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思想も強けりゃ邪教に至る  作者: 北村 陽
異質の章 第二幕――初夏、己が心に邪を宿す
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第18話

 駆け寄るように浪川のもとへと向かう。やっぱり、何度見ても視線を釘付けにされてしまう。人の多い店内でも、浪川だけが違ったオーラをまとっているように見えた。

 黒を基調とした落ち着きのある色合いのワンピースは、色白な浪川と見事に調和している。そんな静けさを感じる中に混じる深紅のアクセントが、ベースの黒と融合して小悪魔のような印象を醸し出している。初めこそ驚きはしたが、今となってはつかみどころのない浪川の性格と相まって非常によく似合っている印象だ。


「……」


 しかしまぁ、なんということだろうか。感想が次々と出るせいで、俺の脳内では大洪水が起きている。浪川を前にして、俺は座ることもできずにどうしようかと立ち尽くすしかなかった。


「ふふっ。ここに座ってもいいんですよ?」


「あぁ、うん。……失礼します」


 言われるまま、浪川の正面の席に腰を下ろす。どうしたものか、浪川は普段と変わりない様子であるのに、俺はちっとも普段通りの振る舞いができない。

 完全に、生きている世界やまとうオーラが違う。芸能人と二人きりで対談しているような気分だ。俺の服装がごくありふれた平凡なものであるため、余計にそう思えてしまう。

こうして浪川を近くで見てみると、目元にラメが入ったアイシャドウらしき化粧をしていることも窺える。それだけでない、座った際に生じた微かな風からはフルーツティーのような甘すぎず上品な香りがする。視覚だけでなく、嗅覚にまで浪川が侵食してくる。

 困った、何からどう話を切り出せば。そう思っていると、本をテーブルに置いた浪川が先に口を開く。


「どうですか、朝夜くん。私の格好はお気に召してくれましたか?」


 そう言って浪川は目を細めながら俺を見上げた。だが俺は今の浪川とまともに目を合わせることはできず、木製のテーブルの木目をなぞるばかり。


「その……、お気に召すどころかじゃなくて。何と言うか、言いたいことがたくさんあるのに、言葉が出てこなくって……」


 見た目、色合い、全体のバランス、造形、テーマ、メイク、装飾、意外性、可愛らしさ、香りの良さ、その他分類不可の感想。今すぐ浪川にいろんな言葉をかけてやりたいが、一度言葉にしたら止まらなくなりそうで口に出すことができない。


「……もう、それではわざわざ準備してきた私の苦労が無駄になってしまいます。ひとつくらい何か言ってください」


 顔を上げると、浪川は不満を込めた視線を送っていた。


「あぁ、いや、その……。一つだけ、たくさんある感想から一つだけ言うなら、その……、とってもカッコいい、です。すごく、カッコいいです……」


「……」


 ほんの数秒、浪川は俺を見つめると、視線を変えずに飲み物に手を伸ばして口にした。

 浪川は俺の感想がお気に召さなかったのだろうか。だが、表情からでは判断することができない。


「……ふっ、ふふ」


 浪川は加えていたストローを離し、目を細めて笑う。


「えーと……」


 見た目の可愛らしさだけでなく、それらを見事に調和させた浪川には、『カッコいい』という言葉が一番似合っている気がした。最適な感想でないとわかっていたけど、俺はこれ以外の言葉をかけることができなかった。

 すると浪川は「いいえ」と言いながら首を横に少し振った。


「では朝夜くんは、私のどこがカッコいいと思ったのですか?」


 俺に期待という重圧をかけるように、浪川は少し前のめりになって尋ねた。


「……その、見た目とかは当然可愛いんだけど、メイクとか、香りだったりとか、細かな部分にも力を入れているからカッコいいなぁって。ちゃんと、自分の素材を最大限に活かしてるから、素敵だなぁって」


「ふむふむ……」


 自分の耳の先が熱い気がして嫌だった。浪川は俺のことをからかって遊んでいるのだろうか。今すぐにでも隣のガラス張りの壁をぶち抜いて、息が切れるまで走って遠くに行きたい気分だった。


