後の最後で大量のホイップクリームをのせて台無しにしちゃうなんて。――ねぇ、朝夜くん。これおいしそうじゃない?」


 在実はメニュー表にあるガトーショコラを指さした。


「あ、はい。俺が払わせていただきます」


「ふふっ。二人で食べよぉ」


 店員を呼びつけ、注文を済ませる。取り皿を一つと付け加えて。


「難しいよね、優しさって」


「おっしゃる通りで」


「でも、これで朝夜くんは嘘をついたって自白できたし、ケーキを奢って贖罪も済んだから全部解決じゃない?どう、すっきりした?」


 在実は手を合わせて問いかける。その言葉は俺の心にじんわりと染み入った。


「……確かに、そうだな。はぁ、昨日で全部解決したと思ってたのに」


 在実のことを気に掛けるばかりで、俺は俺自身が抱える悩みをうやむやにしようとしていた。浪川から取材していることを秘密にしろという指示を受けている以上、仕方のないこととはいえ。


「全ては浪川の計算通りなのかなぁ……」


「ん?何か言った?」


「浪川のこと。こうして俺と在実が余計な気を遣わずに話せるようになったのは、浪川の計画があってのことなのかなぁって」


 どこまでが浪川が思い描くシナリオで、どこまでが俺自身の選択なのかわからない。わかっているのは、浪川は教典の内容に従って行動しているため、連動して俺も教典の内容をなぞって行動しているということ。


「きっと、そうじゃないかな」


 在実の声から確信が窺えた。


「どうして?」


「だって、朝夜くんを連れ戻すのに一番動いてたのは、他でもない来藍ちゃんだからねぇ」


「……」


 浪川に疑心を抱いている自分が、少しだけ恩知らずの無礼者のように思えた。


「――お待たせいたしました。こちらガトーショコラと、取り皿でございます」


「あっ、見て朝夜くん。ケーキきたよ」


「あぁ、ほんとだ。濃厚でおいしそう」


「はやく食べよ」


 ほんの一瞬だけ脳裏に浮かび上がった少女の影は、目の前に運ばれてきたガトーショコラによって黒く塗りつぶされてしまった。

 あの日、浪川の思惑がどうであれ、俺は浪川に従うと誓った。

男に二言はない。だからこれから先、どのような結末を迎えても後悔しないように、俺は自分の考えで選択をし続けよう。そうすれば、向かう先が破滅だろうが、全てこの思想一つで片付けられる。


【現実での出来事は全て、物語を作るための題材にすぎない】と。


「はいどうぞ、これ朝夜くんの分だよぉ」


「あぁ、どうも。……ってこれ、ちょっと少な過ぎないか?」


 渡された皿の上には、一口にも満たない小さなかけらがちまっと置かれていた。


「ふふっ、やっぱり面白いね、朝夜くんは。体はおっきいのに、それだけしか食べれなくて」


「こっ、この……」


「もっと食べたい?それじゃあ、あーんしてあげる。あ、でも私たちもう別れたからできないねぇ。残念」


「……はぁ。その手に乗ってたまるかっ。――すみません!ガトーショコラ、もう一つ追加で!」


 場違いなほど声を張り上げ、俺は俺の知るいつも通りの在実に鋭い視線を送る。しかし、犬がどう吠えたところで意味はない。俺のことなど気にも留めない様子で、在実は口にしたケーキに顔をほころばせた。

 ――これだって、物語の題材として必要なシーンなんだ。そうだろ?春夏秋冬朝夜。

 ヒロインにからかわれるシーンとして扱うことで、俺は心に平穏をもたらそうとする。

 在実の取材によって得た思想は、想定よりも利便性が高い有用なものだった。

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