「なるほど。私の外見だけでなく、中身まで見てそう言ってくれたのですね。――合格です」


「えっ、合格?」


「はい。私の機嫌取り試験、合格です」


 にこやかにほほ笑む浪川から、突然合格を言い渡された。とりあえず浪川は上機嫌そうなので安心してよいのだろう、多分。


「あまり目立たないようなポイントにも気付いてくれる。コスプレが趣味の朝夜くんにはこの嬉しさがわかるのではないでしょうか?」


「ちょっ、どうしてそのことを浪川がっ……。はぁ、そういえばそうだった。全部あいつらから聞いてたんだっけ」


「はい。朝夜くんについての、ほとんどすべてを。趣味嗜好、特徴からフェチといった幅広くを知っています」


「……はぁ」


 ――……あぁ。誰か俺の頭に、火をつけてくれ。爆発するから、そっと海に放り投げてくれ。俺は……、俺はちっちゃな津波になるんだ。ほっといてくれ。

 そう思っても、俺の湿気た頭を起爆するための導火線があるはずもなく、そもそも群馬に海はなかった。

服を着ているのに、全裸を見られているような気分だった。外見ならまだしも、内側を知られている方が俺にとって恥ずかしいことだった。

顔を覆った手の隙間から、視線を通す。


「……別に、今もコスプレが趣味ってわけじゃないからな。……それとその、俺のはコスプレと呼ぶにはあまりにお粗末なものだったから」


 人には思い出したくない過去の習慣や好みがあるもの。それは俺も例外ではなく、むしろ他人よりそういったものを多く抱えている気がする。そのうちの一つが、『なりきり』だった。

 ――ふと、脳裏にしまっていたはずの記憶が一気に押し寄せる。気に入ったキャラが身につけている装備や服装といったものを、俺は自作していた。貯金を崩して生地を買って、慣れない手つきで針を握り、歪んだ曲線を引いた布地をハサミで切って作る。専門的な道具や技術は一切なかった。だが、完成した際の達成感はこの上ないものだった。自分で調べ、自分の手で形を作っていく。そしてそれを身にまとって、秀樹や在実、眩昼といったやつらに披露する。この一連の流れを俺は小学生の頃から中学三年生になるまで続けていた。


「お粗末だったと言いましたが、自分では満足のいく出来ではなかったのですか?」


「だってほら、コスプレイヤーの人たちが着ているような、しっかりしたものじゃなかったからサ」


 この世界、誰でも作れそうと思っているものほど作るのが難しい。こういった服飾だけでなく、イラストや小説だって同じだ。作れば作るほど、自分が満足するレベルが上がってきりがない。そして理想と比べてしまって、自分が作ったものが遊びのように思えてしまう。


「もし、それが粗末な出来と思わなければ、今も続けていたのですか?」


「それは……。続けてなかったと、思う。秀樹も在実も、眩昼も、ずっと昔から変わってないのに、俺だけが変わっちゃったから」


「あぁ、そういうことでしたか」


 あれほど脳に焼き付いていた主人公への憧憬は、今となっては完全に消えてしまっている。――ある時を境に俺の心は少しだけ、大人に近づいてしまった。


「途中から少し、皆でやっていることが幼稚でばかばかしく思うようになった時期があったんサ」


「それはいつ頃に?」


「中学三年生くらいかな。ふと、こんなことを考えたことがあって。――結局、俺は好きなキャラの真似をしているだけで、本人じゃない。偽物なんだって。そう考えると、何もかもが虚しくなって」


 自分に誰かを当てはめながら生きていくことが、実は相当難しいものだとそこで初めて知った。知ってしまった瞬間、俺は春夏秋冬朝夜という等身大の人間として精神が固定され、正体不明の第一位という役を演じることに抵抗を覚えてしまった。


「その結果、朝夜くんは受験勉強を途中で諦めて、秀樹くんに学力一位の座を譲ってしまったと」


「あぁ、そのことで秀樹とけんかすることになって。――どうして朝夜であることを諦めるんだって、ひどく責められた。俺はなりきりをしていただけなのに、それをやめたら俺じゃないってわけのわからない言うから、俺も思わずカッとなって」


 虚しさを覚えてから、魔法が解けたようにごく普通の人間に戻った感覚がした。だが、秀樹はその状態の俺を俺と認めてくれなかった。最初は意味がわからなかった。やっとのことで現実の自分を見ることができたと思ったのに、秀樹は等身大である自分を俺自身じゃないと否定したのだから。


「なるほど」


 浪川は相槌を打つと、一口飲み物を口にした。


「年を重ねるごとに、人の心は変わってしまいますからね」


 その言葉は俺に向けたものではなく、どこか遠くを見ながら言ったものだった。


「あーその、浪川はサ。俺みたいに熱中していたことが急につまらなくなったり、ばかばかしく思ったりしたことってあるか?」


 そう尋ねたのは、浪川にも俺と同じような経験をしたことがありそうな雰囲気を感じ取ったからだった。きっと、あの言葉には浪川の過去と重なるものがあったからだと思う。


「……そうですね。私の姉が、まさに今の朝夜くんのような人です」


「えっ、浪川の姉が?」


「はい。私の姉は、とても優秀(・・)なんです」


 浪川が口にした『優秀』という言葉には、誇らしさだけでなく寂しさが確かに混じっていた。――ごく普通の、つまらない人になってしまった。と、どこか皮肉めいた言葉に俺は思わず自分を重ねてしまった。


「その、それってつまり……」


「ええ。あるときまでは誰よりも主人公という言葉が似合う、現実が見えていない特別な人でした。私が絵を描いたり、小説を書いたり、勉強をしたり、演劇をするようになったのも全て、姉の影響だったんです」


「……」


 この言葉を聞いて、浪川という人物のつかみどころがない理由が少しだけわかった気がした。浪川は今も姉の幻影を心に宿し続けている。それは本人のものではないため、俺は浪川そのものではない何かを見ることになっている。着脱可能の仮面といった局所的な偽りではなく、コスプレのような全身にまとった幻影を俺に見せている。


「その、浪川にとっての姉は、俺にとっての在実とか、秀樹とか、眩昼みたいだな」


 今までの俺は全て、あいつらの影響を受けて成り立っていると言っても過言ではなかった。


「えぇ、その通りです。――そして私は、変わることのなかった朝夜くんと言うべきでしょうか」


「……」


「ですので朝夜くんの話を聞くたびに、考えさせられることがたくさんあるんです」


 言葉を失い、俺は思わず顔を上げて浪川を見た。まさか、自分と対極の存在と思っていた少女が、過去の自分と重なる要素を持っていたとは思いもしなかった。もしかしたら浪川は、自分と似た要素があったからこそ、俺の心に寄り添おうとしてくれたのかもしれない。そう思うと、浪川が俺に接触してきた今までの一連の流れに理由が付けられる気がした。


「今まで朝夜くんは、どうして話したこともない浪川来藍という人物が、急に接触してきたのかと思っていたはずです。ですが、その理由は単純です。皆さんの状況全てが、私に重なるものがあったからなんです」


「……そうだったのか」


 浪川の声は優しく、寂しく、温かいのにすぐに冷めて消えてしまいそうだった。ほとんど空になった飲み物を吸い上げて、浪川は静かにカップをテーブルに置いた。


「朝夜くんであれば、どうして私が学力一位を維持し続けているのか。その理由がおおよそわかるのではないですか?」


「……」


 昔の記憶が呼び起こされる。何の変哲もない生徒が、学年でトップの成績を収めていたら面白いのではないだろうかという、今考えたらばかばかしい理由だった。だが、そんな理由だけで俺はいくらでも勉強をする原動力を得ることが出来ていた。

 くだらない、ばかばかしい理由だとわかりながらも思い込みを貫き通すことがどれだけ難しいことなのか。それを知っている俺からすると、浪川来藍という人物は本当に邪教の教祖になるにふさわしい精神力を持ち合わせていると言わざるを得ない。


「その、理由はなんとなくわかるような気もするけどサ。でも、浪川はそれで苦しいと感じたことがないのか?」


 俺は知っている。この思い込みを続けるというだけでは、いつか限界が訪れて、虚無感に襲われることになってしまうと。そうしたらきっと、浪川も俺のように――


「苦しさすらも忘れてしまう理由と面白さがあれば、それだけでいいんです。たとえその末路が、朝夜くんのようなものであったとしても」


「……」


 それは俺の質問をぶった切るには、あまりにも強引な言葉だった。

 ――もしかして、これが浪川の言う『邪教』そのものなのか?

思い込みを徹底的に刷り込ませることで苦痛を忘れ、面白いと思うことにひたすらに向かうこと。その状態になることが、教祖になるために必要な資格というものなのだろうか。

 いや、しかし、それでは今の俺には教祖になる資格はない。俺はもう、教祖をやめてしまって一般人になっている。そう考えると教祖の定義は別なものになることがわかるが、その候補が見つからない。

 思考が幾重にも重なるせいで、結論が導き出せない。いや、今の時点で邪教と教祖が何を指すものなのかを知る手掛かりが少ないのかもしれない。


「ふふっ、考え中のところですが、私についての話はここまでとさせていただきます」


「えっ」


 突如、俺の思案タイムの終了を浪川に宣言された。


「これ以上話してしまうと、朝夜くんの今後の取材に悪影響を与えてしまいますので」


「あぁ、まぁ……」


 浪川は強引に話を区切ると、意味ありげな笑みを浮かべて俺を見た。

 あともう少しで、何かがわかりそうだったのに。俺がもどかしさを覚えていると、浪川が次の話題について切り出した。


「そうでした、今日の取材はどうでしたか?」


「あー、そうだ。そのことについてまだ話してなかった」


「できれば、在実さんと朝夜くんがどのような言葉を交わしたのかについて、詳しく教えていただけるとありがたいです」


 きっと、今の浪川が一番気になっていることだ。今日の取材の計画は全て浪川の提案によって行われたものなのだから。


「わかった。えーとな、まず最初に俺が駅に着いた時――」


 在実と何を話し、何を感じ、どのようなことになったのか。俺は今日の一連の出来事を浪川に伝えた。その最中、浪川は何度も頷きながら考え込むような仕草をしていた。


「――ってことで、関係は見事に元通り。元通りって言っても、友達としてだけど。在実は自主制作してる作品を完成させる気になったし、俺は誰かの人生を本にしたものを保管する、図書館の館長についての物語を作ることになったんサ」


「なるほど……」


 浪川は視線を外して何かを考えている。やはり、俺の取材に何かしらの意図があったのかもしれない。

「在実さんとは、復縁しなかったのですね」


「あぁ」


「……わかりました」


 浪川が口を開くまで、少しの間があった。緊張が解けたように、浪川は深く息を吐いた。


「なにか、在実から言われてたのか?」


「いいえ、なにも。ただ、ターニングポイントを無事通過して、ほっとしていたんです」


「ターニングポイント……。その、この選択って、けっこう重要だったり……」


「そうですね。朝夜くんにとっては、ただの選択でしかありません。ですが、私にとってはこの先の行動に大きな影響を与える、重要な変数でした。――違ったルートを辿れば、教典(・・)に記されたシナリオを大きく外れることになりますので」


「……」


【教典】――教えを記した書。しかし、浪川が言ったそれはそのままの意味を示すものではなかった。

「もし、自分の人生が誰かの書いたストーリーをなぞっているものだとしたら。そして、そのうちの一冊が今、目の前にあったとしたら」


「え、……まさかっ」


 すると浪川は、テーブルに置かれていた本を胸の位置で抱えた。

 レザー特有の光沢をまとわせた黒いブックカバー。その間から覗く本のページは、経年劣化によって黄ばんだように変色し、かなり古い書籍であることが窺えた。

 浪川はその本を手に取り、開いたページを何枚かめくると口を開く。


「これは朝夜くんの行く末を示した、未完成(・・・)の物語、その一つ。――そして、私にとって教典とも呼べる大切な一冊」


「……」


 言葉を締めくくると同時に、浪川は本をそっと閉じた。


「その本に、俺の行く末が書いてあるとでも言うのか?」


「はい。朝夜くんが邪教の教祖になるまでの過程だけ(・・)が、書かれています。そして、朝夜くんが教祖になるために私がすべきことが書かれています。ですが、今はこの本の存在しか教えることができません」


「えっ、そんな……」


 浪川は取り出した本をすぐにバッグの中へとしまった。まだ本のタイトルや内容を知らないまま、存在だけをほのめかした教典は姿を消してしまった。

 何とももどかしい気分になったものの、今は俺の行く末を示した教典(本)の存在がある事実への驚きが勝っていた。


「今の浪川は、その本の内容に従って動いているって……。そんなこと、あり得るのか?ここは……、物語の世界じゃないんだぞ?」


「それにつきましては、こうである方が面白いなと朝夜くんが思った方を選んでください」


「……なんだそれ」


 以前にも、神社で似たようなことを言われたような気がした。そしてその時と同じ、いたずら気のある目つきで浪川は俺を見ていた。

 お預けをくらい、はぐらかされ、もどかしさを覚えさせられて。今すぐにでも仕返しとして、その両頬をぺちんと手で挟み込んでやりたい衝動に駆られたが、ため息に溶け込ませて体外へと排出させた。


「あぁ、なんだか今日は疲れた。もう何も考えられない。浪川にもどかしい気分にされるし」


 知ろうとすればするほど、余計にわからないことが増えていく。ミステリーはあまり得意じゃないから、深く考えすぎないようにしないと思考に脳が支配されて現実が見えなくなってしまう。


「ふふっ、この服を着てきたことに免じてご容赦ください」


「え、まさか俺の機嫌をとるためにその服を着てきたのか?」


「それもありますが、実はこのような格好が好きでして。アメリカにはこういった服を取り扱う店がほとんどなかったので、憧れていたのです」


 そういえば、そうだった。浪川は流暢に日本語を話しているだけで、元はアメリカに住んでいたんだった。浪川の趣味嗜好がどのようなものなのかわからないが、こういった格好に魅力を感じる感性があることはわかった。人は見かけによらずとは、まさにこのこと。


「憧れか、なるほど。なんと言うか、今でも俺には浪川のことを、大きな日本庭園のある屋敷に住んでるお嬢様ってイメージがあるから、そういうものが好きなのは意外だな」


 実際そのような認識をしている人は多いはずだ。俺も浪川本人から聞くまでは、生まれたときから日本に住んでいると思っていた。容姿が美しい日本人の型にはまっているのもその要因のひとつだろう。


「そうですか。でも、どうして私がお嬢様だと思ったのですか?」


「だってほら、同級生と話すときでも敬語だろ?そんな人間、普通に生きてりゃ出会わない。それと所作だって気品があるっていうか、いい意味で一般的な人とは違う気がするんサ」


 同級生に対しても敬語を使って話す人間なんて、物語の世界だけかと思っていた。だからこそ、俺は浪川に対して特別感を覚えている。まるで何かの物語から飛び出してきたか、そういった役を演じているような――。


「……」


「朝夜くん?どうかしましたか」


「あぁ、いや。ただ、その……」


 浪川の声が聞こえる。だが俺は、突如として浮かび上がった可能性に意識が大きく引き寄せられてしまっていた。

 ――もし、浪川が敬語で話している理由が、何かを演じている結果であったなら。

 つい先ほど存在をほのめかされた、教典の存在。そして浪川は俺が教祖になるためにすべきことが、その本に書かれていると言った。そのすべきことが、物語の中の人物を自己に投影することだとしたら。今の浪川は、自分じゃない誰かになりきっているだけの存在。

 途端に目の前にいる少女の姿が、気味悪く見えて仕方なかった。


「あぁ、――もしかして、私がこうして敬語で話すことについて、何か思うところがあったりしますか?」


「……」


「例えばそうですね。浪川来藍という人間は、本来このような話し方ではない、とか。誰かの真似事をしているだけ、とか」


「っ……」


 沈黙は肯定。俺が否定しないがために、浪川は確信をはらんだ視線を下から突き刺してくる。俺の考えを見通すことなど、浪川にとって容易いことなのだろうか。これまでの一連の会話がすべて、浪川の手によって仕組まれたものと考えざるを得ない。

 すると少しの間をおいて、浪川が口を開く。


「しかし、どうしてそのような考えに至ったのですか?」


 俺が否定できないばかりに、浪川は自身の考えが的中している前提で話しかけてくる。


「いや、その……。さっき見せてくれた本のことでサ、浪川がすべきことが書かれているって言ってたから。もしかして、そのすべきことが、本の登場人物を自分に投影することなのかなぁって思って」


「あぁ、そのことから……」


 時が止まったように、浪川は微動だにしない。浪川はどこまで俺に気付かせて、隠すつもりだったのか。今の俺は、浪川が想定していた範疇を飛び出した気付きをしているのか、想定内の気付きをさせられているのか。


「……ふふっ、ふふふっ。あははっ、ははっ」


「えっ……?」


 すると突然、浪川はにらめっこで負かされたように笑い出した。浪川から聞いたことのない笑い方が混じっていた。そして浪川はおもむろに席を立ちながら、


「――はぁ。いやぁ、もしそうだとしたら、本当に面白いよね(・・)。朝夜くん」


「えっ――――――。って、もういくのか?」


 愉悦を帯びた眼差しと声音を残して、浪川は俺をこの場に一人おいていかんとばかりに店の外へと軽快に歩いて行った。


「それでは朝夜くん、また週明けにお会いしましょう。今日はお疲れ様でした、さようなら」


「あ、あぁ。えーと、じゃあな、浪川……」


 振り返りながら別れの言葉を言う浪川は、紛れもないいつもの浪川だった。

厚底のブーツが床に打ち付けられる連続音が、次第に遠のいていく。

 ほんの一瞬だけ見えた、浪川のようで浪川ではない誰かの面影。それが解像度の悪い残像となって、俺の脳裏に焼き付いている。

浪川がいなくなったあとも、この場にはしばらく浪川の存在感が香りとして残っていた。

 俺はカフェの出入り口を数秒の間立ち尽くしながら見ていた。この場での出来事がまだうまく処理しきれずに、長い待機列を組んで混在している。


「何だったんだ……?」


 再び席に座ると、誰もいないはずの正面から、空間が歪むほど強く異質な存在感を覚えた。

 浪川がテーブルの上に残していった、空のカップ。その中の底に沈む、溶けた氷によって薄まりぼやけた乳白色が、俺の視界を気味悪く埋め尽くしていた。

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